政治に向かいあう言論

「日本の知事に何が問われているのか」/新潟県知事 泉田裕彦氏

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camp4_nigata.jpg泉田裕彦(新潟県知事)
いずみだ・ひろひこ
1962年生まれ。87年京都大学法学部卒後、通商産業省入省。資源エネルギー庁石炭部計画課、中小企業庁小規模企業政策課、資源エネルギー庁石油部精製課総括班長、産業基盤整備基金総務課長、国土交通省貨物流通システム高度化推進調整官などを経て、04年10月に新潟県知事に就任。知事就任直前の10月23日に新潟県中越地震が発生し、その当日から被災住民の救済と被災地の復興に奔走した。タウンミーティングを定期的に開催し、様々なテーマで住民との対話の場を設けている。

第4話 自治体が自由に課税する権限を―地域経済をどう立て直すか

三位一体改革では、補助金の削減に合わせて税源の住民税への移譲が実現されました。これ自体は地方への税源移譲として高く評価できるものですが、この結果、浮き彫りになったのは地方の税源の偏在であり、財政力の格差でした。

実際には東京など大都市を中心に税収が増え、一方で地方はそれほど増えず、補助金の削減を考慮すればマイナスになるところもありました。これはやはりおかしい。ここで問われるべきは地方税の偏在の問題です。

例えば、法人も地域経済を担う主体を構成しています。そして基本的に収益に対してしか課税しません。ところが、現実には赤字法人でも橋を使ったり、道路を使ったり、上下水道を提供したりという形で、地方自治体はサポートしている部分があります。加えて本社に集中的に計上される収益に課税するという体制がいいのかという問題もあります。新潟県に支店や営業所のある企業の本社は県外の大都市にあります。ものづくりの現場は新潟も持っていますが、その現場でつくった付加価値が必ずしも正当に地元の税として評価されていないのではないでしょうか。

アフリカに世界の最貧国が集中する理由は何でしょうか。アフリカの人たちはまじめに働きますが、利益については、そこに進出してきた西欧の資本がコストを低くし、できたものを一番高く売れるところに持って行って差額を懐に入れるという仕組みになっているからです。これではアフリカの人はいくら働いても豊かになれないし、新潟県も同じです。本社や納入先をほかに依存しているということは、物をつくった人は正当な評価がされないのです。それが税の世界でも同時に起きている。外形標準での課税の割合を高めていくと、もっと税のバランスが取れるのではないかと思います。

税制については、話を2つに分けて考えるべきです。長期の理想形と、現在から改善していくパターンとでは、答えが違うと思います。長期的視点では、そもそも地方税で課税できる範囲を国が全部縛るのはやめて、それぞれの自治体でどういうふうに課税するかを自由に決めさせてもらいたいのです。そして、地方税収の一部を、国を運営するために必要な経費として地方側から国に移転するというふうにしたいのです。それが本当は理想だと思います。そうすれば、弱者対策も含めて相当いろいろな政策を地域の実態に合わせて展開できるようになります。

短期的な観点でいうと、例えば工場等の面積を基準とし固定資産税に近いような地方法人課税のやり方もあるはずです。地方の工場でも、そこでそれだけの付加価値を生んでいるわけで、大都市の本社は管理しているだけです。特に地方法人課税の問題は偏在をなくす形で考えることが必要だと思います。地方には事実上、課税権がありません。環境税としていろいろな自治体が課税していますが、住民とのコンセンサスをつくるために環境税と言っているだけで、実態は住民税の引き上げという形でしか対応できていません。迷惑するようなものに課税したいというのはありますが、たばこを見てもわかるように、たばこ地方消費税のようなものを乗せることはできません。

つまり、知事は経営者に変わっていくと言いながら、経営の主体としての税金を賦課する権限が制約されているのです。さらに言えば、財源を確保するための交付税の配分も国が決定しています。補助金もその使い方までコントロールされています。その中で、どうやって地方を経営するのでしょうか。ほとんど手足を縛られてボクシングをやれというような感じなわけです。そういう制約をどのように外していくのか、その道筋を描けないと、地方は本当の意味での経営はできないのです。

これに関連して道州制を考えた場合、この制約を外していくための受け皿として道州制が実現するのでしたら歓迎です。しかし、今のように縛られて、また、知事の権限を持ったまま合併する道州制なら、私はやりたくありません。もし、仮に関東甲信越州という州ができるとして、そこに基礎的自治体は約400 あります。新潟県内では今は35に減りましたが、私が就任する少し前には111ありました。そうすると、111人の市町村長が私に面会する時間を取ろうとしても、2カ月先にしか時間がとれないということになります。もし400の基礎的自治体があって、そこに知事と同じ権限を持っている州知事が現れたらどうなるか。半年前に予約して15分の時間をもらい、「州知事、ところで新潟駅連続立体交差事業でございますが...」と、15分で決着させろといっても、それではほとんど地方自治の破壊にしかなりません。道州制で、もし圏域を広げるのであれば、知事が持っている権限は基礎的自治体に移してしまわないと本当の意味での地方分権は実現しないと思います。

ですから、道州に国の権限が移譲されるというのは、住民に自治が近づくということです。県知事が持っていた権限は基礎的自治体にこそ移すべきで、これを道州に移すと自治はかえって遠くなります。そこの基本的部分をまず議論すべきだと思います。

全5話はこちらから

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