世界とつながる言論

「アジアの将来と日中問題」/加藤紘一氏

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第2話:「育てるべきナショナリズムとは何か」

 日本におけるナショナリズムには今、3つのものが混在しているのではないかと思います。1つのナショナリズムは、「争う、闘争するナショナリズム」です。領土を取ったり取られたり、植民地政策を進めたり、それに抵抗して解放の闘いをしたりしようとする、闘争する、争う、反抗する、抵抗するナショナリズムがあるのではないかと思います。

 このナショナリズムは、ある意味で国民をまとめるのにはとてもよいのです。自分の家で妻が言うことを聞かない、子供も言うことを聞かない、家中まとまらなかったときには、簡単な改良策があります。窓を開けて、隣の家のおやじを怒鳴りつけて怒らせると、すぐ戦いになりますから、そうすると、家中がまとまっていきます。こういうナショナリズムは政治家がすぐ採りたがるナショナリズムですが、決してやってはいけません。自分がそういうナショナリズムを利用して行動していないか、そういうつもりで物を考えていないか、政治家は常に反省しなければならない悪いナショナリズムだと思います。

 もう1つのナショナリズムは、「比較する、競争するナショナリズム」です。オリンピックのフィギュアスケーティングで我が国のかわいい女子選手が1位になると、本当に我々は狂喜乱舞いたします。そして、若者は顔にペインティングをして、「荒川、頑張れ、荒川、頑張れ」と言って、お金を貯めて色々なところに応援に飛び出していきます。これは、例えば、どちらの音楽がいいか、学業成績の競争、科学技術の知見をどうやって貯めるかという競争で、これは良いナショナリズムだろうと思います。

 もう1つのナショナリズムは、本当はこれが一番理想のナショナリズムですが、自分の国の良さを自分で認識して、アイデンティフィケーションをきっちり持って、我々の国は、こういう文化や文明、価値観を大切にする国だというものです。それは時には宗教に絡んで危なく転嫁する場合もありますが、一般的に自分たちの文明、文化を誇るナショナリズムは本来あるべきナショナリズムです。

 一方、自分たちが自慢する、誇る、一生懸命世界にメッセージを送ろうとするナショナリズムは、時には宗教の形をとったりするので、第1のナショナリズムに転嫁する可能性があるように思いますし、それが今、中東で起きている話だと思いますが、幸い日本は多神教で、ほかの宗教を認める精神構造になっておりますので、決して第3のナショナリズムが第1のナショナリズムに転嫁する恐れのない多元的な価値の国だと思っています。

 そして、我々が誇るのは、恵まれた自然に対する、世界にまれなる強い自然に対する畏敬の念で、この国が二、三千年来運営されてきているということです。明治維新以来、若干変化したところがあるのが心配ですが、日本のナショナリズムを我々ももう1回見直していきたいと思います。政治家や日中両国の指導者、オピニオンリーダーが、あるべきナショナリズムは育て、それぞれの動きについてどの種類のナショナリズムかを分析し合って、率直な議論を続けていくことが、アジアの繁栄と安定につながっていくのだと思います。


※加藤紘一氏のこのテーマにおける発言は以上です。

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発言者

kato_060804.jpg 加藤紘一(衆議院議員、元自由民主党幹事長)
かとう・こういち
profile
1939年生まれ。64年東京大学法学部卒業、同年外務省入省。67年ハーバード大学修士課程修了。在台北大使館、在ワシントン大使館、在香港総領事館勤務。72年衆議院議員初当選。78年内閣官房副長官(大平内閣)、84年防衛庁長官、91年内閣官房長官(宮沢内閣)などを歴任。94年自民党政務調査会長、95年自民党幹事長に就任。著書に『いま政治は何をすべきか--新世紀日本の設計図』(99年)、『新しき日本のかたち』(2005年)。

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