引き続き行われた第2セッションでは、西村陽一氏(朝日新聞社常務取締役)による司会進行の下、「危機感なき日本-国際課題の解決と民主主義の再建に問われた責任とは」をテーマに議論が行われました。
混乱する仏独。安定の裏に大きな不安が潜む日本
最初に、西村氏から民主主義を取り巻く欧州の情勢についてのコメントを求められた宇野重規氏(東京大学社会科学研究所教授)は、自身が昨年に仏独で行った在外研究の経験を振り返りながら当地の民主主義事情について語りました。
宇野氏はまず、フランスについては共和、社民両党から成る二大政党制が激しく動揺する中、その混乱の間隙を縫って現大統領のエマニュエル・マクロン氏が登場したものの、彼もまた自らの伝統的共和主義思想に立脚した政策と、現実との間のギャップの中で身動きができなくなってきていると解説。
ドイツに関しては、日本で報道されているほど市民生活が混乱しているわけではないとしつつも、やはり既成政党の退潮は顕著であり、アンゲラ・メルケル首相という「"重し"が外れたらどうなるかはわからない」と懸念を示しました。
一方日本に関しては、安倍首相の通算在任期間が憲政史上歴代最長となったことなどから、海外の研究者に日本政治の安定性を羨ましがられるとしつつ、「本当にそうなのだろうか」と問題提起。「共に社会を担う」という一体感が民主主義の前提であるが、社会の分断が進むにつれてこの一体感が損なわれてきているのではないか、と問題提起。宇野氏は同時に、少子高齢化や財政再建など、難しい課題に対して政治が答えを出せずに先送りを続けている現状からも日本の現状は安定しているのではなく、惰性に流され漂流しているにすぎないのではないか、と指摘しました。宇野氏は、そうして政治が何も解決できないことに加えて、平成の30年間に人間の力では抗し切れない大きな自然災害が続発したことも相まって、人々の意識の中に無力感が漂っていると分析。表面上の安定の裏には大きな不安が潜んでいると語りました。
さらに宇野氏は、日本は米国や欧州とは異なり、社会的な分断がいまだ可視化されていないと指摘。分断し、社会が多元的になっていることを前提とし、それをまとめ上げていく際に政治が大きなエネルギーとダイナミズムを生み出すとしつつ、現在の分断が可視化されていない日本は、実はいまだに出発点にすら立っていないとの見方を示しました。
若い世代に広がる政治不信。安定しているように見えても楽観できるような状況ではない
次に発言した工藤泰志(言論NPO代表)はまず、代表制民主主義が市民の信頼を失っているとしつつ、それを裏付けるデータとして、11月13日に公表した今年2回目の日本の政治・民主主義に関する世論調査結果を改めて紹介。日本の市民の中に将来に対する悲観的な見方や、代表制民主主義に対する懐疑的な見方が広がっている現状を詳らかにしました。とりわけ20代、30代など若い世代では、社会的な分断を背景にこうした民主主義に対する懐疑的傾向がより顕著であると指摘。世界で生じているような格差に伴う社会の分断とその固定化は現段階ではまだはっきりとは見られないものの、「日本も決して楽観できるような状況ではない」と警鐘を鳴らしました。
工藤はさらに、民主主義を構成する各機関に対する信頼度を尋ねた調査では、「司法」に対する信頼度が高かった結果を挙げ、日本国民は政治部門に対するチェックアンドバランス機能に期待を寄せていると解説しましたが、同時にこのバランスが崩れてきていることも政治不信を増大させる要因となっているとの見方を示しました。
続いて工藤は、欧州の世論調査結果を分析した結果、「日本の政治不信の構造とよく似ている」というイタリアに着目。「五つ星運動」と「同盟」という左右のポピュリズム政党が連立政権を樹立したことを振り返りつつ、比較政治的に見れば日本ではまだこうしたポピュリズムの傾向は本格的に表れていないと語りました。
しかしそれは、日本が財政出動によって"モルヒネ"を打ち続けて国民が痛みを感じないようにしていたからであると指摘。むしろ、財政規律がきかず将来世代への"つけ"がたまり続ける日本の現状を鑑みれば、EUの財政ルールによって制限がかけられているイタリアよりも「日本は危険な状況にある」と懸念を示しました。
停滞の中にも希望はある。今こそBeautiful Harmonyを目指すべき
続いて小林喜光氏(三菱ケミカルホールディングス取締役会長、前経済同友会代表幹事)が発言しました。西村氏は、経済同友会が今年3月、小林氏の監修の下で「危機感なき茹でガエル日本-過去の延長線上に未来はない」という提言集を出版したことに言及しつつ、日本の現状をどう見るか質問。
これに対し小林氏はまず、平成が始まった頃には株式の時価総額世界ランキングでは日本企業が上位を占めていたものの、今は見る影もないと嘆息。また、アスリートには「心、技、体」の三要素が求められるのと同様に、企業には「利益、イノベーション、サステナビリティ」が、国家には「国内総生産(GDP)、テクノロジー、サステナビリティ」の三要素がそれぞれ求められるが、これらも伸び悩んでいると指摘。とりわけGDPに関しては「誰も600兆円目標を口にしなくなった」、テクノロジーに関しても「マイナンバーカードの普及率は12.8%にとどまっているし、"印鑑文化"が根強く残り行政の電子化も遅々として進まない」、サステナビリティは「環境に対する意識は欧州と比べると明らかに劣位である」などと現状を憂いました。小林氏は、こうした日本の停滞の背景には「自分のまわりさえ良くなればいい、今さえ良ければいい」といった考え方が人々の間に蔓延して誰も長期的な視野に立って物事を考えられなくなっていることがあるとし、こうした状況が続くのであれば「日本は三流国、もしかしたら五流国にまで転落してしまうかもしれない。もっと危機感を持つべきだ」と喝破しました。
一方で小林氏は、日本の強みにも言及。プリンストン大学のダニ・ロドリック教授が提唱した世界経済の「政治的トリレンマ」(「民主主義」「国家主権」「グローバリゼーション」の三つを同時に追求することは不可能で、二つを選択せざるを得ないこと)について、日本の場合は必ずしも不可能ではないと指摘。ここに日本の解があるとの見方を示すとともに、折しも御代が「令和」になった今こそ、これらの"Beautiful Harmony"を目指すべきと語りました。
パネリストの発言が一巡したところで西村氏は、聴衆の中に石破茂氏(自民党元幹事長)の顔を見つけると突如として指名。政治不信が高まる現状を政治家としてどのように見ているのか、その見解を問いました。
政治家も国民を信じていなかった。これからは正面から国民と向き合う必要がある
石破氏は、小林氏と同様に平成の30年間を振り返り、「戦争のない平和な御代だった」と評価しつつ、「その一方で失ったものが三つある。『戦後』、『資本主義』、『民主主義』だ」と指摘。まず、「戦後」については、かつて田中角栄氏が、「実際に戦争に行ってその悲惨さを目の当たりにした人が多くいる間は平和は保たれる」といった趣旨の発言をしていたことを紹介しつつ、「この30年で実際に戦地に赴いた経験がある人は大きく減少した」と一抹の不安を口にしました。
「資本主義」については、株価の上昇に比例して人々の生活が良くなることはもはやなくなったと指摘。同時に、現状の"刹那的株主中心資本主義"の是非について問題提起しました。
最後の「民主主義」に関しては、権力とメディアが一体化することや、少数意見に配慮しないまま多数派が物事を決定してしまうことが続くと民主主義は滅ぶとしつつ、現在がこうした状況になりつつあることに警鐘を鳴らしました。
こうして平成を振り返った後、石破氏は令和、さらにはその後の時代についても展望。世界の人口は倍増するにもかかわらず、日本の人口は半減するという人口推計を示しつつ、「しかし、子どもを産み、育てにくい東京に人口が集中する構造は何ら変わらない」と指摘。その原因はまさしく政治が有効な手を打てないことにあるとし、そのように手をこまねいている政治家を国民が信頼しないことはやむを得ないと語りました。もっとも石破氏は、「逆に、政治家も国民を信頼していないのではないか」とも指摘。負担増など国民受けの悪い政策を正面から打ち出さないのは、まさに国民を信頼していないことの証左であるとし、そうした態度もまた国民の政治不信を増幅させていると分析。政治家がその矜持を持って国民と真摯に向き合いながら政策を打ち出していくことでしか政治不信は解消できないと語りました。
データとAIの世紀をどう考えるか
石破氏の「資本主義を失った」という指摘に対し小林氏は、データをコントロールして利益を上げていく金融だけが膨れ上がり、ものづくりが停滞している現状に触れつつ、従前の資本主義は終わり、バーチャルな資本主義が現れた」との見方を示しました。もっとも、これは21世紀の必然であり、もはやものづくり中心の経済に戻ろうとすることはかえって不自然であるとも指摘。さらに、データを瞬時かつ大量に分析することが可能な人工知能(AI)の重要性を強調。これまで人類は自らを生物の進化の最終形であると思ってきたが、初めて自らよりも賢いAIという存在に出会った今、これとどう共存するかが問われる革命期に入ったと語りつつ、データとアルゴリズムを握った少数の者が富を独占する時代の到来を予見しました。
しかし、それはさらなる格差の拡大を招くことになるため、小林氏は新たな分配のあり方についても考える必要があると付け加えました。
一方宇野氏は、歴史を振り返ってみれば、産業革命期の1810年代、イギリスの繊維工業を中心に起こった職人や労働者の機械打ち壊し運動「ラッダイト運動」のように新技術に対する反発や抵抗は数多く見られたが、結局人類はそれを機にさらなる進化を遂げたと指摘。今回のAIの出現についても同様に、人類は自らの進化の契機とするとの楽観的な見通しを示しました。また、宇野氏は社会の多元性に再び言及し、AIの持つ高度な処理能力は分断を乗り越えるための視点を見出す上での大きな力になるのではないかと期待を寄せました。ただ、小林氏が指摘したように、「GAFA」(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)のような一部の巨大企業がデータを独占する現状には懸念を示し、オープンアクセスの必要性についても強調しました。
このオープンアクセスと対極の管理社会を構築しつつある中国について小林氏は、習近平国家主席がイノベーションに向けた大号令をかけた4年前には楽観的に見ていたが、このわずかな間での急成長には目を見張るものがあるとし、「テクノロジーが地政学を左右する時代が到来した中、日本は相当な覚悟をしなければならない」と警鐘を鳴らしました。
これに対し工藤は、自己決定の観点から問題提起。人間が自己決定することよりもAIの効率的判断を選んだらその時点で「管理社会の奴隷になってしまう」と指摘。民主主義とは自己決定する仕組みであるが、自己決定を放棄すれば民主主義も自ずと壊れてしまうため、現在のAI技術の急速な発展は、実は民主主義の転換点も突き付けているとの見方を示しました。その上で工藤は、まず民主主義によって新たな技術に関するルールを定めることを先行させるべきと主張。これは民主主義を立て直すための作業そのものになると語りました。
若い世代の政治不信とその解消方法
続いて西村氏は、会場に多くの学生が詰めかけていることを踏まえ、若い世代の政治不信について各パネリストの見解と処方箋を尋ねました。
宇野氏は、都内の高校で出張授業をした経験を振り返りながら、多くの高校生たちは社会貢献に対して意欲的であるとしつつ、その一方で政治、とりわけ政党とは距離を感じていると解説。政治とは結局のところ、社会を変えていくことそのものであるのに、生徒たちにはそうした感覚が乏しく、二つの間でギャップを抱えていると指摘しました。
宇野氏は同時に、自身が大学で指導する学生を島根県の海士町で地域コミュニティづくりに参加させたところ、大きな手応えを得て帰ってきたという経験も紹介。新たなテクノロジーを使いこなせる若い世代の参加を得ながら地域から民主主義を立て直していくことは、若者にとっても民主主義そのものにとっても有効な第一歩になるのではないかと語りました。
工藤は、世論調査結果を見ると、いまだ社会に出ていない人が多い20代未満の層は「わからない」という選択肢を選ぶ傾向が多いことをまず説明。したがって、主権者教育を充実させるとともに、社会参加によって課題について考える機会を増やしていくべきだと語りました。
工藤はその一方で、若い世代だけに期待を寄せるべきではないと注意を促し、「全世代が一緒に歩いて、社会にぶつかっていくべきだ」とも語り、それが民主主義の立て直すことにもつながっていくとの見方を示しました。
小林氏は、日本人の海外留学者数の減少について言及するとともに、若い世代の内向き志向を憂い、異なる文化や価値観に触れていくことは、民主主義を担う次代の主権者としてきわめて必要な経験となることを説きました。
民主主義を立て直すための新たなアイデア
会場からの質疑応答を経て最後に西村氏は、各パネリストに民主主義を立て直すためのアイデアを再度求めました。
宇野氏は、先程の自らの発言を踏まえ、社会参加と人々の間のつながりを強め、「自分たちの力で社会は変えることができる」と思わせることが大事だと主張。市民社会の強化は民主主義の立て直しそのものであると語りました。
小林氏も、システムの見直しよりも市民の中に参加者意識、当事者意識を涵養することが重要であるとし、そのために新たなテクノロジーを活用した魅力的な仕掛けを考えていくべきと語りました。
工藤は、国会以外でも課題解決に向けた議論の舞台を創出するべきと主張。その新たな舞台と国会がアイデアを競い合うことが民主主義に緊張感をもたらすと語りました。
こうした議論を受けて西村氏は、民主主義を支える構成要素のどれかが壊れたとしても支えられるような"松葉杖"を多元的につくるべきであると感じたと所感を述べ、5時間にも及んだ本フォーラムを締めくくりました。