「地方の再生」と地域提携 3知事座談会 / 第1話:地域の課題をどう認識しているか

2008年3月18日

080112_tottori.jpg2008年1月12日
福祉フォーラム実行委員会主催 「Japan'sea 福祉フォーラム8 in とっとり」



出席者:平井伸治鳥取県知事、古川康佐賀県知事、溝口善兵衛島根県知事
コーディネーター:言論NPO代表工藤泰志

地域の課題をどう認識しているか

工藤 ここには、やる気がある人、つまり、地域社会や福祉などに関してやる気のある人たちが集まっていると聞きました。私が東京でやっているNPOも、まさに日本のために議論しよう、という人たちが集まってつくられた組織です。

 私は去年から地方の知事を訪ね歩いています。日本の政治も日本の将来に対する答えをまだ国民に提起していないのですが、地域はどうなんだろうか。私は、それを地方に行って尋ねているのです。地域は今、非常に困難な状況にあるけれども、可能性を持っている。では、地方の、まさに経営者である知事は、その課題にどう取り組んでいるのか。それが私の最大の関心なのです。

 きょう来ていただいた3人の知事は、お二方は新人というか、1年生ですが、古川さんはもう有名です。お三方とも中央でもかなり実力のある人たちですが、いま地方の経営者となっている。私はそれに非常に関心を持ちまして、きょうのコーディネーターを引き受けたわけです。

 きょうの議論では、地域が未来に向けてどんな動きをこれから始めることができるのか。そのために市民やさまざまな人たちと提携をしながら、新しいドラマをどうつくれるのか、に最も関心があります。きょうはそういうことを目的にして約2時間にわたって議論します。

 まず初めに、知事の皆さんに、ことし、2008年は皆さんにとってはどんな年なのか、何をしたい年なのか、自己紹介を兼ねて話していただきたいと思います。では、鳥取県知事の平井さんからどうぞ。

「県単体で勝負できる時代は終わった」

平井 鳥取県知事の平井です。私はまだ新米の知事です。昨年4月の統一地方選挙で知事になる前にも、鳥取県で副知事などで行政をやっていたものですから、いろいろな方と知り合って、一緒になって地域づくりをしてきました。

 ことしはどんな年にしなければいけないかというと、やはり気になったのは、年初早々から景気の悪い話が随分飛び込んできたことです。まずは原油1バレル100ドルだとか、こういう時代に入ってきた。これがきっかけで円高が進み、ドルが安くなる。こんなことが株価にも影響して、株は下がる、片方で金がどんどん上がってくる。

 世の中、全世界マネーゲームになっていて、余ったお金がどこかにいって、これが相場を引き上げたり下げたりということになります。これが地域の経済にも随分と悪い影響を及ぼすのではないか。それが本当に懸念された年初だったと思います。

 ですから、ぜひことしは鳥取県、そして山陰や地方が元気になるような年にしていきたいと思っています。その意味で、いろいろと仕掛けていかなければならないだろうと思います。年初早々に、例えばぜひとも企業誘致を進めたいとか、地場の企業さんに元気になってもらうような施策を県民の皆さんと一緒に考えていこう。そのための庁内のプロジェクトを1月4日から立ち上げたりいたしました。こうやって取り組んでいかないと、あっという間に地域間格差は、もっと開いていってしまうのではないかという懸念を持っているわけです。

 これからは鳥取県、あるいは島根県、佐賀県という単体で勝負ができる時代はもう終わってきたと思っています。道州制の声も聞かれるようになりましたが、道州制にいくもっと手前のところで、お互いに一緒になっていろいろなことができるのではないかと考えています。ですから、地域間の連携をしっかりとやってみたい。島根、あるいは兵庫、岡山といった隣県とのきずなを深めたり、さらにはアジアの中での日本、山陰、鳥取県という考え方で、アジアに向けて私たちが飛び出していくようなことをしなければいけないと思っています。

 昨年はアシアナ航空が米子からソウルへの飛行機を運休したいと言ってきた件で随分と県内をお騒がせしました。その後、大分県や長崎県も運休の危機にさらされていまして、今になってみると、私どもは一歩先にこの経験をしていたと思っています。何とか県民の皆様、山陰圏域の皆様の力で運休を阻止できましたけれども、これを持続させ、成長させるとともに、さらに海の道を開けないかなと思っています。これはまだハードルが高い話ではありますが、航路で対岸の韓国やロシアとつながっていくことができるようになれば、鳥取県が日本海に面した、大陸に近いこの地にあることが地域にとって初めてメリットとなってくる。そういう年にできればと思っています。いろいろとチャレンジは多いけれども、皆様と一緒になって頑張りたいと思います。

「制度よりも住民の意識のほうが問題」

古川 佐賀県知事の古川康です。去年の佐賀県を振り返ってみると、いろいろなことがありましたが、非常にいい年だったと思っています。

 1つは、去年1月の頭に『佐賀のがばいばあちゃん』という自伝的小説がドラマ化されて、CX(フジテレビ)系列で放映してもらい、20%ぐらい視聴率がとれました。そういうところから始まって、佐賀といえば「がばい」みたいな感じのイメージが割と発信できた年でした。『佐賀のがばいばあちゃん』というのは、B&Bの島田洋七さんが小学校から中学校のころ、佐賀県に住んでおられたのですが、一緒に住んでいたおばあちゃんが非常に明るく貧乏を生きているという人だったということで、そのおばあちゃんとのエピソードをいろいろ書かれた本です。

 島田洋七さんは、当時、勉強ができなかったと言っていて、例えば通知表が1と2ばっかりだったといいます。そういう成績表が返ってくると、「0じゃなければええ。1とか2を足していけば5になる。」と言ってもらったという。歴史の答案には、「ぼくは、過去にはこだわりませんと書きんしゃい。」と言う。漢字の答案には、「ぼくは、平仮名だけで生きていきますと書け。」そんなことを言われたといいますから、非常にポジティブなおばあちゃんだったわけです。

 そのほか、当時、戦後すぐの話ではあるわけですが、本当にお金がなかったというので、おばあちゃんは、道を歩くときには腰にひもをつけ大きな磁石を引きずって歩いていた。そうすると釘のような金属製品が磁石にくっつくわけです。昔は金属製品はお金になったので、そういったもので少し稼いだりしておられたわけです。最近、佐賀県内では公共事業に使う金属製品が資材置場から盗まれるという事件が発生しておりまして、何か数十年たって金属の価値が昔に戻ったような感覚もあります。

 その『佐賀のがばいばあちゃん』が非常にヒットしたので、小説は2作目、3作目が出ました。佐賀県1区選出の福岡資麿(たかまろ)代議士という、障害福祉の分野に非常に熱心に取り組まれていて、今も衆議院の厚生労働委員会に所属されている方が、2作目にこんな話があると教えてくれました。

 実は、1作目では出てこなかったのですが、がばいばあちゃんの家には、新(アラタ)君というおじさんに当たる7つ年上の子供がいたんだそうです。知的な障害を持っている子供で、昭和20年代のころは日本全体がそうだったかもしれませんが、そういう子供は余り外に出さない風潮が強かったらしい。ところが、おばあちゃんはどんどん外に出していたというのです。

 当時は子供だし、そういう社会的な理解もなかったときでしたので、おばあちゃん、何で外に出すの、みたいなことを、洋七さんは聞いたそうです。そうしたら、おばあちゃんが、いやいや、こういう子がいることを知ってもらわんと困る、この子は時々ほかの人から見たら変わったこともするし、わからんこともする。でも、いい子だ。いつも見ていれば、みんなもそういうことをわかってくれる。急に見せられても困るじゃないか、ということで、とにかく外に出してみんなにわかってもらうんだと言っておられたというのです。

 今ようやく施設から地域にとか、いろいろ言われ出し始めていますが、戦後すぐ佐賀の地域で、そういったことを思いながら実践した方がいらっしゃるんだなということを改めて感じています。実は、きょうのキーワードになる自立というのも、我々はいろいろなことを制度のせいにしていますが、制度以上に実際にそこに住んでいる人の意識が問題になっていくということを改めて感じています。

「政府が違うと規制の考え方が違う」

古川 私は生まれも佐賀県で、自治省にもいました。平井知事と同じ役所にいたことになります。私は沖縄県庁に自治省からの派遣第一号で行きました。当時の、昭和57年ぐらいの沖縄は復帰して10年で、車が左を通るようになってまだ5年しかたっていなかったころで、いろいろ不思議なことを感じました。

 例えば沖縄の銀行は4時までやっている。本土の銀行は3時までです。何で沖縄の銀行は4時までいいのかと聞くと、いや、何で銀行は3時までなんですかと逆に聞かれたりしました。復帰する前はいろいろなことが自由だったのが、復帰して本当にいろいろなことがものすごく窮屈になったとよく言われました。

 例えばたばこも、復帰前の沖縄では自由にみんな売っていた。それが復帰して、たばこ小売人しか売れないという話になったときに、何でなんだということになり、沖縄だけは本土とは違う制度になりました。だから今、たばこは地元で買いましょうみたいな看板をよく見ますが、沖縄にはあの看板がありません。なぜないかというと、沖縄は全体で売れたたばこを大人の数で案分して、たばこ税の配分基準に使っているのです。

 塩も、沖縄は、昔は自由につくっていたものが、専売公社になったらなかなかつくれなくなったとか、空港も、復帰前はYS11が飛んでいたのに、復帰したら飛ばなくなって、小さな飛行機しか飛べなくなったとか、いろいろな話がありました。政府が違うと規制の考え方が違うことを、私は今から二十数年前に社会人になったときに初めて感じました。

 そうしたいろいろ自分で不思議に思ったことを忘れないように仕事をしていこうと思っています。今、佐賀県で知事という仕事をしていますが、その基本だけは忘れないようにしていきたいと思っています。

 ことし、平成20年、2008年という年は、私は目標として「フロム・ザ・ベリー・スタート」という言葉を掲げています。真の意味での最初からということです。知事になって5年目ですが、これまでの県政が抱えていたさまざまな課題の解決に追われた5年間でした。ことしはいよいよ本当にやりたいことをやっていくと年頭の記者会見でもお話ししました。具体的にはどういうことですかと聞かれたので、障害者福祉をやりたいと申し上げました。これまでも4年間、さまざまな形でやってきたつもりではあります。でも、ほかの大きなプロジェクト的なものに力をとられて十分にできなかったこともありましたので、これからはいよいよこうした分野を充実してやっていきたい。特に私のテーマである、「障害を持っている人にとって、日本で一番働く場のある県」にしていきたい、そんなことを思っています。

工藤 どうもありがとうございました。平井さんも古川さんも旧自治省、いまの総務省出身ということですが、次にご紹介する島根県知事は財務省出身の溝口さんです。

「いい資源、潜在力を生かして活力を」

溝口 隣の島根県知事の溝口です。私も昨年4月の選挙で当選し、まだ8カ月が過ぎたばかりの新米の知事です。

 私は島根県の益田で生まれました。18の年に東京へ出まして、43年ぶりのUターンになります。大学を出た後は大蔵省にいまして、財務省に名が変わりましたけれども、そこに36年勤めていました。退官後、財団の理事長を経て、知事選に出たわけです。

 43年ぶりですから、年に1回ぐらい帰ってはいましたが、島根県下のことも十分には知らないわけですし、地方自治の第一線の仕事も知らないわけです。できるだけ県内各地へ出かけて、現場を見たり、地域の方々から話を聞くことを随分やってきましたが、そういうことを通して、知事として何をしなければいけないのか、あるいはどういう方法でしなければいけないのかといったことを考えさせられてきています。

 島根は少子高齢化が全国でも最も進んだところです。東京で新聞だけ見ていると、少子高齢化で人口が減り、世の中は沈滞しているのだろうなというイメージになります。実は私もそういうイメージを抱いて戻ってきたわけです。しかし、各地を回りますと、決してそんな世界ではない。少子高齢化は進んでいますが、地域、地域で元気な活動があります。企業活動でもそうです。いろいろ工夫をして、山の奥でも花を育てる、それも温室で育てるとか、あるいは奥出雲の山の中でもトマトをつくるとか、農業でも新しい動きが一杯あります。

 多伎町(出雲市)はイチジクで有名ですが、高齢の方が、自分の家の前にあるイチジクを毎日手入れしておられる。そういう方がたくさんいるので、イチジクが1つの銘柄品になって、東京の市場にも売れる。そうすると、朝、出荷のときは、もう6時、7時ぐらいから自分が摘み取ったものを集荷場に持っていくわけですが、高齢の方が皆さん、きょうの出来はどうだったかとか、いろいろなよもやま話をする。そこで会ったりするのが楽しみになっています。

 道もまだ十分とは言えませんが、私の子供のころと比べると格段によくなっています。道路が整備されたところには、都会から工場もかなり進出してきています。昔と違って、広い敷地がなくても、電子工業などの工場は小さい敷地でもできます。大都市のマーケットが道路整備によって近くなりましたから、だんだん島根に立地しようという企業が増えている。これは1つの明るい傾向だと思います。世の中が少しずつ変わるのではないかという感じがしているわけです。

 他方で、今まで開発が遅れていたために、きれいな自然が残っています。山林も、もちろん手入れをしなければいけないところがありますが、緑豊かな山林がある、平地に参りますと田畑がある、河川もきれいな水があります。湖沼もあります。中海、宍道湖を鳥取県の方々と一緒になってきれいにする運動もやっています。日本海は海の幸がいっぱいあり、都市の人々に喜ばれるような魚を出荷しているわけです。この地域は境港(鳥取県)がありますが、島根県では浜田、隠岐で漁業が盛んです。

 そういう意味で、島根県はいい資源を持っている。潜在力を持っているというのが私の感じでして、そういうものを生かしていけば、きっと明るい島根が築けるのではないかと思っているわけです。今年は、活力のある島根を目指して、元気になるように頑張っていきたい。これが1つの大きな課題です。

「行政と民間経済活動の間の諸活動をさかんにする」

溝口 もう1つは、各地を回ると、行政が行う分野と民間の産業活動の部分との間に広い空間があって、そこで地域の方々がいろいろな活動をされているのを目にいたします。障害者の方々を支援する福祉団体の活動も1つの大きな例です。あるいは、高齢の方がひとり住まいをしていて何か困っていると、自治会の人、あるいは地域の団体の方々が助けるという運動をしている。必要があったら買い物をしてきましょうといった動きが各地にあります。あるいは、自然環境を守りましょうという活動がある。鳥取と島根で中海、宍道湖のごみを取る活動をしていますが、そうした社会貢献活動が大きな役割を果たすようになっています。少子高齢化が進むと、実は高齢でも元気な方が非常に多い。そういう方々はむしろ働けることを喜びとする。そういう人々が増えているように思います。

 ですから、私は、もう1つの課題として、今の行政と民間の経済活動の間にある社会貢献的な活動、NPOの活動もあります。福祉団体の活動もあります。自治会もあります。ほかの活動もいっぱいあります。老人クラブもあります。こういうものを盛んにすることによっても地域が元気になると思っていますから、そういうことをやっていこうと考えています。


Profile

080112_shimane.jpg溝口善兵衛(島根県知事)
みぞぐち・ぜんべえ

1968年東京大学経済学部卒業、大蔵省入省。77年から80年在西独大使館書記官。80年主計局主査、大臣官房企画官、銀行局企画官、85年世界銀行理事代理。89年国際金融局開発政策課長、国際金融局総務課長、93年副財務官。94年在米国大使館公使。主計局次長、総務審議官、官房長、国際局長を経て、2003年財務官就任。04年より国際金融情報センター理事長。06年退任。

080125_tottori.jpg平井伸治(鳥取県知事)
ひらい・しんじ

1984年東京大学法学部卒業後、自治省入省。福井県財政課長、自治省選挙部政党助成室課長補佐、カリフォルニア大学バークレー校 政府制度研究所客員研究員鳥取県総務部長、副知事、総務省自治行政局選挙部政治資金課政党助成室長を歴任後、2007年 2月に総務省を退職し、4月鳥取県知事選挙初当選、鳥取県知事に就任。

camp4_saga.jpg古川 康 (佐賀県知事)
ふるかわ・やすし

1958年生まれ。82年東京大学法学部卒業後、自治省(現・総務省)入省。自治大臣秘書官、長崎県総務部長などを経て、03年無所属から佐賀県知事に当選。日本で初めてマニフェストを掲げて選挙を戦った政治家の一人であり、当時全国で最も若くして知事となった。07年に再選を果たし、現在2期目。全国知事会政権公約評価特別委員長。「がんばらんば さが!」をキーワードに、「くらしの豊かさを実感できる佐賀県」の実現を目指して県政に取り組む。

071113_kudo.jpg工藤泰志(言論NPO代表)
くどう・やすし

1958年生まれ。横浜市立大学大学院経済学修士課程卒業。東洋経済新報社で、『週刊東洋経済』記者、『金融ビジネス』編集長、『論争 東洋経済』編集長を歴任。2001年10月、特定非営利活動法人言論NPOを立ち上げ、代表に就任。

 地方は「自立と再生」に向けてどう動こうとしているのか。山陰地域の2知事と佐賀の知事が地域の将来に向けて話し合いました。