穂坂邦夫(前志木市長、地方自立政策研究所代表 )
ほさか・くにお
1941年埼玉県生まれ。埼玉大学経済短期大学部卒業。埼玉県職員、足立町(現志木市)職員を経て、志木市議会議長、埼玉県議会議長を歴任。2001年7月、志木市長に就任。2005年7月から地方自立政策研究所代表
「市町村が怖いのは国より都道府県」
今の三位一体改革も、結局、最後は損得勘定の議論になってしまいました。私が言っていたのは、もうこんな議論はやめて、むしろ役割分担を大上段から構えて決めたほうがいいということです。
地方分権一括法で地方自治法が変わり、国の仕事は大体三つのジャンルに分けて、地方自治法の第1条で、国はこういうことをやりなさい、それは地方がやりなさいということになったのですが、実際は、第2条以下が、地方の仕事をがんじがらめに決めています。要するに国が細かいところまで口を出すというシステムになっています。
三位一体改革を本気でやるのであれば、本当は、市町村が国と都道府県という二君に仕えているという状況をどうするかを考えなければなりません。
今のシステムでは、市町村は都道府県が恐いのです。国は大きすぎて県経由では見えないし、大きいからこそあまり恐くないから言いたいことを言えます。しかし都道府県はそうではありません。
三位一体改革は形式上、「国」対「地方六団体」という対立関係の下に行われていますが、「地方」の中でも、全国の市町村は無力感と恐れさえ抱いています。市町村は国と都道府県の二人の王様に仕えてきました。国と地方の関係についてはよくいわれますが、実は市町村にとって都道府県は「地方の王様」であり、強い従属関係で結ばれています。特に都道府県は箇所付けの権利や市町村に対する独自の補助金を持っていますから、何も言えません。それらが地方の思考停止状態を招いているのです。
県の補助金には町づくり交付金などがありますがそれは国の補助金と同じで、市町村としては箇所付けの問題だけではなく、こちらも恐いのです。
一例を挙げますと、県道に歩道を新設するときに、あの市は生意気だからこれ以上つくるなということが都道府県の判断でできます。理屈はどうとでもつけられます。住民の皆さんはよくわからないので、「なんでうちだけ外れるんだ」、「政治能力がないではないか、穂坂さん」ということになるのです。
はっきり言えば、市町村にとっては、県は国よりも恐いのです。例えば県の単独工事などでは、それをどこから始めるという権限を県が持っていて、県が好きなようにやれるわけです。二級河川や教育委員会についても同じことです。
義務教育については、人件費を国が負担すべきか、都道府県に財源を移して地方の裁量権を拡大すべきかが争われましたが、義務教育は都道府県ではなく、市町村が実施しているものです。都道府県の役割は教職員の派遣業務が主で、いわば教師を派遣する「人材派遣会社」ともいえます。
教育にとって一番肝心なのは先生です。しかし、その先生は県で全部まとめて何百人と採用し、その人事権も握っています。すると、志木市は言うことを聞かないから、良い人は他に持っていき、志木市はこの程度で十分だということになってしまう。
ですから、中央集権制度というのは、国・地方・市町村と連綿としていまなお続いているわけです。しかし、市長村長はそれが恐くて言えない。「地方六団体」といっても、猛烈に県の力が強いのです。
※以下にコメント投稿欄がございます。皆さんのご意見をお待ちしております。
(尚、戴いたコメントは担当者が選択し "このテーマ「国と地方」にコメントする・見る" ページにも掲載させて頂きます。どうぞご了承ください。)
今の三位一体改革も、結局、最後は損得勘定の議論になってしまいました。私が言っていたのは、もうこんな議論はやめて、むしろ役割分担を大上段から構えて決めたほうがいいということです。地方分権一括法で地方自治法が変わり、国の仕事は大体三つのジャンルに分けて、