「議論の力」で強い民主主義をつくり出す
2006 / 09 / 25
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工藤
フォーラムの運営としてはどうでしたか。まだまだ議論の裾野が狭いとか、もっとオープンにした方がいいとか。
小島
資源・環境の分科会は非公開にしましたが、私は公開すべきだったと思いますね。あの議論の内容を公開できないのはやはりもったいない。
工藤
私も全ての分科会を公開すべきと思いました。実を言うと、第1セッションは、中川政調会長が見えられたこともあり、テレビカメラが並び、第5セッションは有線テレビが全ての内容を中継していました。この二つの分科会は緊張感といいますか、雰囲気が全然違うわけです。人に見られているという状況では発言が萎縮すると思ったけど、逆でした。公開だからこそ、議論が盛り上がっていました。
安斎さんは歴史分科会を担当されましたが。合意というのはなかったわけですね。
安斎
基本的には議論は一方方向ですからね。日本側で、町村さんが出た後、反論する人は余りいないです。ほとんど同じ意見ですから議論にならない。だけど、何回も何回も繰り返し中国側は国民感情をわかってくれと、言っていました。
工藤
白石さんの第一分科会は、結果として次につながる議論展開になりましたか。
白石
僕はそこまでの議論にはなっていないと思います。というのは、中国の方が少し面食らっちゃった。中川政調会長が「新しいアジア主義」ということを提案しました。僕は非常に面白いと思いました。しかし、中国の人たちが、今のアジアの地域統合というのが実のところ民間セクター主導で起こっているといったごく常識的なこともまだわかっていない。そこで「新しいアジア主義」といわれてもどう反応してよいかわからないということになった。
安斎
中国では3億5000万のところは他の東アジア経済圏と統合しちゃっていて、あと9億何千万のところをどうするか必死なのですから、アジアの統合という発想は現代では学者の世界だけのような気がします。
白石
国際関係についての考え方がまだ19世紀的で、基本的に国家間関係を考えているわけです。しかし、現実はそうではない。政府の役割はもちろん大事だけれども、それ以外の民間の関係が非常に重要になっている。その意味で、中川さんが言ったような「新しいアジア主義」、そこには前提としていまのアジアの統合は民間主導で、ヘゲモニーを求めず、水平的で、同時に国内改革につながるものだ、といった発想はまだないと思います。
中国側の言う「公共外交」というのは、アメリカで言うパブリック・ディプロマシーとは随分違う。おそらくこのことばを見て、それに自分なりの意味を込めて使ったのではないかと思います。したがって、政府の外交を支援するような半官半民の外交というぐらいの趣旨でしょう。日中間のトラック2というと、通常、研究者、ジャーナリストなどが、かなり限定的なグループでさまざまの問題を多岐にわたって意見交換するというのが主たるやり方ですが、今回、かれらとしては、こういうやり方もあるのかと分かったのだと思います。
小島
このフォーラムはトラック2です。ただ、基本は2ですが、テーマによってはトラック1も取り込む方向も取り入れたほうがいいと思う。
工藤
フォーラム後、私もいろいろな人にご意見を伺ったのですが、そこでよく言われたのは、このフォーラムがアジア版ダボス会議に実質的に向かっているということ。それが日中の間に実現し始めたといわれるわけです。
今回のフォーラムには一線の経営者や政治家、メディアの編集幹部などなどが出席者として議論に参加し、さらに各界で活躍されている人も含めて延べで1200人近くがこのフォーラムに参加しました。これは日中間の新しい重要なチャネルが実現したという判断です。しかも、私は今回、裏方でずっと議論を見ていましたが、発言もかなりレベルの高いもので、例えば中川政調会長の「新アジア主義」とか松本健一さんのナショナリズムの議論もおやっと思うほど、聞きごたえがありました。
安斎
みんながこれからも出たいという会にしないとだめですね。
工藤
ダボス会議の役割とは何ですか。
安斎
やっぱり意思疎通でしょう。みんな本音で議論している。それは経営者であったり、政治家であったり、そういう機会を与えている。その意味では確かに「東京―北京フォーラム」が結果的にそこに向かって進んではいますね。
小島
ダボスのもう一つの性格は大変なビジネスということです。会員になるには年間100万円以上払って、1回出るたびにまた80万円ぐらい1人当たり出すわけです。毎年行くたびに巨大なホールがどんどんできている。最初に僕が行ったのは1988年で300人ぐらいの規模ですよ。ところが、ベルリンの壁が崩壊して、ヤルゼルスキなど東欧のリーダーがうちそろって参加し、西側諸国に「助けてくれ」と訴えたんです。それからみんな注目し始めた。アラファトが来てイスラエルと交渉したり、元首クラスがどんどん来るようになった。基本はトラック2なんですけど、彼らは、夜とか朝とか会議の裏舞台で、いろいろな形で、これはトラック1がいっぱいできるわけです。
今回は、貿易大臣会議が並行してあった。なぜなら、そこに貿易大臣がみんな来ているから。1回行けばいろいろな人に会えちゃうから、交渉もできてしまう。ただ、それになるまで40年間かかったわけです。
安斎
雪に閉じ込められて、それ以外はできないようにしてあるんですよ。観光ができないようになっている。隔離ですよ。
小島
世界中のビジネスリーダーとか、集まるわけですからメディアが全部来ますからね。彼らのスピーチの絶好の場所でもあります。毎年1月にあるから、そこで発言したことがその1年間のいろいろな国際会議の議論のトーンのベースになる。ブレアがグレンイーグルスで議長をしたときのサミットのアジェンダを全部しゃべっちゃったんですよ。
安斎
まともな議論がされているということですね。
小島
いい場所だからしゃべりたいという人がどんどん来るわけですね。
工藤
このフォーラムにそういう期待している人がいるわけですよ。
小島
そのためにはなによりも継続が必要です。
工藤
今回は民間が何かをつくり上げたという達成感というのはありましたね。
安斎
民間というのは、政府、ガバメントから蹴散らされると、ひとたまりもない。余り初めから高望みしないで打率を2割5分ぐらいにキープするやり方を考えたほうがいい。しかし、向こう側でやるときにも、今回の安倍さんや中川さんらが集まったように、その人たちが集まり、それをアジアの各国の人も次第に参加していくような形にならないと、メディアは本気にはならない。
工藤
民間がつくるプラットフォームに政府関係者もそこに乗って議論するということがあり得ると思ったわけですね。しかし、日本側の政治面の当事者が入ったので、中国側は本当に向き合わなきゃいけないという感じを得たと思います。
この形というのはこれからも維持せざるを得ないと思います。来年は参議院選挙の直後ですから、また政治の季節での開催となります。
白石
またすごいタイミングですね。来年は8月末あたりの方がいいかもしれませんね。参議院選挙から少し時間を置いた方がよいように思います。
工藤
来年の北京大会はどう発展させるべきだと思いますか。
白石
テーマは世論調査がベースでいいと思います。その上でこれから来年の8月まで局面を少し見る必要があります。日中関係は、今、われわれが一般的に予想しているよりもっと好転するのではないかという予感があります。したがって、今の時点でテーマは決めないで、ぎりぎりまで引っ張って、そこでテーマ設定を考えた方がいいと思います。
安斎
しかし、日程だけは早めに決めて、対外発表しておくほうがいい。それで、日本からの参加者は相当限定せざるを得ないということを書いておく。やっぱり向こうのホテル事情その他から言うと、限定せざるを得ない。ただ、駐在の人たちのニーズも相当高いですから。後ろで聞いてもらうのはいいかもしれない。
小島
来年は今回の話で出た幾つかのプロジェクトを少し動かして、その頭出しぐらいを来年、今の段階でこんな議論に固まったというのを幾つか出したいですね。
工藤
よく国際会議でありますが、プロセスで議論して、決まったことをその場で発表しながら、それに対して会場で意見討議をするということ。
小島
エネルギー協力なんかはそれができるかもしれない。
工藤
エネルギーはそれで動かしてもおかしくないですよね。ただ、日中の交流が具体的に動き出すと、今以上に民間の交流の意味が問われてくることになると思います。
安斎
それは特に中国側にいわないといけない。政府間の交流が動き出すと、民間の交流の役割は終わったなんて言い出す人間が必ず出てくる。
工藤
中国は政治とか、政府間交流が結構動き始めたときにこのフォーラムの意味づけというのはどう考えますか。
白石
彼らの方から見ると、今までは江沢民と橋本派のチャネルが大事だと考えたわけでしょう。しかし、今回、このフォーラムは使えるというのがわかった。このフォーラムの裏にはかなりの日本のネットワークがあり、そこから人が出てくる。そういうかたちを維持するためには、政治家は入った方がいい。
小島
中国はトラック1にしか関心ない。この言論NPOもトラック2なんだけど、トラック1に影響力を与えるというところで評価されたわけです。
白石
このフォーラムに問われる課題は当然、変わってくると思います。これから1年でも相当変わるのではないか。それを私たちは見つけ出して、それに向けた議論、テーマ設定をしていく必要があります。
工藤
その課題をきちっと抽出しながら、毎年、新鮮で、進歩が感じられるものにしたいと思います。いろいろな人の参加も得て、これが継続的に日中間で行われることが大切です。来年の北京大会に向けて、またご協力を是非、よろしくお願いします。
きょうはどうもありがとうございました。
<了>
工藤泰志(言論NPO代表)
くどう・やすし
1958年生まれ。横浜市立大大学院経済学修士修了。東洋経済新報社入社。「金融ビジネス」編集長を経て、99年4月から2001年4月まで「論争 東洋経済」編集長を務める。同年11月「言論NPO」を立ち上げ、多彩な言論状況を作り出している。同名の雑誌も創刊。「新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)」の常任政策委員を務める。主著に『土地神話の行方』。
白石隆(政策研究大学院大学副学長)
しらいし・たかし
1950年生まれ、72年東京大学卒業、74年同大学より修士号を取得。86年コーネル大学哲学博士。79年東京大学教養学部助教授、87年コーネル大学助教授、96年より同大学教授。98年より京都大学東南アジア研究センター教授。経済産業研究所ファカルティフェローを兼務。2005年政策研究大学院大学副学長。主著に『海の帝国、アジアをどう考えるか』『インドネシア 国家と政治』等がある。
安斎隆(株式会社セブン銀行代表取締役社長、元日本銀行理事)
あんざい・たかし
1941年生まれ。63年東北大学法学部卒業。同年日本銀行入行。74年香港駐在、85年新潟支店長、89年電算情報局長、92年経営管理局長、94年考査局長を経て、同年日本銀行理事就任。98年日本銀行理事を退任、同年日本長期信用銀行(現・新生銀行)頭取就任。2000年同行頭取を退任後、同年イトーヨーカ堂顧問に就任。2001年株式会社アイワイバンク銀行(現・株式会社セブン銀行)代表取締役に就任。
小島 明(日本経済研究センター会長、日本経済新聞社論説顧問)
こじま・あきら
1942年生まれ。65年早稲田大学政経学部卒業。日本経済新聞社入社。ニューヨーク支局長などを経て、97年取締役論説主幹、常務取締役論説主幹、専務取締役論説担当。2004年論説特別顧問、日本経済研究センター会長。2005年中国ハルビン工科大学客員教授・同大学中日貿易投資研究所長も務める。88年度ヴォーン・上田記念国際記者賞受賞、89年度日本記者クラブ賞を受賞。主著書に『グローバリゼーション』などがある。
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