「メディア評価ブログ」立ち上げにあたって
今回は、今週、新たに立ち上げた「メディア評価ブログ」について報告させていただきます。
私はこれまで何度か、日本で今、問われているのは民主主義のあり方だと主張してきました。これは言論のあり方と密接に結びついています。
私は、ワンフレーズで多くの人を動かす、直接的で薄い民主主義を全て否定はしませんが、議論を積み上げ、その中で日本の政策形成を動かしていくような、強い民主主義のダイナミックな動きが必要だと考えています。
そのためにも、メディアの役割が今、問われているように思えるのです。
言論NPOを立ち上げた時に私は、「言論不況」を主張し、日本の言論と政策論議に質と緊張感を取り戻したいと言いました。
その後、メディアの中では言論やオピニオンに対する強い姿勢を打ち出すメディアも現れました。しかし、メディアの役割はそう大きく変わったわけではありません。多くのメディアはユーザーに判断材料を十分提起できないまま、ある意味では騒ぎに便乗し、この間の劇場政治の担い手にもなっていたからです。
不思議なことに、そうした動きを作ったはずのメディアが、最近では「権力とメディア」の問題を他人事のように論評しています。
言論に質と緊張感を取り戻すのは、ある意味で答えは簡単です。
政策論議やさまざまな報道をめぐって適正な競争が行われ、その内容に市場からのプレッシャーがかけ続けられることです。
政治へのプレッシャーは有権者が、メディアへのプレッシャーはユーザ-である読者や視聴者がかけることになります。
競争が質を伴う言論を作り出し、それらが、読者がこの時代に向かい合うための重要な判断材料となるためには、ユーザー側がメディアの報道の質を見分ける目を肥やし、厳しい評価をするしかないと考えます。
私たちが「メディア評価ブログ」を立ち上げるのは、実際にメディアが報じるニュースや企画には様々な視点や論点があることを伝え、「マスコミ報道の問題点」を指摘し、広く問題提起をするためです。
これまで私たちは言論ブログ、マニフェスト評価ブログを立ち上げて、私たちが行っている議論や評価を公開してきました。それに続いて今度はメディアの議論を取り上げ、読者や視聴者が質の高いメディアを選ぶ、そのための手がかりを提供したいと考えています。
メディアの報道について、また私たちの提供する議論について、皆さんがご意見をお寄せいただけることを楽しみにしています。
2006年5月17日 18:04
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この記事に[ 3件 ]のコメントがあります
現在の既存メディアの最大の問題は、「事実を見ない」
ということだと私は考えています。
ステレオタイプを元に、あるいは先入観を前提に、机上の議論を繰り広げ、それに合致したネタだけを探し求める、という傾向がなくならない限り、議論は深まりません。
科学は、「仮説」が否定されたときに進歩するものなのです。
また、現在の社会に様々な問題や病理現象が存在していることは事実です。ただ、その原因が何かをみずに思いつきの対策を唱えるだけでは、あたかも瀉血のように、無意味かつマイナスのことをしているかもしれません。
また、一見無駄に見えることでも、何らかの効用を発揮している場合もあります(食物繊維なども、以前は無駄と言われていました)ので、そういうことを注意しないと、世の中が却って悪くなることもあります。
そうした議論をするには、何よりも「現場」が重要です。それも最初から「こういうもの」と決めてかかるのではなく、虚心坦懐に何が起きているのかを観察することが、一番大切なことと思います。
現在のメディアに欠けているのは、その点だと思います。
また、多くの(文系の)学者も、現実を見ることなく、メディアの報道を元に議論していることから、それを報道するメディアとの間で、自己完結型にステレオタイプが循環しているだけで、実態からかけ離れてしまったり、せっかくの改善の動きに水をかけてしまうようなことがしばしばあります。
言論NPOだけでは、マンパワーの問題からなかなか「現場」を歩き回ることは難しいと思いますが、是非「現場」の声を素直に受け止める工夫をして頂ければ、幸いですし、メディアや学者がそのような方向に向かうように、活動して頂けることを期待しています。
(実際には「現場」はなかなか本当のことを言えないのが実態です。何か言おうとすれば、どういう結果を招くかが明らかだからです。その意味では、一種の言論統制が働いています。「現場」が非難されることなく、事実を伝える方法があれば、世の中は大きく変わると思います。)
※もっとも、「現場」を丹念に調べることは、時間も手間もかかる割には、世の中で受けませんので、昨今の風潮の中では、誰もやりたがりませんね。
本来は、それが学者の仕事なんですが、「舌先三寸」だけで食べている学者の方が偉く見えてしまう、というのが問題なのかもしれません。
投稿者 木下 : 2006年5月23日 18:11
企業は社会に有用な商品を提供するために市場調査をやりますが、”言論という商品”では市場調査をやりませんね。時々国民の意識調査はやることはありますが、情報を商品として捉えた時に国民のニーズを図るメルクマールは何になるのでしょうか?
また、言論には世論形成や教育的側面があることも事実でありますが、それでは、政治の上でも経済の上でも、またヒューマニズムの高揚が謳われて多くのNGO団体の関心を引いている重要なパートを占めているアフリカの事情、日系人の移民が多くいるはずの南米事情等については、殆ど国内4大紙には継続して報道されることがありません。不思 議なことです。特に、海外の日系社会との絆は本来は大きなニュースバリューがあるはずなのですが、何故か同胞としての絆が薄いのは今盛んに言われる「愛国心」の育成以前の日本人としてのアイデンティティーそのものに係わるように思います。
マスコミ人の中に対岸の火事を眺めるような心象風景はいつ頃から出てきたのでしょうか?興味のある点です。戦後の日本社会が会社中心で、いわば生産者側の論理で動いてきて、消費者側の論理が後回しになってきたことが国民不在の論議の淵源になっているようなきがしてなりません。会社人間の夫がある時「家族から仕事と家族とどっちが大事なの!」と詰問され、型どおりの返事をしてそっぽを向かれているのに似ている状況ではないかと思う次第です。
投稿者 霞ヶ関A : 2006年5月25日 11:34
どうも映像型のブログというのは斬新なのですが、気楽に見るという意味ではうまくない気がします。
ぜひ、文章による記事もおり混ぜて行かれるよう、希望します。
工藤さんの活動にはずっと注目しています。
投稿者 takeyan : 2006年5月30日 15:14
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