岡本 薫(政策研究大学院大学教授・前文部科学省課長)
おかもと・かおる
東京大学理学部卒 OECD科学技術政策課研究員、文化庁課長、OECD教育研究革新センター研究員、文科省課長などを経て、2006年1月から現職。専門はコロロジー(地域地理学)で、これまで81か国を歴訪。著書に『日本を滅ぼす教育論議』(講談社現代新書)、『著作権の考え方』(岩波新書)など。
私がメディア評価を行う立場
「言論NPO」がネット上でこの「マスコミ評価ブログ」を始めた趣旨・目的について、私は次のように理解しています。
- 日本に「民主主義」を定着させる必要がある
- そのためには、「すべての人々」が政策論議に主体的・積極的に参加する状況を作る必要がある
- そのためには、情報源としての「マスコミ報道の質」を高めることも必要である
- そのためには、報道の「ユーザー」に「質の低い報道を見分ける目」を持ってもらう必要がある
- そのためには、現時点での「マスコミ報道の問題点」を指摘し、広く問題提起をする必要がある
報道の「在るべき姿」についての私の考え
このブログは何人もの人が執筆、あるいは発言しますが、「全員に共通する評価基準」は存在しません。各執筆者は、それぞれの思想・信条・価値観・倫理観等に基づいて、マスコミ報道への論評を行います。したがって、報道というものの「在るべき姿」についても、各執筆者によって考え方は異なっています。
こうした論評は、「在るべき姿」と「現状」とを比較して、両者の間の「ズレ」を「良くない」と指摘するものです。したがって、各執筆者が考える「報道の在るべき姿」が違っているということは、各人が「良くない」と評価するものも異なるわけです。(同じ報道について、正反対の評価が行われることもあり得ましょう)。
そこでまず、「報道の在るべき姿」について、私の考えを述べておきたいと思います。結論から言えば、私の頭の中には、そのようなものは存在しません。したがって私は、「在るべき姿」を前提とした論評はしません。
私の専門は「コロロジー」(地域地理学)ですが、これは徹底した「相対主義」を基盤としています。例えば、「ドイツはニューギニアよりも進んでいる」とは決して言わないということです。「BMWを作れることに価値がある」という価値基準を設定するからそう思えるのであって、「家族単位でジャングルの中で自給自足することに価値がある」という価値基準を設定すれば、結論は違ってきます。
相対主義を徹底すると「天が下、正義なし」ということになりますが、それではいかなる論評もできませんので、唯一の前提として「日本国憲法のルール」(具体的には「民主主義」と「自由」)を設定します。逆に言うと、超憲法的な正義・価値・倫理等は前提としません。
マスコミ、ジャーナリスト、報道機関なども、当然のことながら、憲法によって「思想・信条・良心の自由」や「言論の自由」や「幸福追求権」を保障されています。したがって、どのような思想・価値観・倫理観等を持って何をどう報道しようと、(名誉毀損など、憲法ルールに従って作られた法律ルールに反していない限り)完全に自由です。それについて、あれこれ批判されるスジあいはないはずです。
日本人の多くは、なぜか「マスコミ信仰」とも言うべきマスコミへの「思い入れ」を未だに持ち続けているようですが、例えば「報道機関は中立(であってほしい)」などという思い入れは、「国連は中立(であってほしい)」という思い入れと同様に、幻想に過ぎないものです。報道機関にも「思想・信条・良心の自由」や「幸福追求権」は保障されているのですから、「中立の強制」はむしろ憲法違反でしょう。実際に、「何を報道し、何を報道しないか」という判断の時点で既に「中立」ではないのであり、そもそも中立でない方が自然です。こうした「幻想」や「思い入れ」は、このブログの目的から見ても、早く払拭されるべきでしょう。
例えば、いわゆる「再販制度」に関する報道について、「新聞報道は、新聞業界の利害に基づいた記事を書いている。ケシカラン」という批判がありますが、私はそうは思いません。新聞社の「幸福追求権」を否定する方が憲法違反であり、すべての人々が早く「新聞社も、他のすべての会社・個人等と同様に、その『欲求』の方向に動く権利があり、また、そのようにしか動かない」ということを知るべきです。
「正確な情報を伝えようとすること」も、「新聞業界の利益を守ろうとすること」も、いずれも同様に新聞社の自由な「欲求」であるにすぎません。この両者の間に「価値的な差異がある」と、誰かが「その人の個人的な思想・信条・価値観・倫理観をもとに感じる」のはもちろん自由ですが、それを他人(新聞社)に押し付けようとするのは憲法違反です。
※第2話は5/31(水)に掲載します。
※以下にコメント投稿欄がございます。皆さんのご意見をお待ちしております。
「言論NPO」がネット上でこの「マスコミ評価ブログ」を始めた趣旨・目的について、私は次のように理解しています。