【対談】自らを破壊できない日本経済に「産業再生」はあり得ない(会員限定)

2003年1月04日

ooe_t021224.jpg大江匡 (プランテック総合計画事務所代表)
おおえ・ただす

1954年大阪府生まれ。87年東京大学大学院工学建築研究科修了。現在はデジタル・アーキテクトとして活躍。86年『第12回東京建築賞(恵庵)』、2001年『グッドデザイン賞(横浜の茶室)』など多くの賞を受賞。著書に『Tadasu Ohe』等。

mastui_m020710.jpg松井道夫 (松井証券代表取締役社長)
まつい・みちお

1953年長野県生まれ。76年一橋大学経済学部卒業後、日本郵船を経て87年義父の経営する松井証券に入社。98年より現職。経済同友会幹事、東証取引参加者協会理事、国際IT財団理事を兼任。著書に「おやんなさい でもつまんないよ」。

概要

いくつもの難問を抱えながら、日本経済はいまだ表面的にかろうじて安定感を保っている。だが、ここで対策のさじ加減を間違えば、再生への道筋を自ずからシャットアウトすることになるだろう。竹中経済財政・金融相が新設を決めた「産業再生機構」は問題企業を立て直すことができるのか。プランテック総合計画事務所代表の大江匡氏と松井証券社長の松井道夫氏は対談で、「あらゆる問題企業と旧体制を破壊しない限り、産業再生などあり得ない」と提言する。

記事

デフレが企業を選別する

工藤 竹中経済財政・金融相は10月末、不良債権処理の加速と、経営不振企業の再生に取り組む「産業再生機構」の新設などを中心に据えた政府の総合経済対策をまとめました。その後、それに対して銀行の抵抗があったり与野党から批判が出たり、いろいろな議論がありますが、お二人はどう見ていますか。

松井 僕は「産業再生」のスキームというのが理解できない。小泉さんのいう「構造改革なくして経済成長なし」、このキャッチフレーズはそのとおりだと思うし、その流れに沿って竹中さんも動いているのでしょうが、しかし同時に僕は彼らに「マーケットなくして構造改革なし」じゃないですかと言いたいですね。

マーケットが崩壊しようとしているときに、どう構造改革をするかといったら、これはマーケットを通してやるしかないんです。政治家と役人が「この会社は整理しろ」「あの会社は残せ」などと選別できるはずはないし、それは基本的にマーケットを通してやるのが正攻法だと思う。ところが、肝心のマーケットが今、機能しなくなりつつあるのだから、ここが一番の大問題ですよ。小泉さんと竹中さんは、どうしてそこに思いが至らないのか。

不良債権だって、マーケットとともに拡大したり縮小したり、金額もすべてマーケットを通して決められるわけです。これはまさに戦後のシステムが制度疲労を起こして、その変化の課程で退出する企業の価値が不良債権の原資になっている。そういう意味では、銀行を通した不良債権処理という静態的な分析ではなく、もう少し動態的な視点から分析しないと、とんでもないミスリードを起こしかねない、そんな気がして仕方がない。

産業再生スキームも、あくまで銀行を通した見方からつくられようとしている。でも、それはビューポイントが違うのではないか。マーケット・オリエンテッドな発想を取り入れない限り、本当の意味における構造改革はできないのではないか、という感じがしてしょうがないのです。

大江 僕は、そもそも産業は再生できないと思っています。いや、産業を再生しちゃいけないんです。基本的につぶさなければダメですよ。要するに「再生」という言葉を使うからおかしなことになるわけで、スクラップ・アンド・ビルドをやるなら、まずはスクラップしないと、ビルドできないでしょう。

デフレについていうと、これは今後20 年は続く可能性があります。世界的なデフレはこれまで3回起きています。産業革命の時代、19世紀の後半、ヴィクトリア朝の時代に、それぞれ25年間デフレが続いた。なぜか。考えてみれば当然で、たとえば馬で運んでいたモノが蒸気機関車で大量に早く運べるようになれば、物流費は下がり、モノもどんどん安くなる。それと同じことが、今、ITによって起きているわけです。野村証券が大量の顧客窓口とか電話でしていた取引を、松井証券がインターネットでやるようになれば、そこで超デフレが起きるのは当然ですよ。

では、産業革命の時代のデフレが何を引き起こしたか。デフレは、25年続く間に旧体制をどんどん壊していったんです。そうして新しい仕組みに変えていった。たとえていうなら、「馬の軍団」の抵抗勢力をガンガンつぶしていったわけです。それと同様に、いま竹中さんが何を言おうが、デフレによってつぶれるべきところはつぶれていくでしょうね。従って、産業再生それ自身にカネを突っ込むというのは無駄なことなんですよ。放っておいても、「デフレはウエルカム」という企業だけが残るのですから。

工藤 時代に合わないところが淘汰されるということですね。ただ、淘汰を起こすように挑戦する動きがなければ駄目ではないですか。

松井 そうです。淘汰というのは破壊と同じことかもしれませんが、破壊のあとには必ず新しいものが自然発生的に出てくるんですよ。というのは、みんながそれを欲求するから。ともかく、まず破壊がないと、新しい時代は起きないでしょう。今は産業革命以上の革命が起きているわけだから。

大江 産業革命の時代はブルーカラーがホワイトカラーに取って代わられた。馬を使って何人もの人が運んでいたモノを、数人が機関車を使って早く運べるようになったわけですから、そこで労働の質に変化が生じたわけですね。それと同じことがITによって起きている。今の企業の中には情報代理店みたいな仕組みがあって、たとえば社長の言うことを知らせるために、社長から取締役へ、取締役から部長へ、部長から課長へ、課長から各部員へという伝言ゲームをやってるわけです。ところが、これが社内メール1本で全社員へ同時並行的に伝えられるようになってきた。そうすると、これまで社内で情報代理店みたいに働いていた人は要らなくなります。ここでも労働の質が変わって、「企画的」な人だけ残ることになるでしょうね。


抵抗勢力が消える日

工藤 エコノミスト・ベースでのデフレに関する議論でも、歴史的に考える議論があって、デフレの時代はもう避けられない、その中でどうすべきかという話もありますね。

松井 もう「デフレ対策」という言葉を使うのはやめるべきでしょう。その代わりに必要なのは「デフレ対応」という言葉であって、今のデフレを止める対策なんてあり得ない。デフレは止められません。そのことを認めて、それに合った世の中にするにはどうすればいいかを考えないと。

大江 19世紀末は、蒸気機関車の出現とともに鉄道会社が次々にできましたが、中身、つまり運ぶ荷物がなかったんですよ。需要として生じたのは、南フランスに観光に行くとか、せいぜいその程度のもので、これは今と同じ状態ですね。インターネットが張りめぐらされたのに、そこを流れるコンテンツが貧弱だという。

結局、さきほどの「馬の軍団」の抵抗勢力が頑張っているうちは――つまり25年という長い時間ずっとデフレが続いた。それがインフレに転じたのは、「馬の軍団」が消えたときでした。

松井「馬の軍団」を今に当てはめると何でしょうね。

大江 土木の仕組みをはじめとして何から何まで、すべての抵抗勢力ですよ。それらがいなくなった瞬間にインフレになると思いますね。

工藤 しかし、その瞬間が訪れるまでに20年はかかる、というわけですか。つまり世代が代わらなければ状況は変わらない。

大江 そういうことです。悲しいかな、抵抗勢力というのは人間のことなんです。だから僕はデフレが20年間続くといっている。

工藤 なるほど。今の日本は、昔ながらの同じような人たちがこれも嫌だ、あれも嫌だといっているうちにデフレが強まり、不良債権も増えて、とうとう国が手術をしなければといった局面を迎えているわけですよね。

松井 それに対するキーワードは、やっぱり僕はマーケットだと思う。マーケットというものには、世代という単位はないから。たとえば今、マーケットにおいて「おまえは敗者」「おまえは勝者」とやられると、おそらく彼ら抵抗勢力は持ちこたえられないでしょうね。会社の内部から、こんな頭の古い経営者ではつぶれてしまうという動きが必ず出てきますよ。そういった動きは、20年後とか10年後に出てくるのではなく、競争が激しくなるほど早く出てきます。

だから構造改革の一番のポイントは競争をもっと激化させることだと思う。そうすれば、今の時代の「馬の軍団」が消えるまでに20年もかからないかもしれない。

工藤 ただ、今の状況を見ると、逆の方向へ向かっていると思えませんか。逆というのは、今の松井さんの議論に照らせば管理型、あるいは国家依存型といえるものですが、つまりマーケットのプレーヤーがだんだんと縮小して、新陳代謝も生まれず、その結果、社会主義的な管理型を招くような状況になっていますよね。

大江 それを変えるためには政治革命も起きないと。今の政治家は大半が地方から出てきているわけですよね。東京にいるのと地方にいるのとでは、情報デバイドがあるから、感じ方に違うところが出てくる。世の中の動きをわかっている人は、少ないと思う。国会議員のうち、8割の人はさっきの「情報代理店」タイプでしょう。もちろん、そういった議員を当選させる人たちもいるわけですが、彼らが入れ替わるまでにどれほどの時間がかかるのか。民間の場合は、かなりのスピードで変わる可能性があると思いますが、政治革命がいつ起きるかとなると、僕は10年以内に起きてほしいけれども、どうでしょうかね。

松井 政治の仕組みは代議が前提、すなわち情報デバイドを前提とした仕組みですよね。そうなると個人が出てくるわけだ。個人が変わるためには、要するに単位としては一世代抜けないと。「馬鹿は死ななきゃ治らない」と言われるように、個人の発想を他人がいくら変えようと思っても無駄で、とどのつまりその個人が消えるまで待たなくてはいけない。しかも、その個人を選ぶ人間にしても、いろんな旧システムの中で選んでいるわけです。

ただ、その人間の選ぶ主体が変われば、実は政治というのはガラッと変わる可能性がある。

工藤 三重県の北川知事は県民と情報を共有して、そのうえで県民が決めた行政サービスを行おうという議論をしていますね。中央集権・依存型のシステムを壊すという流れと、壊しながら自分たちも政治に参加していくという流れが出てこないと、今の議論のような政治改革は難しいかもしれない。

松井 でも、代議制で議員を選んで議論させるというやり方、あるいは政党政治というものは、インターネットがない時代ならやらざるを得ないでしょうが、今後は変わっていくかもしれませんよ。極論すれば、議員さえも要らなくなって、一つひとつの法案についてコンピューターで国民投票する方法がそれに取って代わることも考えられなくもない。もしかしたらこれが一番民主的かもしれない。

大江 政治家も政策立案とか政策企画が重要な役目になってきてますから、それができる人だけが生き残れるような仕組みにしなくてはいけない。会社の中の情報代理店タイプの社員みたいに、国から地元に橋を持ってきてマージンをとるような議員は要りませんから。


中案もマーケットに放り出せ

工藤 今、かなりへたっている企業が張りついている状況になっていますね。これが自分で何とか変わることができればいいですが、問題はそういった層があまりに多いことです。法人企業統計ベースでいえば200兆円ぐらい要る。それらを淘汰して新陳代謝させる作業と巨大な過剰債務を処理する作業、この2つの作業が今の手術に求められている気がします。

松井 たとえば東証の時価総額250兆円のうち、4割が時代に合わない、消えていくだけの企業だとすると、ちょうど100兆円。その大部分は銀行という間接金融を通じて支えられてきた。それらが直接金融になるという流れの中で、どうなるか。マーケットで判別するとなったら、その100兆円は消えるでしょうね。マーケットというのは非常にドラスティックですから。そしてその負担はぜんぶ銀行にかかってくるわけです。

そのように100兆円を消すということがスタートになって、芋づる式に資金もぜんぶ出ていく。おそらく何百兆円という話になるでしょう。マーケットを中心にしてやると、そういうことが起きる。今の動きというのは、マーケットはとりあえず横に置いておこうと、そういう方向性ですよ。

工藤 逆にいえば、マーケットが機能しない中でそれが進められると、国有化というスキームが長期化するという現象が起きますね。

松井 今そうなっていますよ。

大江 雇用についていうと、大企業のホワイトカラーには年収1000万円から1500万円の人が意外に多くいるんですね。その人たちが倒産によってマーケットに放り出されたとき、どうなっているか。8割の人は再就職できても年収4割減、600万円ぐらいになっている。その一方、2割の人は1500万円とか2000万円にアップしているんです。

ここで考えなくてはならないのは、企業はどうして社員の市場価値に応じて給料を払う雇用形態にしないのか、ということですよ。マーケットなら、この人は600万円、あの人は2000万円だときちんと査定できるのに、企業においては高度成長期の賃金体系がいまだに幅を利かせている。これを取り除かない限り、産業全体の活力は上がらないですよ。

松井 それは会社を経営していると、よくわかりますね。ウチみたいな小さい会社だって、極論すると30人は必要だけれども、あとの人たちはそれほどでもないんですよ。つまり、30人は2000万円出しても欲しい、だけどそれ以外の人は300万円でいいのではないかということです。こういうことはもう企業のニーズとして出てきている。たとえばこれまでは中間管理職を通して社長の言葉を伝達するとか、そういったやり方しかなかったけれども、今は大江さんが言うように、僕が直接イントラネット(社内ネット)でパッとやればそれで済むんです。

大江 大企業で1500万円もらっていた人がマーケットに放り出されて600万円になるというのは、やはりそれなりの理由があって、大部分はその人が努力していなかったからです。大企業のレールの上に乗っかっていてね。だから当然の報いともいえる。

僕は、竹中さんのプランもマーケットに放り出されればいいと思っていて、その結果、失敗しようが成功しようがどっちでもいいと思っているんです。失敗したら、何かが壊れるでしょう。壊れたら壊れたで、そうすればまた新しいことが起こりますよ。失敗して、仮に一時期もっと日本が悪くなっても、それでオーケー、そこからまた新しいスタートが始まるんですよ。

松井 揺さぶればいいんですよね。

大江 そうです。プランが成功して日本がよくなったら、もうけものだと思う。とにかくやってくださいと言いたい。銀行が何をいおうが、旧体制が批判しようが、構わないことです。やってみてつぶれたら、世の中はつぶれたところから始まると言えばいい。

工藤 今の議論の雇用形態を変えるとか、いろいろな形で挑戦していくという流れは経営者層や企業の中にありますか。

大江 それはあります。

松井 全体の2割か3割はありますね。しかし、残りの8割については、経営者も含めて旧体制にぶら下がって、「オレがリタイアするまで何とかこのままで」と考えているでしょうけど。

大江 その企業が変われるかどうかは、専務と取締役上位5人の1週間のスケジュールを見るだけですぐわかりますよ。専務のスケジュールがゴルフと挨拶とパーティーで埋まっているような企業はダメ。旧体制の社長のスケジュールなんて、恐ろしいことになっている。仕事は部長連中が一生懸命組み立てていて、自分は何もやっていない。くだらないシンポジウムに出ているとか、シンポジウムに出られないような社長はゴルフざんまいとかしている。

松井 社長になった時点でリタイアしたんでしょう。

大江 部長は利益を上げようと一生懸命なんですが、社長が何もしないものだから、結局、どっちの方向へ行っていいかわからない。

工藤 では、そうではない2割か3割の経営者たちは何をしているのですか。

松井 リーダーシップを持ち、決断をして、「こっちへ行け」と指示を出していますよね。それが正しいかどうか、やってみないとわからないけれども、とりあえず社長の指示の下に現場が動いていますね。

大江 そうして、現場の行く末もきちっと見ていますよね。もちろん世の中の動きも常に見ている。

松井 そういった経営者たちの中で、竹中さんがいっていることに反対する人は、たぶん皆無でしょう。

大江 というより、竹中さんのいうことはどうでもいいと思っていますよね。ウチは関係ないよという感じでしょうか。

松井 銀行に首根っこを押さえられているような企業が意思をはっきりさせてやっているとは思えないし、そういうところからフリーになっている企業が自分で決断し、世の中の動きはこっち側だと考えつつ実行しているんですよ。そこには必ず社長のイニシアチブがあるわけです。


マーケットを信用しない政府

工藤 企業の再生・再編の中心となる産業再生機構では、見込みのある企業と、駄目だと淘汰してしまう企業を選別することになっていますが、問題は、その仕組みをどうするかということですね。

大江 ただ、これまでのところ政府が淘汰しようといっている企業は、もう本当に再建が困難なところであって、いわば「どうしようもない大群の端っこだけ」ですよ。本来なら、もっと大きな枠で構造改革をしなくてはいけないし、企業の半数以上が洗礼を受けるべきじゃないかと思うんですね。政府の役割としては、まずはその指針を示すことですよ。

工藤 指針というのはビジョンですか。

大江 そうですね。

工藤 産業再生機構の議論では、まさにそのビジョンについての話をしていますが、なかなか描くことができませんね。90年代末の韓国と同じように、ゼネコンなど3業種を対象に政府が誘導するのがいいのでないかという議論まで出ている。

大江 はっきり示せばいいんじゃないですか。ゼネコンについていうと、株価100円以下のゼネコンには政府および地方自治体は絶対発注しない、とするんです。そうすればちゃんとしたことが起こりますよ。民間はもう、株価100円以下のゼネコンに頼まなくなっている。そんなことを経営者がしたら、株主から代表訴訟されますから。つい最近、たしか愛知県か名古屋市の議会が大日本土木に万博施設の仕事を頼むことを決めたとたん、その翌日に当の大日本土木が倒産したという笑い話にもならないことがあったでしょう。これがもし民間での話だったら、間違いなく訴訟ざたになっていますよね。

松井 結局、マーケットの評価というものを全然信用していないんですよ。不良債権処理にしても、政府はマーケットの判断を無視して、自分たちが神の手になったような気分で突き進んでいる。株価というのは、ありとあらゆる情報を基にできるものであって、いろんなことを全部引っくるめてマーケットが判断しているわけです。それを信じることが、すなわちマーケット・オリエンテッドということであり、それはできない、やめるというなら、日本は統制主義、社会主義、共産主義になればいいんです。

大江 熊谷組には、その株価が9円になろうが10円になろうが、毎月ちゃんと地方自治体から発注があるんです。国からもあるしね。おかしいですよ。僕はある県の知事の顧問もしているのですが、「熊谷組への発注を続けていたら、いずれ訴えられますよ」と言ってるんです。

松井 だから、いまやらなければいけないのは、資本主義、市場経済の原理原則、これを認知すべきなんですね。この作業からやらないと、何をやってもダメなんです。

工藤 ここでは産業の再生の議論から、経営者のあり方にまで議論が及びましたけれども、ほとんどの経営者には国に依存する顔ばかり見えて、しかもそういった人たちが政府でも活躍しているといった状況がありますよね。

松井 少なくともIT革命が起きているということを知っている経営者と、そんなことは起きていないよという経営者がいるわけですね。ではIT革命とは何かといったら、それはインターネットを使うか使わないかということではなく、情報交換の環境が変わって、人々の行動パターンも変わったということが本質なんです。それによって、たとえば消費者中心の世界が広がってきた。それを見きわめてビジネスモデルを考えていける企業が、これからの時代に合う、消費者に選ばれるということになる。

これは何もビジネスの世界にだけ起きているのではなくて、政治の世界でも教育の世界でも、ありとあらゆるところで起きていて、納税者中心、生徒中心の流れになってるわけです。情報交換の環境が、20世紀の末から21世紀の初めにかけて抜本的に変わろうとしている。これをどういうふうにとらえるかが問題だと思うんですよね。

大江 そうした変化についていけない、抜本的な改革が難しい企業はいっぱいありますよ。繰り返しますが、そういう企業はつぶれないとダメです。今の仕組みのままでは無理。だから、産業再生というのはあり得ません。

松井 ただ、フリクション(摩擦)は凄じい状況で現れるでしょうね。「構造改革する」と口では簡単に言うことができますが、これはいわばパラダイム変換なのですから、膨大な失業者が出るだろうし、今までの世界で機能していたものの価値がなくなるわけですから、給与にも多大な影響が及びます。そうすると、国民の3割とか4割が「捨てられる」立場になる。

とはいえ、一度捨てられたら、未来えいごう浮かばれないのかというと、そんなことはないんです。どの人にも何かの能力があるし、向上心と努力さえあれば別の場所で活躍できる。そういうふうに一人ひとりが本来の能力を発揮できるような場を提供するのが、構造改革の本質だろうと思うんです。今いる企業で力が発揮できないなら、自分の能力を必要とするほかの企業に移ればいい、そういうことができるインフラ(社会基盤)を整えなければいけない。


消費者主体の新しい仕組み

工藤 松井さんはマーケットが崩壊しそうだと指摘されましたが、そうなればこれからますます厳しい局面に向かうのは間違いないですよね。この局面をどう認識して、その出口をどういう形で描けばいいのか。

大江 もう不可逆的な局面なんです。みんな可逆的だと思っているんですね。いつか日本は立ち直ると思っているわけ。そんなことは起きないんです。「いつか」「きっと」という概念を捨てて、この不可逆的な局面において、どうやって立ち直るかという施策を打たなければいけない。

松井 立ち直るというよりも、新しい仕組みをつくるということですよね。

大江 ええ。産業再生というのではなくて、「産業構築」「新創造」を考える。ベンチャーみたいなものを立ち上げるのではなくて、いったんつぶしたその後に日本がどういうふうにやっていくかという仕組みをつくるというか、少なくともそういう概念を皆で共有する。

松井 今までは鉄鋼業とか、金融業、証券業、銀行業......などと○○業がありましたが、この○○業というカテゴライズがなくなるわけですよね。そういうことを認識せよということなんです。つまり消費者主体になれば、全然違うカテゴライズが出てくる。たとえば「楽したい業」とか「楽しみたい業」といった消費者を中心としたカテゴライズ、これに合わせて再構築がなされなくちゃいけない。大企業がつぶれて、分割された後、そういったカテゴライズで新しく現れる、あるいはアライアンス(提携)を組むわけ。そういうことをやろうとしている企業はあるし、それが21世紀の新しいコア(核)になるでしょうね。

たとえば証券業でいうと、個人投資側のエージェントとして行動する証券会社は今までどこにもなかった。僕は証券会社の拠って立つポイントを変えたのですが、それが武器になっているわけです。これはサプライヤーサイドの発想に縛られていると、利益も上がらないということで、だれも考えつかないでしょう。銀行とか保険なんて、全く考えつきませんよ、いまだに自分たちが中心だと思っているから。エージェントになんてなろうとも思っていない。

工藤 消費者主体の発想がないんですね。

松井 でも、消費者主体の発想に基づいた大きな動きがあるのは確かで、それは政府が何をしようがしまいが関係も影響もないんですよ。民間は自分でやるんです。

工藤 どの企業も覚悟して、もう変わるしかない。

松井 雇用については、企業の雇用形態は変わりつつありますけれども、ともかく個人を開放してやれよと。これをやらなかったら、結局、個人が埋没しちゃいますからね。これから個人の感性というものが大事になってくる。これはアナログです。デジタルじゃない。人間というのは、アナログのかたまりですから。今後、アナログというものが極めて価値が出てくる。

大江 そうそう。さっき言った企画とか、ものを考えるとか。

松井 美しいものを美しいなあというような感性ね。すごく論理的に美しいなとか、そういう感性を持った人間が主役に躍り出て、そういう感性を必要としないような仕事に従事している人は埋没していく。だれしも感性を持っていますから、あとは努力ですね。その中から勝者になる努力をしろよと。これはきわめて自然だし、人間的でしょう。そういう社会をつくろうという議論をすべきであって、企業を淘汰して、そこの人はみんな死ねばいいんだという議論をしてはいけないんです。

(司会は工藤泰志・言論NPO代表)