第1話:「ナショナルアイデンティティーの再構築」
この10数年間というもの、冷戦構造解体後の世界では、それぞれの国が「自分の国は自分で守る」という戦略に転じていかなければなりませんでした。冷戦のときには米ソという二大大国があって、そのどちらかの陣営に加わって自分の身を守っていくという形が多かったわけですが、それが解体してからは、世界の中で、「自分の国は自分で守る」という発想の戦略をとらざるを得なくなったわけです。その結果、それぞれの国がナショナルアイデンティティーを再構築する、我が国はいかなる国であるのか、また、世界の中でどのようにして生き残っていくのかということを再確認し、再構築するということになっています。そして、ナショナルアイデンティティーの再構築という問題には、それぞれのナショナリズムを強めていくという傾向があると考えています。
この問題は、昨年12月にクアラルンプールで行われました第一回東アジアサミットでの「東アジア共同体」という問題にも非常に大きく関わっています。そのサミットでは、議長国のマレーシアの方から、東アジア共同体に向かっての第一歩が踏み出された、という宣言がなされました。しかし、実際は全く進んでいないと言っていいと思います。
それは枠組みの問題でも、中国の方はASEAN+3、つまり、日中韓というものが加わって13カ国ですが、日本の方は、ASEAN+3+3で、ASEANに日中韓が加わり、それにオーストラリア、ニュージーランド、インドを加えた形で東アジア共同体を考えるという構想になっています。この枠組みの違いというものは、実は東アジア共同体をどのように構築していくかというビジョンの問題に関わります。そのビジョンの問題は、アジアとは何かということに関わるものですが、実際には、そのことの協議・討論というものはほとんど行われないままで、つまりアジアとは何かということを問い直さず、東アジアとは何なのかという共同のコンセプトがないままに問題が進み出していってしまったという欠陥があるのだと思っています。
同じ東アジア共同体という言葉を使いながら、日本はシンガポール、マレーシア、タイ、韓国、中国というふうに1つずつ自由貿易協定を結んでいけば、その結果として、おのずから東アジア共同体は成るという非常に安易な構想に乗って、東アジア共同体を主張しているように見えます。そのために、日本はアメリカとの連携も視野に入れつつ、西洋的価値観、つまり人権、民主主義及び法の支配を共有するインドやオーストラリア、ニュージーランドを東アジア共同体に開いていくという発想をとったわけです。サミットで小泉首相が共同体における「普遍的価値」を強調したのは、この西洋的価値観です。人権、民主主義及び法の支配を想定したために、普遍的な価値というものを強調したわけです。
しかし、一方の中国の方は、アメリカとの世界的な対峙のために、東アジア共同体をその地域覇権の場として設定していた、という点で違いが出てきているわけです。もちろん、この解釈については色々な問題があるだろうと思いますが、東アジア共同体というものは、日中間でそのビジョン、枠組みの問題について非常に大きな違いがあったと考えざるを得ません。
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発言者
松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち
1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。
松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
第3話:「求められる共通のアジアアイデンティー」
第2話:「多くの国々が陥るナショナリズムの罠」
第1話:「ナショナルアイデンティティーの再構築」