「政治の指導者はナショナリズムに流されたり、あるようなことはすべきでない」
アジアの中で、われわれが取り組まなければならない課題はすいぶんありますが、現在、日本は中国と政治的にかなりまずい状況に陥っている。これを放置することは決して望ましくないと思います。
そこでまず申し上げたいことは、政治の指導者はナショナリズムに流されてはだめだ、ましてナショナリズムにおもねるようなことはしてはならないということです。ナショナリズムを抑える、そしてクールに、長期の国益の観点から外交を進めていく、またそのように国民を指導する、これが政治的リーダーシップに期待されることです。もちろんそのために具体的になにをするかというのは難しい問題ですが、靖国のような非常にわかりやすいシンボリックな問題を政治の争点にするというのは賢明でない。日本はこれについてはスネに傷のある身ですから、愚策と思います。
靖国参拝の問題が小泉さんにとってどれほどご本人の信念によるものかどうか、僕にはもちろん分かりません。しかし、この問題はこれまでのいきさつで小泉さんにとっては交渉できない問題になってしまった。だから小泉さんは心の問題だと言ってるんだと思います。しかし、次の総理かと目されている人たちには、これは議論できる問題である、肝心なことはお互い、ナショナリズムに流されないことである、と早く言ってほしい。外交には常に相手がおります。議論できるということになれば、相手も態度を変えてくる。そこではじめて次に向けての動きが始まる。そういう意味での柔軟性、これがいま必要とされています。
巨視的に見れば、この問題が最終的にどこに落ち着くか、もう見えてると思います。国民世論としてはその準備はもうできている。ただいつ落ち着くのか、今年、来年か、5年後か、それは分かりません。そして重要なのはそのタイミングです。
こうした事態を招いた責任の一端はもちろん小泉さんにありますが、かれだけの責任ではない。僕としては、小泉さんと並んで、江沢民前主席にも同じくらい責任があると思います。江沢民さんは二つの大きな間違いをした。ひとつは1997年から98年の経済危機の時にクリントンが日本パッシングをやった。中国はそれを歓迎し、日本は重要でないという態度をとった。これは日本人をずいぶん傷つけた。あのとき「江沢民という人はそういう人だ」ということになった、
もうひとつ、江沢民さんは小泉さんと最初に会ったときに、これだけ話のできる日本の首相はこの人がはじめてだ、といって大喜びした。ところがその後、小泉さんが靖国に2回行くと、会わなくなった。つまり、かれは靖国の問題と首脳会談をリンクさせたわけです。しかし、別にリンクさせる必要はなかった。靖国参拝は断固反対だ、だけど、会って、「反対だ、反対だ、反対だ」と言っても良かった。それをせずに、靖国と首脳会談をリンクさせ、それを胡錦濤に申し送って、胡錦濤としてはこれが踏み絵になってしまった。外交として非常に拙劣だと思います。
そういう意味で、中国の非常に硬直的な対日外交の責任者は江沢民のだと思います。しかし、そうはいっても、だから小泉さんに責任がないということではない。小泉さん自身、この問題について、長期の戦略的な観点から、官房長官と議論し、日本外交の一環としてこの問題を考えるべきだった。それをせず、外交の問題と切り離して靖国に行ったところに大きな問題がある。総理はこういうかたちでこの問題を「心の問題」、議論できない問題にしてしまった。
通常、政治家は「心の問題」というかたちで開き直るといったことはできるだけ避けようとするものです。そういう状況にならないようにするというのが政治家の基本であって、やはり総理は普通の政治家ではないということでしょう。中国は靖国の問題では譲りません。総理が靖国に行く限り、ポスト小泉においても首脳会談はやらなくていい、という態度をはっきりさせています。その意味で、最終的に靖国問題をどう処理するかは別として、これが「心の問題」ではなく、日中で議論できる問題だというシグナルを送ることがまず必要なことだと思います。
またついでに申しあげておきますと、靖国の問題はいずれは日米関係にもさわりがあるかもしれない。アメリカにとっても、総理が靖国に行くということは事実上、ポツダム宣言受諾という日本の終戦における行為そのものを否定する意味合いを持っています。したがって、総理の靖国参拝が望ましいとは決して思っていないし、先代のブッシュ大統領のように第二次大戦で実際に日本と戦った経験のある人、あるいはユダヤ人ロビーなどにとっては、日本はこの問題で戦後秩序の基礎について疑問を呈するのかという思いもあると思います。日本はポツダム宣言を受諾してサンフランシスコ条約に調印しこれを批准してその上に現在の日本がある。その意味で日本政府がこれに異議を呈するようなことは避けるべきだと思います。また戦争の過去とどう向き合うかというもっと広い問題については、現在、読売新聞の渡邊さんが提案しているような国民的な見直しが正論だと思います。
それから、最後に考えなくてはならないことは、総理において公人と私人という区別が成り立つかどうかという問題です。例えば外務省の局長が月刊誌か何かに論文を書くとします、その時に、「私は私人で、これは私人として書いてる」といって閣議決定と違うことを主張したら、多分、解任されると思います。小泉さんが今やっていることはそういうことです。日本の戦争の過去について日本国民と日本政府は悔悟の念をもって謝りますというのは閣議決定です。政府はそういう決定を村山内閣の時と去年と2回やっております。靖国に行くということは、本人がそれにどういう思い入れをしていようと、行為としては、これに疑義を呈するものとなっている。そういうことを総理はやるべきではないと思います。
※本テーマにおける白石隆さんの発言は以上です。
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※次回2/14(火)の発言者は加藤紘一氏です。引きつづきご期待ください。
発言者
白石隆(政策研究大学院大学副学長・教授)
しらいし・たかし
1972年東京大学卒業、74年同大学より修士号を取得。79年東京大学教養学部助教授、87年コーネル大学助教授、96年同大学教授。98年京都大学東南アジア研究センター教授。経済産業研究所ファカルティフェローを兼務。主著に『海の帝国、アジアをどう考えるか』『インドネシア国家と政治』等。
アジアの中で、われわれが取り組まなければならない課題はすいぶんありますが、現在、日本は中国と政治的にかなりまずい状況に陥っている。これを放置することは決して望ましくないと思います。そこでまず申し上げたいことは、政治の指導者はナショナリズムに流されては