民間外交の視点から見た
民主主義と市民社会の重要性
聞き手:田中弥生氏 (言論NPO理事)
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田中:工藤さん、北京からおかえりなさい。日中関係が厳しい状況の中、開催を2カ月延期するなど、紆余曲折がありながらも「東京-北京フォーラム」が無事閉幕しました。このフォーラムでセンセーショナルだったのは不戦宣言、つまり、日本と中国の間で戦争をしないということを合意した「北京コンセンサス」であると思いますが、これはどのようなものなのか、説明していただけますか。
なぜ「北京コンセンサス」が必要だったのか
工藤:本来、領土のような主権を争う問題というのは、政府間外交が取り組むべき領域の問題です。しかし、主権を争う問題の場合、相手国に対して妥協することは容易ではなく、問題の解決を急げば急ぐほど、国民のナショナリズムを刺激して、結果として政府外交を身動きの取れないものにしてしまいます。
一方、日中両国の国民感情は悪化したままですから、何か偶発的な事故が起こった時に国民感情がさらにエスカレートしてしまう、という非常に危険な状況が続いています。そこで、政府間外交が動けない状況にあるのであれば、民間はとしては何をすればいいのだろうか、ということが私たちの問題意識だったわけです。
ここで私たちが考えたのは、2つあります。一つは、日中の民間レベルで冷静な議論を始めるためのきっかけを作ることです。領土問題のように頭に血が上りやすい議論をしていると、全体的な事態解決の方向性が見えなくなる。だから、民間レベルに冷静な議論を起こすためのきっかけを作りたかったのです。
もう一つ、現在の東シナ海では、こうして政府間外交が止まっている間にも毎日のように、日中両国の船舶同士が異常接近を繰り返しています。そのような状況の中、現場レベルの自制心で何とか危うい均衡を維持している、という構造がずっと続いています。したがって、たった一発の銃声でその均衡が崩れ、軍事衝突になる可能性があるのです。しかも、国民感情が過熱し続ける中で、まさに本格的な紛争に発展してしまう、という危険性がある。では、そのような事態への発展を誰が止めるのか、というところにも私たちの問題意識はあるわけです。
この状況を変えるため、私は日中間で「不戦の約束」をしたらどうか、と考えたのです。つまり、「どんなことがあっても戦争に道を開くような、全ての手段に対して我々は反対する」、ということだったのです。つまり、国民レベルで「不戦」という基本的な認識を共通化することが大事なのです。
民間の人たちがそのような意識を持つと、それが両国の世論になり、国際的な輿論にも具体的なメッセージとなる。そうした環境の中で日中両国が外交上、最優先で考えなければならない論点が、もっと明確になるのではないか、と思ったのです。
政府間外交と民間外交は別に対立関係にあるわけではありません。むしろ、政府間外交がきちんと機能しなければ、政府間の交渉が動けるような環境作りをしていくことも、民間の役割だと思うのです。そのためには今回の「北京コンセンサス」がどうしても必要でした。それで私は、北京に到着した時からずっとそのコンセンサス作りにかかりきりでした。中国側と何回も議論をしました。表舞台では様々な対話が行われていましたが、舞台裏ではずっとこの「北京コンセンサス」を作るためだけの協議を行っていたのです。一時は断念しかけましたが、公表の4時間前くらいという、本当に最後の最後で、合意に至ったわけです。明石康さん、宮本雄二さん、武藤敏郎さんという「東京-北京フォーラム」の実行委員長と副委員長に、明け方まで付き合っていただいて、このコンセンサスの文面を本当にぎりぎりでまとめました。大変な苦労がありましたが、この歴史的な意義のある「北京コンセンサス」をまとめられて本当に良かったと思っています。
田中:通常、戦争というのは国家対国家で行われるものですから、不戦宣言を出す主体も国家、政府になると思うのですが、工藤さんたちがおっしゃっている不戦宣言の主体はまさに民間のことなのですね。
民間が「当事者」として考えていくことが大切
工藤:そうですね。国民、市民というまさに「民」です。その民の人たちがまず、「戦争をしない」という合意をしたということです。
今回のフォーラムでは日本、中国ともに約30人ずつのパネリストが出席しましたが、その議論を見守る聴衆も延べで3000人近い人が集まりました。さらに、裏方でも約300人がボランティアなどでこのフォーラムを支えていました。日中関係がとても神経質な状況下において、しかも北京開催にもかかわらず、それほど大勢の人たちが集まったわけです。そういう人たちの前で、この「北京コンセンサス」を発表し、日中両国だけではなく世界に向けて発信したのです。つまり、このコンセンサスは、世界に対するメッセージでもあるわけです。
私たちはこのコンセンサスを世に出すことで、色々な人たちにこの意味について考えて欲しい、と願っています。そして、日本と中国の国民レベルで、「戦争は絶対にしない」、という共通認識が形成されていく。そして、世界でも東アジア地域で絶対に紛争を起こしてはならない、ということが世論になっていく。そういう状況になることによって、この東アジアの色々な深刻な問題の解決の糸口を見つけ出すことができるようになると思っています。
田中:私たちが当事者として考えていく必要があるわけですね。
さて、フォーラムの様子についても詳しく教えていただきたいと思います。
世界が直面している課題を解決できるのは、個人の当事者としての意識
工藤:私が対話の前に、色々な中国側関係者と話をして驚いたのは、彼らがフォーラム開催に非常に神経質になっていたことです。つまり、この対話を本当に実現できるかどうか危うい状況だったのです。8月に予定されていたフォーラムが延期となり、この10月も、靖国神社の秋の例大祭に関する閣僚等の参拝に関する様々な報道があり、本当にどうなってしまうのだろう、と思うような状況でした。
しかし、このフォーラムは困難を対話の力で乗り越えようと、8年前に誕生したのです。だから、どうしても私はこの対話を実現させたかった。逆に、もし第9回フォーラムの開催が実現しなければ、この「東京-北京フォーラム」自体が終わってしまうだろう、と中国側に言われたぐらい、私たちは神経質になっていました。
フォーラム開催前、会場のホテルの部屋に入って窓の外を見てみたら、中国の外交部が100メートル先に見えました。中国の外交部から目と鼻の先にあるホテルの会場で、尖閣問題(中国側で言えば釣魚島)、安全保障、政治、経済、そしてメディアに関する議論が、テレビカメラが見守っている中で、公開で議論が行われるわけです。つまり、こんな対話が行われること自体が奇跡なのでは、と思いました。
そのような状況ですから、日本側・中国側のパネリストの方々も、皆さん緊張していました。今回の対話の位置づけや意味を、それぞれに考えて対話に臨んでいました。そこでは、素晴らしい発言がたくさんありました。これらはすべて言論NPOのサイトで公開していますから、ぜひ見ていただきたいです。
田中:先程、聴衆が延べで約3000人、ボランティアが約300人とおっしゃいましたが、どのような人々が集まっていたのでしょうか。
工藤:まず、日本側だけでも中国に留学して勉強されている学生の方々がボランティアとして70人くらい参加してくれました。また、中国側でも同じくらい若い年代の人たちがボランティアとしてたくさん集まってくれました。私は政治対話で発言したのですが、この政治対話の分科会には大体300人の聴衆が集まったのですが、そのうちの大体200人が若者でした。
参加者全体でみても、1日目の全体会議で大体800人の参加者が集まりました。今までのフォーラムでは、参加者は多くても500から600人程度だったので、大幅な増加です。また、開催地が北京であったにもかかわらず、日本側からも230人程が参加しました。
私と同席した日中友好協会会長の加藤紘一さんは「東京-北京フォーラム」にこんなにも多くの人が集まったのを見て、「本当に日中関係は危機的な状況なのか」、と驚いていましたが、私は逆だと思っていて、日中間が危機的な状況だからこそこれだけ多くの人々が集まったのだと思っています。
このように熱気溢れる雰囲気の中、全体会議や各分科会で議論が行われ、最終的に「北京コンセンサス」を出すことができました。コンセンサス発表後、多くのメディアの方たちとも話し合ったのですが、「久しぶりに心にこみ上げてきた」ということを皆さん言っていました。それを見て私が実感したことは、世界の様々な状況を変えるのは、個人であり、当事者としての意識なのではないか、ということでした。つまり、個人個人の「こうしてはいられない」という意識や、「様々な問題に対して、自分たちができる限り参加することが必要なのだ」、という意識に基づいた動きなのではないか、と思ったのです。このような動きは世界でもどんどん始まっているし、今回の対話で、日中間が非常に神経質な状況にもかかわらず、これほど多くの人が参加した、という事実にも、この流れが体現されていると思います。
田中:そんなにたくさんの方たちが集まったのですね。しかし、本来であれば8月開催予定のものが延期されたわけですから、今回の開催にこぎつけるまでは相当な苦労があったのではないでしょうか。
工藤:私も言論NPOのスタッフも疲労の極致でした。ここでもしもう一度延期をしたら、言論NPOはつぶれるのではないか、と思うほど大変でした。しかし、何としても言論NPOが北京に行って、今の事態を打開する一歩を踏み出さないと、私たちがこれまでやってきたことがすべて無駄になってしまう、とさえ思いました。フォーラム開催に向けた交渉の際には、「こんな対話の枠組みを作っただけでも工藤さんは大変なことをやった、だからもういいよ、無理するな」、というような言葉をもらったりもして、私も一時期そういう慰めに、心が揺れて諦めかけたこともありました。しかしやはり、最後の最後で「コンセンサスを出さなければならない」と思い直して、頑張りました。
田中:今のフォーラム、そして工藤さんの当事者性に関するお話を聞きますと、外交というものは、普通は政府対政府、首脳対首脳、というもので、私たち市民からは非常に遠いところにあると思っていたのですが、それが個人のレベルにまで降りてきている現象が起こっているのではないかと感じました。これは、外交のコンセプトが大きく変わってきているということでしょうか。
「民間外交」の役割は、「政府間外交」の土台づくり
工藤:中国大使を務められた宮本雄二さんがおっしゃっていたのは、「外交を政府だけでやる時代はもう終わったということを、大使を務めていた時に実感した」、ということです。政府間の外交交渉も、世論の動向を無視できなくなったからです。
世論が荒れてきて、言説が勇ましくなればなるほど、政府間交渉の動きが制約されてしまいます。世論の存在、盛り上がりに色々な人たちが影響を受けてしまう状況になってしまうのです。だから、外交というものが本当に機能するためには、健全な「輿論」というものをつくっていく民間での取り組みがきわめて重要になってきます。
実はこれは、私がアメリカの外交問題評議会が主催する国際会議に参加していても感じることであり、世界で起こっている動きと連動していることなのです。政府間で交渉に臨んでもコミュニケーションを取ることや、コンセンサスを得ることが非常に難しくなっています。地球温暖化や東アジアの秩序作りなどが一例ですが、課題解決は国家間だけの合意では難しい。しかし、世界的な課題はどんどん深刻化しているというような状況が生まれつつあります。そうなると、その課題解決を誰がやるのだ、という話になります。その答えは、「ステークホルダー」、つまり当事者である、というようなことが国際社会でも言われるようになってきているのです。研究者、ジャーナリスト、企業経営者、そして政府関係者など、様々な人たちが専門家として、そして当事者として課題解決に参加していく、という取り組みです。
その上で、その取り組みの中に政府も入ってくる。あるいは、政府がそのプロセスで得られたコンセンサスを利用する、というようなことが起これば、当事者によるコンセンサスがより実効性のあるものになっていくと思います。
ただ、東アジアの問題、特に尖閣諸島の問題は、そのような当事者同士の対話にとっても、非常に難しい問題です。なぜなら、領土問題は、政府と同様に、両国民にとっても、譲れない事柄だからです。しかし、領土問題をきっかけとして戦争になったらどうしようもありませんから、誰かがこの問題に取り組まないといけないわけです。世論が冷静になればなるほど、政府間交渉がやりやすくなると思います。昔、鄧小平が尖閣諸島の問題の解決を、「次世代の人たちの知恵に委ねたい」と言ったのは、新しい知恵を出すためには冷静に考えられる環境がないと無理だ、と見極めた上での発言だったのだろうと思います。したがって、政府間外交を機能させるための冷静な環境をつくるしかない、そして、そのためには民間の中からこの問題を冷静に考えよう、という動きがどうしても出てくる必要があったのです。今の時代の外交は、そのような政府と民間の合わせ技の中で機能していく、という新しい段階に来ているわけですから、民間の外交というものの果たす役割が非常に重要な局面になってきています。
田中:今のお話で、民間外交と、政府間外交は決して対峙するものではなく、ある種補完をし合う関係でもあるということが分かりました。
もう一つ、最後にお聞きしたいのですが、今工藤さんがおっしゃったような民間の外交というのは誰しもできるわけではないと思います。今回これを可能にした成立条件とはなんだったのでしょうか。
「民間外交」の取り組みは、「強い民主主義」と「強い市民社会」をつくり出すプロセス
工藤:私がこの対話に臨むにあたり、一貫して中国側にも主張し続けた原則は、「政府の言葉は絶対使わないこと」です。政府は外交交渉の際、色々と折り合いをつけるための言葉を使いますが、私たちはそのような言葉を使うのではなく、課題に直接切り込むような言葉を使おうと思っていました。だから、政府の立場や、これまでの政府間交渉の過程があるとしても、この対話でそれを代弁することは絶対にしないようにしよう、ということを私はかなり主張しました。
この原則を順守すれば、私たちの取り組みは、民間としてある意味で政府とは同じようなことをやっていて、連携もしているのだけれども、少なくとも距離は置いている、という位置づけになります。そのような位置づけで取り組んでいくならば、中立・独立という形の展開が極めて重要だし、その取り組みは、世論の支持を得ることができるような市民に開かれている取り組みでなければならない、ということになります。つまり、私たちが目指している取り組みは、田中さんのご専門でもある市民社会の動きでもあるということなのです。私が今回のフォーラムで感じたことは、私たちの世論を意識した民間外交のあり方というのは、それぞれの国においては民主主義のやり方であり、市民社会のあり方そのものである、ということです。そういう意味で、私たちの民間外交の取り組みは、民主主義や市民社会が各々の国で機能しているのか、そしてそれらが国境を超えることができるのか、ということに対するチャレンジだったのではないでしょうか。
しかし、民主主義や市民社会が制約されてしまうような環境があれば、国境を越えた議論が制約されてしまうこともあります。特に、近年の日中関係では、両国の体制の違いや、ナショナリズムの加熱もあり、議論が制約されてしまう環境がありました。しかし、そのような困難な状況の中でも、当事者の人たちが合意をした、ということの意味は、ちょっと言い過ぎかもしれませんが、歴史的な意味があると思います。民間のあり方が問われる中で、民間から何かの動きが始まらないと、状況を打開することは難しい、ということを多くの人たちが考え、そして社会体制の違う中国でも、協力しようという動きが出てきたということは歴史的にも大きな意義があると思います。
私たちが「東京-北京フォーラム」で取り組んでいる課題は、対話に参加した私たちだけの課題でなく、多くの市民の課題なのです。様々な人たちによって、この日中間の対立を戦争に発展させないためにどうすればいいのか、という冷静な議論が様々な分野で始まる。その議論の始まりがまさに健全な輿論形成であり、強い民主主義をつくるプロセスになるのだと私は思っています。
田中:今回の「東京-北京フォーラム」における民間外交の取り組みは、民間であり、独立・中立であり、市民に開かれたものであったからこそ成功した。そして、強い民主主義と強い市民社会があるからこそ民間外交も機能していくということですね。非常によく分かりました。また勉強させていただきたいと思います。ありがとうございました。