松本健一氏 第2話:「ハンチントンとクリント・イーストウッド」

2007年3月12日

松本健一氏松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち

1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。

ハンチントンとクリント・イーストウッド

小泉さんは、本当は国民の前に、グローバル化した世界の中で日本はどのように生き残っていくのか、日本の固有性とは何なのか、そういうものは要らないのか、構造改革によってどういう国家、社会になっていくのかと提示しなければならなかった。つまり、問われていたのはナショナル・アイデンティティーだったのです。それを提示しようと、安倍氏なりに出した答えというのが、「美しい国」だということになるわけです。ですから、安倍政権は一応は答えを出しているのです。

アメリカのブッシュ大統領は、同じ問に対して、ハンチントンの「文明の衝突」の論理をそのまま戦略に使ったのです。アメリカを中心とする近代文明というものが、世界の幾つかの文明の中で一番いい価値を持っている。自由と民主主義と法の支配。一言で言えば、「リベラルな民主主義」を提示する。しかし、この民主というのは、日本もタイも、イギリスもインドも民主主義を理想としているわけで、このようなものは絵にかいた餅のようなものです。その国のやり方で民主主義を行ってしまうわけです。

イランのアフマデネジャドですら、我々を独裁国と言うのはおかしい、民主主義投票によって自分は選ばれている、と言っています。リベラルデモクラシーと言っても、色々なやり方があるし、単に手続手段であるという考え方もできる。その国その国によって全部違う形の結果を出してくるわけです。民主投票すれば民主主義的な人間が選ばれるかといえば、独裁的な人間が選ばれることもある。

ハンチントンが出した思想は何かといえば、我々のアイデンティティー、リベラルな民主主義の本質を表明するには、その敵は誰かと設定すればいいというのです。それがブッシュの戦略の基になった。そうすると、要するにイラクであり、フセイン、イランのアフマデネジャドや北朝鮮の金正日であると敵を設定して、その敵をたたけば、我々の自由な民主主義の敵を悪という形で弾劾、攻撃できる。そこで、アメリカ人は自分たちの自由な民主主義にアイデンティティーを抱くことができるという構図になるわけです。

アメリカが自由な民主主義の国であるという証明は、外にその敵を設定すればいいという戦略になる。それはアメリカの病理のようなものです。第二次大戦中は日本が敵であり、戦後になると共産主義のソ連が悪の帝国である。共産主義の勢力によって自由を侵しつつある北ベトナムが敵であると設定した。そういう形で、常に外に敵を設定することになった。つまり、あのような多人種、多民族、多文化、そしてそれぞれの文化を保持している国では、内なるアイデンティティーが困難なわけです。ですから、余計に外に敵を設定する戦略になる。

この戦略に対してある意味で異を唱えたのが、映画の「ミリオンダラー・ベイビー」でした。これは安倍氏自身が私の解説文を著書の「美しい国」で引用しているため、私も触れますが、映画自体は、娘を失って孤独になっている初老のトレーナーと、それから自分のアイデンティティーがない、30歳になって相変わらずレジ打ちをやっている女性、つまり、自分の居場所とかアイデンティティーという自分の誇りの根源がない女性が一緒に、要するに誇りを取り戻していくためにボクシングをやるわけです。ドラマ自体は悲しい結末で安楽死の映画と捉える人がいるかも知れませんが、その答えを、女性が誇りを見出していくテーマだと捉えれば、これは悲しい映画ではないのです。そして、そこに重複して設定されていたのは、つまりグローバル化した世界の中で、アメリカがいかに生き残っていくのか、というテーマでした。

その背景となっているのは、アイルランド人の物語です。アメリカが自由と民主主義の国であると思って、自由やチャンスを求めてみんなアメリカに来たが、我々アイルランド人だけは、もともと何も持っていない中でそういうアメリカをつくった、という思いがある。

アイルランドは農業も牧畜もできない土地であるのです。だから、みんな財産を持たないで、言ってみればこぶし1つだけで、つまり肉体だけでアメリカに渡ってきた人々なんですね。その代表が言ってみればケネディ一家や、あるいはレーガンもそうだけれども、とにかくアイリッシュ系ということは、要するにもともと何も持たないで国を出てきた、そしてすべての人間に機会がある自由な民主主義の国というものを自分たちがつくったという自負がある。つまり、アメリカの内なるナショナル・アイデンティティーというのは、本当はあるんだ。その代表的なシンボル的な存在がアイリッシュ・アメリカンの歴史だ、という思いがある。

だから、第二次世界大戦が始まってくるような時期につくられたのが、アイルランド移民の「風と共に去りぬ」なのです。

あれは昭和14年、つまり、もう欧州では戦争が始まり始めたときの映画です。アメリカはその前に世界大恐慌があるし、そのもっと前の第1次大戦後はバブルもあった。それがはじけて欧州は英仏対独の戦争が始まり、ひどい時代になっているということで、アメリカの一体性が失われているわけです。戦争にも、ナチス・ドイツを敵としてイギリス側に参加していくわけだけれども、それとともに、内なるアメリカの物語を再確認しようというのが「風とともに去りぬ」なんです。これは、スカーレットが「タラに帰ろう」と何度も言うわけでしょう。何か失敗すると、必ずタラに帰ろう、タラの農場に帰ろうと言うでしょう。タラというのは、アイルランドの民族的聖地の名前です。それで、なおかつスカーレットが南北戦争に敗け、財産を失い、レッド・バトラーが帰ってくる時に、落ちぶれたという格好は見せたくないというので、焼け残ったカーテンでドレスをつくるでしょう。あれが何かというと、ナショナルカラーのアイリッシュ・グリーンなんです。私にはアイルランド人の誇りしかない。他に何も持っていないけれども、誇りを持って生きていく、という物語なのです。

戦争とか危機的な状況になって内部が分裂しそうになるときに、アメリカでは外に敵をつくってたたけばいいという考え方と、いや、そうではなく、内なるアイデンティティーの物語をもう1度再確認しようという考え方が出てくるわけです。

「ミリオンダラー・ベイビー」がまさにイラク戦争のような危機的状況につくられたのは、クリント・イーストウッドがある意味ではブッシュ以上の戦略家であるとも言えるわけです。軍事力によってではなく、文化力によってアメリカを再構築した、ともいえる。

ハンチントンはユダヤ系アメリカ人です。地球上で自らのパトリを失ったユダヤ人は、世界を1つの原理にしてゆくべきだ、と考える。それゆえ、アメリカが世界で一人勝ち残っていくため、まず自らの外に、自由と民主主義の敵をつくれば、アメリカは一体化できると考える。ところが、クリント・イーストウッドの方は、そういうユダヤ系とは全く逆に、アイリッシュ系という我々のところにアメリカの根源がある、イギリス人はアメリカを占領したけれども、アイルランド人はアメリカをつくった、というふうに伝説をつくるわけです。だからこそ、この「ミリオンダラー・ベイビー」はアメリカのアイデンティティー再構築の物語だと私は書いたのです。安倍さんは、その意味がすぐにわかって、それを「美しい国」に使いました。つまり、世界の国々が今問われているのは、アメリカを含めて、ナショナル・アイデンティティーの再構築だ、という認識が安倍氏にはあるのです。

クリント・イーストウッドの「硫黄島」で描いた物語についていえば、一方の「父親たちの星条旗」という作品は、まさにイラク戦争への批判でした。国家が戦争という状況の中において、いかにヒーローをつくり出すか。アメリカ国民のヒーローをつくり出して、我々がやっている戦争はこんなに美しい、正義の戦争であると宣伝する。これが要するに我々の民族の今やっていることであると。そこにいろいろ多人種、他民族、多文化の人々を登場させ、こうした色々な人が集まってアメリカをつくった、この硫黄島の戦争もそうだ。こういうヒーロー達が苦労してかち取った戦争の勝利なんだ、という演出です。そのために、そういうヒーロー達をつくり出して、全国でイベントをやり、アメリカの「正義」の戦争に、みんなの金を出させるわけです。国の債券を買う、ボランティアでおカネを集める。つまり、国家が戦争で商売しているのです。硫黄島にアメリカ国旗を立てたという物語、ヒーロー達が苦労してかち取った勝利なのだから、国民はもっと金を出せというふうに宣伝して、常に国民をごまかしているのが国家である。イラク戦争で、女性兵士のヒーローをつくり出したのも、これと同じ構図です。

逆に、もう一方の「硫黄島からの手紙」は日本のあの当時の非民主的な体制はひどかったけれども、日本の兵士たちもそのように常に国家の正義に駆り立てられて戦争で苦しい思いをしていた。補給もなく、5日で全滅すると言われていた硫黄島を36日間持ちこたえさせたと。やはり戦場において一番悲惨な目に遭うのは、そういう兵士=国民なのであると言っているのです。

イーストウッドはイラク戦争の批判は一言もしていませんが、見ている人は今のアメリカの戦争状況と二重映しに受けとるわけです。

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小泉さんは、本当は国民の前に、グローバル化した世界の中で日本はどのように生き残っていくのか、日本の固有性とは何なのか、そういうものは要らないのか、構造改革によってどういう国家、社会になっていくのかと提示しなければならなかった。つまり、問われていたのはナショナル