【座談会】評価会議:産業再生 「なぜ産業再生は本格的に進まないのか」 page1(会員限定)

2003年10月08日

saiyou_a031008.jpg斉藤惇 (株式会社産業再生機構代表取締役社長)
さいとう・あつし

1939年生まれ。63年慶應義塾大学商学部卒業後、野村證券株式会社入社。同社副社長、スミセイ投資顧問顧問を経て、99年住友ライフ・インターナショナル・インベストメント・マネジメント代表取締役兼CEOに就任。2003年より現職。主な著書に『兜町からウォール街─汗と涙のグローバリゼーション』『夢を託す』等。

seto_y031008.jpg瀬戸雄三 (アサヒビール株式会社相談役)
せと・ゆうぞう

1930年神戸生まれ。53年慶應義塾大学卒業後、アサヒビールに入社。76年に神戸支店長、82年に大阪支店長、86年営業本部長を歴任。92年、代表取締役社長に就任。97年に日本経営品質賞を受賞。99年会長就任後も精力的に経営改革を推進。現在は相談役。著書に『逆境はこわくない』等。社団法人日韓経済協会会長。

yasujima_a021209.jpg安嶋明 (日本みらいキャピタル株式会社代表取締役社長)
やすじま・あきら

1955年生まれ。79年東京大学経済学部卒業。同年日本興業銀行入行。主に投資金融業務を担当。MBO案件、M&Aのアドバイザー業務に従事。 2000年同行プライベート・エクイティ部を創設、01年同部長に就任。01年12月同行退職。02年2月、日本みらいキャピタル株式会社を設立。

masuda_y021204.jpg益田安良 (東洋大学経済学部教授)
ますだ・やすよし

1958年東京都生まれ。京都大学経済学部卒業後、富士銀行に入行。調査部など経て、88年より富士総合研究所に転出。ロンドン事務所長、主席研究員などを歴任。2001年4月より主任研究員に。02年4月より東洋大学経済学部教授に就任。主な著書は「金融開国」、「グローバルマネー」等。

概要

産業再生をどう進め、そこから日本の争点をどう形成するのか。産業再生機構の斎藤社長が同機構の実情や課題を語り、再生ファンドの立場からは安嶋氏が、企業経営の立場からは瀬戸氏が議論に加わった。不良債権処理と産業の立直しをマーケットの総力戦で進める中で重要なのは、民間当事者たちの自助努力の気概である。それを促す政策を整合化し、必要な痛みやその先の夢をグランドデザインとして描けるかどうかが、今後の小泉改革に問われている。

記事

工藤 私たちの関心は、まず産業再生の進め方で小泉内閣の方向や手段は正しいのか。そうでなければ、どこに問題があるのかです。その中では産業再生機構が一つの重要な枠組みとなっていますので、その現状や課題などについて評価をするために産業再生機構の斉藤社長にもお越しいただきました。不良債権処理の裏側にある、日本経済の過剰債務や過剰供給の是正という大きな視点から見れば、銀行の体力が乏しくなる中で、大胆に動くという小泉政権が目指した形から見れば、動きはそうはなっていないと思います。実際の企業再生や産業再生の問題をどう評価すればいいのか。企業再生ファンドを今現実に運営されている安嶋さんからお願いします。


産業再生への取組みをどう評価するか

安嶋 私どもは企業の再生ファンドを運営していますが、不良債権の処理とは、借り手である企業の過剰債務の問題と表裏の関係にあります。企業の中には淘汰されても仕方がない場合もあれば、まだまだ活力があって、やり方次第では建て直しが可能というものもあります。再生可能な企業の受け皿をどうするかという議論が必要なわけです。その意味で、いわゆる小泉改革の中で受け皿という視点が盛り込まれたことは、評価すべきことだと思います。問題は産業再生機構や私どものようなファンドが実際にどう機能していくのかということです。

不良債権処理の問題は非常に難しくて、銀行にとっては、それによって損を出さざるを得ない一方で、銀行全体としては収益を上げることが求められる。従って、銀行にとって自ら不良債権を処理するインセンティブがどれだけあるのか、これが実は最大の問題です。

瀬戸 私は、産業再生機構の役割の確認が一番大きなな問題だと思います。これは企業を救うというよりも、日本の産業全体を再び活性化するという大きな目的でつくられたのだと理解をしています。個々の企業の再生であれば、金融機関が個々に対応すればいいことです。一番大きな目的を絶対に見失ってはいけません。こうした今までの日本の社会になじまなかった制度を導入したことは、それ自体、高く評価できると思います。特に短期間で処理し終えるという期限をつけてスタートしたということも、とても良いことであると思います。

問題は、これをどう成功に結びつけるかということですが、そこには3つのポイントが挙げられると思います。1つは、問題の企業が再生できるかどうかの見通しをする能力です。2番目は、問題の企業が抱える不良債権の適正価格をどうきちんと決めるのか。3番目は、企業を再生するに当たり、それを運営していく人の能力の育成と登用です。これらがスムーズに運営され、5年間という期間の中で処理し終えるということで日本の産業全体が活性化するのが最も理想の形であり、それに向かって関係者が協力し合うことが必要です。その中で、日本の産業の再生を可能にするくらいのインパクトのある対象が出てくることが世間の関心を引きますし、また産業全体へのインパクトにつながっていくのだと思います。

斉藤 今の瀬戸さんのお話については、現場の事業会社の経営者の方がそのように把握をしていただいていることを大変嬉しく思います。では、小泉さんの方向性、進め方についてはどうかということになりますが、こうした産業再生というものは、アメリカでもここ15~16年のことなのです。法的整理と私的整理とはアメリカでも分かれていたもので、これは日本と同じでした。企業を経営して失敗したのはけしからん、それこそ引き回しの刑に値するという発想がアメリカでも中心だったようです。1987年前後に不動産を中心とする不況に入り、そこで色々な機能ができていくのですが、その中で、法学者を中心に、果たして債権を法律で引き剥がして取り戻す方がいいのか、あるいはもう一回生き返らせてから回収すべきか。回収か再生かというテーマにアメリカ全体がぶつかっていきました。

アメリカも当時は、銀行は国債を買っており、リスクマネーはほとんど出なかった。そこで、ERISA法を改正し、法律上大変厳しい運用ルールがあった年金運用について画期的な改正をしました。年金をリスクマネーとして誘導したわけです。その頃から、破産法についてはチャプター11の改正などが行われ、内容としては私的整理に近くなっていったわけです。

私自身、かって証券会社にいた頃、アメリカのビルディングを証券化して、当時、日本の金融機関に買っていただいていたところ、それが破産してしまい、債権者集会を開いて弁護士と一緒にアメリカに行きましたが、チャプター11が債権者の立場をブロックするのです。社債権者は極論すれば何もできない。経営者は残っているし、済みませんとも言わない。むしろ、一旦破産状態に入っていますから、ディスクローズだけは徹底的に行われる。その結果、銀行から見ると情報は全て開示され、これ以上ひどいことはないというところまで行っていますから、彼らから見ればいい商売の種だということになり、貸出し競争がここに対して行われるのです。

エンロンのように刑事犯罪となると逮捕や告発ということになりますが、刑事犯罪ではなく事業で失敗したというのは、アメリカでは、それはアンラッキーだったという程度のことで、基本的には人生にはいつでもそのようなことはある。そのようなリスクをとってビジネスをする人に対しては、一種の敬意が払われているわけです。何もしないでじっとしている方がむしろ敬意を受けない。悪意でなければ、事業をやって失敗した、ならばもう一回やっていいということになる。こうして法的整理と私的整理が近づいていく過程の中で、金融商品の世界でも証券化が進み、DIPファイナンス(デット・イン・プロセス)という、まさに更正する事業に対してさらに金が必要ならファイナンスをつけていくということが堂々と行われるようになる。そこで、私たちの債権も完全に蘇り、大体100に近づいて返ってきました。日本の制度に読み替えれば私的ガイドライン的に進めていたら60か70%でしたが、法的整理に行っていましたら恐らく30ぐらいしか返ってこなかったのではないでしょうか。

アメリカでは、こうしたビジネスに携わる人材が育ち、学問的にも新しい体系としてでき上がっていった。残念ながら、日本にはこういうものを体系化して学問化する動きが少ない。アメリカでは現場から出てきた知恵で法律が変わり、極めてフレキシビリティーに富んでいます。税制も色々な改正が行われ、受け皿がワークし、その後の10何年続く好況の一つのきっかけになっていきます。その頃、RTCのシードマン総裁たちが、10兆円程の金額をその処理のコストとして使ったと言われました。そのときには新聞で無駄使いをしたと言われましたが、数年後、そのおかげで不良債権が残っていない。経済が戻ったから不良債権がなくなったという面もありますが、アメリカ人はあの10兆円(不確認の数字ですが)は安かったと評価したわけです。そのようなことをしなければいけないという感覚になる。

そして、94~95年頃から2000年近くまで、ITを中心とする技術革新が入ってきた。銀行はその後、それを見てリスクテイクに踏み出していきました。たくさん持っていた国債をドル高政策で市場に吐き出させた。大統領自ら、アメリカは強い国だと言って、世界から金を流入させて、アメリカの銀行が持っていた債券を外国人に売り渡した。やり方が戦略的で実に賢いのです。


産業再生機構が直面する課題

小泉さんにもそのような大きな戦略を持ってもらいたいという思いがありますが、それは今、あまり感じられない。例えば、我々が処理を進めていく中で、政府が貸したお金がある。我々は貸付金なのだから当然、銀行と同じように一部放棄してほしいと言うのですが、それは困難だと言われる。同じ政府の中で産業再生機構をつくり、不良債権処理をしようとしたにもかかわらず、それをブロックするものが残っていて、一貫していない。例えば国のお金も10億貸したものは現在価値を評価すれば逆立ちしても2億円ぐらいの価値しかない。2億だと我々は査定するのですが、こちらの官庁はそんなはずはないという。ですから、小泉さんのメッセージは完全ではない。経済はミクロが大事ですが、ミクロの面で整合性がとれていない。従って、国民から見ても大変ぎくしゃくして、言葉だけだということになる。

他方、我々にとって悩ましいのは、本来、産業再生機構は、銀行と事業会社が案件を持ってこられたら、そのベースで進めるということになっていましたが、私どもも国民のお金をお預かりしているため、3年以内に必ずエグジットしなければいけない。年次報告も国会に報告する必要がある。そこで、極力損は出さないようにするために深掘りするわけです。深掘りしますと、銀行の要管理債権、つまり30%程度の引当てをしていたものが、たとえば必要額が70~80%に変わるわけです。そこで50%程度の引当て不足が起こってくる。その負担をなかなか銀行はできない。銀行から見れば不良債権は大分減らすことは必要でも我々とは少し立場が違う。、我々から見れば、実際に産業として生き返らせる必要がある。

そのような目で見ますと、資産計上されている不動産でも2つの種類がある。全く事業に参加していない不動産がアセットとして載っている部分と事業に参加している部分がある。事業に参加しているものはディスカウント・キャッシュフロー・ベースで現在価値を計算しますが、これは銀行もあまり反対しない。ところが、事業に参加していない土地について、我々はオーバーサプライを縮小するという命題がありますから、それは売ってしまえということになる。売るということは、本当に売れる価格で評価するしかない。ここは銀行と大変な議論になり、なぜ実際のの市場価格で評価するのかと言われる。我々が売れる価格で評価しますと、資産がぐっと減ることになりますが、負債は残念ながらデフレでも減りませんから、債務超過を起こす。銀行から持ってこられたときは、まだ熱が37度8分ぐらいだったのが、私どもに来て検査してみると、40度ありますということになり、40度はない、あるという激論になるわけです。

しかし、持ってこられた以上は40度として処理しましょうということで、大変時間がかかる。銀行とそこを1つ1つ、本当にこの値段で売れるのか売れないのかまで調べます。そこで、例えばかなり大きな土地を銀行が100と評価しておられたのを、我々がこれは40だと評価しますと、周りの土地が一気に下がる。これを銀行は恐れていると思います。まさしく国の大きな機関ですから、民間と違ってインパクトが大きいのです。これは我々にとっても新しいテーマです。ですから、小泉さんが出されるものは観念論としてはとてもいいのですが、現場へ行くとそれほど簡単ではないことも事実なのです。

しかし、方向はそうだろうということで、我々は現実論として1つ1つ銀行とお話ししながら進めています。例えば三井鉱山も、普通でしたらつぶしてしまえという議論になります。バス会社も、バスは全部赤字路線なのだろうという話になる。プライベート・エクイティー・ファンドでしたら、法的整理に持っていくかもしれない。トラックの方が儲かるから、そちらへ人と金を持っていく。私も民間にいればそのくらいのことはやれる。

ただ、私は国民のお金をお預かりしながら、熊本で唯一の5000人の雇用を吸収する産業をつぶして法的整理に持って行った場合、地域経済に与える影響は極めて大きい。熊本の場合は、私は県知事や市長にも会って、これは単なるバス会社一つの問題ではありません。今まで県も市も全部ほったらかしてきて、市のバスの運転手の給料は500~600万ですが、産交バスの運転者は300万前後のようです。官が完全に民を圧迫している。そういうことが全てレントゲンで出てくるわけです。それを県が見て驚いて、これはやりましょうということになった。私どもは民間とは少し違う形の仕事をしているということです。

工藤 今のお話は非常に重要で一つは、本来は事業性で考えれば低いのにも関わらず、価格をどこかで支えているシステムがあって、その中での価格付けという問題に直面している。銀行から見れば、これ以上ロスは出せない、資本も足りないので動けない。一方で再建する側から見れば、それでは事業としては再生できない。ここの問題のせめぎ合いが出てきている。もう一つは、本来、銀行が抱えている大きな産業や企業が過剰供給にある中で、その処理が進まない中で、放漫な形で維持されてきた地方の案件が出てきて、その本質的なリストラを背負わなければいけなくなっている。色々な矛盾の中で苦労があるということですね。

斉藤 我々としては、産業として生き返るのかどうかということであり、決して企業救済だけをするつもりはない。同時に、失業者をどんどん出すような政策を国民の税金を使ってできるのか、これは悩ましい問題です。よく過剰債務や過剰供給構造と言われますが、過剰供給構造とは何なのかという点について我々は大激論をします。例えば、石炭と言えば、典型的な過剰供給、古い産業だと言われます。論理でいけば、もう法的整理しかないということになるのかもしれない。ところが、石炭は日本のエネルギーのかなりの部分を占めており、その比率もどんどん上がっていく状況です。最も安価で高いカロリーが出るのはやはり石炭なのです。三井鉱山ともう1社で石炭を輸入してコークスをつくっていますが、これはほとんどアメリカの鉄鋼産業に輸出しており、コストの関係でコークスをつくれないアメリカの製鉄の裏に三井鉱山があるのです。日本の九電力には確かに売っていませんが、パルプ産業や一般産業に対しては輸入炭を売っている。そして日本の石炭産業には、大変な技術者集団がいるのです。こういう人たちが子会社の子会社へ行って、全く技術を活用できない。こういう方々が例えば中国に行けば、ジョイントで石炭を掘れるという世界がある。しかし、日本は商社が高いオーストラリアの石炭を持ってきて、高いまま電力に売っている。電力市場を自由化することになれば、当然のことながらコストに関心が出てくる。熱カロリーとコストなどという技術は三井鉱山の方々が持っているのです。

そこに発展力があるのです。我々は大事な日本の技術者などのリソースを、何か概念的に、石炭は古いと言って無視している。世界最高の技術を持っている人たちなのに、こういう無駄を国全体でしているのです。これもマクロ的言葉の遊びに陥っていて、よく見なければいけない問題です。

安嶋 産業再生機構が何をどういう思想で行なうのかについて、世の中全般にまだ十分に理解されていないので、それをもっと発信すべきではないかと思います。ただ、産業再生機構は官であり、私どものような民とは、当然、補完の関係になくてはならない。では補完の関係は何なのかを具体的に考えたときに、民間でなかなかできにくい部分が二つあると思います。

一つは、本来であればもっと早く手を打つべき、あるいは全く違う発想で再生をしていくべき案件がなかなか俎上にのってこないという現実がある。民間のマーケットについては、我々のようなエクイティー・ファンドも、証券化のマーケットやローンの売買市場も徐々にできてきていると思います。対象となる案件が出てくれば、そこでマーケットも拡大するし、人も育ってくる。今までパイプが詰まっていた部分があるとすれば、産業再生機構が仲介者として、詰まっているパイプを流していただく。世の中に案件を次々と押し出すことで、数をこなしていただくことがあると思います。

もう一つは、民間ではなかなかできにくい部分として、例えば公共財に近いもの、あるいは産業全般にかかわるものがあります。そこを、民間との棲み分けあるいは協調という形で産業再生機構が担うのであれば、それは意味のあることだと思います。

また、瀬戸さんが言われた三つのポイントにつきましては、私もまさにこれに尽きると思っていますが、翻ってもう一度考えてみると、企業再生の見極めや不良債権の適正価格というものは、色々な考え方があって、なかなかこれだと決め打ちできない。そこは誰か1人の人が決めるのではなく、複数の目が見て、その中で決まっていくということだと思います。多くの目で見る、要するにマーケットによる選別という観点が必要と考えます。

加えて、運営する人の能力が非常に重要だという点ですが、これはその人がどれだけ個別の案件にコミットできるかということにかかってきます。自分自身がそこで本当にリスクをとって、最後の最後までやり切るということでなければ、中途半端な形ではなかなかできないでしょう。また1人の人間やひとつの組織でやれることは限られているので、やはり、マーケットの総力戦で、ありとあらゆる人材を使っていかなければならないということです。そういう観点から産業再生機構にある意味でのコーディネーター、仲介者として、まさに潤滑油になってマーケットの拡大に寄与していただきたいと考えます。

世の中がその方向で進んでいくためには、具体的な対象案件が次々と動いていかなくてはなりません。現在、産業再生機構は銀行から何らかの権限を持って債権を買うという形にはなっていません。もちろん産業再生機構を使うかどうかは、銀行の判断に委ねるということでいいのですが、肝心の案件が動かないと、せっかく受け皿を作ってもそれが機能しないこともあり得ます。

従って、再生可能性のある案件に早く取り組んでいくための仕組みづくりが重要です。言い換えれば、銀行が案件を持ち込むことによってどういう得があるのか、ということでしょう。例えば、高い価格で買うと言えば、銀行に対して1つのインセンティブですが、それは単純にはできないでしょう。銀行が被るロスについて税務上どう扱うのか、というようなこともあるでしょう。


産業再生機構をワークさせる条件

工藤 こうしたある意味での「囚人のジレンマ現象」は、ロスのシェアリングを政治側が恐れているという問題に行き着いていくるところもあると思います。

瀬戸 政治の世界はどうしても最初に大きなアドバルーンを上げて、政治絡みのインパクトをねらいますね。そこで言葉だけが走るということが行われているわけであり、こうした政治の社会を我々実業の世界にどう具体的に下ろしていくかということだと思います。その点で、期限が定められているということは非常に良いことだと思います。これがいつまで続くかわからないのであれば、そのうちに尻すぼみになってしまう。期間が定められているということを最大限に使わなければなりません。そこで、まず再生機構に上がってくる企業の数をこなすということが一つありますが、さらに産業全般に影響を与えられるような企業を俎上に載せるということ、この二つが絶対に欠かせない点だろうと思います。

そして、次にやらなければいけないのは、税金を使うわけですから、事業全体の情報開示をもっと図っていかなければいけない。その前に、産業再生機構の目的から始まって、今その目的のもとでこういう事業をやっているのだと、オープンにしていくことが一番大事ではないか。それが国民全体にとっても理解しやすく、協力しやすい状態をつくっていく。そこで、斉藤さんが言われたたように、アメリカは事業の失敗者に対して寛大である。失敗者に対する烙印を押すという社会風潮ではなく、立ち直りの機会を与えるという風土を日本でもつくっていかなければ、企業も勇気がわかないでしょう。この5年間という期間の中で、一度日本の企業社会の風土を立て直すぐらいの気迫が要るのではないでしょうか。

工藤 案件がたくさん出てくるようにすることと、産業を本気で再構築できるような機運をつくることがポイントだと思いますが、どこにネックがあるのでしょうか。

斉藤 RTCと産業再生機構とは元々体質を異にはするのですが、私がアメリカ人によく冗談を言うのは、私どもの国は非常に民主主義的で、それぞれの機能があるものを総合的にワークさせることによって産業再生機構もワークするようにつくってあると。つまり、我々に強制権はない代わりに、協力規定が法文に書いてあり、政府関係機関は我々が協力を要請した場合は協力をしなければならないという文言が入っている。これは重要な文言で、そういう意味では金融庁に対して私どもは大いに協力要請もできるのです。この法案ができたときには、強制権は金融庁にあればいいということになっていたわけです。金融庁がディスカウント・キャッシュフローなど国際的に通用する方法で厳しく当たれれば、積み立て不足が出てきて、結局不良債権を持っていては経済性に合わないということになる。日本の銀行は資本不足に陥っているのではないかということがレントゲンで出てきてしまう。レントゲンで出てくるから、前もってペナルティーなしに金を入れるようにしようという動きを竹中さんたちは法案で準備しようとされたわけです。

しかし、やるなら、それをしっかりとやってもらいたい。例えばりそな銀行にあのような形でお金が入った。入ったこと自体の是非は両論ありますが、入ったことによって、今度は引当てができる。それは使うために金を入れたのですから、自己資本比率が12%というのはおかしいではないかという論理ではなく、大いに使って、来年ディスクローズしたときには5%位になっていたとしてもいいのではないか。その代わり、銀行がきれいになっている。引当てをしっかりとやって、引き当てたものは次々と産業再生機構へ持ち込み、我々がマーケットベースで処理させていただくといことで、りそな銀行がきれいになっているのでしたら、これは目標達成だと思うのです。

しかし、「りそな銀行はいいよな、国の金を勝手に使って」という声が出たりする。そうなりますと、りそなの側も、持って行きたいが、あまり派手にやると誰かに何か言われそうだという日本独特の発想が出てくる。また、銀行も本来は、地方なども含めて色々なことを考えているのですが、日本のメイン産業で、問題はありそうだがきれいにすれば強くなるというものは、大体健全資産にランクされているのです。そうであれば、なぜそのようなものを産業再生機構に持っていくのかということになり、事業者の方も自分のところを産業再生機構に持っていくとはけしからん、「メインバンクを外すぞ」ということになる。

加えて、資本を銀行に入れることになると、ジャーナリスティックな発想が出てくる。銀行と言えば、ジャーナリストの方々はすぐ頭取以下の顔を思い出す。私は銀行と言えば、ファンクション(機能)を思い出します。資本主義国家で銀行を救済せずして、どうやって資本主義を立て直すのか。銀行を立て直すという言葉を使った途端に、資本主義国家でありながら、皆さん寄ってたかって、けしからんの大合唱になる。では、あなたは預金をどこにしていますか。ほとんど銀行でしょう。決済機能なども考えれば、銀行という機能は絶対に必要です。中国もロシアも銀行を必死になって核に置いて、健全化しようとしています。資本主義国家の最たる日本が、なぜ銀行の資本の強化を国民自ら否定してしまうのか。そこが経営者問題とすりかえられてしまっており、それは明らかに別問題です。自らの財産や日本の経済を守り、税収を上げ、失業をなくすためには、「銀行を強化しよう、おれの税金を10兆円使ってくれ」という国民の声が出なければ駄目です。これが一番大事な声だと思います。人民裁判のようなことでなく、どの経営者が間違ったといったことは粛々とやればいい。

銀行に資本がこうしたきれいな論理で入れば、銀行の方もあまり恐れずに粛々と進むことができる。話題になっているような大きな産業もそこに出てくるかもしれない。しかし、今のままではそのような企業は産業再生機構には持ち込まれないでしょう。小泉さんはここまでアドバルーンを上げた以上、そのくらいのことを腹を据えてやっていただかなければ、生煮えでしょう。

瀬戸 今は銀行がその機能を果たしていない。企業がせっかく力を発揮して改革をしようと思っても、最後の踏ん切りがつかない。そこで企業は一番安易な延命の道を考え、ローリスク・ローリターンをとるわけです。これが日本全体の活力を損なっている。変化、変革の世の中ですから、ハイリスク・ハイリターンの道をとらなければいけない日本が、今、リスクに対して挑戦する気概を失っている。これは明らかに金融機関に責任があると思います。その意味で、今、斉藤さんがおっしゃったように、金融機関はこういう資本主義社会の中においては、その機能を発揮できるだけの資産を持っていなければいけませんし、また、金融機関の仕事に従事しておられる方は先を見る目を持って、企業の育成についてもっと体を張った動きをしていかなければいけない。皆さん小粒になってしまい、我が身の保全を考えている。なさざることの罪を皆犯していると思う。アメリカの企業家は、なさざることの失敗を一番厳しく追及するというのは、まさに至言だと思います。

安嶋 不良債権問題というのは、もちろん銀行に責任があるのですが、私は多分に構造的な問題だと思っています。つまり、日本が過去、間接金融に過度に頼り過ぎていた中で、リスクとリターンとが見合わない形で銀行のバランスシートに圧縮されてきたことの結果が、不良債権という形になっているという面があります。それを踏まえて、国全体としてコストはコストとして支払わなくてはならないと考えます。私は小泉改革の方向性を全体として支持していますが、個別の話についてコストの議論がなかなか出てこないという印象を持っています。不良債権の問題を解決するためにどれだけのコストをどういうふうに使うのかを示して、国民に負担を求めるプロセスが必要であると考えます。公的資本を入れるというのは、まさにそういうことだと思います。

瀬戸 そのコストが、小泉さんがいつも言っている「痛み」なのですが、痛みということについて具体的な説明がない。ここが一番問題です。グランドデザインを描き、それを達成するまでの間に構造改革をしなければいけない。その構造改革は痛みを伴うのだということですが、グランドデザインも構造改革も痛みも、それぞれ具体的な説明がない。

斉藤 きちんと説明されれば、日本人はよく理解します。「痛み」という言葉だけでは分らないので、「痛み」とは何か、「痛み」を払うというのはこういうことで、その結果、何が必要かを説明しなければならない。


銀行の自助努力と産業再生機構の使命

斉藤 我々は3年に区切って毎年国会に報告しなければならないので、いわゆる病気の再発は認められないわけです。同じ現象をレントゲンに当てて、向こうのレントゲンは少しボルトが低く、ぼんやり影がある。薬でいいと言われる。我々は電圧の高いレントゲンで、それで見れば黒い影がある。再発は許されないので、メスでこれを切りましょうと言う。産業再生機構には再発をしないというテーマがあるのです。銀行側は経営方針として、なぜ担保をそこまで時価で評価するのかと言う。しかし我々は、今まで100で見てきた担保について、これは30しかありませんと言うものですから、びっくり仰天する。我々産業再生機構は、我々のようにもう枯れてしまった人間と、5年間だけ国のために奉仕したいという連中ばかりです。給与なども放棄しているようなものです。徹夜に次ぐ徹夜で土日をつぶして働いてくれている連中が、これを使ってやってしまいましょうという気持ちでやっている。これはコスト的には銀行から見ると非常に安くなる。銀行から見れば給与も払わなくていい連中がデューデリジェンスもやっているのですから。銀行の経営者でもわかって行動に出ている頭取もおられるが、わかったがなかなか行動は難しいという方もおられる

国民が10兆円も使っていいと認めた。原則として毀損するつもりはありませんが、それによって産業が再生するならばということです。例えば三井鉱山についても、国有化だとか、産業再生機構がここまでやるのかなどという言葉が出るのですが、こうしたセンセーショナルな言葉は実におかしい。債務超過を起こしたのですから、整理すればエクイティーが全部飛んでいます。どなたかがエクイティーを入れれば、我々は何もしない。ところが、新しいお金でエクイティーを入れる方はいない。資本のない株式会社というのはないので、我々は買い取ったデットを一部、デット・エクイティー・スワップでエクイティーという形にする。株主がいませんから、結果として50何%のシェアになる。それをジャーナリストは国有化と謳うわけです。大変大きな誤解をしています。

もっと客観的に冷静に事実を伝える姿勢がジャーナリズムには必要です。我々は基本的には奉仕と仲介以外に何もありません。それ以上のことをする意図もないし、そういう使命もない。あとは、仲介機能がうまくワークするように例えば、税の問題や、同じ行政の中で赤信号と青信号が灯っているといった問題を整理されると、3年間以内にある程度できるのではないかと思っています。我々にはある程度のことしかできないが、1つの石をぽんと投げる程度で、池に輪が広がる。それによって色々な動きが起こり、例えば、不良債権を落とそうと自分たちで債権放棄をして再生する。それを銀行が進めて事業会社を立て直す気持ちになられれば、10兆円も使い切らないかも知れないが、1つの使命が終わると思っています。

工藤 金融の評価の際に議論になったのですが、りそなの問題は経営者が新旧勘定に分けてきちんと整理するということを、産業再生機構とタイアップして進めるスキームになっているのであれば、大きなモデルケースになるし、評価はできる。しかし、実際は優先株ですから、投入資本の毀損が想定されずに何年後に返ってくるという状況ではスキーム的におかしいのではないかという判断です。また、仲介者というお話がありましたが、それは立て直してまた売る、という役割なのでしょうか。

斉藤 二兆円も投入して、りそな銀行がそのままでしたら、新経営陣には経営責任が出ます。だから必死だと思います。私がその立場でしたら、なりふり構わず2兆円を使い切り、銀行をきれいにします。誰かが決めるのではなく、自分がやらなければいけないことではないですか。自分はそれに乗ると言ってリスクをとるのでなければ、経営者の姿勢とは思わない。国民から二兆円、その前のも含めると三兆円近いお金が入っているのですから、受けた以上は、何としてでも悪いと思うものはどんどん切り捨てる。受け皿が民間にも公にもあるのですから、引き取ってくれと交渉し、その代わりこちらは引き当てているからと言って進めていくということだと思います。これは密談する必要もないし、それを行政が命令する必要もない。全くビジネスライクにやれば、整理がつくはずです。

二点目の仲介の話については、基本は債権を持つということです。皆さんが放棄しなければ、我々は買わなくていい。合意して自分たちのブックの中を我々の値段で整理なされば、それで終わりです。しかし、嫌だと言ってお売りになるのであれば、それは我々が買い取らなければならない。国のお金があるので、そこが民間の場合とは少し違うところです。そこで我々は買い取って持ちますが、事業をとにかく再生しなければならない。事業が再生してくると、キャッシュフローが出てきますから、資産バリューが当然出てくる。不良債権のプライシングは、まさしくディスクローズとビッド・アンド・アスクの市場で行われるはずです。これを間接金融の中では完全に閉鎖してきた。俺のローンだ、第三者は口を出すなということになり、ディスクローズがなかった。アメリカがディスクローズを進めたのは、ローンを売買するためだった。第三者のプライシングというものが必要なのです。

それが日本に出てくると、資産価値が上がってくる。情報を開示していくと買い手が出てくるはずです。5年で解散するのですから、例えばリファイナンスでもいい。それだけ利益やキャッシュフローが出ていて、うまく回りそうだから、そのローンを売ってくれないかと銀行が言ったら、まさしくローン市場で、この価値は幾らですよと言って我々は売ればいい。そこで民間と違うのは、我々はあまり儲けなくていいと言われており、少しだけ儲けるという程度で進める。まさしく仲介業であり、潤滑油なのです。

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