斉藤惇 (株式会社産業再生機構代表取締役社長)
さいとう・あつし
1939年生まれ。63年慶應義塾大学商学部卒業後、野村證券株式会社入社。同社副社長、スミセイ投資顧問顧問を経て、99年住友ライフ・インベストメント社長兼CEOに就任。2003年より現職。主な著書に『兜町からウォール街─汗と涙のグローバリゼーション』 『夢を託す』等。
行政の役割と地方の競争
構造改革は地方に進展させなければいけませんし、構造改革というのは生産性が上がるという回答を求めてやっていることだと思います。生産性が上がらないのであれば、いかにそれに構造改革という名前がついていても、それは構造改革ではありません。しかし、生産性が全く上がらないものは世の中に全く要らないのではなく、生産性では計れないものがあって、それは行政がやるしかないのです。社会の安定、犯罪率を落とす、福祉厚生は生産性と逆です。お金はものすごく要りますが、そこからはほとんど生産的なものは生まれてきません。これはやはり行政が中心にやるべきなのです。生産性で計れる仕事は、行政がやることではなく、民間がやることです。行政が生産性が上がることをやろうとすれば、おかしくなる。
市場理論をどれだけ入れるかということによって、社会構造そのものを効率化することは日本全体にある課題です。まさしく人口が減っていくのですから、生産性を上げない限り、現在存在しているGDPの絶対量すら保てなくなる。ですから、パーキャピタベース、資本1単位当たり、1人当たり、1平方メートル当たりといった、あらゆるものの生産性を上げることしか、この国を繁栄させて保つ方法はない。
しかし、公的な仕事は本来、資本効率を目的とするものでは無理だと思います。官業が民業と同じように資本効率を求めていないという批判は、私は賛成できません。官には官の仕事があり、その役割は、資本効率を極端に求めていこうとする市場主義には市場の失敗という弊害もありますから、そのときに資本効率を伴わない考え方で補完、修正役をやることです。ただ、その介入の時間や金銭的な量はできるだけ小さい方がいいということになります。
では、地方の活性化はどう進めていけばよいのでしょうか。地方の活性化とは、地方の行政がリーダーシップをとることではありません。私はいつも地方の方々とお話しするときに、行政に言われてではなく、自分で、自分たちの町をこうしようというアピールをすべきだと言っています。
江戸時代には、各藩はそれぞれの経営をやっていたわけで、大変栄えていた藩の隣に、ヒエも食えないような藩もありました。江戸幕府の経営は地方自治主体でした。自ら助くる者は助くというやり方でした。先般、東京都に本社を置く銀行に都が税金をかけましたが、もしアメリカで同じことが起きれば、銀行は翌日、本社を移してしまったでしょう。税金のかからない横浜へ移り、東京から出ていく。これが市場主義なのです。ニューヨーク市の破綻のときに、市の税金を上げたところ、見る見る、多くの企業がイーストリバーの反対側に移っていった。そこでますますニューヨーク市が疲弊した。
かつて、沖縄の活性化のためには、大蔵省の金融行政の規制が完全に撤去されたフリーファイナンシャルセンターにすればそれだけで自然に、沖縄は香港に代わるアジアのファイナンシャルセンターになるという話をしたことがあります。
行政はベースになるラインだけ引いて民間に自由にさせれば良いのです。日本には金はあります。負債比率150%と言っても、国民同士が借金しているのであって、外国から金を借りているわけではない。金があるから外債を買っています。これが10%、15%回る事業を見つければ、誰もがリスクマネーを投入するわけです。そのようなインフラを作ることが行政です。行政そのものに資本効率を求める必要はなく、事業企画に参加してくる人たちが資本効率を求められるようにしてあげるということが非常に大事だと思います。
※本テーマにおける斉藤惇さんの発言は以上です。
構造改革は地方に進展させなければいけませんし、構造改革というのは生産性が上がるという回答を求めてやっていることだと思います。生産性が上がらないのであれば、いかにそれに構造改革という名前がついていても、それは構造改革ではありません。しかし...