「日本の知事に何が問われているのか」/福島県知事 佐藤雄平氏

2007年5月26日

 「日本の知事に何が問われているのか」をテーマに、全国の知事にインタビューを続行中です。
現在の発言者は齋藤山形県知事です。

camp4_fukushima.jpg佐藤雄平 (福島県知事)
◆第1話:5/26(土) 「国土政策で人口の適正分布を図らないと、本当の分権は実現できない」
◆第2話:5/27(日) 「県政の課題は税収の拡大にあり」
◆第3話:5/28(月) 「東京圏との近接という現実は考慮せざるを得ない」
◆第4話:5/29(火) 「談合問題と"権不十年"」
◆第5話:5/30(水) 「"大字"単位の集落は必ず守る」

佐藤雄平 (福島県知事)
さとう・ゆうへい

1947年生まれ。70年神奈川大学経済学部卒業。83年厚生大臣秘書官に就任。その後、衆議院議員政策秘書、参議院議員(2期)、国土開発新幹線自動車建設審議会委員、決算委員会理事、沖縄及び北方問題に関する特別委員会委員長、国土交通委員会理事、予算委員会筆頭理事を経て、06年福島県知事(1期目)に当選。
県民の立場に立った安定感ある県政を行う一方で、「均衡ある国土の発展」を主張し、地方への税財源移譲を進め、地方分権を提唱している。

第1話 国土政策で人口の適正分布を図らないと、本当の分権は実現できない

地方分権がいわれていますが、本来、税財源も一緒に移譲する分権論でなければ、地方は成り立っていきません。この日本で長く続いてきたのは、経済が上昇を続ける中での、まさに分配論の社会でした。パイが大きくなる中で、地方に財源がなくても、補助制度で成り立った時代でした。

それがある時期から成り立たなくなり、100のパイが残念ながら70になってしまった。そのマイナス30というのは、地方では負担できなくなったということです。それで地方は非常に困っている。そういう中で分権論というものが進み、いわゆる「闘う知事会」ができたのですが、それを一番わかっていたのが梶原拓さん(前岐阜県知事、前全国知事会会長)でした。彼は中央の役人という逆の立場にいたこともあるので、よく理解していました。

私もある意味では、知事になって逆の立場になりました。私が国会議員であった当時、国では全体で5兆円の補正予算が決まりました。ところがこれは補助事業で、1000万円の仕事を福島県でやりなさいということで、ありがたい話なのですが、そのうち500万円は県が負担してくださいという話です。こういう状況がそれぞれの地方にあるのです。

地方分権での権限の移譲はありがたい話ですが、色々と事務経費のようなものがかかるにもかかわらず、財源が伴っていない。しかし、権限移譲された仕事はしなければなりません。三位一体改革も補助金削減、交付金削減ということで、地方自治体は非常に困っているのです。

結果的に本当に皆が良くなる三位一体改革でなければならないのですが、全国の知事が知事会で集まっても、都市部の知事の皆さんと地方の知事の皆さんとでは、三位一体改革についても大きな意見の乖離があります。

税財源を移譲しても、所得税や住民税にせよ、人口の少ないところはかえってマイナスになる部分があります。私が国に求めたいのは、ある程度人口がきちんと分布するような国土政策を進めてもらいたいということです。そうでもしない限り、地方の思っている分権にはなっていかないと思います。

道州制にすれば、地方の自主的な税財源として新しい項目もつくれるだろうといわれます。しかし、東北全体で見ても人口は東京圏の何分の一でしょう。人口の適正な分布がない限り、道州制にしても、大都市への一極集中が進むだけで、過疎は続いてしまう。基本的に、国土政策をきちんとやってもらう。その中で、今の国税と地方税の比率を6対4から5対5にしてもらう。そうすれば、自活できるような分権ができてくると思います。
 
かつては首都機能移転論がさかんに行われましたが、現在は下火になってしまいました。阪神・淡路大地震の直前のころは、むしろ東京が栃木県、福島県にお願いして、首都移転をしてもらいたいぐらいの雰囲気がありましたが、残念ながら10年過ぎたら、もう、そのような話はほとんどなくなりました。

国会や国の省庁を移転するというのは、1990年に国会で決めたことであり、とんでもない約束破りです。福島県と栃木県は1生懸命誘致をして、大変な額の公費を使いました。岐阜県も三重県もそうです。総論はみんな賛成だったのです。しかし、各論になって、どこに国会を持っていくか、官公庁を持っていくかという、何か分配論のようなことになってから、いつの間にかその話がなくなってしまったのです。衆議院と参議院に特別委員会がありましたが、それは4年前になくなり、協議会になってしまった。この点も知事会がきちんと言っていかなければなりません。


第2話 県政の課題は税収の拡大にあり

市場原理で東京にヒトやモノ、カネが集まり、そこに税収が集まるという構造があります。しかし、従来は、基本的には「均衡」ということを政治は唱えていました。それが、小泉政権になってから、特色ある地方と都市の再生に重点が移ってしまいました。そこで、私は国会議員の時に総理に質問をしました。「特色ある地方」というのは過疎でもいいのかと尋ねたところ、「過疎も特色だろう」という答えでした。とんでもないことだと、その時に議論しました。

確かに、都市も昔の街並みなどが疲弊して、災害などに極めて弱くなっています。ところが、都市の再生をするにしても、国が指定した直轄事業で全部行ったのです。その代表が六本木ヒルズでしょう。汐留もそうです。7カ所のうち6カ所が東京で、1カ所が名古屋です。結果的に都市の人口をまた増加させ、カネが集まった。バブルまではいきませんが、人が集まるのですから、当然、土地が高騰します。都市が国際競争力を持つために集積が必要なのはわかりますが、適正な規模があると思います。

そのようなことを考えますと、哲学的にも、国民の生命、財産を守るという日本の政治の根本、地方自治の根本からも、一極集中という今の状況では国は存立し得ないと思います。だからこそ災害防災協定を結び、非常時にはいつでも地方が被災者を受け入れられる体制をつくることこそが、これからの都市と地方、いわゆる日本全体の政治の哲学になっていかなければならないと思っています。

首都機能移転は日本の政治の問題です。ですから、今までのように地方からお願いをする話ではなくて、むしろ逆に国が、「福島県、頼む」という話でしょう。

法人関係の税金など、東京都との税収格差は大変大きく、これは基本的に見直さなければならないと思います。しかし、国への提言や要望の話だけをしていてもしょうがないわけです。私自身が県政の中心課題だと思うのは、福島県の財政的なプライマリーバランスを保つことです。そのためにはやはり税収を増やすことです。税収を増やすためには、まず人口を増やすことであり、企業誘致や定住、二地域居住を進めることです。この推進を2006年から始めています。2006年、103社の企業が立地してくれましたが、2007年になっても相当引き合いがあります。それがいずれ福島への定住につながっていくことになると思います。

我々の世代は2007年からリタイアが始まる団塊の世代です。この3年で相当数の人が仕事から卒業します。この世代は、まだお父さん、お母さんが田舎にいますし、小学校、中学校時代の友達も田舎にいますから、郷愁や田舎を思う気持ちが残っているはずです。ですから、こうした人たちや、地方出身の人で福島県の好きな人に来てもらう。まずそこから税収対策を進めていこうと思っています。


第3話 東京圏との近接という現実は考慮せざるを得ない

福島県のこれからを考えた場合、やはり現実は考慮する必要があります。それは東京圏という大都市に近接していることです。例えば、福島県から大都市に通ってもらってもいいのです。そこで大都市近郊を対象とした施策というものが考えられます。

福島県というのは、浜通り、中通り、会津の3つに大きく分かれ、これはもう大変な広さです。それだけの県土を持って、しかもそれぞれ色彩が違う。浜通り地方には太平洋、港があります。中通りは交通インフラが整備され産業の集積があります。会津は古い歴史や伝統、文化を持っています。これだけ特色あるものをどうとらえ活用していくか。やはり、東京圏の人々の癒しの場として、将来的にも注目されることになると思います。

長期的な視点に立てば、地球温暖化などにより人が北上して来ることになるのは間違いないと私は思っています。10年後には人が北上してくるでしょう。それを考えれば、今は現実的な対応として東京の経済集積効果をまず利用し、他方で、地域の独自性を生かして、そこに飲み込まれていかないよう、こちら側でも中核をつくっていくことが重要と考えています。

東北各県ともいろいろ交流を行っていますが、茨城、栃木、群馬、新潟、福島、この5県の連携を取ったら楽しい絵が描けると思っています。東京から常磐自動車道でいわきに来る、磐越自動車道で新潟へ行く、新潟から関越自動車道で東京へ行く。そうすると、これはだいたい1周600キロになります。ここは今でも一部、準首都圏になっており、これが北上するという発想です。

こうした現実を考慮した対応と、先に述べた政治と経済の哲学というのはおのずと違います。政治哲学というのは、究極は財産、人命を守ることです。逆転的な発想をすれば、東京の繁栄は大変な危険がたくさんある。だからこそ危機管理はきちんとしなければならない。東京が壊滅すると世界が壊滅します。それにはやはり、機能の分散が必要です。分散は、基本的には200キロ圏内の分散です。そうすると、ちょうど我が県にも当たる。現実とこうした哲学を結びつけて、私は福島県の将来を考えようと思っているのです。


第4話 談合問題と「権不十年」

前知事のときに不祥事がありました。談合がなぜ起こったかについては、指名競争入札が温床だと指摘されています。ですから就任して早々、この入札制度の改革に取り組みました。全国的に見ても極めて厳しい入札制度を構築するということで、県議会も県庁も県民も、全体の総意の下で進めています。

ただ、不祥事のより本質的な原因は腐敗です。私は、「権不十年」と言っていますが、10年権力の座にいると、やはり腐敗します。長過ぎる政権はよくないのです。それと同時に、自らをいかに律するか。これは基本的には個人の資質の問題ということにもなってくると思います。その後、和歌山県や宮崎県でも問題が起こりましたが、個人の問題のような気がします。我が県の場合は、長過ぎた政権ということが大きな原因ではないかと思っています。また、本人よりも周りがそうなってしまったということもあります。周りが腐敗する温床となり、問題が起こってしまうということがあるのです。

そうした構造に対応するため、入札の監視委員会を、発注者である土木部から分離して総務部に置くことにしました。これは大変な改革です。土木部からすれば、監視委員会が総務部に置かれるとなると、それだけで緊張感が出てきます。

ただ、これは選挙のあり方とも連動しますが、この10年の間に政治とカネという点では住民の意識はがらりと変わったような気がします。供応に対する感覚は厳しくなり、因習の中で続いていたいろいろ出しあってお祭りや結婚式を行うということにも神経質になってきている。それくらい昔とは比べようもない状況の中で起こった不祥事ですから、県民に与えたショックは大きいのです。

私が知事になってまだ半年足らずですが、2006年は福島県内を歩いていると暗雲立ち込めているというか、暗い感じでした。入札という言葉を聞いただけで、みんな逃げ出したぐらい、県民がぴりぴりしていました。しかし、知事選挙が終わってからは、雰囲気は明るくなったと思います。

私が知事になってからは、いい話がたくさん出てきました。福島県関係者が、全日本合唱連盟の金賞を取ったり、アジア大会で頑張ってくれたり、箱根駅伝で頑張ってくれたり、そのような話題が県を明るくしてくれました。

では、その10年の間に私なら何ができるのか。私は施策の6割は継承しますが、4割は自分自身の考えで進めたいと考えています。経営という点では先にも触れましたプライマリーバランスを保つことが重要ですが、今、1兆円近い借入金を抱える中で、今後、多数の退職者が続きます。国が面倒を見てくれるなら別ですが、その退職金の財源はどこから出すのか。借金を減らしていくというのは、10年、20年先までの長期にわたる課題で、3年、5年で結果を出すのには無理があります。これは福島県のみならず、国においても町村においてもそうです。だから、私は今を凌ぎながら、その先のことを考える必要があると考えています。

福島県の財政を良くするには、行財政の改革や歳出の削減はもちろんですが、それ以上に税収を増やすことです。ですから、企業誘致、定住・二地域居住、観光に力を入れています。そのため、私は2月から営業本部長という名刺を持って歩いているわけです。こちらの方が、東国原英夫宮崎県知事よりも早いのです。

人生の後半で、農業をしたい、林業しながら、絵を描きながらというように、人にはいろいろな生き方があるはずです。そういうバリエーションという意味では、幸いにして福島県はさまざまなジャンルで人生を選べる多様性を持った所だと思います。ふるさと回帰のために各方面の団体からなる推進協議会が4月からスタートしました。加えて、福島県出身の東京に行っている人の集まりである東京県人会が大きい存在です。さらに60の市町村が皆、類似の組織を持っています。私はそこへ行って、ふるさと回帰のため話をしてこようと思っています。


第5話 「大字」単位の集落は必ず守る

私の行政スタイルをあえて言えば、「啓蒙と協調」ということになります。県民や職員の話をよく聞きながら、そしてまた教えながらということの繰り返しです。県民や職員と1緒に歩くということは大切ですが、一緒に歩いても、それに流されてはいけない。

私は、今後10年の起承転結を決め、これについて、自らのアクションプログラムをつくり、それに抵抗があっても、啓蒙しなければならないところは啓蒙します。やはりこれからは世論が大事ですから、それに耳を傾ける。耳を傾けなければならない部分が出てくるのは当然だと思います。

そして、私が政治信念としているのが、地域社会を守るということです。今後、全国で約2600の集落がなくなるおそれがあるという調査結果があります。我が県も40ぐらいの集落がその対象でしょう。1人もいなくなると集落は消滅するのですが、例えば、私が子供のころ15軒ぐらいあった集落が、10年前にはもう3軒ぐらいでした。これは「字」単位の集落の話ですが、そこをすべて守るというと大変なことになりますが、私は何としても、最低でも町の中で「大字」の単位は守ろうと思っているのです。

これからの地方は、現場の基礎自治体が中心になっていくのは当然ですが、市町村との関係で、県には市町村と国との関係を仲介するという役割が出てきます。二地域居住にせよ、定住にせよ、企業誘致にせよ、基本的に県が仲人役を担う必要があります。具体策として、企業誘致に関して、今年度は35億円を上限とした補助金を出すことにしています。

全体的な視点で中通り、浜通り、会津の特色を生かすというのは、基礎的自治体だけではなかなかできないところがありますので、県には総合コーディネートというか、総合政策の中で、常に県内の60市町村を見ていくという役割もあります。

そう考えると、広域的な、戦略的な基盤として、県の役割はやはり重要です。ある意味では、市町村に対する県の立場と、県に対する国の立場というのは共通するところがあるかもしれません。ただ、市町村と県の関係はもっと密接です。県庁の皆さんは、私が市町村のことばかり言っていると怒っているかもしれませんが、それぐらい市町村と緊密性を持ってやっていかなければならない。

三位一体改革では、「闘う知事会」が教育費の問題などさまざまな意見をぶつけ、国の地方に対する理解度をそれなりに高めたという役割を大いに果たしたと思います。

ただ、教育にしても、生活保護にしても、憲法で国の責任がきちんと定められている。教育などの基本的なこと(ナショナルミニマム)は、北海道であれ、九州であれ、国がやるべきでしょう。教育の根本が北海道と九州で違うことになれば、おかしな話になります。

本当に地方分権を進めていくには、すでに申し上げたように、基本的に国土政策を見直さなければならない。地方に権限を移譲しても、事業を実施するための予算は、県が自ら確保しなければなりません。財源を確保するためには税収の源である人口などの分布を適正にしなければなりません。国の役割をもっと限定して、あとは全部地方にやらせようという考え方もありますが、そのときは日本の政治が相当変わるときでしょう。

その議論は、基本的には国の形の問題です。国の形がどうなっていくか、それを見据えながら、地域を経営することに取り組みたいと思っています。

camp4_fukushima.jpg佐藤雄平 (福島県知事)
◆第1話:5/26(土) 「国土政策で人口の適正分布を図らないと、本当の分権は実現できない」
◆第2話:5/27(日) 「県政の課題は税収の拡大にあり」
◆第3話:5/28(月) 「東京圏との近接という現実は考慮せざるを得ない」
◆第4話:5/29(火) 「談合問題と"権不十年"」
◆第5話:5/30(水) 「"大字"単位の集落は必ず守る」

 「日本の知事に何が問われているのか」をテーマに、全国の知事にインタビューを続行中です。
現在の発言者は齋藤山形県知事です。