塩崎恭久 (衆議院議員)
しおざき・やすひさ
1950年生まれ。東京大学教養学部卒業、ハーバード大学行政学大学院修了(行政学修士)。75年日本銀行入行。93年衆議院初当選。大蔵政務次官、自民党法務部会長、外交部会長等を歴任。現在、自民党財務金融部会長。主な提言・寄稿に「日本版SECを創設せよ」「金融動乱第二幕は資産市場の再構築がカギ」等
林芳正 (参議院議員)
はやし・よしまさ
1961年生まれ。84年東京大学法学部卒。三井物産を経て、94年ハーバード大学大学院修。95年参議院議員に初当選。91年に米国留学中、マンスフィールド法案を手がけた。現在、自由民主党行政改革推進本部事務局長。
渡辺喜美 (衆議院議員)
わたなべ・よしみ
1952年生まれ。早稲田大学政経学部、中央大学法学部卒。故渡辺美智雄秘書。通産相・外相秘書官を歴任し、96年に初当選。衆議院財務金融委員会理事、自民党金融調査会事務局長等を歴任。著書に『日本起死回生トータルプラン』(共著)、『反資産デフレの政治経済学』、『日本はまだまだ捨てたものじゃない』など。
概要
次の総選挙の争点はどう描かれるのか。自民党の3人の政治家が今回の総裁選や小泉改革を評価し、マニフェスト型政治を巡る議論に参加した。小泉改革が問題の本質への洞察を欠き、政策の優先順位を間違え、構造改革に伴う痛みや国民負担の問題を先送りしていることなどが痛烈に批判される。派閥政治についての見解や日本の新しいガバナンスのあり方に加え、マニフェスト政治の実現に必要な条件や、今後争点とすべき政策の柱について、3氏それぞれが自らの主張をぶつけ合う。
工藤 私たちは政党の政権公約の評価作業を行っていますが、自民党の「若手」議員の皆さんにも考えを伺えないかと思いました。先の総裁選挙の総括に加え、11月に予定される総選挙では何を争点にすべきか、さらにマニフェスト型の政治を目指すためにはどんな課題があるのか。本音ベースで話していただければと思います。
まず先の総裁選挙についてです。小泉首相は結果として派閥を解体させ、「自民党を壊した」との解説がなされていますが、そのような評価をどう見ていますか。同時に気になるのは、自民党のマニフェストの原型がこの総裁選で描かれたかどうかです。
今回の自民党総裁選挙を総括する
塩崎 総裁選挙では選挙なしで小泉再選という話すら可能性としてあったと思いますので、その意味では、総裁選挙はやってよかったというのが最初の感想です。ただ、中身を見てみると、渡辺喜美さんを始め、若手から誰かを出そうという話があったのにそれが実現しなかった。この背景には、小泉改革はやりすぎではなく、むしろまだ足りない、そうした立場から議論が必要だという思いがあったわけです。小泉総理はやり過ぎで、その足を引っ張るという議論しか自民党という政党はできないのかと言われる。そう見られるのは本意ではないので、さらに改革を加速する、という立場から球を打っていく議論が必要だった。総裁選挙ではそれが抜けてしまったことが非常に残念だと思います。
マニフェストの公約を選択するということでは、候補者がそれを意識したということでは方向としては非常に良いと思いますが、世界的なレベルで見たマニフェストと呼ばれているものと比べて見ると、内容は現実的ではなく、具体性にも欠けており、これでは十分な約束にならないというものが多かった。ただ、マニフェストの提示なくしては日本の代表には成り得ないという確認が国民の中でも改めて進んできていることについては、日本の民主主義として若干の進歩ではないかと思います。
渡辺 私は、かねてから第三の道を模索してきました。小泉改革対抵抗勢力というのはいわば劇場政治的な構図で、現実にこの国に必要な対立軸からはピントが外れている。小泉路線というものは、実は20年ぐらい前の発想で政治的な優先順位づけが行われているものではないかと考えています。中曽根内閣の頃に民営化、規制緩和、競争促進、財政再建というモデルで日本を再生しようとした。その発想が小泉路線にも極めて色濃いのです。一方、亀井静香さんは40年ぐらい前の発想をしていて、それは東京オリンピックが終わった後、日本が不景気になって建設国債を発行して株価も持ち直した時期の発想と同じように見える。
いずれにしても、この60年代モデルや80年代モデルでは日本の再生などできないというのが、私の基本的な認識です。今の日本は、デフレと過剰債務が悪循環を起こして、長期にわたる低成長経済に陥っているわけです。そこでは需要と供給のミスマッチが極めて膨大になってしまっている。総裁選で出された議論は、需要をつけるかつけないかという議論だけで、過剰な供給サイドをどう削減していくかという踏み込んだ議論は、高村さんが少しだけ話された程度で本格的な議論がなされなかった。私も小泉総理に質問する機会がありましたので、率直に聞いたのですが、ほとんどノーアイデアでした。これは戦略がないというよりも、問題を先送りすることしか小泉総理は考えていない。名目2%成長を達成するのに財政による追加需要政策を採らないと言う。だとすると日銀マネーを今よりも供給することになり、事実上のインフレターゲット論がもはや既に採用されている状況だと私は思います。結局、株も上がるが、長期金利も上昇してしまうということになり、それが既に起こり始めている。つまり、過剰債務や不良債権という前門のトラが解決されていないときに、長期金利上昇という後門のオオカミが出てきて、トラとオオカミが一遍に暴れ出すシナリオが現実のものになってしまう可能性が出ているわけです。
こうした場合には、日本経済の病気がさらに悪い段階に進んでしまうことになりかねないため、やはり小泉改革はピント外れだなという感じがしています。
若手の出馬はなぜ不発となったか
渡辺 自民党の政治モデルを変えようという我々の動きは残念ながら不発に終わりました。総裁選に立候補するには20人の推薦人が必要で、我々若手から出そうということで18人まで集まりましたが、あと2人がどうしても集まらなかった。初めに誰を出すか決めずに21人が集まって、そこで誰を出すかを投票で決めようと考えたのですが、そのやり方は最後には踏ん張りがきかなかった。やはり候補がマニフェストを掲げて20人を集めるという正攻法でやりたかったという思いがしました。
派閥は相変わらず高くて厚い壁であり、解体の方向に向かったのは橋本派だけです。堀内派がそれに続きましたが、主流派と言われる森派、山崎派、加藤派は一致団結箱で1人の落ちこぼれもなく、我々のアタックを跳ね除けました。早い話が、橋本派、つまり旧経世会が権力の中心であったものが、森派(清和会)にその中心が移ったというだけです。
塩崎 私もお誘いは随分受けましたが、今、渡辺さんが言われたように、21人集まったら誰にしようか決めようという話が途中から出てきたところで、これはなかなか難しいと私は思いました。結婚することを決めて、ところで誰と結婚するかという話とこれではほとんど同じで、候補を立てることが目的となってしまっている。これではいけない。やはり理念がまず先にあってこの理念なら一緒にやろうというスクラムが組めなくてはならない。マニフェストというのは、元々そういうものだと思います。従って、例えば渡辺さんがマニフェストを掲げて推薦人が20人集まるという形でやればよかったと思う。集まって最後に投票で決めようということでは力が出ない。
渡辺 7月7日に政治資金パーティーを開いたのですが、そこでは出馬表明したわけでも何でもないのですが、次の日の新聞に出馬の意欲表明と書かれてしまった。その結果、私の友人たちが大変な弾圧を受けてしまった。特に選挙基盤の固まらない当選1回組の人たちは、君は小泉総理と渡辺喜美とどっちをとるのか、などと迫られた人もいました。官邸筋からそういったお声がかかれば、皆さん躊躇してしまうわけです。「渡辺の推薦人になるのなら選挙の応援はないと思え」とはっきり言われた人もいる。手を挙げて20人集めるというやり方では弾圧に次ぐ弾圧で皆さん死んでしまうということが明らかになったわけです。
そこで私は、死んだふりで成り行きに任せていたわけです。私の友人達は弾圧を受けないようにきれいに上手にやるには、とにかく世代交代、73歳比例区定年制、予備選挙導入といったハードルだけで集まって、その上で投票で候補を決めたらいいではないかと考え、青年局という党組織を使った運動に転換したというのが経緯でした。しかし、誰を出すかは投票で決めるというルールがネックになって、最後の踏ん張りがきかずにあと2名、正確に言うと、あと1名足りなかったということでした。
林 私もお誘いがあったときに、塩崎さんが言われたこととほとんど同じことを申し上げました。まずマニフェストを掲げ、この人で戦うということでなければならない。誰でもいいから推薦人に名前を出すというのは、やはりできないということがありました。20人というのは名前が出ますから、その他大勢とは違うわけです。今回、私は高村先生の選挙をお手伝いして「チーム」ということが大切だと思いました。そうした言葉が選挙の中で出てきたのですが、これは親分というよりも、政権のチームということです。こうした言葉が出始めたことが重要で、これは田中角栄より前の派閥の原型に戻る過程かもしれないなと私は思っています。総理が1人決まってあとは何も決まってないというのはむしろ恐ろしいこと。アメリカでも大統領が決まったときには政権チームを持ってくるわけですね。総裁選挙が来月あるから誰にしようかということではなく、日頃から一緒に議論をし、同士的な結合があって、信頼関係がなければ、数のためにサインして、これでやってくれというわけにいかないと思います。そうした信頼関係がある人が10人~20人は必要ということではないかと思います。
「派閥政治」は終わりつつあるのか
林 昔の派閥というものはそのような固まりであり、それ以外に全くどこにも入ってない人も半分ぐらい自民党の中にいたというのが元々の姿だった。政治資金や候補者数、ポストを分配するという機能は、後からついてきた派閥の機能だと思う。派閥は元々総理をこの人にしようと思って集まっていたところから始まったのであり、今の状況はその原点に戻っていく過程のような気がしています。河野グループや高村派というものは15人ぐらいしかいないのですが、そのような形で普段からずっと集まっていた。そういうセットが何セットか党内にいつでもあることの方が、やはり政権与党としては安定感があるのではないか。
私が高村さんについて少し心配していたのは、海部さんのようになってしまうのではないかということでした。あの頃、海部さんは三木派で、総主流派体制に担がれ、当時の幹事長は「御輿は軽くてパアの方がいい」と言い放っていた。彼は御輿に乗るしかなかったわけです。では、今度はどうかというと一番小さいグループから出た人が最大派閥と言われていた候補よりも善戦をするという状況があるわけです。そういう姿を我々若手としてどう受けとめるかという、いいプロトタイプになるのではないかと思います。
マニフェストは大切ですが、それだけでもだめで、最後は任せるという部分があると思います。数値目標や手段を描くという部分と、例えば外交問題など、どういう事態を想定するかわかりませんが、何かあったときには総理に任せるという部分とがある。つまり、これはトラスト(信託)です。そういう側面はマニフェストではカバーし切れない。そのためにも誰に任せるのかの個人の固有名詞、それに加えてマニフェストだと考えています。
工藤 渡辺さんは結局、派閥は森派主流なっただけとの指摘でしたが、それは新しい流れの一歩という認識ですか。
渡辺 今はその過渡期ではあるとは思います。しかし、小泉総理ご自身の頭の中は九割以上、派閥パラダイムなのです。今回も森喜朗さんが青木さんや堀内さんの取込みに動いて、小泉主流派体制の確立に大変貢献をされたわけです。結局、小泉氏自身も大蔵族的議員歴が示すように、竹下派とのつき合いが深かったわけです。ですから、明らかに今までの派閥政治の延長線にあるのですが、格好だけは、派閥政治は壊れていると言っている。しかし、橋本派が相当解体過程に向かったという点で過渡期の流動化傾向が出てきたとは言えます。また、安倍幹事長の大抜擢や、派閥推薦を無視した同じ当選3回組の大臣起用で内閣支持率は再び暴騰しました。このことは、小泉新内閣が「世代交代」と「派閥解体」を国民向けに言い続けざるを得ない宿命をおびたとも言え、私のような当選2回の無派閥人間にとっては大歓迎です。
塩崎 林さんが、派閥について歴史的な考察も含めて指摘されましたが、これまでは選挙とカネと人事の三つが派閥の機能だと言われたわけです。その機能で見てみると、人事は明らかに残っている。カネは以前に比べるとはるかに関係なくなった。今回決定的に変わったのは選挙です。かつての中選挙区では派閥の応援で何とか当選するということが結構多かったのが、今はむしろ政権の顔の応援でなければ小選挙区では勝てないという状況になってきた。今回の総裁候補の組み合わせでは、誰がどう考えても、小泉さんの方が選挙にはいいように見える。いわば、派閥の目的である三つのうちの選挙の部分で、派閥にこだわっても意味がないということになったと思うのです。
従って、選挙を見通せば、これは明らかに小泉さんを支持した方がいいと考える人たちが派閥をはみ出たという格好になっている。ただ、実はそれが派閥の解体にそれほど大きな結果を生み出すことにはならず、また元のような形になると思っています。我々は、政治システム改革の中で党の人事委員会というものを確立しなければ駄目だと言っていたのですが、今回も人事はやはり派閥が窓口になっている。無派閥であっては人事について何の希望も聞いてくれないということになる。基本的にはそのような仕組みは変わっていないわけで、ここで派閥が終わったと考えるのはまだ早いと思っています。
小泉改革をどう評価するか
工藤 小泉改革についてはどう評価していますか。また、問題があるとすればそれをどうすれば直すことができるとお考えですか。
塩崎 冷静に考えれば、例えば、道路公団の改革でも民営化というものが自己目的化されていて中身がないではないかと言われつつも、藤井総裁に「私が一番の民営化推進論者だ」ということを言わせるところまで持っていけたのは革命的なことだと思います。昔、財投の見直しを党内で議論したときに、料金プール制の廃止を方針に入れたら、総務会などを通っているうちに党内でボコボコに言われて駄目になったことがある。しかし、今回は分割民営化ということで、全国プール制は少なくともやめるということになった。空港の民営化も、私も何度も財務省や昔の運輸省に言ってきたのですが、全く相手にされなかった。それが今回は民営化が決まっている。色々な評価はありますが、少なくとも今までの自民党政権ではあり得なかったことが幾つか入ってきたことは間違いないと思います。
ただ、最大の問題は今、日本で社会保障や財政などの問題が議論される中で、結局、何が問題かというと、それは民間経済が駄目になっていることなのです。そこの構造改革こそが大事であって、渡辺さんと私がこれまで言ってきたように金融再生と産業再生とを一体で進め、供給サイドと需要サイドの両面を立て直していかなければならない。それをしない限りは成長もないし、財政再建もあり得ない。成長がなければ、社会保障も年金、医療、福祉のいずれにおいても、どんどん縮小均衡の後ろ向きの解しか出てこないということになる。本当の問題は何なのかという分析の欠落と、優先順位のつけ間違え、このことが小泉改革のマイナス面としては決定的だと思います。
政治家というものは1人で全部できるものではなく、林さんが言われるチームというものが絶対に大事です。政策決定過程を現在の時代に即したものに変え、日本のガバナンスを変えていかない限り、改革というものは進まない。外交もそうです。FTA(自由貿易協定)の問題も各役所が言いたい放題言って、そこに応援団の族議員の人たちが引っ張り合っているだけです。それを壊し、新たな形にまとめあげる人が本当は政権のど真ん中、すなわち官邸にいなければならない。これはやはりチームがなければ無理です。
小泉改革には改革のエネルギーとパワーは十分にあります。改革という言葉が先に出てきますが、そのためには自動車に例えるとトランスミッションもハンドルもブレーキも、何もかも要るわけです。それがフルセットで用意されていないままにエンジンが回って、それをうまく導いていくガバナンスの仕組みというものが欠落していた。財務省の財政再建路線をあまりにも前面に出しながら、全てのものにとりあえずの答えを出していこうとしているところに歪みが出てきている。そこを直すようなチーム陣立てというものを考えていかなければ、心配なことになるのではないか。
渡辺 クルマの喩えを私流にアレンジしますと、ボディーとカラーは実に目も鮮やかなぐらいに変わりましたが、そのクルマを動かしているエンジン、内燃機関が相変わらず昔のままの旧式ぽんこつエンジンなのです。内実は何も変わっていない。そのため、アリバイづくり的な改革に終わってしまっている。小泉改革というのは特に目新しいことは何もなく、橋本六大改革の延長線にあることばかりです。道路と郵政がとりわけ政治的優先順位づけが高い問題として取り上げられていますが、これは私に言わせると、憎しみの構造改革論です。派閥的怨念の政治であり、橋本派の利権構造をぶち壊すことこそが構造改革になっている。道路と郵政だというのは、大衆的にはとてもわかりやすく、小泉さんの人気の秘密はそのあたりにあると思いますが、こうした優先順位づけはピントがずれており、まず何から始めるかというと、産業、金融の一体再生から始めて民間が元気にならなければならない。
問題の本質に切り込むことこそを第一にしなければならないのに、小泉改革においては、今は危機ではない、現に改革が進んで経済が上向きになってきているではないかと称して、いわば臭いものに蓋をしてしまうということが行われている。民間にできることは民間にという呪文を唱えているのは、いわば悪い病気にかかった患者に、メスは自分で握って自分の腹を切りなさいと言っているに等しい。過剰債務の本丸はまさに地方であり、中小企業です。こういう部分にメスを入れない限り、デフレは止まらない。過剰債務問題それ自体がまさしく戦後日本の資本主義を代表する構造問題なのですから、優先順位の再チェックが必要です。そして、この問題の解決にはお金がかかるということを腹をくくって容認しなければなりません。
小泉改革が一見順調に進んでいるかの如く見えるのは、世界的に見ればブッシュ幕藩体制の中で小泉藩がブッシュ幕藩のおこぼれをもらって上向いているからです。アメリカ頼みの経済が少し順調になってきているというだけの話です。今、景気循環のサイクルが20世紀とは比べものにならないほど短くなってきていることや、日本の貿易黒字も実は企業内取引にほとんど依存した、実質的に貿易収支は赤字だという状態に鑑みれば、今の景気回復は長続きするわけがないという感じがします。結局、マクロ政策は柔軟にやればいいだけの話です。 構造問題に取り組むということは大変な痛みを伴うはずであり、実は供給の削減にしても、年金、社会保障の構造改革に消費税アップは避けて通れないという問題にしても、その痛みの部分について小泉総理は何も言わない。臭いものに蓋です。逆に言えばそのことこそが次の対立軸であり、争点にしていかなければならないということです。
林 総裁選挙のときに私は小泉総理に対して色々な説明の仕方をしました。1つはドン・キホーテです。鎧をまとい、ファイティング・スピリットもあり、腕力もあると思うが、怪物だと思っているのが実は水車で、水車の中に本当は大事な人が住んでいる。政策の細かいところは党で色々な人が随分苦労してまとめているのですが、それをしようとすると抵抗勢力と呼ばれるのでもう馬鹿らしいからやらないという状況に党内もなりつつある。これは非常に危うい状況です。だが、そうは言っても昔では考えられないようなことがスタート地点になったのも事実だと思う。これは、やはり小泉さんの功績です。音楽に喩えますと小泉さんというのはプレスリーのようなもの。我々、次の世代はビートルズです。プレスリーの次にビートルズが出てくるわけですが、確かにその前の世代のシナトラのようなタイプから見れば感じがかなり変わったし、音楽の質も、ロックというのが初めて確立していく。塩崎さんが指摘された道路公団の料金プール制などというのは、エレキギターのようなもので、「エレキなんてとんでもない、髪の毛伸ばしやがって」と言っていたのが、ロックは最近は教科書に出るまでになったわけです。そのきっかけをつくったという意味では、小泉さんの功績は非常に大きかった。
ただ、いかんせんプレスリーは自分で曲をつくらない。人が書いた曲で演じる。プロデューサーやソングライターがいる。なぜビートルズなのかというと、オーケストラなどバックに色々とつくこともありますが、基本は自分たちだけでつくって自分たちだけで演奏する。ここが一番大きな違いです。ですから、やはり長い間支持もあり、後世に残った。これは政策を自分でつくっているか、誰かが書いてこうやりなさいと言っているかという大きな違いで、私はこの喩えの方がドン・キホーテより気に入っている。もし小泉首相がプレスリーで暫く行くとすれば、よほどいいライターとマネージャーがつかなければ、誤った方向に行く。しかし、プレスリーが来ると言えばまだみんながコンサートには行くという状況がある。
政策の優先順位についての決断を政治はできるのか
工藤 基本的に小泉改革は今のままで続くことは少しまずいという認識だということが分かりました。私たちも小泉改革の政策評価をしているのですが、政策だけで見ると厳しくなってしまう。一歩引いて、政策の決定プロセスに問題があるとしても、その公約とも言える経済財政諮問会議の「骨太の方針」は経済的な達成目標や時期がほとんどずれてきているわけです。そして、次の展望が出ていないという状況もある。今の政策の優先順位を組みかえるという流れが、今の政権基盤や状況の中では期待できないような感じがします。「政策強化」という視点でもいいのですが、総選挙の小泉自民党のマニフェストをつくるときに、これを変えるチャンスはあるのでしょうか。
塩崎 例えば、三位一体の改革も年金の問題も、色々なメニューが出つつはあります。それらは部分的に顕微鏡的に見ると方向も極めて正しいし、インテンション(意図)も正しい。そこで、全体のアクセントをどこにつけるのか。政策ですから、優先順位のところを変えることは理論的には不可能ではないと思います。金融再生や産業再生も方向としては進んでいますが、例えば産業再生機構は、大きな松林の全体が松くい虫などにやられて茶色くなりつつあるときに、立派な盆栽を1つつくって、「どうだ、きれいだろう」と言っているようなもの。そう言ってみたところで、松林を救うことにはならない。しかし、そこに盆栽をつくる点においては、松をきれいなものに仕立てることについてのエクスパティーズはあるわけです。そこの流れを変えてもらう。ただ、先にやることではないものを先にやってしまっているところがあることと、例えば金融にせよ産業再生にせよ、やはり問題を先送りしてしまって、避けている。問題の中核に切り込んでいっていない。結局、これが、バブルが崩壊して今まで12~13年やってきたことなのです。竹中大臣になっても、金融でも同じことをやっている。ただ、一歩は前進しているわけで、そういうところをどう直していくのかということを演出し直せば、できないことはない。あとは小泉さんの肚ひとつです。
工藤 そこのところをなぜ先送りしているかというと、コスト(負担)の問題をきちんと判断し、国民に説明していないことがあるのではないか。ロスシェアリング(損失分担)の問題です。金融で言えば、負担するのは預金者なのか国民なのか、銀行の株主となる。それに対する覚悟が決まっていない限り、政策はどれも中途半端になって、先送りとなる。将来世代での負担を考えると、国民の負担を最小限にすることにはならない。ここは総理が腹を固めなければならない局面ではないでしょうか。
塩崎 金融再生にせよ産業再生にせよ、これは個別の銀行や借り手の問題をどう解決するのかという問題であり、従って、かなり専門的で技術的な対応が必要です。ここのところをなぜ先送りしているのかが、結局、一番大きなテーマです。「痛み」を伴う改革と言ったときの「痛み」を耐えるかどうかということです。また、今の痛みを将来に送ったときに、最終的に総和としての痛み、つまり国民に回ってくるツケとどちらが大きいのかということについての評価を、短期的な判断で先送りをしてしまっている。経営の世界でも今どき球団を売ろうかと言っている某流通業がありますが、これは典型的な例だと思いますね。最終的に、元気ではない経済を引っ張っていくことの国民的コストも考えなければならないのです。
工藤 この話は、まさに政治レベルの判断で、官僚では無理。それについてどういう戦略を伝え、国民にきちんと説明するかということが、集中再生の意味だったと思う。
渡辺 金融問題というのは、預金の切り捨てをしない限りは財政問題になる。従って、問題を一気に解決しようと思うなら、政府の役割が一時的に増大し、財政が一時的に拡張せざるを得ないのです。それを避けているがゆえに、まやかし、はぐらかしの論理になってしまう。今は危機ではないと常々総理がおっしゃる背景には、まさにそういう財政当局の思惑が見え隠れしています。この先送りに対して、私のマニフェストの中には金融・産業再生委員会と平成復興銀行という構想を盛り込んでおりますが、到底、そういう大構想が採用されるような状況にはなっていないと思います。
林 これだけ大きな問題になると問われるのはトップの決断です。青木建設の倒産ときに、これは構造改革が進んでいる証だと言った総理が、その次のダイエーのときにはツー・ビッグ・ツー・フェール(大きすぎて潰せない)と言う。そのようなことでは、金融を担当している人は何をすればいいのか分らなくなってしまう。その頃に塩崎、渡辺両氏は官邸に行って、今の案をお持ち込みになったのではないかと思いますが、それに近いものが、今度、竹中金融担当大臣になって出てきた。ただ、そのときの党内は反対の方が強く、なかなか難航しました。最後は総理が、例えば岸さんが安保をやったときのようなところまでの覚悟でやる話だと思います。それは本人に強い理解力と信念がなければ、なかなか決断できない。
塩崎 小泉さんができるかできないかは、林さんが言われたように、チームによるのだと思います。あのときダイエーについて、誰が小泉さんをしてあのように言わしめたのかということを考えてみると、恐らく本来あるべきチームではないチームがそれを言ったのだろうと思いますね。そこは、まさに政権の生きるか死ぬかがかかっているような、政策評価としては極めて重要な問題だったわけです。そのときに国益のため、あるいは長期的な国民のコストとして、どちらが本当に日本のためになるのかということを、きちんと政治責任をとる覚悟で政策を決め、トップリーダーに説得をするというチームがなかったのだろうと思います。
経済財政諮問会議の民間議員は非常勤の人たちで、週に3日来る人が日本の針路を決められるわけはないので、それは毎日いる役人の皆さんの方が強い。役人は、いい悪いの問題以前に、過去との連続性が極めて大事だという世界共通の判断基準を持っているわけです。方向転換というのはまさに政治決断ですが、たった1人の総理が政治決断をするということはあり得ない。例えば、大統領制なら明らかに補佐官がたくさんいて、なおかつアメリカのCEA(大統領経済諮問委員会)は常勤の人が構成してアドバイスをするわけです。
議会制民主主義の国においてこの二、三十年は、最終的に選挙で落選や政権交代という形で責任をとる政治家が政策を決めるために、役人は役人のベストの選択肢を出すために政治家のサイドに立てるチームをつくっていくという歴史だったのです。その仕組みがない中で今のようなことが起こってしまっている。役人の悪口を言ってもしようがないので、やはり政治家がそのようなベストな政策を選べる仕組みをきちんと持つということです。最終的な判断は小泉さんでできないことはないと思いますが、残念ながら、周りに十分それをサポートするだけの人がチームとしていないのではないかというのが私の判断です。
政策決定プロセスの変革は正しい方向に進んでいるのか
工藤 これまでの議論は既にマニフェスト型政治というテーマに入っているのですが、小泉さんのもとで行われている政策決定プロセスの模索について、その限界はどこにあって、枠組みをどう変えなければならないのでしょうか。
渡辺 結局、小泉内閣においても、従来型の政治モデルは踏襲されています。つまり橋本派や反小泉陣営に加担した人達は徹底的にほされる一方、副大臣や大臣政務官という小泉総理がつきあいのないレベルの人達を選任する場合は、派閥均衡、年功序列の人事が歴然と行われている。年功を積んだ人から偉くなるというシステムは、まさしく30年かけて総理大臣をつくる永田町モデルと、30数年かけて役人のトップをつくる霞が関モデルのコインの裏と表の関係になっているわけです。今、過去の経験が通用しない右肩下がりの経済に突入しているにもかかわらず、経験を積んだ人たちが最終的な判断をしますから、平時モードの昔のやり方を踏襲し、その延長線で物事が決められている。だから、何をやってもうまくいかないわけです。今回安倍幹事長というスター選手を作ったことが、「派閥解体」と「世代交代」につながらなければ、元の木阿弥になってしまいます。
チームをつくるというのは大変結構な話ですが、やはりこれは最終的にトップの決断が必要になるわけでして、この内閣では私は問題解決が覚束ないのではないかという悲観論に傾いています。やはりトップリーダーというのは厳しい危機認識を持ち、その危機認識を国民と共有する、そういう説明能力がないと駄目なのです。国民の方に、「ああ、この人だったら、ある程度までお任せでいいか」という信頼関係があれば、コミュニケーションは極めて容易になる。しかし、残念ながら、そういう信頼関係は今はない。つまり、小泉さんの内閣は支持します。でも、小泉さんでは経済はよくなるわけはないと、みんなが考えている。このどこに信頼関係があるのでしょうか。要するに、小泉さん以外に誰もいないから、王様は裸だと言わないだけなのです。この不幸な状況は持続可能ではない。これは何らかの形で必ず破局が来ざるを得ない。私は、アメリカが落ち込むときがそのポイントではないかと思っています。
林 私は、塩崎金融担当相と渡辺蔵相にでもなれば、随分明るい展望が見えてくるなと思いながらお聞きしていました。ある意味で竹中さんの評価とにもつながるかもしれませんが、方向性としては、最初は非常にいい方向性でスタートしたにもかかわらず、竹中さんも「君、党内をそれでまとめてくれないか」と総理に言われてしまうんですね。それは普通の大臣ならばそうだと思います、自分の所掌ですから。しかし、あのような外から来た人でバッジもついていない人にそのようなことをお願いしてはいけないと思います。
どこが一番のポイントで、どこは絶対に言ってはいけないという判断をトップができないと、なぜ党内の人がそんなに反対をしているのか、ではどこまでは譲っていいのかということはわからないのではないか。政策が間違っているかどうかは別として、責任は自分でとる、党内を押し切るといった方がわかりやすいと思います。そのようなことにはあまりご関心がなく、外向けにプレスリー風のアクションをやることの方が、総理本人がどうかはわかりませんが、ご関心が強いと見受けられます。それが非常に売れている。選挙ですから、売れている以上、普通は看板スターというのは変えないので、それはしようがないことかなと思います。総裁選もそのような結果になり、その結果を受けて総選挙もそういうことになれば、それは民主主義における1つの選択です。
しかし、今、渡辺さんが言われたように、小泉さんでいいが、小泉さんの政策が嫌だという世論がある限りは、我々が別のことをやるということが、本当の民主主義の中でできるのか、するべきなのかという議論になってしまう。ただ、我々は国会議員ですから、世論を自分が正しいと思う方向に説得するということをしなければならないと思います。
ある意味で、このような状況は小選挙区とテレビの組み合わせがその背景にあるようにも思えます。これは非常に大きな問題ですが、では、ロックをやめろと言うわけにいかないので、エレキもあるが、本当に音楽をやる人というのも我々は提供するし、見る側にもそれをきちんと評価してもらうということを積み重ねていかなければならない。
ただ、それをしている時間の余裕がないので、結論は塩崎金融担当相、渡辺蔵相にお願いするということですね。(笑)
マニフェスト型政治に向けた課題は何か──マニフェストに盛り込みたい政策の柱は何か
工藤 そうした状況の中で、私たちができるのは、公約を徹底的に評価していく、その実行を点検して、緊張感ある国民との関係を作っていくという形の運動をするしかない。その点に関してお聞きしたいのですが、マニフェスト型政治と言われていても、それを実現するためには大変な問題があるわけです。まず、政党が公約をつくらなければならない。次に、実行プロセスの問題がある。そして、これは約束して絶対実現するという形が必要です。政治や政府の側からそれをきちんと提示する作業が必要だろうし、それを言論側がしっかりとチェックしていくことも必要です。そこでお聞きしたいのは、マニフェスト型政治というものは、日本の現状で実現できるのか。実現するためにはどのような課題があるのかということです。もう1つは、総選挙になった場合に、どうしても公約を3つ出したいとすれば、それは何なのか。
渡辺 マニフェスト型政治は、政党がまともな公的な存在になれば可能だと思います。今のように、政党が公的な存在になり切らずに派閥連合体のような私的集団の寄せ集めであるということを続けている間は、マニフェスト政治は不可能だと思います。マニフェスト政治というのは、選挙になれば、当然、政党の党首が次期総理を目指して、国民が次期総理を誰にするかということも同時に決める政治の類型だと思います。従って、これは形だけ変えても駄目なので、中身の実態やプラグマティックなルールまで変わらなければ実現は不可能です。プラグマティックなルールというものは、まさしく派閥型政治からいかに脱却をできるかというところにかかっていると思います。
私が党首であれば3つの公約は、産業と金融の一体再生、持続可能な財政や社会保障制度を構築する「愛の構造改革」、そして憲法改正です。マッカーサーのDNAを変換することに、これらの問題の本質があります。すなわちマッカーサー元帥は日本を半人前国家にしただけでなく、国家社会主義体制の戦時体制をそのまま温存したわけです。従って、戦後の日本というのは大きくて弱い政府であり、それはいざというときには何の役にも立たず、立とうともしない。そのDNAを変換することこそ、日本大改造の本質問題だと思います。
塩崎 マニフェスト型選挙と言われているが、自由民主党にもかねてより公約というものはあったのです。いかにこれが中身のないものかということを私の本にも書きましたが、結局、お役所に下請に出していたものですから、総花的で言い切りは一切せず、例示も数字的な根拠もない。約束と言うにはほど遠いもので今まで選挙をやってきた。裏返して見ると、随分国民を愚弄した話だったわけです。
林さんが言われた「首相は軽くてパアがいい」という位置づけの政治というのは何かと言うと、表で言う人は何も決めない人で、裏で全てを決める。それが日本の政治だということを自他ともに認めてきたわけで、それを賢明に感じ取った国民は、政治なんか誰がやっても同じだ、首相なんか誰がやっても同じだということになり、政治家の言葉や約束事は一切信用しないという流れで今日まで来てしまった。それが今、マニフェストという、いささか流行になりつつある言葉に乗っているわけです。これはこれで、色々な試行錯誤を重ねながら、今までとは違って、国民に約束したことをそのまま自分は実行するんだという方向に少しずつ近づいていくということだろうと思います。
それはそれで結構なことだと思いますが、それを本当に整理し、なおかつ実行するためには、党内ガバナンスの仕組みと、与党と内閣との関係の整理、新しいガバナンスの仕組みをつくり上げていかなければならないという非常に困難なプロセスがあります。業界団体、族議員、そして官僚、そういうところとの新しい関係構築をやらなければならない。日本の民主主義の文化を変えるところにまでつながる大作業になりますので、これはしばし時間がかかると思いますが、しかし、それは不可逆的に進みつつある流れとして、政治の信頼回復のためには早くやらなければならないのだろうと思います。党のシンクタンクなどもつくらなければならない。かなり広範な努力が必要なことだろうと思っています。
私がマニフェストを仮につくるとすれば、具体的なものよりも、中期的な目標として、日本がアジアの基軸国家としてこれから役割を果たしていくということを言わなければならない。アジアというのはまさに日本の位置するところで、この地域がEUや北米大陸、あるいは南米も含めて、そういう固まりの中で1つの固まりになってくると思うので、その中でリーダーシップをきちんと発揮できるように整えていくというのが一番大きな公約です。
次に、具体的なことを言えば、やはり金融経済の再生をスピードアップするということです。つまり、本当の資本主義にする。さらに社会保障を含めた財政の再建というのは、やはり量で示す必要があるだろうと思います。3番目は、教育ではないかと思っています。この人づくりに関しては、日本は相当お粗末なシステムになっていると思います。本当にいい粘り腰の人間をつくっていく、そういうシステムに変えていかない限りはなかなかうまくいかない。私は教育を特に重要視していきたいと思っています。
工藤 日本のガバナンスの問題ですが、渡辺さんの「幻のマニフェスト」の中には、政府内に政務官なども含めて多くの国会議員を送り込んでいくと書いてあります。
塩崎 やはり、マニフェストに沿って、その考えを持っている人がチームで入っていかなければならない。ただ、政治家を突っ込んだらよくなるなどということは全然ないのであって、むしろ逆に取り込まれる政治家が増えてくるのかもしれない。今のままでいくと、むしろ役所の味方になる人がどんどん増えてくるような感じがしないでもない。きちんとマニフェストに沿った政策をやるということが大臣のマンデートですから、それをチームで進められるような人材を送り込んでいくということだろうと思います。その際、常勤のアドバイザーのような者がいなければ絶対に無理だと思います。そうなりますと、党内での人事をどうするのかということがまた重要な問題になってくる。永遠の課題として人事委員会のような構想はあるのですが、うまくいった試しがない。いつも派閥が勝っているということを本気でやめさせるということでしょう。
工藤 例えば、政党助成金を議員に配るだけではなく、10億円程度、党のシンクタンクに使うと言えばいいのではないでしょうか。
渡辺 それは霞が関の人材流動化にも役立つのです。公益や国益に興味をもつ人材の受皿を作る必要があります。10億などとケチなことを言わず、今の300億円をまるまる使ったらいい。
林 塩崎さんが言われるように、自民党はこれまでも公約をつくっている。ですから、うちもマニフェストをつくらなければならないから何か別のものを新しくというのは、全然違う話ではないか。党には今まで公約をつくるプロセスもあり、公約を出していたわけですから、それをいわゆるマニフェストと呼ばれているものにどうやって変えていくのかということを考えなければならない。そういう認識がまず要るということです。
また、与党のマニフェストという意味では予算と税制に数字は全部入っているわけです。財源も全部手当てして、さんざん議論して、みんなが不満のままでも一応まとめたものをつくっている。そもそもマニフェストは、イギリスの労働党が野党のときに、自分たちがもし政権をとったらこうする、今の予算と税制はこうなりますということを財源もきちんと入れて、必要ならば増税もセットで違う選択肢を提示した。それで労働党が政権をとったからマニフェストが注目されるようになったと私は思っています。日本でも、民主党がそこまで踏み込んでくれば、初めて、では我々も出さなければいけないというところに追い込まれると思うのです。
民主党がウィッシュリストをつくって財源は言わないということであれば、彼らの自殺行為になるだけで、結局、政権担当能力はないと言われざるを得ない。さらに、数値基準が出せる分野はお金が絡むところです。幾ら使う、人数をどうするという部分であり、そういう部分ではできない分野がある。まさに北朝鮮問題の解決をマニフェストでは書きようがない。書くと、相手が読んで、例えば北朝鮮の人が、日本はこういう戦略でやるのかということになる。これほど馬鹿らしいことはない。公約というのは、ある意味ではそういうところも今まで書いていたのですが、そこでは解決しなければならないという認識を示すのが大事なのです。それを見てこの選択しかない、政権交代するかもしれない野党が言っていることもここまででそれ以上のバラ色のことはないのだということが国民に伝わることが大事なことなのです。手前勝手な話ですが、まず合併する民主党にきちんとしたものを出してもらうとかなり弾みがつくのかなと思います。現段階ではそういうものではないような気もしますが。
私のマニフェストということになると、これまで「三つの安心」という公約のようなことを言ってきました。経済の安心、外交の安心、治安の安心で、例えば経済ではここではまず職場をたくさんつくるということだと思います。そこでは結局、先端的なハイテクやバイオのような分野の人しか今後は食べてはいけないということでは成り立ちません。ダウンサイジングはしたとしても色々な人がそれぞれ働けば、きちんとした収入が得られるという安心感が必要です。
工藤 今度の総選挙では基本的に何を争点にすべきでしょうか。
林 本当は消費税でしょうね。私はこれまで行革をやっていますから、もう少し無駄を絞れると思いますが、年金や社会保障の色々な問題を考えますと、行革とは桁が違うと思う。今回、総裁選挙でもある程度議論にはなったのですが、少しねじれているのは、与党側が凍結すると言っていることです。野党が上げろとはなかなか言わないとは思いますが、民主党がきちんとしたマニフェストを出して、将来は社会保障を充実し、安心したものをつくるということであれば、では財源をどうするのかという議論に必ずなる。与党がやらないと言っていて、野党がやるというのは、何となくねじれた感じです。
もう1つは、今回の争点になるのかどうかは別として、憲法、特に集団的自衛権です。身近な問題として、ミサイル・ディフェンスがあります。この問題を考えたときに、技術的にはブースト・フェーズ(ミサイルを発射した段階で迎撃する)が最善なのですが、恐らく国会で集団的自衛権の行使になるというレベルの議論になってしまい、非常に馬鹿げた話になる。しかし、実際に脅威があって、集団的自衛権の行使はできないので議論をしていたら、実際に犠牲が出ましたということが、本当にあるかもしれない。ただ、なし崩しにいくというのは、嫌な感じがするので、そういうことになる前の冷静なときに議論をきちんとしておいた方がいいと私は言い続けている。
工藤 言論NPOでは、政策評価だけではなく、安全保障の点に関しても、色々な形で議論をつくっていきます。本日はどうもありがとうございました。
(聞き手は工藤泰志・言論NPO代表)
次の総選挙の争点はどう描かれるのか。自民党の3人の政治家が今回の総裁選や小泉改革を評価し、マニフェスト型政治を巡る議論に参加した。小泉改革が問題の本質への洞察を欠き、政策の優先順位を間違え、構造改革に伴う痛みや国民負担の問題を先送りしていることなどが痛烈に批判される。派閥政治についての見解や日本の新しいガバナンスのあり方に加え、マニフェスト政治の実現に必要な条件や、今後争点とすべき政策の柱について、3氏それぞれが自らの主張をぶつけ合う。