「議論の力」で強い民主主義をつくり出す
ゲスト:渡邊奈々(写真家)
東京生まれ。慶應義塾大学文学部英文学科卒業。米国政府の奨学金を得てバイリンガル教育修士課程修了。リゼット・モデル氏より写真を学ぶ。1980年ニューヨークで写真家として独立。87年アメリカン・フォトグラファー誌年度賞。97年より個展、グループ展で作品発表。
聞き手:工藤泰志(言論NPO代表)
田中弥生(言論NPO監事)
田中 渡邊さんは『チェンジメーカー』を書き、アショカのアドバイザーをなさったりしていますが、これからどんなことをしていきたいのですか。
渡邊 最初に私がソーシャル・アントレプレナーという概念・言葉を聞いたのは、1990年でした。その人たちを最初に日本で紹介したのは、2000年10月号『ペン』の誌上でした。そのときに、編集長と一緒にソーシャル・アントレプレナーシップの日本語訳を探しました。すると、インターネットで見つかったのは英国労働党の政策だけで、私が目と耳にしたものは全く、一行も出てきませんでした。それから10年が経ちました。
アショカとは何かというと、たとえば漁民が、漁獲量が少なくて貧困に陥った場合、その人にお金を送ったり、衣服を送ったりするのが従来のチャリティーです。また、漁村全体が貧困に陥った場合に、漁村全体を助けるのもチャリティーの延長ですね。しかしそのサポートがなくなったらそこで終わりです。そのときに、全体的な、世界の漁獲システムを考えて根本的な解決を考えるのが、ソーシャル・アントレプレナーなのです。そのソーシャル・アントレプレナーを育てていくのが、アショカの第一の使命なのです。
どのように育てるかというと、活動を始める時期に本業で生活費を稼いでいて、その人たちが本業を辞めても生活できるくらいの、3年間の生活費を与えます。あとはマッキンゼーのビジネスのコンサルティングとか、経理コンサルティングとか、あとはリサーチの手伝いとか。それから農業の分野で気候について同じ問題を抱えている、たとえばエジプトの農夫とチベットの農夫が同じ問題を抱えているとして、それをつなげて学び合う、などといった感じです。
それで、今までに選ばれた2700人を超えるフェローのうち、56%がプログラムの立ち上げから、5年以内にその国の法律を変えるまでのインパクトを持つようになっています。また、そのフェローの96%がそのシステムをコピーして、同じことをする、つまり広がっていくということですね。それまでのやり方だと、100年に一度ナイチンゲールが出たり、マリア・テレサが出たりするような感じ――でしたが、そうではなく、それを支援とネットワーキングという、物心両面の支援で加速化させるといった感じです。大体、アショカの探し出したフェローは1000万人にひとりの割合です。
アショカは世界70カ国以上で立ち上がっていますが、現在、中国と日本で準備中です。ただこの2カ国は他地域と文化が違うので、戸惑っています。欧米や中近東とだいぶ違います。そこで私は日本立ち上げのためのアドバイザーを依頼され、2009年の春から準備にかかっています。これまでアショカのフェローを探す際、フェロープログラムというものから始めてきました。今回初めて、日本は例外的に、ユースベンチャーという、子どもたちに将来のチェンジメーカーになるスキルを学ばせるプログラムから始めます。このユースベンチャーというプログラムは、こちらから教えるのではなく、ファシリテイトしながら子どもたちの「何かを変えたい」という願望と、実際の変革する力としてのソーシャル・エンタープライズを立ち上げる訓練を行います。
子どもたちにターゲットを当てたのは、子どものころからの訓練で将来が変わってくるからです。ひとつ例を挙げれば、アメリカの中部に住む少女が12歳のときに両親について行って、おばあさんの入っていたナーシングホームに行ったら、そこにいる老人がみんな、別々に生活をしていて、寂しそうだったと。それで、次に行った時に自分のパソコンを持って行って、スカイプ(IP電話)を開いてあげて、家族と話せるようにしてあげたら、ものすごく喜ばれたという話があります。週に一度行くようになって、クラス全体に呼び掛けたら、みんながするようになって、それでミシガン州全部に広がったのです。彼女はまさしくチェンジメーカーです。そういうのが広がったら、素晴らしいですよね。
今年の春から、ユースベンチャーのパイロットプログラムを行うための準備をしています。しかし、カリキュラムに入ってはいけないのです。どういうことかというと、たまたま接した孤独な老人でもいいし、たまたま自分のクラスで起こっていたいじめを何とかしたい、という気づきでもいいし、それから自分の住む地域のごみ処理が悪いとか、偶然にテレビで見たザンビアの子どもたちに対して何とかしたいという気づきでもいい。何でもいい、自分の心に触れたもので、「変えられたらいいな」と思うことが出発点ですね。それは無理強いできないものなのです。心に触れるものがなければ何も始めることはできません。それは大人も同様です。外からではなく、全ては自分からでなくてはならないのです。それをいかに目に見える結果にするプログラムにして立ち上げるか。それで、ニューヨークの場合は高校生だけが対象ですが、週に1回、土曜日の午後にセッションを持って、合計12回、大体1学期のプログラムに参加することによって、ソーシャルビジネスプランを本当のベンチャーみたいに立ち上げるという経験をさせます。
それで、ミニマムにチームは2人、マキシマムに10人くらい。ふつうは3、4人くらいで行い、そこで大人のアドバイザーを見つけなければいけないのです。それも子どもたちが任されており、押し付けではなく全部ボランティアとして参加してもらいます。それは親でもいいし、先生でもいいし、地域の人でもいいです。大人ではないと詳しくわからないこともありますので、入ってもらってチームをつくります。それでビジネスプランをつくっていって、ニューヨークの場合は12回のプログラムの後に1000ドルあげます。シード・マネー、立ち上げ金ですね。ファンドレイジングも自分でやっていいのです。そのファンドレイジング能力は開拓の能力の重要なひとつなので、その練習なのです。パーティーをしてそのパーティー券を売ってもいいのです。それで、12回の後に、どうしても具体的ではないというもの以外のものは立ち上げさせます。
このプログラムですが、競争ではないので絶対にコンペティションにしてはいけません。それで、その後、最低1年間運営しなければいけない。ずっと続いているものもありますが、平均運営期間は2年ですね。14、15歳のときに、ひとつのソーシャルチェンジを自分で起こすことで、子どもは一生、チェンジメイキングのスキルを探し続けるようになる、ということがポイントです。もっと大きなソーシャル・イシューに直面したときどうするかというノウハウを知っているのですね。そういう子を増やすということなのです。
田中 おっしゃっている、ソーシャル・アントレプレナー、社会的起業という言葉を聞いていると、いろんなかたちでボランティアがたくさん参加していたり、寄付を集めていたりということで、いかに多くの人たちの参加や協力を自分たちに引き込めるかというところが、チェンジメーカーの要素だと思います。ひとつだけ心配なことがあって、「チェンジメーカー」という言葉が今、日本でも流行っています。勝間和代さんが同名の本を書くとか、それこそ日経だとかダイヤモンド社とかがよく特集で取り上げていますが、どうも記事を見ていると「収益事業をしないと社会起業家ではない」という説明をするところが圧倒的に多いのですね。
渡邊 もともとのソーシャル・アントレプレナーとは似て非なるもの(日本型)ですね。
田中 もうひとつ。この間、社会起業家支援ということで、補正予算が70億円ついたようですが、それについて担当者に聞いたら、「社会起業の定義はイギリスとイタリアにありまして...」という説明でした。
渡邊 イタリアになんてないですよ。イギリスはありますけど。
田中 非常に偏った情報で、それこそシステムにかかわるところ、国家予算にかかわるところも、何か先走ってしまっているようで非常に気になります。社会起業家と自称している人たちは、「自分たちには、ボランティアや寄付は関係ない」と言う人がすごく多い。
渡邊 それは日本型の理解で、私たちが言っているものとは異なります。だから、私は「社会起業」と呼ばないで、オリジナルの意味を持っている「ソーシャル・アントレプレナーシップ」と呼ぶのです。
工藤 お話を聞いていて、すごく理解できることがあります。私自身も、編集者をしていたときと今を比べると、関心も日々行っていることもかなり異なっています。決定的な違いは、「ものをつくり上げる力」を身に付けたということです。ミッションをベースにしてプロジェクトを組み立てて、社会の課題にどう答えを出そうとか、そのためのファンドレイジングをどう行うとか、そういうことを毎日考えるようになった。それを1回経験すれば、また次にいろんなことができて、それを体が覚えて、どう課題に答えるかということを考えている。たぶん、あのままメディアにいたら、こうした経験はできなかったのだろうと思います。
この差は、自分の言葉で何かを語れる、という差なのです。自分の感じたこと、実行したことを話したり、人に対して自分の思いを伝えたりできる。そのような経験を若い頃にすることはすごくいいですね。
渡邊 いいですよね。それで、それをコンテストしたり、エリートの人に教えたりするのではなく、とにかく、なるべくひとりでも多くの人に経験してもらう。
工藤 何かを仕事として組み立てて、いろんな人を巻き込んで、というのは、経験しないとできない。それこそがソーシャル・アントレプレナーなのですね。
田中 しかもいろんな人が賛同して、参加をしてくれると。
渡邊 そうですね。そこでそのリーダーとして何が必要な資格になってくるかと言えば、リーダーシップですね。それは何かといえば、倫理観とかビジョンの出し方ですね。この人は自分の名誉のためにやっているな、という人には誰もついて行かない。
工藤 渡邊さんが言っているのは僕たちが行おうとしている話と一緒で、社会的な課題解決のために、ものを設計してこれまで当たり前のように考えてきた行動を変えたり、システムを変えるということです。そのために専門的な知識とかノウハウとか、いろんな手法が必要で、それにいろんな人が協力するという手法です。
言論NPOは、実はマッキンゼーなどのコンサルチームが集まって始まりました。組み立てや設計の能力があるコンサルのパートナーたちが集まって始まった活動なのです。しかし、彼らにないものがあって、それは情熱なのです。願望とかアスピレーションとか。
渡邊 パッションとクリエイティビティが一番大事ですね。私たちは、パッションやクリエイティブのない人は置いていかれる、という時代の始まりに立っているのです。そして、これらは自分の内からわき上がるもので、教えることはできません。パッションのない人には誰もついて行かないでしょ。持続するパッションですね。
工藤 それとこれが組み合わされることによって、化学反応を起こすというかたちであり、ただそれだけでなく、私が今すごく重要だと思っているのは、ものをつくって組み立てる能力です。政府に依存しないと言うのであれば、自分たちで行う能力が必要ですから。
渡邊 クリエイティビティですね。情熱と創造性は、内から引き出すことはできますが、教えることはできません。でもその2つがソーシャル・アントレプレナーシップには必要なのです。
工藤 でも、日本では新しい政権が、新たな公共を提起しても、その方向が混乱しているように思います。NPOを支援している団体が、新しい政府との付き合い方を教えます、という2時間のセミナーを、NPOを対象にして20万円を取って行おうというような団体もあります。どうですか。これは、ブラックユーモアではないのです。
渡邊 でもそれは私たちが考えるものとは、別のものですね。オランダでは政府はすごくお金を出しますが、口は出しません。それならいいと思いますが、口を出してほしくないなら、絶対に国からお金をもらっちゃダメです。
工藤 日本では、いい活動をしているところがあると、政府がお金を出して自分のものにしてしまう。
田中 オランダでは、寄付も集めていますよね。両方のバランスを取っているのだと思います。
工藤 国から補助金をもらうのであれば、その分、寄付者からの寄付を税額控除したほうが、市民の参加が期待できる。
渡邊 本当にその通りですね。
工藤 これは市民社会の設計の思想が全く違うのです。政府をベースにした再分配か、自分たちで参加を促すためのシステムか、と。だからそこが最終的に問われます。
田中 でも多分、今のNPO関係者には、政府から直接補助を受けたいという声が圧倒的に多いのです。自分たちのインフラ基盤をつくってくれという人は少ないと思います。渡邊さんも、今おっしゃったことをガンガン伝えていかないと、どんどん歪められていきますよ。
渡邊 私が思うに、ヨーロッパの洋服とかでブランドの商品があり、それのライセンシングがあります。しかし、日本のライセンシングは本国とは違うものなのです。ソーシャル・アントレプレナーと日本の社会起業家とはそれと似ているなあ、と思います。名前を借りて、でも中身が違う、あれと一緒だなあと感じました。
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