横山禎徳/よこやま・よしのり (社会システムデザイナー、言論NPO理事)
1966年東京大学工学部建築学科卒業。建築設計事務所を経て、72年ハーバード大学大学院にて都市デザイン修士号取得。75年MITにて経営学修士号取得。75年マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、87年ディレクター、89年から94年に東京支社長就任。2002年退職。現在は日本とフランスに居住し、社会システムデザインという分野の発展に向けて活動中。言論NPO理事
「安易なラベル化と思考停止」
世の中に「マスコミ批判」という言い方があります。マスコミは目立つだけではなく、反論がしにくい、いわば「非対称の関係」にあるから批判の対象になりやすいわけです。私の立場はこの「マスコミ批判」とは違います。長年経営コンサルタントであった習い性もあり、「マスコミの抱えている課題は何であり、それを経営的な視点から改善をするにはどうしたらいいか」というのが私の発想です。従って言いっぱなしではなく、どのように改善したらいいかというアクションまで語るつもりです。すなわち、マスコミ企業の経営課題、組織課題として今回のテーマをとらえています。最近は小泉内閣が終盤を迎えたこともあり、様々な新聞で小泉改革をめぐる連載企画がスタートしています。私が特に関心を持ったのは、その企画で使われている大見出しです。マスコミに対して私が日ごろ思っている疑問がそこに典型的に現れていたからです。
私が特に気になったのは、毎日新聞が昨年末から行っていた「縦並び社会」の企画に出ていた「ヒルズ族、幻に」という見出しです。こうした見出しを使うのは、毎日新聞に限ったことではありませんが、ここでは「格差社会」を「縦並び」と言っているわけです。そのなかには貧しい状況で苦しんでいる人たちを具体的に毎回取り上げているわけですが、このような人たちは昔からいたのか新しく出てきたのかという分析はこの企画の個別記事の中にも、また、全体のまとめとしてもありません。いうところの格差は不況のせいなのか、小泉内閣の推進した政策のせいなのかという分析もありません。その代わりに「縦並び」というラベルを貼ってみただけです。
また、「格差社会」の象徴として、「ヒルズ族」という言葉を使っています。しかし、初めから幻だったのにそれを「ヒルズ族」とラベルを貼って持ち上げたのは、貴方たちマスコミではないのか、それをいまさら幻というのは身勝手すぎないかと思います。
「劇場型政治」とか、「ワンフレーズポリティックス」とか、日本のメディアはさまざまなラベルを盛んに作りだし、様々な現象に貼っていくわけです。しかし、こうしたキャッチフレーズは読者に思考停止をもたらしているだけで、問題提起とはなっていないのです。
例えばグーグルなどの検索エンジンで「劇場型政治」を見てみればわかります。自分が作った表現ではなく、マスコミが作ったラベルを恥らうこともなく使ってまったく同じような議論を展開している「知識人」が多いことに気がつきます。
マスコミは、我々に多様、かつ多面的な思考をするための判断材料を提起すべきであり、それをワンパターンの発想に追い込んで、怠惰な思考をさせるようにしむけてはいけないのです。日本は「民主政治制度」の国ですが、この制度の最大の欠点は人々がワンパターンの思考をした場合、何が起こるかわからないということです。
第一次世界大戦後の最も民主的といわれたドイツのワイマール共和国においてナチスはクーデターではなく政権をとったことを思い出せばその制度欠陥はわかるはずです。マスコミは読者がワンパターンの思考になってしまうことを推進してはいけないのです。日本の日刊新聞の発行部数は人口当たりではノールウェーと並んでダントツの一位なのです。その影響力の大きさに対する責任感が一記者にいたるまで浸透しているのでしょうか。
「ヒルズ族」には必ず、IT企業とかIT長者とかITという言葉が伴って使われます。しかし、世界のITの常識から言えば、「ヒルズ族」といってメディアが話題にしたほとんどの企業はIT企業なんていえないものです。よく言っても「IT利用企業」であり、普通に言えばただ株式市場が常に求めている新たなトレンド期待に沿った「ITイメージ企業」なのです。それが証拠に上場で得た資金をまだまだ膨大な可能性のあるIT技術開発に投資するわけでもなく、せいぜいが出来合いの企業を買うか、ひどい場合は本業と関係ない不動産投資をしていることもあるわけです。その違いがわからないでIT長者と言っているのです。 マスコミが何をどのように報道すべきかの責任感を問われるべき典型的ケースではないか思います。
かつて森首相がITを「イット」と言ったとき、多くのメディアは笑いましたが、多くの人たちの理解はいまでもその程度のものです。ではITとは何なのか、インフォメーション・テクノロジーだと多くの人は思っていますが、インフォメーション・テクノロジーはNC旋盤とか、ロボットとか日本の製造現場では昔から徹底的に活用されてきたわけです。ITが新しいのはIがインターネットだからで、ITというのはインターネット・テクノロジーなのです。その可能性豊かな技術を活用し時代を画すような企業が六本木ヒルズのどこにいるのかと私は思うのです。
これは世界のヤフーやグーグル、イーベイ、アマゾン、そしてi pod、スカイプなどと比べればすぐわかるはずです。グーグルの創立者達のような自分たちの考えているサービスは世の中に絶対必要なのだというある意味では偏執狂的世界観と志を持った「ヒルズ族」はいったい誰なのでしょうか。日本にもいるはずです。株式市場が嫌っても期間利益を犠牲にして技術への先行投資をし、世の中に先んじようという志を持った人たちは目立たない別のところに隠れているのでしょう。それを見つけるのもマスコミの責任でありプライドではないでしょうか。
日本でマスコミに騒がれた企業はすでに世の中に存在している事業モデルか単に既存のものを買ったり、使ったりしただけの二番手産業が多いと思います。そうした「IT利用企業」を「IT企業」と持ち上げて騒いだ日本のマスコミは思考力が不足していると思うのです。そしてラベルを貼ってよしとするその怠惰さがワンパターン思考を助長し「民主政治制度」の持っている欠陥に結びつくことにならないようにみんなが気をつけないといけないでしょう。
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世の中に「マスコミ批判」という言い方があります。マスコミは目立つだけではなく、反論がしにくい、いわば「非対称の関係」にあるから批判の対象になりやすいわけです。私の立場はこの「マスコミ批判」とは違います。長年経営コンサルタントであった習い性もあり...