「議論の力」で強い民主主義をつくり出す
一九九二年ごろに経済界ではリエンジニアリングがはやりました。ITが入ってくるとヒエラルキーが壊れて、組織はフラット化し、やがてミッション・オリエンテッドが広がる。グローバル化したときに、組織のスタンダード(基本)は何かといったら、顧客視点の自立しかないという。それで、私はリエンジニアリングの本を読んで勉強しました。でも、頭が悪く勉強したことがないからそれがなかなかわからない。それで、私は梅沢豊さんという東大経済学部教授に本郷(東京都文京区)まで教えてもらいに行った。「国会議員でこんな研究をするなんて珍しい人ですね」と、梅沢さんに言われましたが、それによって、基本的に顧客満足を基本とする、今でいうニュー・パブリック・マネジメントの原形をつかんだ。一九九二~九三年のことです。
私は国会議員として勉強して、経済における顧客満足を、デモクラシーに植え付けようと思って悩んでいた。不遜にも、私は自分の考え方を確立しようと思ったからこそ、知事になろうと考えた。そして、それを知事になって実践したからこそ、私は改革派の代表といわれるようになったのだと思います。こうした顧客志向の考え方が、その後、あちこちに伝播したことは事実でしょう。
私はマネジメントを変え、立ち位置を変えたら、そこから政策は生まれるものだと考えていました。立ち位置が変わらない限り何も変わらない。
例えば、管理課、指導課とかいう名前が県庁の組織についている。それで、何が生活者起点か、です。役人の都合で、官が上にいて、管理して、県民を指導するって、何を考えているのか。やはり「管理」とか「指導」とかはやめようというように立ち位置が変わらなければいけない。指導課とか管理課があるまま平気で改革というのは、従来の予定調和の世界での官主導のものです。政治主導でも、民主導でもない、という立ち位置。これはもうパラダイムの転換だから、ものすごい喧嘩になりました。
私は初めは、県内の市町村長にも私の考えを浸透させようと思いました。が、総スカンをくいました。こっちは志が高いから「よしやるぞ」と意気込んだけれど、実際は全く正反対だった。現実の生活、現場に方向が向いているので難しい。
そこで、まずは三重県庁を変えることに集中することにした。市町村長については、こちらから説得するのではなく、望む市、町、村には、そのときは親切に教えてやろうという作戦に改めた。そうした私の作戦は、その後、功を奏したように思いました。二期目の選挙では八五%の支持率でした。決定的なのは、カラ出張の中身を全部出せと私が主張したことです。これには職員はものすごくびびりました。県庁内で大喧嘩をやったから、知事は本気だというので、マスコミが支持してくれたわけです。その時に出遅れたところがその後、問題を引きずっている。今でもカラ出張を表に出すと問題が大きいから、隠している自治体もあると思います。
カラ出張の問題では、私は「志が高い者は来たれ」と言いました。それまで、私はミッションだけで仕事をしているとわからせるためにダイアローグ(対話)をやってきました。だから、呼び掛けに応じて同調者も出てきました。職員との対話とお互いが納得するリズムはうまくできたのです。
知事には様々なタイプがあると思います。職員をあえて抵抗派として追いやったり、一部の職員だけと表面的な改革をした知事とは私は全然違います。私は下から対話をやっていった。ダイアローグを一年、二年とやっていくうちに、部長や係長や平の職員が「知事、それは違います」と言い始めた。それに対して、私は「君はいいことを言うな、やってみるか」と答えたりしました。そして庁内が上から下まで一体になったからこそ、いろいろな取り組みを実践できたのです。
今からもう一回知事をやったら、名知事になれるか自信はありませんが、あのころは私も意識してやったけれども、ミッションとか時代背景とかが、そうした立ち位置の変化を求めていたのです。こうした状態は今も同じだと思います。
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