日中の相互不信とメディアの役割
第13回:「文化の切り口にした報道こそ相互理解の深化に有効」
山田孝男 ステレオタイプという言葉はアメリカの有名なジャーナリストのウォルター・リップマンの現代民主主義の古典的名著である『パブリック・オピニオン』(『世論』)という本のたしか第6章にあったと思います。1920何年の著作だと思います。
ステレオタイプな報道というものは、もちろん現代にも同じ問題意識で、添谷先生のご指摘のとおりですが、日本のメディアはあえて型にはまった中国報道を、中国はこんなものでいいやという投げやりな気持ちでやっているわけではない、一生懸命書いているのだけれども、1つの型にはまってしまうというところに非常に問題がある。
話は飛躍するようですが、2、3年前に日本で出版されて400万部売れたベストセラーの『バカの壁』という本があります。日本で今一番売れている評論家と言ってよい、解剖学の先生である養老孟さんのベストセラーですが、私はこの『バカの壁』を読んだときに、ああ、これはリップマンの言うステレオタイプと同じだと思いました。つまり、悪意はないのですが、人間は固定観念に縛られているので、何かを理解するときに必ずしも広い視野で理解できないという限界があるということであります。ああ『バカの壁』なんだな、やはり日中間の『バカの壁』というものがあると思いました。養老さんの本は400万部も売れたのですが、私もこの間たまたま読み返してみて、では、養老先生は結論をどうすればよいとおっしゃっているかというと、最後は多元主義ということと、もう1つ、自然に帰れと言っておられます。養老先生のフレーズで非常に示唆に富むものは、情報は変わらないけれども、人間の方が変わるのだ、情報は不変だけれども、人間が日々変わる。きのうの俺はきょうの俺ではない、人間の細胞はどんどん変わるのだということです。
したがって、私が申し上げたいことは、多元主義ということはもちろんですが、結局その土地と人間ということが大事であって、活字やテレビを見てかっかとする、ましてインターネットでお互いにかっかとしているようでは、やはりいけないのであって、これも添谷先生のさっきご指摘のとおりですが、このような機会に、私から見れば劉先生や熊先生や範先生のお顔を見て、こういうお話ができるということが、やはり非常に貴重なことであって、そういう関係を大事にしなければいけないということをわからせていただいたかと思います。
範士明 中国のこの世論調査と学生を対象にした調査の中で、なぜ中国人の日本に対する印象は若干好転したのか、改善されたのかという質問があったかと思います(この調査結果を見たい方はこちら/pdf)。
私に言わせれば、昨年の調査は5月下旬に実施され、そのときは反日デモが終わったばかりでしたので、昨年はイベントドリブン、すなわち事件に関する誘導性がありました。ある事件、ハプニングがあったときに、それが大いに印象に残る。恐らくそれを受けて日本に対する印象を悪くしていたかと思います。ただし、ことしはそれと違って大きなハプニングは何もない、イベントはない。それが重要な原因だったと思います。
もちろんもう1つ重要なことは、中国のマスコミは日本に関して報道するときに、より客観的な立場から取り上げているということが言えると思います。
もう1つですが、私は先ほど来申し上げているように、マスコミに中日関係を悪化させたというような責任を押しつけてはならないと思います。一部の原因はあるでしょう。ただし、もっと重要なこと、やらなければならないことは、マスメディアは中日関係を改善するための報道をするときに、やはり文化からスタートした方がよいと思います。政治ではなくて文化を切り口にした方がよいと思います。
80年代のことを振り返りますが、当時、中国ではたくさんの日本の連ドラが放映されました。例えば"東洋の魔女"とか、そのときの例えば山口百恵さんとか高倉健さんとか栗原小巻さん、そして寅次郎を演じた山田先生でしょうか、名前はさほど覚えていませんが、当時の中国の視聴者、そして『赤い疑惑』、山口百恵さんと三浦友和さんが主役だったと思います。これらの人は我々の頭に焼きつけられているのです。それを見ると日本に対する理解、そして親近感が生まれると思います。日本の文化についても理解できると思います。ただし、その後に中国のテレビでこのような連ドラは余り放映されていないのではないかと思います。少なくとも私はそういう印象を持っております。中国人にしても日本人にしても、こういう印象を持っていると思いますが、両国のテレビで放映されているものは韓国のものです。韓国は文化面の交流をめぐって大成功していると思います。中国と日本はこの面においては失敗者同士であります。マスコミの皆さんにお願いしたい。やはり文化を切り口にしていただきたい。政治よりもこちらの方が効果が高いと思います。
そして2つ目の提案になりますが、私は先ほどの添谷先生のご発言に全く賛同します。中国にもこのような現象が明らかにあると思います。すなわち、過激な人の声が大きく増幅され、理性的な声は余り報道されていない。サイレンススパイラル、すなわち沈黙の循環ということになりますが、一部の中日友好を唱える人はいますが、売国奴などと非難され、ネット上からの反発があると、これらの人はなかなか話しにくいです。確かに日本にも同じようなことがあろうかと思います。理性の声をより多く前面に出していかなければなりません。勇気を持って表に出ていかなければなりません。これはただ単にマスコミだけでできることではないですが、マスコミとしては一部は何とかできるかと思います。
最初の私の3つのPに戻りますが、中日関係にとって現段階においてはパブリックを最優先に考えなければなりません。その次に残りの2つのPです。やはり中国と日本の長期にわたる利益を考えなければなりません。
川村 東京新聞論説委員の川村です。そこで、これからどうしたらよいか、ここのところですね。これについて私は2つ、個人の考えも含めて、あるいはふだんから同じジャーナリストの仲間で議論していることを踏まえて提案したいと思います。
まず第1は、日中双方のジャーナリストの交流を増進するということです。日々報道されている記事の中には、私から見て、やはりお互いの国についての理解が不十分、あるいは理解が偏っているという報道が見受けられます。現実的には、個々の新聞社では、日本の新聞社、それから中国の新聞社で一部、ほんの一部の新聞社では定期交流をやっております。これをもっと全国的に広げていく。これは、例えばことしの1月には中国の地方新聞社から五、六人の方が日本へ来られて、日本経団連会館で記者会見をされました。その人たちは日本の各地を訪問して、実際に日本のいろいろな街の様子を見て、日本の現在の姿について理解を深めたということを強調しておりました。それを中国へ帰って必ず報道しますと言っておりました。このように地方の新聞同士の交流もとても大事なことです。
もう1つは、取材源が大事です。お互いの政府のスポークスマンがどのようにスポークスするか、どのように自分の政府の広報をしていくか、ここの問題だと思います。具体的には、中国外交部のスポークスマンは、これは私も経験がございますが、やはり説明が足りない、態度がかたい。その非常にかたい態度の中国外交部スポークスマンの姿が、そのまま日本のテレビで日本の家庭の茶の間に流れるわけですね。そうすると、それに対して日本の一般庶民は余りよい感じを持たないというところがあります。一方的に、中国は悪くないのだというスポークスマンの説明の仕方が多いですね。しかし、現在、上海市政府のスポークスマン、これは私も知っている女性です。私は以前、上海の特派員をやっておりました。この女性スポークスマンは、外国メディアの常駐の記者に対して非常にやわらかく説明をしている。だから非常に評判がよい。例えば昨年の反日デモについても、北京の外交部のスポークスマンの方が、もう少し言葉を尽くし、説明を丁寧にして、実は中国の国情はこうです、この動きが起きた背景はこうです、しかしながら、例えば日本の大使館を破壊した行為については遺憾に思っているとか、そのように丁寧に説明をすれば、また日本の報道も違ってきたと思いますね。
このような、報道の取材源がどのように広報をしていくかという問題がある。
同じように、日本の政府の広報もそうだと思います。ただ、私はお互いの政府の広報に注文をつけたいことは、お互いが今、国内に目が向き過ぎている。つまり国内向けに広報をしている。自国民にどう受けとめられるか、そのことの意識が強過ぎますね。相手の国の国民世論にどういう影響を与えるかをもっと考慮して広報をした方がよいと思います。それぞれの政府がどこまで研究してこれを改善していくかはわかりません。しかし、それには我々メディアも働きかける必要があると思います。
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「第13回/文化の切り口にした報道こそ相互理解の深化に有効」の発言者
山田孝男(毎日新聞東京本社編集局総務)やまだ・たかお
1952年東京生まれ。75年早大政経学部を卒業し、毎日新聞入社。長崎支局、西部本社報道部、東京本社社会部を経て84年から政治部を中心に活動。政治部長、東京本社編集局次長を経て06年から現職。
範士明(北京大学国際関係学院助教授、博士)
ファン・シミン
1967年中国吉林長春に生まれ、主に国際関係の中のニュースの伝播、中米関係、公衆世論の問題などを研究することに従事していた。《中米の関係史》、《メディアと国際関係》などの課程を講義し、国内外の雑誌の上で著述した論文を発表した。範士明は北京大学で法律学の学士(1990)、法律学の修士(1993)、法律学博士(1999)の学位を取った。米国のハーバード大学の費正清東アジア研究センター(1998)を訪問、研究したことがある。そして日本新潟大学(2001-2002)、東アジア大学(2004)などでは、客員教授を担当したことがある。
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