8月4日、第二回東京-北京フォーラム第2日目の全体会議が開催、前日の分科会での議論を踏まえ、日中両国からの基調講演、分科会報告が行われ、会議の大きな成果を確認、来年の北京での開催に向け、トラック2、公共外交としてのこの議論のプラットフォームのさらなるバージョンアップを約して、今回のフォーラムは盛会のうちに閉幕。
8月4日午前、前日に続き、第二回東京-北京フォーラムは、中国側の張平氏(チャイナデイリーインターネット版社長)の司会により、この東京大会の最後の議論の場となる全体会議を開催しました。
まず、日本側、中国側から併せて4人の論者による基調講演/挨拶が行われました。
最初に、中国側より、石広生氏(全国人民代表大会財政経済委員会副主任)が基調講演を行い、中日関係はアジア、世界の将来にとって重要であること、中日の隣国関係は必然的な利益共同体であり、相互に補完関係にあることなどが強調されました。そして、高い成長を続ける中国と10年間の経済低迷を脱却した日本が2000年の友好的な発展を堅持し、50年の不幸を避けることにより、アジア世界の安定に貢献するとしました。重要なのは、Win-Winの関係であり、順を追ってやさしいものから協力を始めるべきで、例えば、省エネ・環境保護技術における協力、地域の発展戦略への参加、投資促進メカニズムの整備などへの期待が表明されました。
次に基調講演を行ったのは、日本側の塩崎恭久氏(外務副大臣)でした。塩崎副大臣は、まず、今回、民間同士の新しい対話チャネルを通じて率直な意見交換が行われたとし、このフォーラムは将来の日中関係を考えるための巨大なシンクタンクのようなものであって、中国側も一貫して対日関係を重視していることを感じ、このことを高く評価するとしました。副大臣は、対話の重要性を強調し、アジア、そして世界の中の日本と中国という話をしたいとして、グローバリゼーションの中では一極支配ではなく、分権的な意思決定が重要であるとした上で、プラスサムに向けて、両国が民主主義、人権、報道の自由などの基本的な価値観を共有する必要があるとしました。特に、アジア地域における協力の重要性が強調され、FTA,EPA、六者協議など、「アジアの家」の構築のためには屋根と柱がたくさんあることが成功の秘訣であるとしました。そして、東アジアは普遍的価値を追及する共同体たるべきだとして、より開かれた東アジア共同体に向けた多面的、重層的な協力を訴えました。
副大臣が指摘したのは、日中両国民の心と心が離れていっているのではないかという懸念であり、人と人との直接交流が迂遠であるように見えて、実は一番の王道であるとして、高校生同士の交流の促進に言及しました。そして、日中関係は平和と繁栄のためにきわめて重要であり、その重要性は増えることはあっても減ることはないとして、基調講演を結びました。
次に、中国側から王英凡氏(全国人民代表大会外事委員会副主任)が基調講演を行い、日中はアジアの大国として、アジアの未来に向かっていかなければならないとし、日中関係は新たな状況、問題に直面しており、相互理解と信頼の醸成のためには、意思決定者の政治的意欲が不可欠で、それを行動に移すことが重要であるとしました。そして、「中日は永遠に有効に付き合っていかなければならない。このことはほかのどの問題よりも重要である。」との鄧小平の言葉を大切にしたいとしました。
最後の基調講演は、日本側の加藤紘一氏(衆議院議員)が行いました。加藤氏は、まず、35年間、日中のフォーラムに参加してきた経験からみても、今回のフォーラムは互いに公式見解を離れた発言がなされ、実りある面白いもので、成功だったとしました。そして、今後このフォーラムは8回行われるが、 10回目が終わったときに、皆さんが「まだ終えたくない」と思う会議になるであろうとしました。世界の中でアジアは、米国中心のNAFTAのプロック、 EUとGDPで肩を並べ、人口では世界の半分を占める地域であるが、そこに異質の文化、文明、宗教、価値観が並存していること自体が豊かなことであると感じられていくことになり、21世紀はアジアの世紀になるだろうということを強調しました。
ただ、加藤氏は、日本国内では、この35年間で最もナショナリズムが高まっており、ゴーマニズムもみられるなど、危険な兆候が見られるとし、日本のナショナリズムには、次の3つが混在しているとしました。第一が、闘争するナショナリズム、第二が、比較し競争するナショナリズム、第三が、自分の国の良さを自ら認識し、そこに誇りとアイデンティティーを持つ理想のナショナリズムです。第三の理想のナショナリズムも時には第一のナショナリズムに転化する可能性はありますが、多神教で多元的な価値観の日本はその恐れはないはずであり、あるべきナショナリズムを育て、それをアジアの安定と繁栄に結び付けていくことが重要であるとしました。
次に、全体会議は、前日の分科会の模様についての、日中それぞれを代表するパネラーからの報告に移りました。
まず、第1分科会(アジアの大交流と日中協力)について、日本側から溝口善兵衛氏(国際金融情報センター理事長)が、そこでの議論を次の3つの論点に整理して報告しました。第一に、近年のアジアの経済発展や相互依存の進展の中でアジアの大変動が始まっているが、それをどう評価すればよいのか、その基準となる考え方は何なのかという論点で、これは中川自民党政調会長も問題提起したものであるとしました。第二に、日中間ではどういう協力が必要なのかという論点で、そこでは具体的な案も議論されたとしました。第三に、日中間の協力も含めて、アジア全体でどのような交流をすべきなのかという論点です。これらの論点ごとに詳細な報告が行われたあと、溝口氏は、この東京-北京フォーラムが、具体的な成果を実現する場となるべきこと、年一回の開催だけでなくテーマに応じて小委員会や専門家会合を持つべきことなどについて、分科会で提案があったことを紹介しました。
第1分科会の中国側からの報告は、中国側司会を務めたカ慶国氏が行いました。カ氏は、この分科会では、①中日の民間交流の重要性、②交流の基本となる原則、③交流の内容、④具体的な提案の4つの論点が話し合われたと総括し、世論調査で両国民とも民間交流の増大に期待しているとの結果が出ていることは重要であること、しかし、そのためには意識の転換が必要であり、特に、指導者は全体的な国益から物事を考えるべきであること、新しいアジアの価値観、「新アジア主義」とは、民間が主導してつくり政府が承認するルールを形成するものであり、そこには盟主はいないことなどについて合意が得られたとしました。そして、分科会では、具体的、建設的な議論が積極的に行われたとしました。
第2分科会(資源とエネルギー、環境-日中の共同課題)については、中国側からは、何力氏(「経済観察報」社社長)が報告を行いました。何氏は、エネルギーや環境保全の分野で中日間には協力のポテンシャルが大いにあり、EUの形成は石炭鉄鋼共同体から始まったとしました。そして、このような分野での成果は、両国のさらなる関係発展のためのドライビングフォースとなるものであり、専門家委員会で更なる検討をしていくべきで、次回のフォーラムに向けた準備をすべきだとしました。日本でのクールビズなど小さなことでも、やれば成果はあるとし、この分野で必ず大きな進歩があると確信していると結びました。
日本側からの第2分科会の報告は、小島明氏(日本経済研究センター会長)が行いました。小島氏は、議論は熱気を帯びたものであったとし、日中は現時点ではエネルギー輸入国になり、共通の土俵に上り、共通の議論ができるようになったのであり、エネルギー環境問題における共同の取り組みについて、日中関係の新しい地平が生まれており、協力とそれから生まれる成果は世界の見本となるとしました。その上で、日中がグランドデザインとロードマップを描き、作業グループを設置してアクションプランを立て、2008年までに政策に具体的な影響を与えていくことを合意したことを報告しました。そして、アジアという巨大なバスには巨大なエンジン、巨大なエネルギーが必要であり、それは同時に大量の二酸化炭素を出すものであり、このバスが快適になるよう努力すれば世界が賞賛するモデルになると結びました。
第3分科会(相互認識と相互理解の改善-メディアの役割)については、日本側からは木村伊量氏(朝日新聞ヨーロッパ総局長)が報告を行いました。木村氏は、議論はどのような共通の言語空間を作っていけるかに力点が移り、次の舞台、次の次元に移るための分科会となったとした上で、メディアは相互理解ではなく、お互いの誤解を生んでいるのではないかという厳しい指摘がなされた中で、解決のキーワードは「多様な意見」であり、それをお互いが共有し合うことであるとし、複眼的なものの見方の重要さを指摘しました。木村氏は、現状はステレオタイプでの報道に陥っているのではないかとし、中国ではメディアの多機能化が進展しても、デリケートな問題に関しては一枚岩の報道をするのではないかといった固定観念が日本側にはあるが、中国側からも、「反日デモ」における中国政府の対応は誤りであったとする意見や、中国人の「日本は軍国主義」という認識は誤りという指摘も出ているように、中国は変わりつつあると実感したとしました。誤解を解いてくためには多角的な見方が必要であると同時に、自分を見る鏡を持つべきだとし、もはや日中関係は単なる二国間関係ではない中で、「相手を知り、おのれを知る」ことこそが、日中関係を新たな次元に持っていくために必要なことであると結びました。
中国側からの第3分科会の報告は、劉北憲氏(中国新聞社常務副社長兼副編集長)が行いました。劉氏は、メディアには問題を増幅していた部分もあるが、日中両国民の80~90%はメディアを通じて相手国を理解しており、メディアはより積極的かつ効果的役割を担うべきであるとし、従来のステレオタイプから脱却して、相互尊重、相互理解のために、客観的に冷静に、ありのままの姿を報道すべきであるとしました。
第4分科会(歴史問題を乗り越える)については、中国側からは劉江永氏(精華大学国際問題研究所副所長)が報告を行いました。劉氏は、この問題について、友好的で率直な建設的な雰囲気の中で議論できたとし、次の共通の認識を得たとしました。第一に、中日関係は良い転換期にあり、歴史認識の問題を解決することが非常に重要な問題であるということです。第二に、認識の相違については、交流を進め協力しなければならないが、簡単に解決されるものではないということです。第三に、解決のためには日本側の指導者が適切な選択をする必要があるということです。その上で、劉氏は、日本の首相が靖国参拝を中止すれば歴史問題は解決されるのかという問題については、もし永遠に参拝しないということなれば、中国側はその問題を取り上げることはもうないであろうとコメントしました。そして、早く解決することはできないが、消極的になってはならないとしました。分科会で出た提案として、劉氏は、歴史問題に関して共同の研究を進めること、靖国問題に関して日本の指導者は慎重に対処する必要があること、問題が起きたときにはすばやく対応し、問題が長期化するのを避けることなどを紹介し、歴史を乗り越える意識を終始持ち続けることが必要としました。
第4分科会の日本側報告は、安斎隆氏(セブン銀行代表取締役社長)が行いました。安斎氏は、分科会では、このテーマは非常に重い課題であり、本音の話を皆でするよう心がけたとした上で、日中和解の過程は厳しく、靖国問題は対外的問題であると同時に国内問題でもあり、選挙に通るためには世論を抜きには考えることはできないこと、マスコミも売れなければならないことなど、難しい課題を抱えていることを指摘しました。そして、歴史問題の所在を明らかにするためには、日中両国がどのように生きていくかについてのナショナルアイデンティティを明白にしなければならないとした上で、A級戦犯を祀る靖国参拝は個人の問題ではなく、侵略戦争に対する態度の問題であるとしました。また、隣同士というのは非常に困難な関係であるが重要な関係であり、誠実に問題を受け止める思いやりがなければ、その解決は難しいとしました。安斎氏が強調したのは、両国のリーダーは決してナショナリズムを煽ってはいけないということで、政治家は民意に同調するだけではなく、毅然と自分の意見を主張していってほしいとしました。また、日中両国はお互いの間違いを指摘し合えるようでなければならないと指摘しました。
第5分科会(アジアの未来と日中関係)については、日本側からは西原春夫(早稲田大学元総長)が行いました。西原氏は、分科会で得られた合意は、 ①日中関係は二国間だけを取り出して論じるべきではなく、時間的(歴史)、空間的(アジア)に議論すべきである、②日中は最も大事な二国間関係である、③ 日中がアジアにおけるそれぞれの未来像を描けていないことが問題の根源であることであるとし、共有できる未来像は何か、それにつき共有を形成する手順などについてかなり議論が行われた旨を報告しました。但し、「共同体」の概念については、日本より中国のほうが比較的消極的であるという印象を持ったとし、そこには両国の論者の間で差異があると指摘しました。これについては、できるときにできる場所でできる方法で実行するべきであるとし、例えば、国境を越えた問題における日中間の共同の課題を見つけるべきであるとしました。
第5分科会の中国側報告は、周牧之氏(東京経済大学准教授)が行いました。周氏は、すべてのアジアの国は経済の転換期を迎え、分業と協力という方向に向かい、開放的な経済が進展している一方で、ナショナリズムが強まっている状況があると指摘した上で、25年前には想像できなかったことが起こってきたが、次の25年間には、どのような発展を目指していくことになるのか、アジアとしてはどのようなアジアを作っていくのかを考え、共通の問題点を探し、解決の仕組みづくり、協力のためのメカニズムの構築が重要だとしました。そのためには、責任感のあるイマジネーションが必要で、問題を課題に変え、協力の仕組みにしていく情熱と行動力がアジアの未来のために求められているとしました。
次に、全体会議では、言論NPOとチャイナデイリーによる共同声明が、日本側の代表工藤、中国側の張平氏から、それぞれ日本語と中国語で公表されました。
公表に先立って、代表工藤は、8月という重要な時期にこのようなフォーラムが、しかもほぼ公開でできたことに達成感と満足を感じていること、今回は、議論を可能な限り両国民に知ってもらうよう発信しつつ行われたこと、今回の会議で共通のしっかりとした意志(私たちは傍観者ではない)を確認できたこと、すべての分科会において一致点を見出すことができ、来年の北京に向けて作業し、このプラットフォームをもっと広げることが合意されたことなどを述べました。そして、ちょっとした勇気をみんなで持ち合えば、時代や歴史は変えられるのであり、このフォーラムが大きな一歩を切り開いたと確信しているとしました。
張平氏による共同声明の公表のあと、最後に、朱霊(チャイナデイリー総編集長)が閉会の挨拶を行い、今回の第二回東京-北京フォーラムは一旦、幕を閉じました。
第三回のフォーラムは、来年、北京で開催します。
8月4日、第二回東京-北京フォーラム第2日目の全体会議が開催、前日の分科会での議論を踏まえ、日中両国からの基調講演、分科会報告が行われ、会議の大きな成果を確認、来年の北京での開催に向け、トラック2、公共外交としてのこの議論のプラットフォームのさらなる...