【国と地方】斉藤惇氏 第3話:「「中央から地方へ」は本当に正しいのか(1)」

2006年5月06日

saito.jpg斉藤惇 (株式会社産業再生機構代表取締役社長)
さいとう・あつし
profile
1939年生まれ。63年慶應義塾大学商学部卒業後、野村證券株式会社入社。同社副社長、スミセイ投資顧問顧問を経て、99年住友ライフ・インベストメント社長兼CEOに就任。2003年より現職。主な著書に『兜町からウォール街─汗と涙のグローバリゼーション』 『夢を託す』等。

「中央から地方へ」は本当に正しいのか(1)

 我々の産業再生機構は、地方でいくつかのリストラ案件に成功しました。それはある意味で我々が中央、国の機関として企業の再生に取り組んだからです。

 もしこれが地方の機関であれば、地方は受け入れず、私たちも妥協していると思います。つまり、地方に権力を渡せば地方が何かやるのかと言うと、私には逆に思えてしまう。

 この例で言えば、国家公務員は地方に癒着がないから、かなり合理的な行動がとれるはずです。しかし、それはあくまでも理想で、非常に皮肉なことなのですが、今中央官庁では政治家の方が官僚をコントロールしようという動きが強く、これを国民が皆サポートしている。しかし、現実に何が起きているかと言うと、地方代表の政治家が事務次官の人事権まで持ち始めてくると、官僚はゴマすりに代わり、自分の出世のために、国家戦略のためには負債も抑え、地方はこの程度でやってほしいというような合理的な考えが、むしろ没になっている。ですから、地方に権限を渡せば、非常に合理的で効率的な資産やお金の配分ができるかどうか、大変疑わしいと思っています。

 現実に、地方では地元の一部の人の富のために多くのお金が使われているようにも思えます。地元全体の発展というよりも、例えば商店街に政治力があるとすると、効率的な市場への参加者が外部から入ってくるということを阻止しようとします。そのときに、県人であると同時に日本人である消費者は、犠牲になっているわけです。

 商業のトップの人、事業関係者、農業団体など、ごく一部の人たちの歪んだ政治パワーで県政が行われ資金の分配が行われていくと、本当に地方は荒んでしまいます。

 地方がリーダーシップをとると、エゴが出てしまう。残念ながら日本の社会にはそういうところがあります。地方というのは地方の行政官と距離が近いわけです。そうすると、小泉さんの三倍くらいの変わった行政官でなければ、合理的な政策は強行できません。

 理想は確かに、地方の自治は住民が自分で選んでやっていくべきです。しかし、行政と住民の距離が近づくと、ものすごく曲がる。それを十分知ったうえで、それをブロックするようなシステムを考える必要がありますが、それがなかなか難しい。

 今までは、中央という遠いところで資金の配分をしていましたから、そのような問題はあまり目立たなかった。しかし、中央でも、小泉改革で政治家が官僚以上の力を持つようになり、官僚は政治家といかに癒着するかを考えるようになった。正義心の強い官僚は、馬鹿らしくてかなり辞めています。同じ現象が地方でもさらに強まると思います。

 現実に今、地方の代表は、交付金は減らさないでくれ、消費税が上がったら消費税収分をくれということばかり言っている。こうした議論のどちらが正しいかと言えば、間違いなく国が言っている方が正しい。しかし、地方が大騒ぎすれば、そうは動かないでしょう。ですから、あまりいい格好をして頭の中で考えてしまうと、自分が考えたことと全然違う効果になってしまいます。


※第4話は5/8(月)に掲載します。

我々の産業再生機構は、地方でいくつかのリストラ案件に成功しました。それはある意味で我々が中央、国の機関として企業の再生に取り組んだからです。