岡本 薫(政策研究大学院大学教授・前文部科学省課長)
おかもと・かおる
東京大学理学部卒 OECD科学技術政策課研究員、文化庁課長、OECD教育研究革新センター研究員、文科省課長などを経て、2006年1月から現職。専門はコロロジー(地域地理学)で、これまで81か国を歴訪。著書に『日本を滅ぼす教育論議』(講談社現代新書)、『著作権の考え方』(岩波新書)など。
根拠なき「説明責任」の濫用
最初に取り上げるのは、読売新聞4月14日朝刊(14版)3面の記事で、日本将棋連名の「名人戦」の主催紙を毎日新聞社から朝日新聞社へ移す計画、というテーマを扱ったものです。第3面の2分の1ほどを埋めた、非常に大きな記事です。この「名人戦」をめぐってはその後も記事をにぎわせていますが、この日の読売新聞の記事の中に、線で囲んだ250字ほどの短いコラムとして、「理事会に説明責任」と題した部分があり、「理事会はファンに対する説明責任を十分に果たしてほしい」という記述があります。
この「説明責任」という用語は、マスコミ関係者に限らず日本で広く濫用されているものですが、これは、日本人の「ルール感覚欠如」を端的に示す典型例のひとつです。
日本将棋連名の理事会に「そうした責任がある」(説明する義務がある)という根拠は、いったいどこにあるのでしょうか。あらゆる人には、憲法によって「自由」が保障されているのですから、あることを「する責任」や「しない責任」を負うのは、「法令で義務とされている」か、「契約(任意で加入した団体のルール等も含む)で義務とされている」場合のみです。
そうした根拠がないのに、安易に「説明責任がある」などと主張するのは、明らかに憲法が保障する「自由」を侵害しようとしていますが、憲法ルールを無視した「説明責任」の濫用は、日本のマスコミに共通する問題です。
これまで私が議論したジャーナリストの多くは、「説明責任」の根拠についての説明に困ると、苦し紛れに「法律上・契約上の根拠はなくても、道義的責任がある」と主張するのが常でした。しかし、憲法にはいかなる「共通の道義」も規定されてはいません。それは、思想・信条・良心・価値観・倫理観などに属するものであって、憲法は「自由だ」と規定しています。「道義的責任がある」などと主張する人は、要するに「私の倫理観に反している」と言っているだけなのです。
法律上・契約上の根拠がないのに「説明責任を果たせ」と言うような暴論が横行している背景には、「アカウンタビリティー」という英語が「説明責任」と誤訳されていることがあるかもしれません。英文での使われ方を見ると、アカウンタビリティーが目的語とされる場合の動詞は、通常「キープ」や「メインテイン」であり、「説明責任」と訳したのでは意味が通りません。
「アカウンタビリティー」とは、「説明責任」という意味ではなく、「法律上・契約上の義務を負っている相手方に対して、求めに応じていつでも、相手が納得する説明をできる状態」を意味しています。「状態」だからこそ、「キープ」「メインテイン」するわけです。したがって、まず、「説明すればいい」というものではなく、相手が「納得」しなければなりません。なぜなら、その「相手」に対して、法律上・契約上の義務を負っているからです。例えば行政機関は、すべての納税者を納得させられる説明をできなければならず、会社役員は、すべての株主を納得させられる説明をできなければなりません。
「アカウンタビリティー」とは、法律上・契約上の義務に基づく、こうした重い概念であって、「世間様をお騒がせした人が、経緯を説明する」などという、してもしなくてもいいこととは無関係なのです。不祥事を起こした会社の役員は、株主に対しては「アカウンタビリティーを保つ」義務がありますが、世間一般やマスコミに対しては、「説明責任」などありません。記者会見を開いて説明を行ったりするのは、「そうしないと、後々もっとマズイ状況になる」という自由な判断の結果であって、どこにも義務や責任はないのです。
「民主主義」(どこかの会社の経営などは無関係)を維持するために、国民には「知る権利」が認められていますが、「国民が知る権利を付与されている」のであって、「マスコミが知らせる権利を付与されている」のではない、という憲法ルールをよく自覚すべきでしょう。
今や国民は、インターネットも含めて様々な「知る権利を行使する手段」を持っており、このことは、「従来は情報を得るチャネルがマスコミしかなかったので、マスコミが国民の知る権利を代行しているかのごとく見えていただけ」という事実を示しつつあります。
マスコミ関係者が、「自分たちは知らせる権利を持っている」という不遜で滑稽な誤解を持ち続けているために、法律上も契約上も根拠のない「説明責任」なるものが振り回されるのです。
※第4話は6/4(日)に掲載します。
最初に取り上げるのは、読売新聞4月14日朝刊(14版)3面の記事で、日本将棋連名の「名人戦」の主催紙を毎日新聞社から朝日新聞社へ移す計画、というテーマを扱ったものです。第3面の2分の1ほどを埋めた、非常に大きな記事です。