佐々木毅氏 第3話:「安倍政権は新しい働き方、ライフプランのデザインを提起すべき」

2007年2月14日

070212_sasaki.jpg佐々木毅(東京大学前総長・学習院大学教授,21世紀臨調共同代表,言論NPOアドバイザリーボードメンバー)
ささき・たけし

1942年生まれ。65年東京大学法学部卒。東京大学助教授を経て、78年より同教授。2001年より05年まで東京大学第27代総長。法学博士。専門は政治思想史。主な著書に「プラトンの呪縛」「政治に何ができるか」等。

安倍政権は新しい働き方、ライフプランのデザインを提起すべき

私が冒頭で今の日本が「凌がないといけない局面」だと言ったのは、格差なども含めて国民は生活に大きな変化を感じ始めているのに、そこに正面から向かい合って答えをだそうとしていないからだ。格差の問題というのは、広範な力の作用の結果なので単純な応急対策では答えにならない。

国民の犠牲をできるだけ少なくして、最低限のサポートをきちっと政府がやる仕組みをつくりますというのなら、これは1つの考え方となる。後はあなた方が自分でやってくださいよと。例えば、格差の全部とは言わないけれども、この部分についてはこれだけサポートしますよというのは具体的な話。そうした具体的な約束をしながら、凌いでもらって出口の姿を明らかにする。そうした説明はまだ安倍政権から聞こえてこない。

多分、そのときにコアになるのは、人間の働き方、人間の一生の送り方について、今までの経済システムのままではうまくいかないということであれば、新しい姿を描く必要がある。どんな生き方をするか、どんな働き方をするか、どんなことを勉強するか、教育はどうするか、これは全部つながっている話だと思う。

そういう意味で、昔に戻る話をしていてもだめなので、そこは「さようなら」をして、次へ移らなければいけない。

これからの「美しい国」をつくるためにどうするか。「美しい国」それ自体に反対する必要はないけど昔ではなくてこれからの「美しい国」をつくるという話が今、問われていると思う。

そのためには、格差の問題はもちろんあるが、安倍氏は政府の役割を積極的に打ち出したいというのなら、これをやるという話をはっきり出すべきだと思う。ほかのことはやらないならやらないでいい。何でもやるような風潮はよくないと思う。

小泉さんの次の政権は政府をある種、社会の中の安定要因にする努力も必要なので、社会保障のある部分には税金を使ってでもやりますと、そういうことを一方でやりながら、他方では個人に努力を着実に求めて、あとは自分たちで切り開いていってもらうような仕掛けをつくらないといけないと思う。

つまり、私が言う「凌ぐということ」の中身は、広い意味での国民生活のインフラのデザインみたいな話について、国民と向かい合って話をすることに他ならない。

再チャレンジできる社会とは言うが、全体の姿をどう設計するのかがないとちょぼちょぼした話しか出てこない。今の日本で一番難しい問題は、究極的に個人の生き方、働き方、この仕組みをどうつくるか、と私は思っている。


小泉さんは壊した、昔はよかったねという話をやっていたのでは、これはいつまでたっても同じ話なので、これを作り直す段階に入っていると私は考えている。

かく言う私は、公務員の労働基本権の座長を昨年からやらされている。実はこれも新しい姿を描くコアの問題だと思う。どういう働き方をするのが公務員なのか。今まで通りでいいのか。いや、この際、頭を切りかえた方がいいのかと。それから、中央政府の公務員と地方自治体の公務員を同じルールで扱う必要がないのかあるのか。私は、今そこがどうも一番の基本かなと思い始めている。

ここを20世紀型から21世紀型に転換するというのが一番コアの問題ではないかと私は考えている。それに見合った形でいろんな制度をある程度整備する。それから、必要な財源は投入するということをやって、その成果がうまく花咲くかどうかは頑張り次第だが、それが花開くまではとにかく政府は凌いでいく。結果は約束されたものではないかもしれない。しかし、その辺まで切り込んでやらないと、次の姿を描けない。


日本人の働き方ということを考えると、民間の問題もあるんだけど、やはり公務員というのは結構インパクトがあって、公務が変われば、民間もさらに変わるかもしれない。格差の問題やいろんな問題も、究極的には働き方と働くチャンス、その選択肢とか、それを支える社会のいろんなインフラや、こういったものがどうなるかということと相関関係している。

別の言い方で言えば、社会の新しいあり方に向けて政府部門なり公共部門のあり方に答えを出すことが問われていると私は考えている。


「美しい国」がいいか悪いかはともかくとして、そういう大目標は100年先になるか50年先の話かもしれない。しかし、その前に中目標があって、コアの問題はこういうことだとし、その周りにいろんなものを関連づけながらやるというふうに頭を整理すべきではないかと私は思っている。

その中での教育改革はどうかという話になるわけで、いじめはよくないと思うけれども、いじめ、いじめとやっていると、いじめ退治みたいな話になって、それは悪いことではないけれども、問題の脈絡というものが見えなくなる。


小泉さんとは違う色を出したいということ自体、私は悪いことではないと思う。ただ、そのときに何を中核的な問題群として受けとめるかということだと思う。

いろんな枝の問題には安倍氏はいろいろ気がついていたのかもしれない。これは1つである必要はないが、どうも見ていると、問題の根源は一体どこにあるのかを、我々の日々の生活に着目した形でそれを捉えているとは思えない。

この作業は単純ではない。それは総理が、この問題が基本課題であるというものを見つけなくてはならない。

横に並列してあったものは、実はこれは一つの問題群なのだというふうに整理して、国民に説明する必要がある。「憲法改正」だ、「美しい国」だというのがそのコアなのか、これは目標なのか、何が政策課題の中心テーマなのかということについて、もう一段二段絞って国民に伝えないと、いろんなものがただ五月雨式に流されているという感じをぬぐい切れない。つまり政策上のグリップが効いていない。

佐々木毅(東京大学前総長・学習院大学教授,21世紀臨調共同代表,言論NPOアドバイザリーボードメンバー)