「地方の再生」と地域提携 3知事座談会 / 第2話:経営者としての知事に求められること

2008年3月19日

080112_tottori.jpg2008年1月12日
福祉フォーラム実行委員会主催 「Japan'sea 福祉フォーラム8 in とっとり」



出席者:平井伸治鳥取県知事、古川康佐賀県知事、溝口善兵衛島根県知事
コーディネーター:言論NPO代表工藤泰志

経営者としての知事に求められること

工藤 どうもありがとうございました。今の話の中にかなりキーワードがありました、活力とか自立とかです。ただ、私は、これから議論をしていただくことですが、確かに活力を持つような地方経営とか自立は重要ですが、そこまでの本当の答えを地域社会が見出しているのだろうかということが疑問なのです。

 日本はいまかなり厳しい。例えば、東京と地方との格差、財政問題、人口減少、高齢化という問題が多分、地域社会の中で非常に目に見える段階になっている。こういう大きな変化の中で、知事に問われている課題は変わってきている。一言で言えば、顔が見えるようになったのがこれまでの知事の地方の改革の1つの成果でした。知事や県庁が市民に何か見えてきた。それまではなかなか見えなかった。でも、見えてきたのはいいのですが、見えた知事が活力を持つ地域社会の経営が本当にできるのだろうか。まさに仕事ができるかということを問われている。
 
 私は地方の知事に会いに行っているのですが、きょうのお三方はまさに仕事ができる人ですが、あれ、こういう知事でいいのだろうかと思う人もかなりいるわけです。

 さて、地方の自立、また未来を考えた場合、地域社会の経営者として何をすべきか、その答えを皆さん見つけていますか。見つけているのでしたら、それは何か。見つけていないとすれば、何が今大きな課題になっているのか。そういうところから議論を始めたいと思います。

「県庁の中のシステム改革から、社会全体を動かす改革へ」

平井 地方の経営者として今問われているのは、今の話にも随分と出てきましたが、1つは、どうやって市民の活力というか、県民の皆さんの力を総合的に蓄えていくというか、発揮させていく。それができるかどうか。そこにかかっているのではないかと思います。

 工藤代表の話にもありましたが、これまでの改革派と言われるムーブメント(活動)は、いかに県庁などをオープンにするか。そして、県がやっていることと県民の皆さんとの接点をつくっていく。それはいわば県庁の中のシステム改革、行政の中のシステム改革の部分だったと思います。しかし、もっと踏み込んでいって、社会全体を動かすようなことになってこなければいけないのではないか。それが地域の活力、あるいはゆとりなど暮らしの豊かさにつながっていかないと、本当の意味の改革とは言えないのではないか。

 小泉さんの構造改革で随分とドラスティックな改革がなされてきたわけですが、それに伴って切り捨てられたものも一杯ある。それが地方のほうにしわが寄ってきているかもしれない。ですから、それをはね飛ばすためには生半可なことではないと思うのです。1つは、国に対していろいろと求めていかなければならない。地方として共同で声を上げていこうという運動も大切になってくると思います。もう1つは、では、我々の側で何ができるかということを考えていかなければならない。そういう意味で、従来とは質的に違った私たちの取り組みが求められるのではないかと思います。

 溝口知事のお話にもありましたが、今、随分と輝きを持った市民の力といいますか、県民の力が出てきているのではないかと思います。前とは随分と変わってきていると思います。試みにデータをとってみますと、鳥取県はボランティアへの結集率が34.5%。全国で一番ボランティアの参加率が高い県になっています。そして、第2位が実は島根県でして、結集率はほとんど変わらないぐらいです。山陰の人たちは、そうした意味で、地域でお互いに助け合っていこう、地域のことに貢献するのは、自然とともに暮らしているのと同じように、いわば当たり前の生活の一部になっている面があると思うのです。

 こういう世界であれば、大都会と我々は勝負できると思う。ここが生かせるようになれば、本当の意味で地域の力強さが、私どものような地方区でも生まれてくるのではないかと思います。それは佐賀でも同じだと思うのです。

 我々の地方部は、そういう意味で、都会とは違った力を出さなければならないのではないかというのが1つだと思います。
 
 あともう1つ、我々は、どうも足元のことばかり見て、分析主義的になっているのではないかということです。これが1つ気になります。特に県庁みたいな大きな組織の中でやっていますと、何か新しいことをやろうと思うと、すぐに100ほど問題点を挙げてくるのです。これは、我々の足元の地域社会でも同じことがあるかもしれない。因幡(鳥取県)のほうでは、「煮えたら食わあ」という。料理がグツグツと煮えてきたら、それを食べよう。それまではじっくりと見ているだけ。どうなるかなと見ている。こういうことでは、恐らくこれから突き破る、ブレークスルーのような展開にはなってこないと思う。

 ですから、前知事の片山さんの県政とはちょっと違うのは、先を見ましょう、将来のビジョンを考えながら、未来を考えながら、今を語る。そういう県政にしなければならないと思っています。今、県民の皆さんと一緒に将来のビジョンをつくり直そう、共通の理解を持とうとしています。共通の理解でこんな夢に向かって進んでいきましょうというものがあれば、我々はこういうことをやろう、うちの会社はこういうことをやろう、行政にはこういうことをやってもらいたいというのがおのずから出てきて、それぞれに別々の力で動いていっても、1つの方向性を持って地域を動かしていけるのではないかと思います。

 こういう将来のビジョンは世界観とも関わると思います。実際、我々の小さな地域だけの中で完結しようと思ってももう無理です。例えば、東京の若い人に何が受けるかということを考えるわけです。今、伝統産業でも意外と元気なところがありまして、中井窯というところは、昔の民芸という、ちょうど青と黒の染め分けのコーヒーカップをつくり、渋谷や横浜、そういうところの「ビームス」(セレクトショップ)に出しているのです。

 ですから、この辺りで売ったら2000円ぐらいのものが5000円ぐらいで売れる。そうなると、大変元気になってきまして、今、注文が殺到してなかなかでき上がらないということになっています。

 このように、もっと外に打って出ること、外とつながっていくようなことを考えなければならないと思います。ヒット商品というのは、意外とこんなことで生まれるんだなあと思うのですが、去年、我々は和牛の博覧会をやりました。そのときに、「妖怪の里」(鳥取県)関係の業者の方が、私ども東伯の和牛とタイアップして和牛カレーというものをつくりました。和牛カレーのレトルトをつくり、全国展開して売っています。

 たまたまギャル曽根という大食いの女の子が全国のそうしたレトルト食品の食べ比べをやり、ナンバーワンということで優勝したのが鬼太郎カリー。鬼太郎の好きな鳥取和牛カレーというものです。そういうことで売れ筋になったりする。ですから、意外なところでヒットをすることがあるから、どうやって外と連携していくかということを考えなければいけないと思います。私はことし、アンテナショップにチャレンジしようと思っています。鳥取県はこれが欠けていたので、東京でも発信拠点を持ちたいと思っています。

「競争社会の中で共生の地域社会が自立できる仕組みをどうつくるか」

工藤 お話を聞いていると、知事なのか経営者なのかわからないですが、それが今重要だということですね。

 聞いていて気になったのは、日本の中には、世界とも競争するような市場主義の競争社会と、みんなで助け合っていくような社会とがある。その軸を移すのが構造改革だと考えると、問題は、共生という地域の社会が、競争が行われる社会の中で自立するような仕組み、設計をつくれるかということです。また、その競争力を持てるかということですが、それはどうですか。そこに答えを出さないと、これは衰退してしまいますね。

古川 そこが本当に毎日毎日考えている話なんです。工藤さんから前にインタビューを受けたときにも、幕末と似ていると話しましたが、江戸時代は、私たちが習った歴史では、何か身分制度があって苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)の悪い時代だったように習いました。それが今の最新の研究では、割と安定していた社会だったと言いますね。

 そのころは、自分が何者であるか余り考えなくてよくて、自分がやる仕事は決まっている。農家は農業をやる、漁業者は漁業をやる。商人(あきんど)は商売をやることになっている。自分が何になるかということも気にせずに、そして年頃になれば、じゃ、おまえにはこういう人がいいだろうと言われて結婚して、それで家庭をつくる。ある意味で、余り不安がないような社会だった。みんながうまくやっていたわけです。

 しかし幕末になり、それまでがちっと幕府が抑えていたのがだんだん緩むにつれて、それぞれの地域は何か頑張らなければいけないということになっていく。そして、一挙に近代になったときに、みんなものすごく不安になるわけです。身分制度は崩壊する。今までよかったことが全部だめになるという中で、では、近代人とか、近代国家とか、近代の地域はどうつくっていくかということで、ものすごく模索した時期があったと思います。

 日露戦争からしばらくの間に、何となく戦前の日本ができてきたと思いますが、それは戦後、否定された。その後、みんながこつこつ頑張って、松下幸之助さんに代表されるような、そこそこ日本式の経営と日本式の社会、非常に居心地のいい社会ができたわけです。地域においては余り競争しない。例えば商都、米子を含む地域のそれぞれに商業資本があったと思います。

 私が住んでいる佐賀もそうだし、唐津もそうでした。そこで一番大きな本屋は地元の資本でした。卸という機能が結構あちこちにありました。そこで買い物をする、つくっていく、そのときに、そこの地域に資本がたまるような仕掛けがあったのだと思います。それはそれで、割と居心地のいい社会ができてきていた。

「グローバル化による格差をカバーするのは地域コミュニティーと自治体」

古川 私が小さいころは、佐賀市内で一番大きな本屋は地元の資本で、社長はもちろん地元の方でした。今、一番大きな本屋は紀伊國屋の佐賀店で、ゆめタウンの中に入っています。かつて地元資本の本屋の社長は、地域のお祭りやイベントのときには、いろいろな意味でいっぱい還元をしていただいていましたし、自分でサロンのようなこともやっておられました。本の数は、今の紀伊國屋の佐賀店のほうがはるかに多い。でも、そこの店長は、かつての地元資本の本屋の社長ほどは給料をもらっておられませんし、また、地域との関わりの度合いも低いものです。

 そういった現象が、実は島根でも鳥取でも、そして佐賀でも同じように起きてきていると思います。それはなぜなのかというと、これは溝口知事が専門家でいらっしゃいますが、とにかく世界の中で戦わざるを得なくなっているということだろうと思います。今までお互いに非常に居心地のいいところで暮らしていたものが、今、さまざまな産業が、お互いの県同士で競争しているだけではなく、中国ともアフリカとも競争しているわけです。そういったことは、いい、悪いは別にして、認めざるを得ない。その際、我が国が世界的な競争社会の中でも何とか勝ち抜いていくために、改革自体は必要だったと思います。

 ですから、こういうグローバリゼーションはどうしても格差を生んでいってしまう。そのときに、では、それをカバーするのはだれなのかというと、私は自治体がやらなければ、誰がやるのだろうと思うのです。もちろんそれは、市民、県民がコミュニティーとしてやっていくのだと思います。コミュニティーがみんなをカバーしていく。そういう機能がある。そして、自治体はそれを補完するだろうと思うのです。グローバリゼーションの波の中、もうインターネットが当たり前になっていくと、国家がものすごい壁だった時代は、実はもう終わっていると思います。世界とコミュニティーというものに世の中が分化されるような気がしています。

 そのときに、地域に問われているのは、実はそこに住んでいる人を守る機能だろうと思います。ただ、守るためにはもちろんお金も要りますし、人々の考え方や行動も必要になってきます。では、それをやっていくのにどうしたらいいかというところで、国からお金をもらってくるということを抜きに考えるとすると、自分たちの地域の中にどうやってきちんと資本を蓄積させるか、お金が回っていくようにするかということだと思います。

「教育、環境、福祉などをやるのに必要なお金を産業振興でつくる」

古川 私がいつも言うのは、自治体がやらなければいけない仕事は、教育、環境、福祉、こうした分野です。ところが、そういったものをやっていくにはどうしてもお金が必要です。そのためには、やはりきちんと企業を呼び込むなり育てるなりして、もとになる税収を生み出していかないといけない。なぜ産業振興をやっているのかというと、本来、我々がやりたいことをやっていくための資金をつくるためです。例えば、きょうも会場にいっぱいお店が出て、クッキーやら何やらおいしいものを並べておられますが、ああいうクッキーを売ることがNPOの目的ではないかもしれない。でも、自分たちの目的としているところの障害者の生活を支えていくことをやるには、クッキーを焼いたり、ほかのいろいろなこともやっていかなければならない。私は、そういった意味で産業振興をとらえています。

 そうしたことをやっていくときにも、本当に世の中がまさに世界村化している中で、どうやって地域の産業を意味のあるものにしていくのか。1つでも2つでも実現していかなければと思い、最近、ずっと頭は産業のことでいっぱいです。

 金属材料の学者によると、5円玉、10円玉、1円玉といった硬貨を鋳造するのに金属を使っていますが、今、金属の価格が急速に上がっているということです。ここ数年で特に上がって、5円玉は今、つくるのに2.5円ぐらいかかっていて、このままいくと、5円玉をつくるのに5円を超える時代が来るのではないかという。そうなった瞬間、5円玉がある日、流通しなくなるのではないかという話になり、そもそも硬貨って要るのかという話になったのです。硬貨というのは電子マネーではだめなのかという話になって、硬貨に使う金属は、金属でないとだめなものに使わせてくれないかというのが、金属材料の学者の意見でした。
 
 世の中で資源が足りない、足りないといっていますが、実は一番あると言われているのは、東京のような大都市である、そこには使われなくなったたくさんの携帯電話やPCがある。そこに使われている非鉄金属を丹念に拾うと、南アフリカよりもずっと豊かな資源が日本の中に眠っているということになるのです。

 私たちの県では、公共関与の産業廃棄物の処分場がことしの冬に完成します。そこで、単に要らないものを埋めるというのではなく、新しく地域の富を生み出すような仕掛けが何か考えられないだろうか、そのようなことを考えています。とにかく地域で何か暮らしていける、将来に向けて必要となる産業を生み出すことによって、本来、住民に対してやっていきたいものを進めていけるということが自立ではないか、そんなことをつくづく感じています。

工藤 ありがとうございます。非常に教訓的なお話で、まさに経営者の意識を持っているのに驚きました。こういう知事が日本にどんどん出てきたのだなとうれしく思いました。

 溝口さんは国際金融をずっとやってこられました。私が一昨日、政府の官僚の人たちと議論したときに聞いた話ですが、国家公務員が海外出張し、ロンドンなんかへ行ったとき、ホテル代が高くて都心に泊まれない。郊外の安ホテルにみんな泊まり、重い荷物を持って都心まで地下鉄で行って交渉するという。そのとき、彼らの多くは、安いホテルに戻って、日本が何か取り残されたのではないかという疎外感というか、閉塞感を非常に感じるそうです。

 つまり、今おっしゃったように、国家を超える世界の動き、世界そのものがグローバリズムにかなり大きく動いている状況の中で、日本そのものが非常に大きく残されているのではないか。でも、国家がだめでも、地方なり国民なり個人は、自分たちの意思をもとにいろいろなことを超える力があるのです。こういう閉塞状況を地方はどういうふうに突破できるのか。

溝口 おっしゃるように、県知事には経営者の感覚が必要だと思います。県下を回ると、元気な企業、あるいは元気な農業者はいろいろ工夫をしています。ほかと少し違うものをつくる。同じ手づくりであっても、農産物であっても、ちょっと工夫がある。

 世の中は、工業化が進む、情報化が進むという流れと同時に、昔と比べて、だんだん豊かになってきている。社会が成熟化してきている。そうすると、都市の消費者たちには、普段使いのものは外国からの輸入品でもいいけれど、本当に欲しいものは手づくりのものとか、ほかとちょっと違うとか工夫しているものが好まれます。しかし、そういうものは値段が高い。そうでない低中級品は大量生産できる、近隣諸国にかなわなくなる。それはしかたがない。

 それがグローバリゼーションです。日本は欧米に追いつくように明治以来やってきて、戦後もそれをやってきて、大体追いついたような感じです。ところが、日本の後に途上国、今は新興国といいますけれども、そういう国々が出てきて、その人たちがつくる製品は、品質はともかく賃金が安いので、先進国から技術が入ってくれば、安くできる。したがって、先進国は途上国ができないものをつくっていけばいい。島根などでいいますと、産業も大都市の人が喜ぶようなものをつくっていく。農業とか伝統的な産業はそうですね。

「豊かな自然、伝統文化を生かして人間的な生活を」

溝口 島根では去年、石見銀山遺跡が世界遺産に登録になりました。これは島根のまさに地下に埋もれていた地域資源の一つです。それが掘り起こされて、石見銀山の価値が世界に認められたので、観光客の皆さんが島根に来るようになった。そういったことがこれからもっと起こるだろうと思います。豊かな自然、古きよき文化、そういうものの価値が認められるようになったのです。都市にはないものです。

 また、こちらには温かな人間関係のある地域社会が残っています。例えば、島根県松江市の古い旅館に行くと、東京の人たちは、ここのサービスは東京と違うと感ずるようです。東京のホテルなどで非常にビジネスライクの応対を受けるのと違い、古い旅館に行くと、女主人から丁寧にあいさつされたりする。あいさつする人は普通のつもりでやっているけれど、東京などの大都市から来ると、ああ、こんなものが残っているのか、いいなと感じる。

 つまり、世の中はグローバル化して、質はともかく大量生産できる製品ではだんだん競争に勝てなくなりますから、違う分野に転換していかなければいけません。日本の大企業はそういうことをやったわけです。その影響はだんだん島根あたりに来ています。しかし、ここにはいいものが残っている。これから自立していくためには、もうちょっと条件を整備してもらうといい。さきほどの道路などもそうです。私どももだんだんよくなっているのは間違いありませんが、まだちょっと遅れている。そこを少し手当てしてもらうと、自立の基盤整備に役立ちます。それは国に対する要望です。

 しかし、我々も工夫、努力をしなければいけない。地元ではいろいろなことがなされていますから、それを我々県などが背後で支援していく。そうすれば、豊かな自然、古き良き文化の中で地域社会が残り、そういう中で本当に人間らしい、いい生活がだんだん地方でできるようになるのではないか。いったん、都市に出た人が戻る動きも少しずつ出ています。大都市で生まれ育った人が農業をやってみたいというので、島根にも来て、そういう体験を1年とか2年ぐらいするようなこともしています。それも社会が成熟化してきていることの反映だろうと思います。今、世の中で起こっていることは島根にとって決してマイナス面ばかりではないというのが私の感想で、そういうプラスの面を生かしていく。それはぜひやりたいと思います。


Profile

080112_shimane.jpg溝口善兵衛(島根県知事)
みぞぐち・ぜんべえ

1968年東京大学経済学部卒業、大蔵省入省。77年から80年在西独大使館書記官。80年主計局主査、大臣官房企画官、銀行局企画官、85年世界銀行理事代理。89年国際金融局開発政策課長、国際金融局総務課長、93年副財務官。94年在米国大使館公使。主計局次長、総務審議官、官房長、国際局長を経て、2003年財務官就任。04年より国際金融情報センター理事長。06年退任。

080125_tottori.jpg平井伸治(鳥取県知事)
ひらい・しんじ

1984年東京大学法学部卒業後、自治省入省。福井県財政課長、自治省選挙部政党助成室課長補佐、カリフォルニア大学バークレー校 政府制度研究所客員研究員鳥取県総務部長、副知事、総務省自治行政局選挙部政治資金課政党助成室長を歴任後、2007年 2月に総務省を退職し、4月鳥取県知事選挙初当選、鳥取県知事に就任。

camp4_saga.jpg古川 康 (佐賀県知事)
ふるかわ・やすし

1958年生まれ。82年東京大学法学部卒業後、自治省(現・総務省)入省。自治大臣秘書官、長崎県総務部長などを経て、03年無所属から佐賀県知事に当選。日本で初めてマニフェストを掲げて選挙を戦った政治家の一人であり、当時全国で最も若くして知事となった。07年に再選を果たし、現在2期目。全国知事会政権公約評価特別委員長。「がんばらんば さが!」をキーワードに、「くらしの豊かさを実感できる佐賀県」の実現を目指して県政に取り組む。

071113_kudo.jpg工藤泰志(言論NPO代表)
くどう・やすし

1958年生まれ。横浜市立大学大学院経済学修士課程卒業。東洋経済新報社で、『週刊東洋経済』記者、『金融ビジネス』編集長、『論争 東洋経済』編集長を歴任。2001年10月、特定非営利活動法人言論NPOを立ち上げ、代表に就任。