白石隆氏 第1話:「日本は外交戦略のインフラをどう整備するべきか」

2006年2月08日

日本は外交戦略のインフラをどう整備するべきか

 僕は、小泉さんという人はそれほど外交の人だとは思っておりません。基本的には、国の改革に政治的なエネルギーのほとんど注ぎ込んだ人で、国内の改革は非常に進んだけれどもに、外交は止まってしまった。では、外交はどうしてこういう状況になったのか。

 私は靖国参拝の問題を除けば、福田官房長官時代は良かったと思っています。靖国の問題が福田長官時代にこじれたのは、小泉さんが福田さんに相談しなかったからです。

 福田長官時代には、いろんな重要な外交案件はすべて福田官房長官のところで官房として見ており、いわば大統領制型の内閣として外交を指揮する体制が、福田さんという個人の資質によって担われていました。

 細田さんは外交が分からないというわけではありません。小泉さんとの関係において福田さんほどの力はないし、僕が見るところ、細田さんという人は戦略的にものを考える人というより、実務的にその時々の懸案をどう処理していくかということに非常に注意を注ぐ人だったように思います。その結果、気がついてみると、多くの問題について障りが出てしまった。これが基本的な評価だと思います。

 内閣改造が2003年7月に行われた時、山崎拓さんと川口元外務大臣が首相補佐官に任命され、町村さんが外務大臣なりました。あれを見たとき僕はこう考えたました。当時、日本政府には6つの大きな外交案件があった。1つは国連改革、それから日本の安保理常任理事国化、2つ目は日米同盟の維持、特にアメリカの軍事的な再編に対する日本の対応、3番目に日中関係、4番目が北朝鮮、拉致問題。5番目に北方領土、ロシア問題、6番目に東アジア経済連携ないし共同体、この6つの課題の中で小泉さんが本当にやりたかったのはおそらく日米関係と国連改革である、と。だから、国連問題については川口さんを補佐官にし、日米については山崎さんを補佐官にした。あとは関心がないか、出来ないと踏んで、町村さんに投げた。こう僕は読みました。その読みはそれほどはずれてなかったと思っています。

 ではその結果、何が起こったか。町村さんは、日中はできない、北朝鮮もできない、ロシアもできないということで、国連改革を自分の課題にした。しかし、国連改革も結局、うまく行かなかった。日米関係はとりあえずのところはうまくいってるけれども果たして米軍基地の移転問題で地方自治体の説得ができるかどうか、額賀長官は本当にたいへんだとおもいますが、いま非常に際どいところに来ている。東アジア共同体は日中、日韓関係に足をとられて結局意図したようには進んでない。こういうことで、外交はほとんど八方塞りに近い状態となっている。

 日本外交を考えるとき、なにがタクティカルな問題でなにがストラテジックな問題であるかを考えなければならない。大事なことはもちろんストラテジックな問題、戦略的な問題です。総理は分刻みのスケジュールで動く非常に忙しい人ですから、外交について本人が常々考える、ました調整するといったことはできないと思います。それをするのは官房長官だと思いますが、その下にきちんとしたスタッフ機能がないときには、福田さんのような能力のある人は別として、官房長官としてもやはりタクティカルな問題の処理に忙殺されてストラテジックな問題をきちんと考えるということはなかなかできないと思います。

 現在の問題は、誰が総理、官房長官になるかで、かなりの程度、外交の戦略性が決まってしまうシステムだということです。そこが財政・経済問題とは違うところで、こちらでは財政経済諮問会議が戦略的な政策決定の中心となってしまった。これは小泉さんの功績です。そういうものが外交ではない。
そういうものを外交でも作り、そこで骨太の外交の方針を作る、そういうシステムの編成がいまの大きな課題と思います。

 だから、僕は、内閣機能の強化ということで官房長官を補佐するようなチームを作り、官邸外交のシステムを整備するのがよいと思います。その上で、何は官邸がやり、何は外務省がやるか、そういう役割分担を考えることが重要になると思います。


※第2話は2/10(金)に掲載します。

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発言者

白石隆白石隆(政策研究大学院大学副学長・教授)
しらいし・たかし

1972年東京大学卒業、74年同大学より修士号を取得。79年東京大学教養学部助教授、87年コーネル大学助教授、96年同大学教授。98年京都大学東南アジア研究センター教授。経済産業研究所ファカルティフェローを兼務。主著に『海の帝国、アジアをどう考えるか』『インドネシア国家と政治』等。

 僕は、小泉さんという人はそれほど外交の人だとは思っておりません。基本的には、国の改革に政治的なエネルギーのほとんど注ぎ込んだ人で、国内の改革は非常に進んだけれどもに、外交は止まってしまった。では、外交はどうしてこういう状況になったのか。