小林陽太郎(富士ゼロックス株式会社相談役最高顧問)
1956年慶應義塾大学経済学部卒業。58年ペンシルベニア大学ウォートンスクール修了、同年富士写真フイルム入社。その後富士ゼロックスに転じ、78年代表取締役社長、92年代表取締役会長を経て2006年より現職。ソニー取締役、日本電信電話取締役、国際大学理事長、経済同友会終身幹事、新日中友好 21世紀委員会日本側座長などを務める。
明石康(NPO法人日本紛争予防センター会長)
1954年東京大学教養学部卒業、同大学院を経てバージニア大学大学院修了。'57年日本人として初めて国連入り後、事務次長、カンボジア暫定統治機構・旧ユーゴスラビアの事務総長特別代表を歴任。1999年より現職。スリランカ平和構築担当日本政府代表などを務める。著書に『国際連合 軌跡と展望』(岩波書店)『戦争と平和の谷間で―国境を超えた群像』(岩波書店)など。
工藤泰志(認定NPO法人言論NPO代表)
1958 年生まれ。横浜市立大学大学院経済学修士修了後、東洋経済新報社入社。「金融ビジネス」編集長を経て、99年4月から2001年4月まで「論争東洋経済」編集長を務める。同年11月「言論NPO」を立ち上げ、多彩な言論状況を作り出している。同名の雑誌も創刊。主著に『土地神話の行方』。
※役職・肩書は2009年の発言当時のものです
第1話:「世界の大変化の中で日本が考えるべきこと」
工藤泰志 新年おめでとうございます。世界的な経済危機が実体経済にも影響を及ぼしている最中、アメリカではこの1月にオバマ政権が誕生します。
2009年は大きな変化の年だと思います。このような変化をどう感じていますか。
明石 康 2008年に世界を襲った大変な危機ですが、金融危機から始まり、実体経済における危機に移っていったという感じです。世界的にも、100年に1度の大危機、大変動と言われていますが、私も同感です。
私は1929年の世界大恐慌にはじまる経済危機に比べ、少なくとも2つの違いがあると思っています。1つ目は、アメリカで起こった後、世界を巻き込んだ危機になるまでのスピードが極めて急激であったことです。もう1つは、29年に始まる30年代の危機は、世界各国、特に日本やドイツ、イタリアなど枢軸国と言われる国では非常に閉鎖的で排外的な動きが出て、ナショナリズムが強くなりました。その結果、ドイツではナチズム、イタリアではファシズム、わが国では軍国主義という形で進みました。
しかし、今回は世界中の国々が、アメリカだけの問題ではないということで、ヨーロッパ諸国やアジア諸国も立ち上がり、G7や閣僚レベル・中央銀行総裁の会議、首脳レベルのG20が開催され、中国やインド、ブラジルなども巻き込み、世界の主要な経済諸国が共同で対応策を練り、また有効需要を盛んにするため、各国政府やIMF、その他の国際機関が乗り出す形で対応しました。
そういう意味では、グローバル化は大変な問題を巻き起こしたと同時に、前向きな反応も引きだしたという意味で画期的だったのではないかと、私は思っています。
小林陽太郎 今、明石さんのおっしゃったことは本当にその通りだと思います。100年前のことは僕にはわかりません。が、当時とは明らかに違うと思います。まさにグローバリゼーションが進み、実際に多極化とか、無極化という言葉が最近多く使われています。
アメリカが中心になって進めてきた市場原理主義や、マーケット価値を最大にすること、あるいは新自由主義という問題のあるシステムも、アメリカの力があるうちは、いろんな意味で権力的に進めてこられました。能力がある人たちが進めているときは、それなりにバランスをとり、日本を含めた他国も何だかんだ言いながらも、アメリカについていかざるを得ないような時期が続いていた。そのような中、アメリカ史上最悪の大統領といわれているブッシュさんが大統領になった。もちろん、色々な政策の失敗はブッシュさんだけの責任ではないと思うし、イラク戦争を含め、現在の展開をブッシュさんだけの責任に帰するのはフェアではないと思います。しかし、ブッシュさんの時代になり、結果としては、力のあるスマートなアメリカのリーダーシップが急激に綻び始めてしまった。
市場原理主義やマーケット価値の極大主義も、もともと無理があったのかもしれませんが、それを維持できなくなってしまった。サブプライムの話も、似たような話は随分昔からあったし、日本のバブルとの違いは、住宅か土地かの違いだ、あるいは債券化の有無という違いはあるかもしれませんが、それ以上に、アメリカのリーダーシップの質の劣化、というものが背景としては非常に大きかったのではないかと思います。
もともと無極化とか多極化とか言い出したのはアメリカの人たちだったということからも、アメリカの人たちが身近にいてリーダーシップの劣化を非常に強く感じたからそういう言葉がでてきたのではないかという気がします。
問題は、ブッシュ政権下で起きたリーダーシップの劣化が、その後も継続されていくのかということです。この点については、オバマさんのリーダーシップを含め、注視していく必要があると思います。しかし、アメリカ以外に、2つ目、3つ目の極になり得る国があるのかと考えても、ありませんし、やはり何だかんだ言いながらアメリカのリーダーシップ抜きにしては、世界の秩序の維持は考えられない。
そのような中で、日本自身の問題、伸張が目覚ましくこれから期待されているアジア各国の問題が出てきます。経済を含めて大きな変化に、アジア各国、特に日本や中国などが、どのような方法で、また、新しい形でのグループリーダーシップなり、責任ある役割を果たしていくことができるのかを考えないといけない。もし、この辺がしっかりしないと、経済を含めた世界秩序を取り戻すまでに、すごく長期間を要することになるのではないかという気がしています。
明石 ブッシュ政権の勇み足というのは、ある意味で、同時多発テロの9・11に原因があるのではないかと考えています。今までの脅威は国家と考えられていたのが、一握りの目に見えないテロリストグループの仕業であることが判明しました。この時の反応はアメリカらしいと言えばそうだったわけですけど、振り子が急激に逆の方に振れて、単独行動主義みたいなのが現れてきた。その兆候はブッシュ政権の前のクリントン政権でも、ないことはなかったわけです。クリントン政権はソマリアとかボスニアで民族紛争が激化したとき、当初はコンストラクティブ・マルチラテラリズムと称した多国間主義の方針で政策を進めていました。しかし、ソマリアで米軍の被害者が出てくると、急激にアメリカ中心主義に舵を切りました。ブッシュ政権においても、9・11を契機にアメリカ中心主義に舵を切った結果、今のような状態になっているのだと思います。
先ほど小林さんが言われた通り、これからは、ひとつの超大国アメリカを中心として世界が動くというのではなくなるでしょうし、オバマ政権でのアメリカも、スーパーパワーでは無くなったけれども、最も影響力をもった主要な強国であり続けるのだと思うし、アメリカはそれだけの能力を持っていると思います。その力の要素は、必ずしも軍事力が中心ではなく、軍事力や経済力、政治力や文化力などの総合力になると思います。おそらくオバマさんは総合力で乗り切ることをよく心得ていて、ヨーロッパとの関係、特に、現在ロシアとの関係は非常にぎすぎすしたものになっていますが、ヨーロッパにおけるポーランド・チェコのミサイル設置の問題やNATOの西漸の問題など、色々な関係が修復に向かうと思います。同時にアジアやアフリカに対しても、アメリカはより密接な関係を築こうとするでしょう。特に、アジアに関して言えば、おそらく日本や韓国、その他の同盟国との関係を重視するでしょうし、それにとどまらず、中国やインドのような新興国とも協力していくことになるでしょう。これらの国々なしには、世界の大きな問題を解決することはできないことから、今よりもさらにグローバルな構図を描きながら進むことになると予想されます。その中で、日本は今までのような日米同盟の上に安住し、アメリカの善意や好意だけに頼り、日本を特別扱いしてくれるだろうという期待を持つことは、もはや許されない状況になるだろうと思います。
工藤 これまで日米の二国はかなり強い関係を持っていると思われていましたが、最近の調査で、アメリカに対する国民の親近感というか、認識もかなり低く、悪くなっているという結果が出ました。アメリカの変化が始める中で、アメリカとの関係も考えないとならなくなっていると思いますが。
第2話:大きな視点で日本の国益と日本の進路を考える
小林 日本では対中国への認識が問題になっていますが、対アメリカ観もかつてないくらい悪くなっています。そうなってしまった原因は、各種報道の中で、今度の経済危機の諸悪の根源はアメリカだと言われていることではないかと思います。サブプライムの原因は、アメリカの儲け主義だとか、拝金主義だとか言われ、アメリカへの憎しみみたいなところがあったのかもしれません。その一方で、日中の問題の中で靖国神社問題がありましたが、その中で遊就館の話が出てきて、話が広がり、アメリカの原爆投下がどうだったのかとか、東京へのカーペットボミング(絨毯爆撃)はどうだったのかという話になってきました。それは、アメリカがイラクやその他でやっていること無関係ではないのかもしれません。もちろん日米関係は大切だし重要ですが、アメリカを見直そうという空気が静かに出てきているのではないかと僕は思います。
もちろん、それはアメリカの否定というのではなく、日本が自身のポジションやこれから進むべき道について、そしてアメリカとの関係について自分自身で判断をするような方向にきちんといかなければならないということではないでしょうか。世論がある意味では、そんなふうに日本の政治のリーダーシップに対し、メッセージを送っているのかもしれません。アメリカとの関係はかつてないほどいい、と数年前までいわれていましたが、なぜかつてないほどいいのか不思議に思っていました。今回の調査で、悪くなっていくとも思っていませんでしたが。
明石 トップ二人の関係だけがよかったのかもしれません。
小林 ブッシュさんと小泉さんの関係が個人的によかったということはあるかもしれませんが、世論の視野が少し広がり、いい意味で冷静になってきたのかもしれません。僕はその世論のメッセージはかなり重要なメッセージではないかと思っています。
決してアメリカと喧嘩ばかりしようというのではなく、むしろ、新しい政権下でもアメリカが大国であることには変わりはないし、アメリカはかなり前から中国の存在を重要な存在として意識しています。それは趨勢から言えば当たり前で、日本がひがむことは何にもなくて、中国は日本にとっても大切な国です。ただ、米中関係は、今までのチャンピオンと、これからチャンピオンになる可能性がある国同士の関係です。世界の歴史の中でも、こういう動きが出始めると色んな問題が出てきます。
リー・クアンユーさんは、21世紀を考えたときに、特に初頭における米中関係は、世界の秩序を形成する上で、かなり決定的な役割を果たすのではないかと言っていました。僕はまさにその通りだと思います。続けてリー・クアンユーさんは、米中関係がきちんとした方向に行くためにはお世辞ではなく、日本の存在は、対米でも対中においても、非常に重要な役割を果たすことになると本気で言っています。ただ、それをどうしたらいいのかということについては、明言していません。
しかし、それはやはり我々が考えないといけない問題です。単なる政治のリーダーシップということではなく、非常に知的で、透徹した哲学とか理念とか、そういうものに裏付けされたリーダーシップが必要です。それは単に首相が全て持っていなければならないと言うのではなく、とりあえず国を代表する首相がいて、国としてそれをバックアップしていけるだけの理論体系を、日本の中でもきちんと再構築する必要があると思います。
明石 アメリカに対する世論の変化は、中国に対する世論の変化とも重なっているとも思いますが、日本人が対外関係について冷静になり、客観的になった証拠だとすれば、これは喜ばしいことです。しかし、必ずしもそれだけではなくて、情緒的な要素もあるのではないかと私は多少気にしています。中国に対しての世論を例にとれば、工藤さんも先の東京―北京フォーラムでご指摘になったように、ギョウザ事件などが色濃く反映されたと思うし、そういった食に対する日本人の極めて敏感な態度が影響していると思います。アメリカに関していえば、ブッシュさん個人の誤ったイラク政策に対する反応とういうのが非常に大きかったし、それが今度の経済危機、サブプライムローン問題で、日本自身が影響を受けたことに対する感情的な反発もあると思います。
私は、そういう対外的な敏感さや情緒性と同時に、日本人が冷めてきているというよりも、対外関係に対する一つの諦めみたいなものが出てきて、日本という国に心地よく閉じこもっているのが一番いいのだ、というような気持が根底にあるのではないかと思います。国益中心の外交は全ての国がやっていることですが、その国益がどの程度幅広く、長期的な世界を見据えた国益、つまり啓蒙的な国益かということが重要です。そういう国益ならけっして悪いものではないし、各国が追求すべきものだと思います。ただ、狭い国益に閉じこもるというのは非常に困るし、わが国にも1920年代位から、ともすれば心地よい単独行動主義に走りがちな傾向はあるわけです。
田母神論文の問題も靖国問題と多少つながっていると私は思っていますが、横軸としての世界と日本との関係と同時に、我々が自身の過去をどう見て、将来の行動をどのように見定めていくかを決める上で、やはり歴史を忘れたり無視することは許されないわけです。我々の歴史にはいいものもたくさんありますが、決して誇れるものでないものもあったということを、対外的にも対内的にも、同じように言える大人の態度をとるべきです。歴史に関してはやたら自己弁護に陥ったり、過去を否定してしまうことがありました。幸いにして、今の中国は、戦後日本の民主的改革を認めるようになったことは大変いいことです。おそらく、日本人の歪んだナショナリズムも勢いをなくしていくと思いますが、その辺りの整理をして、歴史教育をきちんとすることが必要です。日本文化に対しても他の文化に対しても、どっちがいいとか、どっちが悪いとかという問題ではなく、お互いに尊重し合い、理解しながら進もうという態度に結び付いていけばしめたものです。アメリカと中国とどちらかを選べという問題ではまったくないと思います。
工藤 お二人のお話を伺い、日本の針路というか、日本がこれからの世界の中でどう生きていくのかの、きちんとした議論がないということは共通していると感じました。2009年は、大きな視点での日本の国益を真剣に考えなければならない年だということですね。
明石 そうですね。その中で一言言わせてもらうと、日本人に特徴的な国連論みたいなのがあって、国連を万能視し、美化する考え方と、国連は全く役に立たないから無視していいという国連無視論とがあります。しかし、本当はその中間で、国連はいいこともやるけれど、国連の決定はすべて正しい解釈に基づくものではなく、各国がそこで国益を戦わせながら、何かを生み出していくのが国連だと思います。国連に100パーセント依存することはできないし、日本もそこで主体性を持ってコンセンサス作りに参加しなければいけない、という点を忘れてはいけないと思います。
第3話:日本の閉塞感を当事者意識を持って打ち破るには
工藤 日本国内の政治を考えた場合、単なる国会の政治だけではなく、一般の社会でもメディアでの議論も踏まえ、日本の大きな針路を考えるという落ち着いた議論がなかなか作れていません。2009年はまさにそういうことをしなければいけない1年だと思いますが、そのときに気になるのは、現在起こっている世界的な変化は、現実に国内でも実体経済で深刻な問題が出てきたりしているにもかかわらず、まだ他人事みたいに感じている人がおり、またこの問題を政治のリーダーが率先してこの問題に覚悟を決めて取り組むという意思や流れが国会の議論の中にも見られません。こうした日本の国内政治の風潮や方向をどう変えていけばいいのでしょうか。
小林 その質問には、重要で基本的な問題がいくつかあると思いますが、結論から言えば、最大の問題は、政治にかかわらず、本当の意味でのリーダーシップを持ち、リーダーとして全てを任せられる人材が、日本の中で乏しくなってきたということが、急激に見えてきたということではないかと僕は思います。それは、この1、2年に起こったことではなく、戦後の教育の中で、リベラルアーツ(大学における教養課程)が一つのキーですが、アメリカを中心に存在していた新しい問題解決方法を、色んな分野で手にする、それを身に着ける人間を育てるという教育は、当時の日本の国益に沿ったものだと思いますし、日本はかなり成功したと思います。しかし、世界の状況が移り変わり、経済の仕組みも変わる中で、あるべき経済政策というのはどういう経済政策なのか、社会政策との接点はどういうところにあるのか、問題そのものを設定する能力や、本当の問題点が何なのかを見抜く力を身につけることを、日本の高等教育がきちんと手を打ってこなかった。本当の意味でのリーダーの資格を得るための人間力とか、それを教育する高等教育がなかったということではないかと思います。
これは教育機関だけの責任ではなく、経済界を含めた問題だと思います。経済界はどちらかというと、即戦力を求めています。また、大学の教育はあてにならないので、人間教育は自分の社でやるみたいなことを言っていましたが、かなり傲慢なもの言いだと僕は思います。そして、残念ながら政治の世界でいうと、同じような教育を受けた世代が段々主流になり、率直にいって政治の世界に優れた人が十分に入ってきていないのではないでしょうか。これは政治だけではなく、経済も含めてのことだと僕は思っています。アメリカはここ数十年来、いい人はコンサルティングや、インベストメントバンキング(投資銀行)などに就職しています。日本も、色んな意味で偏りはあるかもしれないけれど、非常にできる人たちは公務員になる、これは今までずっと続いてきました。アメリカも実は、政治を含めて公共機関にいい人がいっていましたが、日本と違うのは、最初は民間部門でも、そこから公共部門への転換が、日本に比べるとかなり柔軟になっています。オバマさんはそのひとつの象徴的な例だと思いますが、結果として、政治の世界にいい人が存在しているというのがアメリカの状態だと思います。
そういう点で、日本とアメリカのギャップがもの凄く出てきてしまった。教育に関しては息の長いことですが、もう1回しっかりと腰をすえ、小中等教育の生きる力などの議論を踏まえた上で、高等教育でどういう人間力教育をするのか、そこのあたりをきちんとやり始めなければならないと思います。そうでなければ、将来日本の針路を定めるための人材はますますいなくなってきてしまいます。それをきちんと動かし始めるとして、それまではどうしたらよいのか。それは、各界が本当に協力して、政治や経済、行政の総力をあげて優秀な頭脳を集めて議論し、いい方向を見つけてやっていかないといけません。残念ながら、今は総力をあげてという形になっていいません。
今のメディアなんかでも、政治を批判する一方で、経済を批判すると色々やっていますが、識者も含めて、国民の声を一本にまとめ、その方向に進もうという動きにはなっていない。ここはやはり、長期的にきちんとした資質をもった人たちを育て、ポストポストに据えていかないといけないと僕は思います。
明石 与野党の勢力が、現状のように接近してしまうと、どうしても政党間の対立が泥仕合になり、足の引っ張り合いになってしまい、真の意味での政策論争はますます遠くなり、やや政局が生臭く、次元の低いものになってきています。そこで、小林さんの言われるように、中長期的には、まさにわが国における真の意味での社会の変革を目指すべきです。幅広い国民的な、そういう議論をふまえたリーダーシップが生まれてこないといけない。色んな意味で教育の危機が叫ばれているし、データをみればそれが表面化してきています。世界の大学の格付けを行っているイギリスの機構などの調査によると、日本で一番といわれている東大でさえも、順位は15番から20番目の間です。その東大でさえも、外国人教師の比率や、留学生の比率をみると、 40番目50番目に落ちてしまいかねない現状があるわけです。欧米の大学に比べると、非常に閉鎖的であるということは否定できない事実です。大学の衰弱の背景には、教育全体の衰弱はもちろんのこと、国民全体が、ちょっとしらけて、疲れきった雰囲気の中にあるのではないでしょうか。
色んな調査結果から他国と比べて顕著に違う点は、語弊をおそれずに言えば、国民全体、特に子どもたちが「小市民的な」幸福や満足を求め、大人を越えたような疲れ方をしていることです。大きな希望とか、国の向かうべき方向とか、人類的な希望に取り組もうという意欲がなく、自身の身の回りの、家族の幸福だけで十分だという人が増えました。大人よりも大人になった意識に浸ってしまっているのではないか。そんな気持ちを持つのです。
益々国を超えた国際的な論議の場が増えています。それは、政治外交だけではなく、経済や文化、科学の面も含め、色んな場でそういったことが増えています。しかし、日本人は知的な力を持ちつつも、それを国際的に紹介し、自分の考えを他の国の関係者や専門家を交えながら調べて、一緒に新しいルール作りをやっていくようなディベートの伝統は、残念ながらわが国にはあまりありません。お隣の韓国なんかは、わりとそういうディベートの伝統が文化の中にあるらしいです。また、中国はものすごいスピードで、英語力その他の能力の涵養に突き進んでいます。やや過熱気味でさえありますが、わが国の場合、そういう外の衝撃に応えて自己を変えることについて、自分自身の古来の美風とか伝統を否定するような後ろめたさがあり、もっと素直な形で自分の力を涵養し、外のものを貪欲に吸収しつつ、一緒になって新しいモノを作っていくという意欲や能力が欠けていると思います。これには大学教育の前に、小中高校の改革も必要だと思っています。例えば英語力の涵養なんていうのは、言葉だけでなく、言語とは文化の窓ですから、言葉の背後にある文化的なものを意欲的に理解する、そういうアグレッシブで前向きな態度が、若い人に必要だと思います。
大きなリーダーシップが出てこないという小林さんのご指摘はその通りで、日本社会が縦割り社会になってしまったというのが、ひとつの大きな要因だと思います。アメリカをみて驚くのが、やっぱり知的エリートの裾野の広さだと思います。あのオバマのような人でさえも、恵まれない家庭から、最高学府にいき、そこを出たら今度はシカゴの貧民窟で社会保障のために活動し、それから政界に入っていくわけです。そういう、骨太のエリートの人たちは、日本社会にはまだまだ存在しないのではないかと思います。小さい国と言えば申し訳ないのですが、小さい国の場合にも、たがいに意思疎通ができるエリート階層が存在するのです。例えば、北欧諸国を見ていて羨ましく感じることは、官僚の世界はきわめて小さいのですが、必要とあれば、民間やNGOから、必要とされる専門家がいくらでも提供できるような社会構造になっています。
その点、わが国では、官僚も含めてみんなが自分の蛸壺に入って安寧を享受しているようにみえます。世界がこういう危機的な状態になった時にこそ、真の意味でのリーダーシップを持った人が政治や経済など、各界を網羅した形で、現れていいはずなのですが。私は明治の初期にはそれがあったと思います。明治を担った素晴らしいリーダーは、各藩の下流武士から出てきました。そういったものすごい知的資源は、今でもどこかにあるはずです。それを我々がいかにして見つけるかが大きな課題なので、それを色んな段階でやらないといけません。今や東大に入ってくる学生も、高収入の親を持った限られた階層の子弟しかいないという指摘がされていますが、そうだとすれば非常に由々しい事実だと思います。
第4話:2009年、私たちに何が問われているのか
工藤 2009年は経済危機の影響が本格化する中で、日本では間違いなく国政選挙があります。それからオバマさんも1月20日に大統領になります。日本も民主主義を問われ、日本の針路なりが問われる年になると思います。この新しい年を私たちはどのように迎えればいいのでしょう。
小林 僕は2009年、大部分の人の関心は、今の世界不況がどこまで進み、続いていくのだろうかということだと思います。どの辺で収束をみせるのか。どの辺までいけばそれなりに見通しが立つようになるのだろうか、ということは間違いなく最大の関心事です。また、身近に職を失った人がいれば、もっと切実な思いを持っている人も多くいると思います。その時、09年という長いスパンではなく、前半に限って言えば、先が見えないというのは別に日本だけではなく、世界中みんな迷っているわけで、気持ちの面ではイライラするとは思うけれど、やはり軽挙妄動しても結果はでてこない。表現が適切かわからないけれど、じっと我慢して、その我慢の中から、次にどういう方向でどれくらいのスピードで展開していけるのかを、それなりに示唆してくれる人、また、色々あるけれど、最悪の事態は起こさせないから任せてくださいといえる人、そういう政治的リーダーシップを求める声が、どんどん大きくなってくると思います。
ですが、現政権や自民党は、まったくそれに対して応えていないだけでなく、益々不安をかきたてる以上の何ものでもない。では民主党はどうかと。民主党は、個々に名前が挙がってきて、いい人がいるではないかという人もいます。確かに、いい人もいると思います。しかし民主党は政権をとったことがない、未経験だからやはり怖い。それでも、民主党に積極的魅力を覚えるのではなく、自民党があまりにも駄目だから、少しのリスクをとってでも、思い切って民主党に政権を任せてみるかという風になる。そういう選択を心に秘めている人がだんだん増えてきていると僕は思います。そして、その流れは変わりようがないのではないかと思います。本当に自民党の先生方には申し訳ないけれど、やはり麻生さんのリーダーシップのもとで、最低限この通常国会で何を成果としてあげるのか。その辺りはきちんとしないといけない。ただ、第二次補正は臨時国会にはあげず、政局論としてそういう話が優先してしまっています。選挙や政局ではなく、大事なのは政策で、今の状況を何とかしないといけないだろうと麻生さんは言っています。麻生さんは初心貫徹しないって言われているけど、自民党自身は最低の責任を果たすという意味できちんとやらないといけない。民主党について言えば、自分たちが政権を担わなければならなくなったとき、自民党が嫌だから仕方なく民主党にという受け皿ではなく、より積極的にこういうことをやり、多くの人に期待させるような提案を行ってほしい。
僕は当面の問題は、経済の問題を含め、そういう政治のリーダーシップというか、政治の安定をきちんとやることが、2009年における、最初の日本の最優先課題だと思います。
工藤 やはり国会の議論は言論の府でもありますし、今の政局だけを意識した行動は直さなければならないとおもいます。例えば、アメリカはビッグスリーへの支援の際に、公聴会で納得いくまで議論をしています。ブッシュさんにしてもエンロンのときは率先して、この危機は私が解決させると議会で言っています。現在の状況について政治がリーダーシップを発揮して取り組む意思を示す場が国会ですし、政治も多くの専門家に集めて取り組む局面でしょう。選挙はその延長線上にあるべきもので、しっかりとした議論とリーダーシップの循環が国会から始まらないといけないと思うのですが。
明石 おっしゃるとおり、政策論争を色んな場で行い、これを盛んにしていくことが必要だと思います。政党単位の議論は、行き詰った議論になりかねないと思います。そういう意味で、私はマスコミの役割も重要だと思っています。今の政治家の状況を情けないと一方的に批判するのでなく、政治家がいいアイディアを出し、いいことをするならばそれを褒め、是々非々でいくべきだと思います。マスコミは、自分のほうが偉いかのように距離をおき、どこか他の国で起きていることのように政局を批判するだけというのは、甚だ建設的ではないと思います。そういうのを修正する必要があると考えます。民主主義というのは、別に理想的な制度でもなんでもありません。これはチャーチルが言っていることばですが、「他のすべての制度に比べれば、まだマシ」だということにすぎないわけです。こういうのをきちんと扱えないと、1930年代40年代の始めに日本で起きたように、議会政治はダメだとか、民主主義はまどろっこしいことばかりやっている、という批判ばかりが出てきて、それ以外の絶対主義的・権威主義的なやり方を国民が選ぶようになることは大きな間違いになります。だからこそ、マスコミも態度を変えるべきだし、国民も単なる理想論ではなく、自分が考えていること、やってもらいたいことを実現するために、何が必要でそのためにどれくらいの予算が必要とされるのか、その予算を確保するために、どれくらいの税金を自分達が払えばいいのか、というようなことまで思いが及ばないといけない。そうしないと空理空論を繰り返すことだけで終わってしまう。民主主義というのは、理念であると同時に一つのプロセスでもあると思います。このプロセスにいかに多くの国民を巻き込み、単なる情緒や好み、趣向に基づく議論ではなく、みんなが納得できるような、それができれば日本国民のみならず、他国や、他国の人々が何を考え、何を心配しているのか、そういうことの推測をも交えた広い見地からの政策論議をやっていくべきだと思います。
工藤 まさに言論の役割が問われる局面でもあります。最後に、新年の言論NPOに何を期待されますか。
明石 いま私がいったことにつながりますけど、「世論」と「輿論」の違いということを言いたいと思います。単なる数字として現れた「世論」、これも大事ですが、これに留まらず、本当に一生懸命に物事を考えている人たちの流れといったものを「輿論」だとすれば、「世論」を「輿論」に高める努力をするべきだと思います。マスコミにすべてを任せずに、自分たちでものごとを考えていくことから始めようというのが、NPOの1つの理想だと私は思います。こういう動きをより幅広く、より進化させながら、日本国内の問題についても、外国との懸案についても、言論NPOがやっていただければ、大いに期待してよい日本になるのではないかと思います。
小林 僕は、言論NPOの年初にあたって、2009年は選挙の年だということを言いたいと思います。この選挙は非常に重要な選択で、ある程度、支持が決まったという人もいるかもしれないけど、自民党について、民主党について、それぞれの主要な政治家について、本当に一人一人がもう一度きちんと評価をし、その上できちんと責任のある決定をするべきだと思います。本当に我々が選ぶ人は、いずれ総理になるかもしれない、すぐになるかもしれない。そういう国を任せられる人を、我々が選ぶのだと。だからまさにsense of ownership。他人事ではない、本当に自己責任であり、当事者意識を持ち、選挙に臨むべきだと思っています。そういうことを言論NPOは強く呼びかけてほしいと思っています。
工藤 がんばります。本日はどうもありがとうございました。
第3話:「日本の閉塞感を当事者意識を持って打ち破るには」
第2話:「大きな視点で日本の国益と日本の進路を考える」
第1話:「世界の大変化の中で日本が考えるべきこと」