今回の「工藤泰志 言論のNPO」は、前回に引き続き、ゲストに岩手県知事や総務大臣を務めてきた野村総研顧問の増田寛也さんをお迎えして、地方自治を立て直す方法などについて、議論しました。
ラジオ放送の詳細は、こちらをご覧ください。
日本の地方自治をどう立て直すのか
工藤: おはようございます。ON THE WAY ジャーナル水曜日。言論NPO代表の工藤泰志です。さて今日も、先週に引き続き、スタジオに岩手県知事や総務大臣を務め、今は野村総合研究所顧問の増田寛也さんをゲストにお招きしております。増田さん今日もよろしくお願いします。
増田: よろしくお願いします。
工藤: 先週、地方自治はまさに民主主義そのもので、民主主義の学校と言われていたのですが、まだそこまでいってない。しかも増田さんからショックな話があって、政治家は本気で地方分権をやる覚悟が決まってないのではないか、という話も出ました。ただ、その中で、民主主義の統治の仕組みにおいて地方の中にもさまざまな問題が出てきている。これはやはり僕たちが解決していく段階にきている、ということが増田さんの強い主張でもあったし、私たちもそう思ったわけです。こういう訳で今日は本題に入らなくてはいけなくなってきました。つまり、今の地方の民主主義の現状を踏まえて、日本の地方自治をどう立て直していけばいいのか。また地方から始まる変化が、地方だけではなくて、この国の未来を切り開いていくきっかけとなるのか、という問題もあります。そう考えれば、今度の統一地方選挙も含めた地方の選挙って日本の未来にとっても大事な選挙だと思いますね。そういうことで今日は議論を進めていきたいと思います。早速ですけど、この前のお話を聞いて、地方と国政の違いがよくわかりましたが、やはり地方の方が民主主義の機能としてはかなり住民に近い。例えば、地方では自分たちが選んで自分たちの代表として送り出し、それを監視し、場合によっては代表を変えることもできる、そういう民主主義の統治の仕組みがある。この仕組みを使いこなさないと話にならないという局面です。そういう視点から見て日本の地方の民主主義の程度というのはどういう状況になっているのでしょうか。
地方の民主主義の程度は?
増田: 今までは、選挙では知事、市長に誰がなるのだろうかとそちらの関心ばかりが高かったのですが、今回の統一地方選挙で、初めて今の議会はこれでいいのかということがみんなの意識に出てきた。このままの機能不全でいいのかどうか。これは大選挙区制度の中では、議会の一人ひとりを誰にするかを考えると、結局は地縁とか血縁がどうしても主流になってしまう。けれども、議会を構成している会派の中で、最近よく地域政党とか首長さんが主導する首長新党の話が出てきましたね。議会の投票率は統一地方選挙でいま50%ちょっと、52%くらいにまで下がっているのですが、今回は議会の在り方が今のままでいいのかどうかという意識が、皆さんの中にもかなり出てきたのではないかという実感があります。
今までは既成政党の支部に結局は頼らざるを得なかったのですが、それを変えたいという動きへの転換点ではないかと私は思います。
工藤: なるほど。僕たちもある程度うすうす分かっているのですが、議会が機能していないということですよね。でも、確かに議会は議員の数が多い。なんであんなに多くないといけないのでしょうか。
増田: 議員の数ですか?
工藤: 議員の数です。
地方議会になぜ建設業の議員が多いのか
増田: もちろんこれは多ければ多いほど地域の声が細かく反映されるということかもしれませんが、ただ私が見るに、地域の全体の人、老若男女、職業も含めた属性の縮図に議会はなっていないですね。日本の議会というのは、議員になることについて非常にリスキーですよね。例えばヨーロッパではよく市役所の職員が一時期休職して議員になって、任期が終わったら復職するということもあります。日本の場合にはそういうことはなくて、生活をかけて立候補してうまくいけば当選、ダメだったら失職、と生活を全部失うことになり、やはりお金持ちであったり、自営の人にどうしてもなってしまう。特に地方の場合には自営と言っても建設業が多いから、建設業に関係する人が議員に多くなる。これは良い悪いは別にしても、結局その人たちの関心というものは公共事業がどれだけ増えるか減るかの話で、議会の議論はぐっとそちらに偏ってしまう。
制度的には諸外国に比べて、私は日本の議会制度の中での議会の権能は弱いと思います。アメリカは連邦議会で予算も自分たちで決めます。オバマさんが出す予算教書、あれは参考図書であって議会が全部提案して自分たちで決めます。日本の場合にはお金に関わる予算関係のものを議会は提案できないのです。
工藤: あれはチェックだけですか?
知事の提案を追認するだけの議会
増田: ええ、チェックです。もちろん、否決はできます。減額修正もできるけどもお金を増額する修正はできない。要するに、それは知事・市長の権限となっています。ですから、結局、陳情を受けてそれを実行するためにお金がかかるのであれば、知事に頼み込むかあるいは知事を脅かすか、それで実行するしかない。その結果、だんだん知事の力が強くなって、結局それを追認するだけの議会になってしまう。
工藤: 地方は二元代表制といって住民は知事や市長と議員の2つを選ぶわけですね。どっちが代表なのでしょうか。
増田: 今までの日本の歴史的な位置づけは、明らかに住民の意識として知事を自分たちの代表者だと思っています。議会の議員、その代表者たる議長が誰かということに対して、すぽっと意識が抜けています。これは制度的な問題です。
工藤: なるほど。でも有権者は自分たちが忙しいから、一応議会の人たちにはその監視役として執行を監視してほしい、意見を言ってほしいとか、そういう期待を持っているのですよね。本来はそういう役割は持っているのでしょ。
増田: 本来は持っています。結局、あまりにも執行部の方の権限が強くなり、それから議会が外から見えないから、夕張のようにどんな過大な予算提案をしてきても議会がチェックできず、それを住民が見過ごしている。だから、さっき工藤さんがおっしゃったように、本当なら住民は任期途中でも引きずりおろすことができるのですよね。市長もそれから議会も。でもそれを行使することはなかなかできなかった。
工藤: そうなってくると、議会が全く機能してこないことはますます問題なわけですよね。増田さんは前回もおっしゃっていましたが、議会を中心にすべきで、住民の代表は議会だと。その場合、知事や首長と、議会の適正な関係はどういう風な形にしていけばいいのでしょうか。
議会の役割は議案のチェックと民意の集約
増田: まず1つは、執行部へ徹底的に質問など何でもして、出してくる予算案をはじめ、議案を徹底的にチェックする。これは最低限のことです。それから、現在の議会というのはほとんど99%が執行部とのやり取りだけなので、執行部とは関係なく、議員間討議を行うことが必要です。今の制度では、確かにお金に絡むことは議会で提案はできないけれども、地域の声をまとめてまちづくりに関わる条例をつくるということはできます。ですから、そういった議員間討議で、地域の声や地域の意思を自分たちで集約していくことが本来の役目ではないでしょうか。
工藤: なるほど。そうすると何か陳情する代表ではなくて、住民の意思を聞いて自分たちの政策などを作っていくことが求められますね。ただ、議員も数が多すぎる点や、ボランティアでやったらいいのではと言われていますが、いかがですか。
増田: これには両面あって、ボランティアだと、中をいろいろチェックするのはどうしても難しい。人口の多いところはボランティア議会でやるか、本当に専門の意識の高い議員だけでやるか、2つの道があると思うのですが、どちらにしても執行部がやっていることが適切かどうか、監視する能力があればいいので、ボランティアでも良いと思います。そういうニーズは多いですよね。横浜のような大きな自治体の監視もボランティアでいいのだけれども、その時には監視役の専門的な監査機関、専門職の人間を雇うなど、何か一工夫がいるとは思います。でも、ボランティア議会というのは世界的に見てもかなり多いですよね。
工藤: いま地方の議会というのは何個あるのでしょうか。1800くらいですかね?
増田: そうですね。1800弱。
工藤: すると、それでどのくらいがちゃんと機能しているのですかね。さっき言った執行部提案はほとんどスルーだし...
三ない議会とは?
増田: 90%くらいは自分たちで条例も提案したことがない、というのがありますね。それから、最近「三ない議会」と言われるけど、要は執行部が提案してきたものを修正もしたことがない。これも非常に多い。8割か9割。それから、ましてや自分たちで条例を提案したことがない、あともう1つは、自分たちの投票行動を明らかにしていない。
工藤: 議会の中で?明らかにしていないというのは、秘密ということですか?
増田: HPを見ても誰がどの議案に投票したのか全然分からない。で、会派で拘束してしまうので、頭数だけの議論になってしまっています。それを外に出さない。でも、私は4年間の議員活動の本当の通信簿というのは、一つひとつの議案についてこの人は賛成したのか反対したのか、それだと思うのですね。
工藤: かなり深刻ですね。
増田: ここであえて言うと、視聴者から反論があるかもしれないけれども、選んだのは結局、有権者だということです。棄権した人もいるかもしれないけど、選んだ責任というのは一方で住民にある。一度選ぶときだけ権限を行使し、4年間任せて放ったらかしで傍聴にも行かないとすれば、それが本当に良かったかどうかが逆に問われる。
工藤: ルソーが言っていますよね。
増田: 「選ぶときだけ権利を行使して、あとは奴隷となる」という有名な言葉がありますよ。
工藤: この議会に関しては、地方の中でいろんな変化がありますよね。先週も言及されていたのですが、名古屋の議会との対決、執行部との対決とか。この現象はどう見ればいいのですか。
名古屋などの現象をどう判断すべきか
増田: これは地方議会が確かに機能不全だということですよね。しかし、その地方議会には、無所属議員もいますけれども、少なくとも都道府県レベルでは、多くが今の中央政党の支部単位で会派を構成しているわけです。ですから中央政党の地域支部の役割が、今まで通りでいいのかということが問われていて、それが地域政党という話が最近よく出てきていることとつながります。実は、中央政党で地域主権とか分権を進めるというお題目を唱えていても、実際の支部の在り方を見ると、みんな中央集権的で、マニフェストが選挙の時に出たらみんなそれを配っているだけ。ですから、そういう中央政党が、地域での役割を果たしていないことが本当にいいのかどうか、そのことが突きつけられている。
工藤: これは、この前、佐々木さんと話したのですが、日本の政党そのものが問われているということの裏返しで、それに対する抗議や警告が地域で出ている。つまり、日本の政党というのは中央集権の政党ですから、先週も話題に出ましたが、国政にいたいのですよね。地方の陳情を吸収して、それで何か実現するだけであれば、地域のことを誰が考えるのか。地域における政党そのものの存在がいま問われているということですよね。
政党自体の存在も問われている
増田: そうですね。政党の在り方が。何をするのか、と。
工藤: これはどういう風に最終的に収斂していくのですかね。
増田: 地方の制度というのは結局、その住民が大変だけど一歩でも二歩でも自分たちで前に出ていって、それであまりに自分達の代表がひどければリコール権を使って任期途中でも引きずりおろす。あるいはそういうことだけでなくて、まちづくりにしても最初の案は市役所からプロが作ったものが出るけど、途中で主役であるべき住民がまちづくりの主役へと変わっていかなくてはならない。ですから大変ではあるけども、地方自治はやっぱり住民が一歩でも二歩でも前へ出て、自分たちでやっていくという覚悟と気概を持っていかなければ、全国的に見てもいいまちづくりにはどうしてもつながっていかないと思う。これは非常に大変なことのように聞こえますが、私は年に1回でもいいから議会に傍聴に行くといいと思います。色々な問題のあった名古屋市議会も、あの問題以降みんな傍聴席に来るものだから最近は非常にぴりっとしているという話です。だから、その「見られる」ということ自体だけでも、議会の機能を向上させることになると思います。
工藤: こういうことも聞いたことがあります。あるエコノミストの話なのですが、地方に出かけてその地域再生のためのことを講演に行くらしいのですね。するとその地域の経済人から、経産省などの国がモデルをつくってこれを地域で実現すればいいと言ったことをやってきたけど、実現しても全然雇用も、地域経済もよくならない、と言われたそうです。つまり国はもうモデルを立てる力もないのではないかという声もあって、そういう政策的なことでも地域はもう自立しないといけなくなっていると感じます。
増田: ヒントにはなるかもしれませんが、決定打にはやっぱりならないと思いますね。
工藤: 国の政策が、ですね。
増田: ええ。結局それが全国どこへ行っても、駅前が同じような形をしていた、という今までの反省につながっているのではないでしょうか。ですから、今はどちらかというと、そういうことよりも多様化というか、個性を重んじるという方向性ですね。これは自分たちの今までの身近な経験則からもやはり、多様化だ、自分たちの住みやすさだと、今言われているのは、結局、自分たちの感性で作っていかなくてはならないということの裏返しだと思いますよ。
国に任せるだけでは地域の未来は描けない
工藤: つまり、もう国に任せるだけでは自分たちの地域の未来は描けないと。自分たちが主役にならないといけない状況に追いつめられてきている、そういう現象でもあるわけですよね。
増田: まあ、幸いなことだと私は思っています。自分たちでやらないといけないのは、幸いなことだと思っています。原点はそこに戻りますね。
工藤: その時にいま、統治の仕組みとして出てきているのが議会の在り方、政党の在り方であり、住民自治を機能させるためには非常に不全だ、ということですよね。機能していないことに対する問いかけが今出てきていると。
増田: 私は選択肢を増やすべきだと思います。人口が1000人を切るようなところもあるわけです。それにも関わらず、教育委員会を独立させたり、議会の議員を選んだり。そういうところだったら、場合によっては総代会のように直接の統治でもいいじゃないかとか、あまり人口の多くないところは、シティマネージャーで市長をわざわざ選ばなくても議員さんだけ選んでおけばいいのではないか、と私は思うのです。これは外国でもありますよね。ですから、住民の選択にゆだねて、いろんな自治の形をいくつかの中から選べるようにして、それで自分たちにあったものを段々とつくっていくということが大事ではないかと思いますね。
工藤: いま、名古屋とか大阪とか大都市の中に議会と首長さんとの対立があったり、そのシステムの変更に伴う動きが出てきていたりしますが、この前の名古屋とか見てもすごい投票数を集めているわけですよね。この動きというのは、日本を変革する、1つの大きなエネルギーの源流になり得るのですかね。
増田: 私はその1つが現れたことだと思います。ただ、大都市特有の問題であるかもしれません。大都市の方が地方議会の姿はもっと見えずに離れているから、大都市はもっと小さな民主主義を回す仕組みというものを、真剣に考えないといけないのかもしれません。それから、これは鋭い問いかけであり、住民が確かに気付いたというか、触発されて自分たちで解を出したということでもあります。それにしてもやや住民を煽った扇動的なことにつながるかもしれない、という危惧もありますね。
住民パワーは住民自治につながるべき
工藤: そういう危惧があるのですね。確かに民主主義のプロセスというのは、やはり耳心地、聞き心地のいいものにみんなが動いてしまうという部分があるわけです。だから、減税をやるのだったら無駄を徹底的に削減するとか、いろんな形でやっていくと思うのだけども、そういうことが問われずに、減税だけが話題になることもある。今の動きが、住民自治の動きにつながればいいわけですね。
増田: そうですね、それだけのパワーを持っているという可能性は明らかになった。また、多くの自治体で首長はピリッとしなければいけないと思います。その一方で最終的には住民が決める話ですが、本当に現世代に対しての減税、つまり住民税の減税はいいのでしょうか。結局これは高額所得者にとって有利です。借金や市債の発行もしていて、更には交付税ももらっているところが減税でいいのか、そういういろんな問題を含んでいます。
工藤: ただ、例えば一票の格差の問題もありますが、このような大都市が地域型に動いてきて、国会議員を出すという状況になってきたら、先週の話にもありましたが、日本の国会議員はその日本の地方分権にあまり真剣じゃない、といった日本の統治の大きなシステムチェンジになり得るかもしれませんね。良い方向か悪化させる方向かは分からないですが、何かの動きが始まった感じはしないですか。
増田: それは一方で、国政のふがいなさでもあるでしょうね。
工藤: そうでしょうね。
増田: 私は、あの河村さんの動きに、国会議員が引きずられるように見えることこそ、情けないなあと思っていますが、それだけのパワーが住民の方にあるということは、もっとよりよく変えられるチャンスでもあると思いますね。
工藤: はい。今日も話がかなり進んでいって、日本の民主主義が問われている中で、大きな変化が1つ地方にも始まってきていると。ただこの地方の問題は、まさに地方が自立しなければならないという課題として、その局面に追い込まれてきている状況ですね。このような流れの中で、地方自治ということを住民がしっかり責任を持って行える仕組みへの展開が図れるかどうか、まさに非常に大きな段階に来ていますよね。
地方の自立への歴史的なタイミング
増田: そうですね。初めてじゃないですかね。統一地方選挙の時に、住民は自分たちの代表である議会のことを通じてそういうことが問いかけられる。今までは首長の人気投票みたいな感じでしたよね。
工藤: そうですね、まさに歴史的一歩、大きな動きが始まったということでした。ということで、今日も時間になりました。ゲストに岩手県知事や総務大臣を務め、現在は野村総研の顧問の増田寛也さんをお招きし、「日本の地方自治をどう立て直すのか」ということで話をしました。また皆さんからもいろんな意見を頂きたいと思っております。僕たちのこのON THE WAY ジャーナルは日本の民主主義を考える議論を徹底的に進めていきますので、またよろしくお願いします。今日は増田さん、ありがとうございました。
増田: ありがとうございました。
今回の「工藤泰志 言論のNPO」は、前回に引き続き、ゲストに岩手県知事や総務大臣を務めてきた野村総研顧問の増田寛也さんをお迎えして、地方自治を立て直す方法などについて、議論しました。