「日本の知事に何が問われているのか」をテーマに、全国の知事にインタビューを続行中です。
現在の発言者は泉田新潟県知事です。
◆第5話:6/4(月) 「地方分権で魅力的なエリアづくり-地域経営は自立できるのか」
◆第4話:6/3(日) 「自治体が自由に課税する権限を―地域経済をどう立て直すか」
◆第3話:6/2(土) 「会計制度をだれが見てもわかるものに」
◆第2話:6/1(金) 「基本的には基礎的自治体がすべての権限と財源を持つべき」
◆第1話:5/31(木) 「知事の役割は地方行政官から地域経営に」
第1話 知事の役割は地方行政官から地域経営に
「国と地方」との関係でいえば、今までは国から県、県から市町村へといく過程で、裁量の幅がずっと狭くなっていくという構造があったと思います。補助金制度、交付税制度もそうです。何をやるのかということをかなりの部分、中央で決めています。現場の状況は完全には把握できないのに、最後どこかで線を引かなければならないという感覚の中で中央の行政がなされてきました。
一番典型的なのが機関委任事務です。国の出先機関として自治体を使おうということが、ずっと残ってきたわけです。戦後、地方分権を憲法にうたって、住民自治、団体自治ができるはずだったのが、GHQの間接統治の下で中央集権体制が温存されました。県などの広域自治体は上意下達の中間機関として、国家の意思を基礎的自治体へ伝達するための装置として使われてきたというのが、最近までの現実だったのではないかと私は思います。
国家総動員法が適用された時代の名残で、国―地方公共団体という流れのほかに、業界団体―企業という形でのピラミッドも同時に存在していました。日本株式会社の企画部の役割を国が担い業界団体を通じて上意下達の意思決定過程を維持してきました。それがグローバル化とともに、まず民間の方からこのピラミッド構造が崩れていきました。そして、今度は地方公共団体が、国の借金が増大する中で国が面倒を見切れなくなって、自立を求められています。今までは金を出すから口も出すという体系でした。現在、地方分権がさかんに議論されるのは、金が出ないなら口は出さないでくれという動きが一方で生じてきたということではないでしょうか。
機関委任事務の廃止は、知事の役割を大きく変えたと私は思います。知事は今まで地方行政官として行政の執行をすればよかったのですが、地域の経営をする役割に変わってきました。したがって、地方分権が進むということは、このかじ取り役にだれを選ぶかによって、地域経営をうまくやる地域とできないところで大きく差がついてくるということだと認識しなければなりません。つまり、地域の経営者という立場を知事は持たざるを得なくなっています。
基礎的自治体の能力を高めていくという大義名分の下で市町村合併は進みました。これには二面性があって、ミニ中央集権化が進んでしまう側面はやはり気になります。新潟県内でも全国的に注目されていた町が、市町村合併後2年でこんなに元気がなくなったのかと驚かれたこともありました。
今までの市町村役場には、お金を配分する機能だけではなく、同時に小さい村での意思決定をする場も形成されてきたわけです。しかし、合併が進み、それぞれの集落の人が集まって、そこで合意形成がなされるという機能が失われてしまいました。市町村によっては体育館を無料にしていたところもあれば、利用料金を取っていたところもある。合併により、一律ルールで地域の状況に関係なく一定金額を取るという話になると、そこで活動していた地域のグループが崩壊していくということも出てきます。そうしますと、知事には、地域の人が活動してまさに自立をしていくときに、地域がほかに頼らないで物事を決めて地域を良くしていける環境を整える、地域の経営者としての役割が強くなってきているのではないでしょうか。
選挙で表れた民意を政策として実現していくためには、やはり地方分権は必要です。自治体の統治機構としての県庁だけ見ても、現在の制度は限界にきています。例えば、それぞれの部長さんに上司が2人ずついるのです。1人は知事の私ですが、もう1人は中央官庁です。この中央官庁からの指示と知事の指示が矛盾した場合、中央官庁の指示が採られることが多いのです。
なぜ職員がそういうマインドになるか。現場のニーズに合わせて運用を変更しようと思っても、例えば30年前に出された本省課長通知のようなものがあるともう駄目です。地方から見ると中央は怖い、だから、直そうとしてにらまれたくないという思いから始まって、住民のためとわかっていても中央の判断と異なることをして評価を下げたくないという気持ちになってしまいます。だいたい、中央官庁は県庁から見ると指示がくるところであって、こういうふうに直してくださいと言えるところではありません。そうすると、職員の顔はどうしても前例や中央に向いてしまいがちです。
新潟県は中越大震災で国を含め多くの皆様からご支援いただきました。深く感謝を申し上げたいと思います。少々残念なのは国でつくった支援制度の基準に融通がききません。そのため、県の主な仕事は国の制度に違反しないようにチェックするという機能が中心になってしまいます。それがさらに市町村にいくと、現場のわかる市町村の担当者は現場の事情をくみ取ってどう政策を立案したらいいか考えるべきなのに、窓口で、いかにお金が出せないのかということを説明する係になってしまっています。制度を運用するには公務員の人件費が必要ですが、このような公務員の使い方は極めてもったいないと思います。
災害からの生活再建支援制度には対象者の年収要件が設けられています。都会で会社に勤めている核家族の世帯年収で考えると、制度はかなり現実をとらえていると思いますが、中越大震災の被災地のように中山間地でコイを育て、牛を育て、そして田んぼを耕してという人たちは、世帯年収というときには親子3代です。お父さんが働き、お母さんも働き、そしておじいちゃん、おばあちゃんや息子も手伝っている中で、年収の基準を超えている、だからお金は出せませんと言ったら、生活再建できるわけがない。必要な支援を、世帯の概念ではなく、どういう形で生業が営まれているかという違った観点で行わないとコミュニティー全体が壊れることになりますし、実質的には不公平な制度となってしまいます。
「日本の知事に何が問われているのか」をテーマに、全国の知事にインタビューを続行中です。
現在の発言者は泉田新潟県知事です。