日本の民主主義は日本が直面する課題に対して答えを出せるのか

2016年6月16日

2016年6月16日(木)
出演者:
上神貴佳(岡山大学法学部教授)
内山融(東京大学大学院総合文化研究科教授)
吉田徹(北海道大学法学研究科教授)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)

第二話:日本の民主主義の現状と評価

工藤泰志 工藤:次は日本の民主主義の問題を議論したいと思います。私達は7月の参院選に向けて、有識者アンケートを行いました。その人達が、日本のこれからについてどう考えているか尋ねたところ、大体6割近くの有識者が日本の将来に対して不安を持っている、悲観的だと言っているわけですね。では、なぜ悲観的なのかというと、日本の少子高齢化、人口減少という非常に大きな避けがたいような大きな状況に関して、有効な対応をしていないということもあったのですが、半数ぐらいの人達は民主主義に関する課題も指摘しているわけです。

 「メディア報道を始め、日本の言論側の力が後退しているから」というのが54.9パーセント、次に「政治が日本の課題に取り組むよりも、国民の不安に迎合するポピュリズムの傾向が強まっているから」が53.5パーセント、「日本の政党自体に、課題解決に向けた競争が始まっていないから」が46.5パーセント、「有権者側が日本の将来に向けての課題解決を政治に迫っていないから」が42.8パーセントというものでした。いま、政党の話も出ましたが、このあたりに有識者の関心があると思うのですが、このアンケートも踏まえながら、皆さんどうお考えか、内山さんからお聞きしたいと思います。

人々の悲観に対応できていない民主主義

 内山:政治と経済の関係を歴史的な観点で見ると、19世紀くらいまではレッセフェール的に市場原理でやってきた。ところが、それではうまくいかないということで、国家が経済を管理する仕組みが出来上がった。いわゆるケインズ主義、福祉国家です。ところが、それが1970年代、80年代に崩れてきて、今度はネオリベラリズムが登場した。そのネオリベラリズムでも結局、リーマンショックで駄目だったということで、再びここで、国家、政治が登場してこなければならなくなった。しかし、それがどうも上手くいっていない。国際協調をやってもうまくいくのか分からないし、一部では権威主義的な国が出てきている。アンケートでは将来を悲観する回答が多いということですが、昔だったら政治がある程度経済をコントロールして、民主主義的にうまくやっていけるという希望があったのですが、その希望が打ち砕かれてしまった。これが人々の悲観に表れているという気がします。

工藤:すると、世界に出てきている大きな変化、大きな矛盾、大きな問題のなかで民主主義を構成する人達の役割不足を多くの人達が感じ始めているということでしょうか。

内山:そうだと思いますね。

 上神:気になる点がいくつもあるのですが、一つは、「メディア報道を始め、日本の言論側の力が後退しているから」。これはおそらく、国境なき記者団やフリーダム・ハウスによるランキングに関する報道を受けて、日本の言論をめぐる状況が悪化しているのではないか、と受け取られていると思うのですね。もちろん、これらのランキングの取り方というのは、それぞれですし、恣意的な側面もあるとは思うのですけれども、そうした問題がある。先程吉田先生からダールのポリアーキーの話がありましたけれども、民主主義というのは、公的な異議申し立て、つまり、自由、参加、包摂があると思うのですね。そういった意味で、自由という側面において大きな問題が生じているのではないか、と皆さん思われているのかもしれません。

 あとは、参加の側面ですね。「有権者側が日本の将来に向けての課題解決を政治に迫っていないから」という回答に関しては、投票率の低下ということに表れている。この前の総選挙でも半分くらいの有権者しか投票に行っていないという状態になっている。これは政党の問題なのか、有権者の問題なのか、私達は真剣に考えないといけないということだと思います。

 吉田:先進国ではどこも悲観論が蔓延しています。日本もその例外ではないということでしょう。

 トマ・ピケティの『21世紀の資本』は格差の歴史以上に、1970年代までの20世紀後半は、長い歴史の中で例外的に安定と豊かさを実現した時代だったことを示しています。

 色々な偶然の積み重ねが第一次世界大戦と第二次世界大戦を生みました。ただ、戦争の結果、社会が平準化され、国家の再分配機能が高まり、結果として階級均衡型のデモクラシーが生まれることになります。そして、分厚い中間層が作られたことで、格差も抑制されていた。しかも、冷戦のもとでの体制間の競争があり、西側はどれだけ自分達の体制を安定化でき、魅力を高めるかということに腐心をしていた。戦争と冷戦が民主主義にある種の緊張感をもたらしていたのは、戦後平和が長引いたことで、それが失われてしまったことが、民主主義の機能不全と正当性の喪失につながってしまっているという逆説をみてとることができます。とりわけ資本主義を国家がコントロールできて、20世紀後半の長期の安定と平和があったが、それも失われてしまった。そこがリベラルデモクラシーと呼ばれる、いまの民主主義のあり方に対して、人々の不満が蓄積している一つの理由ともいえるのではないでしょうか。

工藤:そういう変化が起こっている状況の中で、民主主義という仕組みをさらに発展させるためには、そのアクター、発展させる側に立つ人は誰になるのでしょうか。これまでで言えばジャーナリズムや政党、知識層、労働組合などがありましたが、民主主義の新しい担い手としてどのような主体が考えられるのでしょうか。



誰が民主主義をリードするのか

内山:そもそも主権者は有権者であるわけですが、それを実際に担うのは代議制で選ばれた政治家です。有権者と政治家、政党の関係は「鶏と卵の関係」だと思います。「なんでこんな政治家がいるのか」とよく問題になりますが、それは人々が選んだからです。また、政治家が低いレベルだとそれに呼応して、人々も政治家の挑発に簡単に乗せられてしまうようになるので、「鶏と卵の関係」になってしまう。そこの循環関係を悪循環から好循環にいかに動かすかが課題になります。難しいところなのですが、やはりその循環を動かすのは、政治的リーダーの役割であるし、知識層の役割でもあるとは思います。

上神:本来は複雑なイシューをパッケージ化してわかりやすく示す、ということが政党の重要な役割だと思います。それが、問題自体の専門化、複雑化が進んでいるということもあるのでしょうけれど、それだけではなくて、問題を過度に単純化して、個別化して示すことに対して人々が反応する。それで、ますますパッケージ化、シンプル化するということを政党ができなくなっていると思います。

吉田:民主主義のエートスとでもいえるものを、何処から調達してくるのか、というのは、古今東西、政治学者の頭を悩ましてきた問題です。一つ言えるのは、学歴が高さと政治参加は相対的に相関するということです。教育が高ければ高いほど、政治的リテラシーも高まる、というのは普遍的な現象として実証されています。ですから、教育水準を引きあげていくことは絶対的に必要です。日本は、大学進学率をとってみてもOECD諸国の中でも低い水準です。人的な資本投資を通じて強い社会をつくり、それが結果的に、良い政治をつくり、有権者の政治的なリテラシーを涵養する。これはポピュリズムに対する防波堤にもなるでしょう。そうした地道な取り組みも進めていくべきです。

工藤:そうですね。ただ、そういう政治的なリテラシーは非常に重要だと思いますが、それを担う人は、単純に市民層から突然変異で出てくるのは難しいという気もしています。それぞれの分野の専門家が使命感を持って社会的に動き出さないとおそらく難しいという気がしているのですね。皆さん、おっしゃっているのは、やはり政党という問題が非常に大きいということでしたが、有識者アンケートでも政党の問題について聞いています。日本の政党や政治家が日本の課題解決のプランを提示できない理由は何か、と聞いたら、一番多かった答えは、「政党や政治家が日本の長期的な課題に取り組むのではなく、選挙に勝つことが自己目的化したから」という回答が52.9%で突出しています。ゴールは選挙に勝つことだから、そのためだけに動いている、という印象を多くの有識者が抱いているわけです。これは日本だけでなく、世界でも同じなのかもしれませんが、なぜこういう状況になってしまっているのでしょうか。

政党はその性質上、短期的な利益を追求せざるを得ない。有権者ももっと成熟を

内山:先程も申し上げましたが、当然、政権を獲得する、ないしは選挙で勝ち続けるためには、有権者の票を得なければならない。そこで手っ取り早いのは何かというと、短期的な利益に訴えること、それから、感情に訴えかけることなんですね。まさに、トランプ氏のやり方はそうだと思いますが、人々の怒りだとか敵対感情に訴えかけている。そういうやり方は確かに、選挙に勝てるかもしれない。ですから、各政党がそういう短期的な勝利の誘惑に負けている、というのが現状だと思います。私は、そこでは政党の自制が必要なのではないかと思います。つまり、「感情」よりも「理性」、「怒りや敵対心」よりも「共感」というようにしていく。ある政党が短期的な利益に訴えかけてくると、他の政党も同じ戦略を取ってしまうわけですから、ある種の「政党のカルテル」といってはなんですが、そういう形でお互いに自制していく。そういった長期的な利益、国益、世界益というものを見据えながら協力していくというスタンスがなければならないと思います。

工藤:日本の政党は、戦後を通じてどのような役割を果たしてきたのかということを伺いたいと思います。政党というのは本来であれば、主義主張や国家観などのビジョンを掲げ、それを実現する過程で課題解決のプランニングも提示する。それに対して国民は支持するか否かを決める、というのがあるべき形だと思うのですが、最近、そういうような大きな大局観を持ったプランニングが提起されたことがあまりないと思います。人口減少問題など、世界も注目している日本の長期的な課題に関するプランニングとして、ようやく安倍首相が新三本の矢という形で出したくらいです。そういう中では政党は何のために存在しているのか分からなくなります。例えば、原発事故が起こった時にはどの政党も原発反対を掲げていました。つまり、有権者の反発をうまい具合に回避して、選挙に勝つように立ち回っている。選挙に勝つことが利益を実現するための唯一の道だというのであれば、そういうやり方も成り立つのですが、政党というものの役割が乏しくなってきているのですが、上神さんいかがでしょうか。

上神:先程の内山先生の議論をそのまま引き継がせていただきますと、短期的・非合理的な解決策を打ち出すことが、有権者の支持を得る手っ取り早い方法である、と。それに対して内山先生は、政党側の合理的な対応、自制が必要だとおっしゃったわけですが、ただ、吉田先生もおっしゃった通り市民側、有権者側も、そんな簡単なイージーソリューションなどないし、フリーランチなどないということを理解しないといけないわけです。それには市民性教育であり、人文社会科学をもっと振興しなければならないのかもしれませんが。いずれにしても、私たちが有権者として課題に対する理解の仕方を成熟させる。そういったことがないと、結局天に唾するということになるのではないかと思います。

業績投票のためにも政党の競争が不可欠

吉田:選挙の役割ということを考えた場合、特定の世界観とか、特定の政策パッケージを掲げて選挙を戦うことはかなり難しくなっている状況にあります。これだけグローバルな問題が起き、しかも短期的要因で流れが大きく変わる状況の中では、政治的なプログラムを提示して、そこから選んでもらうという、プロスペクティブな選挙は難しくなっているのではないでしょうか。それで失敗したのが旧民主党のマニフェスト政治でもあったわけです。

 これは教科書的な説明ですが、そうすると、いわゆる業績評価が重視されるようになります。とりあえず一定期間、統治をしてもらう。それ故に定期的な選挙というものが重要になるのですが、次の選挙時には業績に基づいて駄目出しをするか、ポジ出しをするのか、という形で次の政権を決める。この「業績投票」によって政権交代を起こしていくというような形でしか、選挙を軸にした民主主義は機能しないのではないかと私は思っています。

内山:今、吉田さんが「業績投票」とおっしゃいましたが、仮に今の政権の業績が駄目だといっても、その時に他に選択肢がなければいけないわけですよね。その点、今の日本の政党政治というのは、不完全競争の状況にあると思うのですね。つまり、ある種の寡占。本当に完全競争が行われているのであれば、「この党が駄目だったらこっちの党にしよう」という話になりますが、この党しかないのではないか、という時、果たしてそういった選挙のロジックが成り立つのか。そういう中ではやはり、政党の立て直しは結局必要になってくると思いますね。

工藤:結果として自民党だけの政治になっているということは、民主主義的な合意のメカニズムよりも、一つの政党に力を結集させた方がいい、と有権者は判断している、というようなことは言えないですか。

内山:それも難しい。例えば、55年体制も結局、有権者の判断として自民党が一党優位支配を続けていたわけです。それも結局、有権者の判断なのだからそれでいいではないか、とも言えますが、その一方で、やはり政権交代がなければならないという話もある。それが一つの論点となりますが、もう一つの論点としてあるのは、55年体制は、少なくとも派閥の交代、派閥の競争というある種の疑似政権交代があったわけです。ある派閥から出た首相が駄目だったら、別の派閥から首相を出す、と。ところが今、自民党の中の派閥競争もなくなっている。昔は政権交代がないけれど、せめて党の中での競争はあったのに、今は党の中の競争さえもないし、党と党の競争も不完全という極めて不健全な状況ではないかという気がします。

選挙以外の日常が大事

上神:気になるのは、選挙だけにフォーカスするということではなくて、選挙以外の期間に野党はどういったことをするのか、ということが弱いですよね。有権者もその間何もしないで、選挙の時だけ投票してお終いかと言ったらそうではない。選挙以外の時に、有権者として、政党として、どのようなオルタナティブを政権に対して提示していくか。これができていないと結局のところ、選挙時だけ議論をしても意味がない。もちろん、それを求めるというのは、政党離れが進んでいる現状において難しいことは承知ですが。

吉田:私がいつも申し上げるのは、選挙の時に自分の選挙区の候補者の政策は見るかもしれない。では、当選後に、その候補者がどの委員会に属して、どういう質問をしたのかまで調べるかどうか。そう尋ねると、普通は調べないわけです。代議制民主主義は基本的には私達の代表に委任をするわけですから、そこまで市民が関心を持たなくてもいいのかもしれませんが、それでも自分の思ったように民主主義が動いていないと感じるのであれば、電話をする、手紙を書く、メールを出す、という形でこちらから参加をして、委任した相手に対してコントロールを効かせていくような所作が大事になってきます。他国と比べて、日本の民主主義は投票以外での政治参加の温度が低いのが特徴です。

 政党政治に関していえば、今の「一強多弱」は、安倍自民党だけが強いという以上に野党の責任も大きくあります。自公が万全な自公ブロックを形成する中、野党ブロックは4つから6つの政党が互いにいかに負けないのか、という競争をやっている。相手に勝つよりも、いかに他の野党に負けないかで競い合っていれば、野党ブロックが脆弱になるのは当たり前です。色々な野党連合の構想はありますが、自民党内の擬似政権交代もなく、政権与党が純化路線を歩んでいる中での不完全競争は最悪のパターンです。一強多弱の状態をどうにかしなければならないのであれば、それは自民党の問題ではなくて野党側の問題でもあります。

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