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 日本の民主主義が危ない(学生インターンとの対話)

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学生: 2008年も終わりに近づいていますが、言論NPOでは来年に向け、今どんなことに取り組んでいるのですか。

工藤: 議論の「仕込み」をしているところです。私は今まさに言論側の役割が問われていると思っています。最近、言論NPOを応援していただいている人にお会いした時にもそれを、よく言われのですが、私にもここで議論を始めなくてはという強い思いがあります。

オバマ氏は来年の1月20に新大統領になります。アメリカの危機は世界的な金融危機に広がり、実体経済にも大きな影響が出ています。ただ、今回の事態はこうした経済の問題に限らず、戦後のドルを軸とした世界経済の構造に変化を迫っているように見えます。経済の危機に対応するだけではなく、その先にある国際社会での日本の進路を考えなくてはならない、という局面に今の日本はあります。

私がとても気になっているのは、そうした世界経済の変化だけではなく、民主主義の問題です。金融危機の背景にはアメリカの対外債務のドル化というべき借金資本主義の破たんという問題がありますが、資本主義の暴走と言うべき金融偏重や競争至上主義で弱体化した民主主義の復権ということがもう一つのテーマにありました。それがオバマ現象につながったと思います。


ところが、世界がこれほど大きく変わろうとしているときに、日本の進路を問う議論がこの国には全く出てこない。あるのは選挙意識した相手を攻撃するだけの議論ばかりです。

当事者意識を持ってこの事態に向かい合い、日本の課題解決に取り組もうというのではなく、この局面になっても人ごとのように、または誰かの批判をするためだけの議論が見られる。それが最近出ている様々な社会的な驚くべき事件や、政府の役人でいながらそれに反することを発言しても、言論の自由と開き直る風潮を許す何かがある。

これはとても危険な状況だと思うし、こうした状況下だからこそ、健全な議論が日本の政治を動かす民主統治の流れは守る必要がある、と思うのです。

言論NPOが7年前に立ち上げた時に主張したことも、健全な議論の舞台を広がることで強い民主主義をつくりたい、ということでした。今まさにそれが問われている、と思うのです。僕が今、「仕込んでいる」と言うのは、そのための議論を始めようと思っているからです。


学生: 具体的には何を考えていますか。

工藤: 今の政権は、政策決定に関してもスピード感がなく、党内や官庁をまとめきれないことが、首相の発言の混乱という形で表面化しています。

選挙を前に自民党の混乱も新聞報道などでは見えており、日本の政治はある意味で言えば自滅というような状況にも感じます。ただ、そうであるならば、野党の民主党などの政策が対案としてしっかりとしているか、といえばまだそうではない。

ここで共通しているには、今の政治はバラ撒きの競争でしか、ないということです。その内容が足りないとか、やり方が下手であるとこか、ある意味でそれだけの選挙のためだけの議論のために国会が使われている。そうした政治をただ私たちは見ているしかないという事態なのです。

現時点でいえば、日本の政治はしっかりした経済対策を早く出して決定し、その上でこの国の未来に向けての課題解決で本当の政策競争を行い、国民に選挙で信を問う段階にあると、私は思っています。

ただ、その内容がただのバラ撒きの競争でしか、ないというのであれば、それは私たち側の有権者側の責任であり、そういう政治を私たち自身が求めているということになってしまう。それでいいとは私は思いません。

ポピュリズム的な風潮は、この国の可能性を壊してしまう、と私は思います。それを、変えるためにも、政治を有権者の間に緊張感を取り戻し、監視を基に組み直す必要があります。今年もわずか20日ばかりですが、私たちが行っている政府や政党の政策やマニフェスト評価の議論を公開して行うつもりですし、それに現政権の評価を開始しないとなりません。

率直言えば、約束に基づいた政治ということが機能していない状況下でその政策の評価を行うことは本質的には困難であるわけです。ただし、そうした状況を変えるためにも政策を不断に監視し、議論し、それを政治に迫っていく努力が必要になるのです。

2009年はまさに日本の進路が問われる年になると思います。これからの日本の進路に関する議論が始まっていないことに僕たちは強い危機意識を抱いているわけで、それに向けた議論も今準備をしています。言論NPOのウエッブを活用したチャネル、「ミニ・ポピュラス」や公開フォーラムなどいろんなしくみを使って徹底的にやっていきたいと思っていますので、皆さんにもぜひ参加していただきたいと思っています。

 

2008年12月 7日 14:03

言論NPOのホームページはこちら

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この記事に[ 2件 ]のコメントがあります

私は今年の第4回東京北京フォーラム全体会と安全保障部会に参加させて頂いた自民党政経塾3期生で御座います。
 私はこのNPO言論の活動には歴史的価値を予感しています。今世界は米ソ2超大国制からEUなどの国際分割した圏制へ移行しているようです。この過程が今回の米国発金融恐慌だと思います。自由資本主義は自らをグローバル化という巨大化することにより古代恐竜のように世界に君臨しました。しかしそこにあったのは資本集中と貧富の格差でした。現行の経済体制は世界の人々を豊かにすることができないのではないか?という不信感を抱かせれるのは当然のことのように思えます。今後WHOをはじめ国際社会は保護貿易主義が主流となることは避け切れないかもしれません。各国は自由貿易主義の堅持を表明し躍起になっているように見えます。私の持論のひとつにアジア圏の形成こそが今後世界をリードする新しい経済秩序を齎すのではないかというものです。その中心になるのが中国と我が国のように思えます。経済超大国の終焉を迎えている我が国、そして経済爆発の持って行き場のなくなっている中国です。インドもアラブも同様のように見えます。彼らは我が国が経済超大国の次に目指しているものは何か、注目してはいないでしょうか?どちらにしても我が国の身の振り方は新たな世界秩序の形成の一端を担うのは間違いないようです。その証拠にNPO言論による北京東京フォーラムをあげたいと思います。ご近所の意識交流は下町でも国際間でも同じと思います。そして下町意識つまり圏意識が芽生えるのではないでしょうか?またアジア秩序形成の過程のひとつが今回の経済恐慌だと見ています。そして学識研究者にとらわれず多くのアジア人が多面的な研究発表を重ねることが重要だと思います。このフォーラムは井戸端会議の井戸のようなものです。お屋敷前ではありません。
 さて我が国の政治についてですが。はっきり言って閉塞感の何者でもないように思えます。私は自民党に属していますが、現職(政治家)の苦悩振りを実感しています。野党民主党にしても答えを出し切れていません。私の考えは「切捨て」というキーワードにどうしても辿り着きます。政治を志す者が発言するべきことではありませんが… これは国民を犠牲にするということではなく、考え方や制度を切り捨てるというものです。例えば平和はくれるものですか与えるものですか?違います勝ち取るものです。勝ち取るとはどういうことでしょう?それは代償を払うことではないでしょうか。この代償を考え方や制度に置き換え場合、新たな生活によりいっそう近づけるのではないでしょうか。そのリードをするのが政治の役目だと思います。前の大戦では、我が国は内外に多くの犠牲を強いてきました。その代償として我が国は経済の繁栄を享受できたことは言うまでもありません。その方向付けをしたのが日本国憲法ではないかと思います。そのとき私達は旧憲法や帝国主義を捨て尊い人命という代償も払いました。ましてや人命に限ってはアジア諸国にもです。憲法は立憲民主主義の核であり法治国家の鼓動のようなものです。憲法改正は9条のような悲観的問題ではなく、アジアに向けて新たな国家再編成を宣言し方向を位置づけることが大切と思います。その為に私は来年、東京で憲法第16条請願権による憲法改正に向けた街頭活動を計画しています。改正の方向は「家庭を守る」です。国連人権宣言の中に家庭や家族という言葉が良く出てきます。私は今度の改正で我が国の家族意識や家庭認識の変革と国家の為すことを明確にしようと思います。もってアジアの人々に訴えてゆきたいと思います。国内の不法在留外国人のほとんどは家族の写真を持っています。我が国は基本的人権を銘記した進歩的な憲法を持っています。しかし基本的人権の着定には家庭という子宮がなければなりません。そこを次回の改正で補います。現在の雇用問題や格差問題を克服するには直接対策ではなく国民姿勢の変革にかかっています。その為の改正です。予算編成の改革や社会保障の問題解決から経済恐慌の軽減化までを図れると思料しています。とり止めもなく書き下しました。今日はここまでとします。ありがとう御座いました。

投稿者 田邊 太郎 : 2008年12月 8日 23:26

「考え方を切り捨てる」につきまして

選挙において、選挙民も「どの政策をメーンにして政党を支持するのか」という大きな決断をしなければなりません
自由委任間接政治の構造的な欠陥の一つとして、しばしば「テーマAは与党を支持し、テーマBは野党を支持したいというケースに一票ではどうにもならない」と主張してきました。
例えば 自民党の国家公務員法改正案について、人事院側は〈1〉人事の中立・公正性に反する〈2〉労働基本権制約の代償措置が損なわれる--という理由で反対していますが、民主党はそれを理解する姿勢のようです。
民主党は以前は公務員3割削減を主張し、それをよしとして同党を支持される人々はかなりおられたでしょう。
ところが人事院の上の主張を理解(支持?)するようでは同党の支持者は、この件については民主党ではなく自民党を支持したいと考えるかも知れません
かといって選挙で自民党に投じると「自民党の全ての主張が支持されている」と取られます。議員に自由委任する今の間接政治制度は粗雑過ぎるのではないでしょうか。
より精細に国民の意思を反映させるのがデモクラシーです。その為に国民投票や並存政治があるのです。ネット時代には国民は公論を視聴し、どの党の主張を支持するかという意志を表現できるのです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090329-00000322-yom-pol

もしも並存政治(http://www2.osk.3web.ne.jp/~mine2/)のように重要なテーマ毎に 意志を表現できる制度があれば、国民は自分の意志と異なる議決がなされたとしても、「一応意志を表現できた」と人権が守られたことで了解できます。郵政の議決で起きたように、自由委任の制度のもとでは、選挙民への約束に反して「よく考えれば賛成すべきだった」などと公約に背任するケースさえ生じるのです。より精細な参加政治システムについてご検討を頂ければさいわいです。

投稿者 : 2009年3月29日 18:34

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