今回の「工藤泰志 言論のNPO」は、前回に引き続き、ゲストに元東京大学総長で学習院大学教授の佐々木毅さんをお迎えして、日本の民主主義社会はこの先どこに向かうのか、議論しました。
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日本の民主主義をどう立て直すのか
工藤: おはようございます。ON THE WAY ジャーナル「言論のNPO」。今日も、先週に引き続き、スタジオに元東大総長で、現在、学習院大学の教授の佐々木毅さんに、ゲストで来ていただいています。
先週から、「民主主義」という問題について、僕たちは考えているのですが、民主主義というのも、基本的には「基本的人権」や「平等」とういうものにきちんと適応するような制度としては、これしかないわけです。ただ、そこには色々な問題があって、その問題を時代に応じて機能するように、色々と改善していかないといけないし、そのプロセスが始まっている、しかもそれが大事だということが前回問われた問題だと思うのですね。今回いよいよ本題に入るのですが、日本の今の政治を民主主義という視点から考えれば、何が問われていて、どういう風に変えていけばいいのか。ということで、今日のテーマは「日本の民主主義をどう立て直すのか」ということです。佐々木さん、今日もよろしくお願いいたします。
佐々木: よろしくお願いします。
工藤: 早速ですが、先週も少しそのような話になったのですが、やはり民主主義は色々な問題を抱えています。しかし、民主主義が機能するということは、社会が直面している色々な課題に対して成果を出すということです。それができないとすれば、民主主義のどこに問題があって、それをどういう風に改善していけばいいのか、を考えなくてはならない。世界も日本もそうですが、そういう風な問題に対応できない時に、どのような見直しの動きがあったのでしょうか。
民主主義は政治家のゲームでない
佐々木: そうですね、やはり結果を出せないということは、結果を出さないで内閣だけがクルクル、クルクルと変わり、同じメンバーが入れ替わり立ち替わり出てきて、2、3ヶ月で終わる。それはつまり、政治家のための政治ですね。
工藤: そうですね。政治家のゲームですね。
佐々木: 政治家のための政治家ゲームとしての民主主義になってしまうと、長期的な視点に基づく施策で結果を出す、ということは脇の方に追いやられてしまう。これは一つの欠点、問題ですね。
工藤: そうですね。今、まさに日本がそういう状況ですね。
大事なのは「競争」と「結果」
佐々木: 日本もちょっとそういう雰囲気がありますね。同じことはかつて、フランスの第四共和制とか、第三共和制とかいう時期にはよく言われました。一時のイタリアもそのような時期がありました。それを変えようということで、ご案内のように、今、フランスはアメリカのように大統領も選ぶし、それから議会も選ぶという仕組みに制度を変えました。見違えるように安定したと言えるかどうかは分かりませんが、少なくとも、かつて問題にされたような事態はある程度是正されたと思います。こういう中では大きな政治の制度、日本で言えば議会制というようなものが多くの人の念頭によることになり、衆議院と参議院の「ねじれ」などの議論になっていますが、これはいわゆる憲法問題ですが、この憲法問題も含めて、仕組みを整理して、一定期間は安心して結果が出せるような仕組みにすることが考えられる。選挙は選挙で競争はちゃんとやるという。この「競争」と「結果」を出すということが、うまくコンビネーションができればいいのですけど、いつも競争しているけど、結果は出ないというのでは話にならないし、非常に具合が悪いわけですよ。だから、僕はやはり、制度の問題が非常に大事だなと思います。それは制度の問題ですから、最後は選挙がどのように行われるか、選挙制度の問題もありますし、それからどれぐらいの票を取れば議員になれるのか、というような問題もありますし、投票率の問題もあります。それから、最近の日本だと、若者が投票にいかないという問題など、実態問題から制度問題まで沢山あります。
工藤: 私も民主主義の仕組みを直すという課題があると思いますが、議会のほうでは、確かに佐々木さんがおっしゃったような、参議院と衆議院の二院制で、相互にチェックするような仕組みだったのだけど、今はその機能が働いていなくて、動かない状況になってしまいました。こうした状況はどう考えていけばいいのでしょうか。
国会の意思が決まらないのに、議会制民主主義
佐々木: この議論をやりますと、必ずチェック機能は重要だという世論が出てきます。しかし、他方では結果が出ないので困った、という議論が出てきます。一体、国民はどう考えているのか、ということについて、私から見るところ、総じて全て曖昧なままに、これまで過ごしてきた感じがあります。その曖昧さでいつまで持つのかということは、国民の意識の面でも、少し詰めて考える必要があるのではないかと思います。だから、国会というものは、実際上はないわけです。あるのは、衆議院と参議院しかないわけで、国会というのは国権の最高機関だと言われていますが、国会の意思というものが決まらない中で、国会を中心にして議会制民主政治だと言われても、どういうことになるのかという問題は、みんなの目にいよいよはっきり映っているのではないかと思っています。そういう意味で、この問題は大きな問題ですが、もっと議論されていいのではないかと思っています。
工藤: 先週も話にありましたが、例えば、今の国会を見ていると、政治と国民の距離がかなり開いてしまっている。本当は、国民は色々なことを考えて、悩んで、年金や社会保障など、結果を出して欲しいと思っているのに、政治が全く機能しない。でも、解散は首相の権限ですから、解散がなければ僕たちに選ぶチャンスもありません。世界がどんどん変わっている状況にもかかわらず、今の政治の状況のままにそのままずっといなければいけない。これは、仕組みとしてやむを得ないのでしょうか。
佐々木: 政権を担当している以上、現実は常に変わっているわけですよ。例えば、マニフェストというものを何年か前に出しました。だけど、その時に頭に描いていた世界と、今とではかなり違う世界になってしまう、ということはあるわけです。従って、当然見直しをしたり、新しい政策を提案するということは、一定のスピードで動かない限り、とても結果が出せるような雰囲気にはならないわけです。何か、昔の手形を落とすことをやっていれば、政治になるという話は、私はむしろ極端なのではないかと思っています。
国政にリコール制度はないのか
工藤: 変更するのであれば、きちんと説明すればいいのに、もう見直しているにもかかわらず、秋までに見直すとか言っていますよね。
佐々木: だから、説明をして、もちろん国民の中にはそれはけしからん、という人もいる。しかし、そうだろうなと思う国民もいる。問題は、そこをきちんと説明をして、そして可能な限り納得してもらう、ということ以外に、政権を担っている人たちの責任の果たしようはないのだろうと思います。
工藤: そうですよね。すると、ここまで目に見える形で国会が膠着してるな、ということが分かると、地方自治体では、よくリコール制などのように、住民側が直接的に参加できるような仕組みがあります。一方の国政は、代議制ということで、私たちの代表だということの信頼があればいいのですが、その信頼が全部とまでは言わないまでも、全く無くなっている状況になると、仕組み上のミスマッチや用意が足りないような気もするのですが、それは政治的な問題にはなっていかないのでしょうか。
日本は選挙民主主義?
佐々木: おそらく、これも2つの考え方があります。解散という話もよく言われるのだけれど、「解散」という話になった途端に、頭の中が真っ白になる人たちばかりだから。そうなると、「結果」なんてどっかにいってしまうわけです。解散のときこそ、最も頭が冷静でなければいけないのだけど、日本では新聞も含めて、解散と言った途端に選挙だけになってしまう。だから、選挙民主主義なのですよね。頭が真っ白になるように、選挙に取り組む。だけど、国民にとって選挙は、次の政権をつくるための手段ですよね。だから、頭が真っ白になるのではなくて、色々なものが詰まっている中で選挙をやってもらわないといけないのだけど、国民も含めて、選挙になると頭が真っ白になるという伝統がなかなか無くならない。この辺も含めて、非常に未整理なのですよ。だから、おっしゃるように、選挙の時にこそ頭脳を充実させた上で、例えば何年間か任せて政治をやってもらう、ということが、私は成果が上がる道筋だと思います。もし、選挙になると、政治家、国民も含めて、頭の中が真っ白になるという話であるとすれば、やればやるほどひどくなっていくという可能性もあって、にわかにいい「結果」が出てくるとはいえません。問題は、選挙自体もさることながら、どのように選挙をやるのか、そのためにどんな準備を政党がするのか。こういった話とセットでなければ、どうぞみなさん意思表示をしていくださいと言われても、同じ話の繰り返しになりはしないだろうか、という心配がなかなか消えません。
工藤: 解散をするということは、確かに首相の専権事項ですが、国民側から、そろそろこの状況は厳しいので、国民に信を問うてもらえないかとか、そういうアプローチは、政治の仕組みとしてあり得ないのでしょうか。
佐々木: だから、例えば、憲法を改正するということとの関係で話題になった、国民投票法みたいなものを、少し適用範囲を広げるようなことを、場合によっては考えないといけない、という議論はもっとやってもいいかもしれませんね。ただ、これも、ポピュリズムだとか、何とかいう批判も出てくるので、それをどう使うかについて政治のほうで、冷静な判断があればいいと思います。要するに、政治の世界で、どうにも決着がつけにくい、あるいは、事柄が人間の本来の在り方に関わる問題などで決着がつかないので、国民の意思を聞きたいという事柄など、どのような事柄に限定するかを考える必要はありますが、やってもいいのではないかと思います。何かわけのわからないうちに、何でもダメになったということを続けられると、これはやはり具合は悪いと思います。自分たちは責任を持っています、と言っているけど、いつも決着をつけない。
工藤: 政治家が責任から逃げるのでは、どうしようもないですね。
佐々木: そこなのですよね。例えば、リコールの問題が地方議会では起こっていますけど、リコールが国政にもなじむのか。あるいは、6年間も議席を確保できる参議院をどうするのか。あるいは、衆議院は解散があるから、今の制度でいいというのだけど、参議院を別の制度にするという話もあるのかもしれませんが、よくわかりません。ただ、あまり議論はされていません。
僕らの代表を選ぶのが、選挙
工藤: そうですね。ただ、時代と共に民主主義を発展させるためは、政治の仕組みなど、色々と考えないといけないなという感じがしています。今、佐々木さんがおっしゃった中で、選挙の問題なのですが、選挙というものは、国民が代表を選ぶということで、本当に大事な機会だと思うのですが、政治側も有権者側も、選挙の大事さを何となく理解していないのではないかと思っています。例えば、政治側は、国民にいい候補者を立てて、しかもきちんと政策を説明して、成果を出したいから任せてくれ、という形になっているか。有権者側も、投票に行かない人も多いし、休みになると遊びにいってしまうというようなこともあるわけです。それでは、まずいわけですよね。佐々木さんの本を読んでいて思ったことですが、衆議院選挙の場合、投票者数の6分の1をとらないと当選できないわけですよね。そうすると、単純に言えば、投票率が60%だとすると、その6分の1ですから、投票者の10%で当選してしまうとう構図になってしまうわけですよね。佐々木さんの本にも書いてありましたが、例えば、その基準をもっと厳しくして、総有権者数の3分の1とかにすると、本当に激しいというか、本当に真剣にならないと当選しなくなりますし、多くの人たちがその人に託すということで、投票所に足を運ばないと当選できなくなりますよね。凄く緊張感が出ると思うのですが、こういう制度に変えるという一案ですよね。
競争を高める選挙制度とは
佐々木: 僕は、前からそういう制度も考えてみてはどうかと言っています。そうなると、多くの人に投票してもらえるように、候補者も相当いい人を揃えるようになりますよね。つまり、候補者供給側としての政党の態勢の問題ということが、今以上に厳しく問われるようになると思います。そうすると、その結果として、工藤さんが言われたような制度にすると、一番票を得たトップの人が、一定の得票数を獲得できなかった選挙区は、議員を持たないことになるのか。それとも、また再選挙をするのか。
工藤: 代表不在ということにすれば、それが議員削減になるわけですよね。
佐々木: そういうことになるのか、制度の作り方は色々ありますが...。
工藤: 議員の定数が、民主主義の仕組みと連動するというのは凄いですね。
佐々木: 私は、その辺を少し考えた方がいいと思います。そうしないと、どうも上っ面だけ修正すればいいのだ、という感じが残ってしまいます。そうすると、参加する側の意識も変わりません。要するに、選挙は、投票に行く人だけがマーケットのメンバーで、国民全員が選挙のマーケットだということとは違う、という既成事実ができあがっています。そうすると、対象が6割ちょっとでしかない。
工藤: それが当たり前になるから、初めから、選挙活動はそこに目標を設定して、やっていますよね。直接的利害者とか。
政党とは単なる議員の寄せ集めなのか
佐々木: だから、そのことを含めて、日本の場合は、政党というものが色々な意味で非常にお粗末だと思います。
工藤: 日本の場合、政党があって議員なのか、単なる議員の寄せ集めが政党なのか、ということが佐々木さんの本に書いてありました。そこまで言ったら言い過ぎかもしれませんが、後者に近いですよね。綱領もないところもありますから。
佐々木: ですから、唯一、マニフェストでとにかく何年間はこれでいこう、ということでも作ってもらわないと、候補者として出てこられても、この人何をやるのだろうね、という話になりますよね。だから、私も窮余の一策で、マニフェストをせめて作りなさいよと。
工藤: つくるプロセスが大事ですよね。
佐々木: ところが、組織力が非常に未熟なものだから、今度は作るプロセスが整っていない。
工藤: 5人ぐらいで作っちゃうとか、そういうのでは話にならないわけですよね。
佐々木: そういう意味で、マニフェストの作り方が充実する、そして内容が充実することと、候補者、特にトップリーダーの充実ということが、政党の最低限の条件なのだけど、これがなかなかできないのだよね。ですから、結局、国民もトップリーダーに対して、慢性的な不安感を抱くような感じが出てきているよね。これは、トップリーダーは、やはりつくらなければならない、という面も何割かはあると思うし、自ずから育つ面も何割とかね。これはどうしたらいいのかということについて、結局、各政党はルールがないし、それからキャリアパスもない。ですから、他の組織に比べて、非常に平等主義的で、何となく人が集まっている組織、という印象をぬぐえないですね。
競争を迫られるから政党は鍛えられる
工藤: 政党そのものもきちんと問われないといけませんね。佐々木さんが冒頭に言っていましたけど、「競争と結果」というのは、確かにいいですね。競争を迫られるから政党は鍛えられる。
佐々木: 競争するから、内部を鍛えて、マニフェストであれ人材であれ、鍛えられる。このメカニズムを潰してしまうと、ますますわけがわからなくなってきます。ここは、僕は譲れない点ですね。ただ、競争させるのだけど、さっぱり努力しないということになると、これはちょっと我々が外部から言っても、いかんともし難いところがあって、それは本人の問題でしょと、最近みんななりかけているところが残念だけどありますね。
工藤: やっぱり、競争のレベルをどんどん上げていくということも大事だし、一方で、それを見る有権者側の目も必要になりますね。
佐々木: その通りですね。
工藤: 一方で、成果をあげなければいけないという政治の仕組みをどうすればいいのか、ということも民主主義にとって重要だということですね。最後ですが、日本の民主主義が問われている中で、有権者には何が問われているのでしょうか。
今の現実と未来から目を背けるな
佐々木: 簡単に言いますと、有権者の目線は、今の話にもあるけれど、気分的には未来の日本社会は持続可能性があるものとして、どんな政策が、そして何が優先的に先行して、考えなければいけないか、ということを政治がどの程度受け止めているか。私は、これを見て頂きたいと思います。今ここの話は、いずれにしろ出てくるのですけど、「今」ばかりをやっていると、最後まで「今」と「ここ」しかないということになってしまいますよ。気がつくと、結局何もやっていなかったということになりかねないので、やはり政治は、「未来」というものから目を背けてはいけない、未来と今の現実から目を背けないということを、国民はきちんと見ているのだぞ、ということが伝わっていくような世論を望みたいと思いますね。
強い民主主義をつくる
工藤: 2週にわたって、佐々木さんと日本の民主主義について考えてきました。佐々木さんの発言のキーワードは、競争と成果を出す、あと、時代に合わせた民主主義。民主主義というのは、基本的人権や平等にとって非常に適合する仕組みだと。ただ、これを活かすもダメにするのも、僕たちだということなので、歴史的にできたこの仕組みを、どんどん活かして発展させていかなければいけないと思ったのですが、その時に、民主主義とか日本の未来もきちんと考えるというのは有権者自身だから、有権者の役割が非常に重要だということを、今、佐々木さんは言ってくれたのですね。僕もそう思います。もう一つ思ったのは、やはりインフラが重要ですよね。例えば、大学の先生やメディアなども含めて、権力とは距離を置いた形で、きちんと政治を監視したりする仕組みもなければいけない。そういうことがあって、総合的な国民の力を高めていくということが必要だと思っています。そのためには、僕たちが問われているという感じがします。僕も、何とかこの国の民主主義を前に進めたいと思っていますので、佐々木さん、これからもよろしくお願いします。今日はどうもありがとうございました。
佐々木: がんばってください。
工藤: ありがとうございます。
(文章・動画は収録内容を一部編集したものです。)
今回の「工藤泰志 言論のNPO」は、前回に引き続き、ゲストに元東京大学総長で学習院大学教授の佐々木毅さんをお迎えして、日本の民主主義社会はこの先どこに向かうのか、議論しました。