次の日本をつくる言論

「2008年 日本の未来に何が問われるのか」 / 発言者:横山禎徳氏(全5話)

このエントリーをはてなブックマークに追加

第5話:まだ答えをだせていない超高齢化社会の経営

 政府は目先の対症療法に追われているようですが、もっと先を見た議論が必要です。世の中を読んで最も確実に当たるのは、人口動態なのです。日本の出生率が低下し始めたのは1960年代の初頭です。しかし、政府は根拠なく出生率の回復を信じてほとんど何の対策も打ってきませんでした。今後、仮に出生率が回復しても、長年、生まれる子どもが少ないままだったのだから何十年か、悪く言えば50年くらいは人口の総数は増えないという状況になりました。出生率の低下が40年前からスタートしているのですから、そういう状況の中でどう組み立てなければいけないのかということは20年前にはわかっていたわけです。20年前に行動を起こすべきだったのではないでしょうか。当時は80年代半ばで、何をしていたのか。バブルで浮かれ始めていたのかもしれません。

 60年代から80年代にかけて何度もアンケート調査で、「なぜ子どもを生まないのか」と聞くと、経済的に見合わないからという答えが一番になる。それなら経済的に見合うようにすればいいのに何もしていません。ただ、その部分を改善しても十分ではありません。結婚しないという人が多すぎるのです。単に晩婚になっているだけではなく、これはある種のもっと複雑な社会現象だと思います。それは三浦展氏の『下流社会』に書かれているような、自分を「下流」と思う人たちが多いことが問題なのではないでしょうか。つまり、「出世競争なんてばからしい。私にはちょっとした才能があるのだから自分らしく生きたい」と言って、20代で「自分探しの旅」に出たりした人たちです。

 自分らしく生きる、自分探しの旅に出るといったようなヤワな話が出始めたのもすでに20年以上前からでしょう。そういう風潮が、ある種の結婚できない世代をつくってしまったのだと私は思っています。親が裕福だから、同居している人が多い。世界的にそうで、裕福になると親と同居するというのはヨーロッパでも多い。そして、自分探しをしている間に30代になってしまう。

 不況で就職の機会もなくなってきていた。自分探しなどと言っていられないような景気の良さがなかったから、自分探しばかりしていたのです。不況も影響して、本当は結婚できないのに「結婚しない」と言い、ひとりでいても何も不自由しないと言って親と同居する。それで出生率が落ちているのですから、組み立ての手段はいくらでもあるわけです。しかもスウェーデンやフランスに成功事例はあるのです。それなのに何もしていない。本当にものを考えているのかと言いたい。

 人口動態からして、もはや超高齢化社会は確実に到来するのですから、今度こそは、それに向けてしっかりとしたデザインをすべきです。いま日本が幅広く直面している課題は、この超高齢化社会をどう経営するのか、その経営システムを新しくデザインして組み立てるということなのです。放っておくと働く人口と働かない人口のバランスが悪くつじつまが合わない。それでもつじつまを合わせなければならない。日本にとっては初めての経験ですが、世界でも初めての経験です。つじつまが合うかどうか分かりませんが、合わせようと思えば合わせることはできるはずです。

 例えば、就業人口を65歳まで設定しているのは、ほとんど意味がない。65を過ぎても働けるはずです。そうすると、働くパターンを変える必要がある。いまは、高齢者が望むような週に3日働く、4日働くという就業機会があまりないですから、高齢者の就業機会をいうものを新しくつくらなければならないわけです。高齢者の再訓練と雇用のシステムがデザインされないといけないということです。それは年金のシステムや健康保険をふくめた健康・医療システムにも影響するだろうし、それらを全部組み立てていくと、結果として超高齢化社会が経営できる仕組みができてくる。

 95まで生きるなら75まで働かなければならなくなります。また、働けるからこそ長生きするわけです。健康だから長生きしているわけで、寝たきりで95歳まで生きるということではありません。高齢化によって医療費が上がるというのは大いなる誤解で、医療費というのは死ぬ3ヵ月前からかかるので、70で死のうと80で死のうとかかる費用は同じです。高齢者も働けばいいのです。働くことの刺激というものは、色々な緊張感を与えてくれます。そうすれば介護費用もそんなに増えることもなくなるでしょう。毎日働きたくなければ、週に3日でいいのです。そういう仕組みをつくっていかなければなりません。

 このように高齢者が仕事やその他の活動で目的を持って動き回るようになると消費をしてくれるわけです。そこで起こるのは、同じ65歳、70歳、75歳で比べても、どう人生を過ごしてきたかということで、そこには大きな個人差が出るということです。何歳だからどうだといえない時代になっているのですから、高齢化というのは「年齢不詳化」補完しているともいえるのです。すなわち、「高齢化社会」は「年齢不詳化社会」として組み立てなければ駄目なのです。そういうことをすることによって、高齢者が消費をする社会をつくっていくということなのです。

 「消費をするというのはいけないことだ」、つつましく、いまあるものを「もったいない」などと言いながらやっていくのがいいという声もありますが、消費が是か非かという議論をしている場合ではなく、それは問題設定が違っています。今みんながつつましく生きたら国が回りません。日本が豊かな社会としての仕組みを持っているからこそ一部の人がつつましく生活と思えばできるのだという理解が欠けているのです。それにエコロジーと消費は対立するものでもないのです。例えば、プリウスは燃費もよく、エコロジーの時代にぴったりなのですが、そのような車をつくるのに新しいモーターや部品が必要で、新しい消費が起こった。ですから、消費がいけないなどとは言わないでほしい。

 今年は、高齢化社会を経営するという筋を一本立てて、その仕組みをデザインし組み立てをする第一歩の年にしてほしいと思います。

発言者

横山禎徳氏横山禎徳(社会システムデザイナー)
よこやま・よしのり
profile
1966年東京大学工学部建築学科卒業。建築設計事務所を経て、72年ハーバード大学大学院にて都市デザイン修士号取得。75年MITにて経営学修士号取得。75年マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、87年ディレクター、89年から94年に東京支社長就任。2002年退職。現在は日本とフランスに居住し、社会システムデザインという分野の発展に向けて活動中。

このエントリーをはてなブックマークに追加

言論NPOの活動は、皆様の参加・支援によって成り立っています。

寄付をする

Facebookアカウントでコメントする

初めての方へ

カテゴリー一覧

記事の種類

ソーシャルでつながる

言論ブックショップ

未来選択:マニフェスト評価専門サイト


ページトップに戻る