世界とつながる言論

日中の相互不信とメディアの役割


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第8回:「中国のインターネットメディアの実態はどうか」

木村伊量 昨年のフォーラムで範士明先生のお話を伺った中に、メディアというものは、とにかく3つのPの影響を受けているという指摘がありました。1つはパブリック、公共性という問題、それからポリティックス、政治性、もう1つはポピュラリティー、いわば通俗性ということでしょうか。

さきほどのお話の中で1つ私がわからないことは、やはり報道に携わっている者はプレッシャーを感じるというようなことでした。これは私の誤解なのかもしれませんが、これは何らかの政治的なプレッシャーということなのでしょうか。そのあたりも含めて少し詳しくお話をお伺いできればと思っております。

もう1つは、先ほど来出ていますが、いわゆるメディアでも非常に多角化した、多様化しているという話が熊先生の方からもありました。現在、中国のインターネット人口は非常に増えてきていると聞きます。


しかしながら、インターネットの属性といいますか、これは昨年もこの会議で議論になったところですが、インターネットはいろいろな雑多な情報、中には必ずしも信頼の置けないものも含まれています。それが日中間の感情的な対立をあおるような道具に結果としてなってはいないのか。

それから、このインターネットという地球大に瞬く間に広がるメディアの性質を考えると、本当に中国という今の国家のあり方、社会のあり方とどのように共存ができるのでしょうか。ひょっとすると中国の社会体制を突き崩すような動きになりはしないか。

熊澄宇 ネットの出現と、ネットのプラットホーム、サイバースペースの出現は、全く新たな状況をもたらしています。ネットワークというものはサイバースペースとして、サイバーなものではありますが、リアルな社会を直接反映するものです。人類社会を離れて存在することはできません。ですから、ネットでもいろいろなことが起こります。それはリアルな社会を反映しているものなのです。

そして中国のネットワーク、インターネットの中でも新たなメディアがあらわれています。それもまた社会の進歩を反映しているものです。以前見たことがありますものは、ウェブサイト、ポータルサイトやニュースサイトを通じてニュースを発信して国民と交流をするというものです。BBSという形もあらわれました。ニュースグループというものもあります。それは1つのプラットホームでみんなが交流をするというものです。

それから、ここ2年、ブログが出現しました。数百万から数千万のブログ人口が広がっています。こういう新たな情勢は、実際には社会の開放をあらわしています。

私は情報を出したことがありますが、すべてのメディアには先決条件があります。それは、すべて認可を得なければ発表できないということです。日本の新聞も同じではないでしょうか。記者が取材をして、その後、上の人に許可を得ます。例えば編集長とか編集部の人ですね。許可を得て発表するという形になると思います。

ブログはパーソナルに情報発信をするプラットホームですが、これには認可を得るというプロセスがないわけです。そして中国の現状を見ますと、法律に違反しない限りは、ネット上で個人的に興味のある情報を発信することができるわけです。

ブログでアクセス数が一番多いものは3つあると思います。第1には政治家のブログです。そういう現象は世界じゅうにあると思います。政治家は有権者とインタラクティブに交流する必要があります。

第2には、もっと多いアクセス数になりますが、これは例えば芸能人のものですね。芸能界の人にはファンというマーケットがあります。影響力もあります。それはよいニュースでも悪いニュースでもたくさん、日々発生します。中国も同じです。中国でも芸能人のブログには非常に人気があります。

それから3番目に、企業家のブログですね。こういったブログを通じて企業の知名度を上げていくということがあります。

実際には、今は共存をしながらイノベーションをしていくという状況があると思います。新聞でもテレビでもネットでも、メディアの形は共存しているという状況があると思います。そして相互に補うという関係でもあります。人によってメディアに対するニーズは違います。また、メディアによって強みも違います。例えばテレビは直接画面を見られます。そしてネットであれば情報の伝達が速いです。また、新聞は保存することができます。このように相互補完の関係があります。そして融合という現状もあります。例えばそれは、ともにそれぞれ変化をし合っています。今、中国の一部の新聞にたくさんページがあるということは普通の状況になっています。新聞が雑誌に近くなってきているのです。

中国のネットについてはいろいろな考え方もあります。批判する方もいます。中国のネットの管理はきつ過ぎると言う人もいます。ことしの5月、私はアメリカのコロンビア大学の教授に会いました。その人は"だれがメディアをコントロールするか"という本を書きました。彼とディスカッションをしました。彼は、ネットワークがあらわれ始めたばかりのときは、ネットというものは皆コントロールできないものだと考えていました。その原理は、これは戦争に対応するためのものであって、破壊できないものだという考え方がありました。しかし、ネットにもさまざまな制限があります。例えば技術上の制約です。もう1つには政治、文化、民族、言葉の違いによる制限、制約があります。ですから、コントロールできないと思われていたネットワークが、実際にはコントロールされるようになっているということは、人々の認識の高まりであるかもしれません。そして、だれがネットをコントロールしているか。そして政府がコントロールしているという結論に達しています。それは中国もほかの国もそうです。

そのときに私は個人的な考えを述べましたが、ネットを発展させるためには秩序立ったスペースが必要だということです。秩序があるということは、ある程度の管理があるということです。秩序がなければ発展ができないということです。例えばそれは道路の信号のようなものです。この管理をどのようにしていくかが問題です。中国政府のネットに対する管理については、私も考えを述べたことがあります。幾つかの考え方を述べました。

1点目に、ネットで何かが起きれば、それはネットがあるから起きたのではないのかもしれません。それはネットがないときにもあったかもしれません。それは人がいれば、よい人も悪い人もいます。ネットはその上で人が活動しているものですから、よいことをする人もいるし、悪いことをする人もいます。ネットがあるから悪い人があらわれたというわけではありません。この認識は因果関係の問題なのです。

それから、ネットの発展の過程において、私たちの管理ですが、発展のためにある程度のスペースを残しておく必要があります。新しい技術はどんどん発展しています。私たちの管理は社会を前に動かしていくための管理です。ですから、発展をさせるということを前提として管理をしなくてはいけません。

そして、ネット上の管理は国際的な考え方とリンクしていかなければいけません。それは、このネットというものは国際的なプラットホームです。そしてプロトコルは国際的に共通のプラットホームを使っています。

そして、国によって国情が違い、文化の背景も違い、政治の制度も違います。ですから、それは国によって調整が可能です。

しかし、中国のネットワークとニューメディアの出現は、ある程度社会の変革を後押ししています。ニュースとそのほかの情報がよりオープンになるために、社会の発展に役割を果たしています。

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「第8回/中国のインターネットメディアの実態はどうか」の発言者

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木村伊量(朝日新聞ヨーロッパ総局長)
きむら・ただかず

1953年生まれ。76年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。同年朝日新聞社入社。82年東京本社政治部。93年米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、94年ワシントン特派員。政治部次長、社長秘書役、論説委員(政治、外交、安全保障担当)を歴任し、2002年政治部長。編集局長補佐を経て2005年6月東京本社編集局長。2006年2月より現職。共著に「湾岸戦争と日本」、「竹下派支配」、「ヨーロッパの社会主義」等。


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熊澄宇(清華大学教授)
ション・チョンユィ

1954年生まれ。米国ブリンガムヤング大学にて博士号取得、清華大学教授、文化産業研究センター主任、ニューメディア研究センター主任。国家情報化専門家諮問委員会委員、教育部報道学教学指導委員会委員、国家新聞出版総署(国家版権局)新聞業顧問。多くの高等教育機関で客員教授を務める。これまでに中国共産党中央政治局の招聘に応じ、集団学習の講義を持ち、国家の重大プロジェクトの指揮及び起草業務に数多く参与する。学術著作8冊を出版。

更新日:2006年10月14日

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