岩田一政 (内閣府政策統括官、東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻教授)
いわた・かずまさ
1946年生まれ。70年東京大学教養学部教養学科卒業。同年経済企画庁入庁。84年同庁大臣官房調査官・研究所主任研究官、88年アルバータ大学およびイエール大学客員教授等を経て、2001年現職。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻教授を併任。また、81年エコノミスト賞、94年郵政大臣賞受賞。著作は『金融システム改革と資本市場の将来』『マクロ経済と金融システム』等多数。
概要
経済財政諮問会議は2002年1月の「中期展望」でデフレを2003年中に収束させると目標設定した。だが、政府や日銀の足並みは具体的に揃ったとはいい難く、むしろデフレ・スパイラルへの懸念が高まっている。デフレを覆す政策パッケージと政策協調のあり方は何か。日本経済はデフレ均衡の不安定な経路上にあると語る、内閣府の岩田一政政策統括官はメッセージの公表は早ければ早いほどいいが、政策を総動員しないとデフレは収まらないと語る。
要約
日本のデフレは消費者物価の下落でいうと1999年から始まったが、GDPデフレーターで見ると95年ぐらいから続いている。消費税が上がった97年は1年間、プラスにはなったが、基本的には90年代半ばからデフレが定着している。つまり、日本のデフレは最近起こったものではなく、かなり長い期間続いているということを考える必要がある。
このデフレについては、私は3つの原因があると言ってきた。1つは90年代初めに株式と土地価格のバブルが崩壊したこと。その結果、1234兆円というGDPの2倍以上のキャピタルロスが出て、日本経済の資産価格が下落する中でデフレ圧力が発生した。2番目は為替レートの問題である。85年のプラザ合意以来、1ドル240円ぐらいだった為替レートがデフレの定着し始めた年の95年には1ドル80円を切るところまでいってしまった。いわば10年間で240円だったものが80円になり、ドルの価値がある意味では3分の1になってしまう。そういう急激な円高で輸入物価がまず下がり、それにつれて国内の卸売物価、消費者物価にも波及するという経路が動いた。
最後は、最近のアメリカの連邦準備制度理事会などでも分析しているが、日本の金融政策の運営がやはり適切ではなかった。アメリカ財務省の次官ジョン・テーラー氏が考えている金融政策のルールはGDPギャップとインフレ率を見て、中央銀行が短期金利を操作すること。そういうルールで考えた場合に90年代前半にもっと早く金利を大幅に下げておくべきだったという分析を連邦準備制度理事会が報告している。
私も全く同感で、デフレ圧力が強まっていく中で日本では、金融政策はむしろ引き締めぎみの対応が取られてしまった。急激な資産価格の下落と為替レートの上昇の中で、特に92~93年、マネタリー・ベースの伸びは実はマイナスになってしまった。明らかに、デフレの進行に対してさらにそれを加速してしまうような金融政策が取られた。この間、日銀は金利を下げたが、とても間に合わなかった。その結果、この3つが組み合わさり今のデフレが95年半ばから日本経済に定着してしまった。
持続的物価下落は戦後の先進国では異常な現象
これに対して日本政府として「日本経済は緩やかなデフレにある」ということを初めてアナウンスしたのは2001年3月で、随分遅いものだった。私がこの内閣府に来て2年近くになるが、その時に私たちは世界の過去のデフレはどういう時に起こり、戦後どういう国でデフレがあったかということを系統的に調べた。日本の場合でいうと、戦後、デフレが1年間続いたのが50年代の数量景気の1回だけで、この時にはGDPの伸びは10%を超えるほど高かったが、消費者物価はマイナスとなった。戦後はそれだけであり、今回の持続的なデフレがいかに異常であるかがわかる。
戦前はデフレというのは、インフレと同じようにしばしば起こっていた。イギリスではビクトリアン時代の黄金時代が崩壊していく1873~96年の時期に、やはりデフレが起こっている。アメリカも南北戦争があり、その後、鉄道の開発ブームが起こって、その「発展、飛躍の時代」である1870~90年代のGDPは非常に高い伸びだが、物価はずっと下がっていた。1870年代から90年代にかけて、金本位制の下で金供給が不十分であったことが主因である。産業革命の1780年代は、極めて急激な生産性の上昇が起こり、それに賃金がキャッチ・アップしなかった。日本も戦後の立ち上がりのある時期は、生産性の伸びが非常に高くて、それに賃金が追いつかないとデフレ状態になることがあった。物価の下落というのは一般的に言えば、金融政策に加えて生産性の伸びと賃金との関係が影響すると私は思うが、戦後においては、特に管理通貨制度が採用されている国、先進国において持続的に物価が下落するという事態は起こったことがない。そのため、早くから国際機関では日本はデフレだ、マイルドなデフレーションだと言っていた。しかし、政府としてはそれを認知しなかった。どうして認知しなかったかというと、デフレというのは不況と共存している物価下落をいうのであり、失業率がどんどん上がっていて物価が下がっているわけではない、これはよい物価下落だという判断だった。2~3年前、日本政府は国会等で、デフレはないとしていた。
特に日本銀行にそういう認識が強かったと思う。よい物価下落だからこれはいいという考えで、かなり最近までそういう考えをとっていた。デフレの原因についても、私の挙げた3つの原因を日本銀行の方は認めないだろうと思う。恐らく規制改革で生産性がよくなっているとか、中国から安い品物が入ってきたとか、そういう原因を挙げられると思う。私がそうした要因を強く言わないのは、基本的には日本経済は失業率は上がり、しかも物価は下がっているわけで、そうした要因ではこれは説明ができない。生産性が改善した場合は失業率は下がり、実質GDPも増えるはずであるが、今は失業率が上がっていて物価が下がっている。これは決してよい物価下落ではない。
デフレに対して、今も意見が分かれているのは、85年以来の急激な円高時に、構造改革が必要だという話になって、物価やコストを下げることは至上命令だという考えが多かったからだ。内外価格差を解消する、そのためにはデフレがあってもいいというふうにお考えになっている経営者の方は今も随分おいでになる。しかし、私は、それは基本的に間違っていると思っている。内外価格差の問題というのは、実は国内の生産性格差の問題であり、製造業と非製造業の生産性の格差が極めて大きくて、サービス関係では生産性に見合ったような、例えば賃金やコストの決まり方がされていない。特に農産物とサービス関係の物価が高いが、基本的には非製造業の生産性を高めていくことによってしか内外価格差は直らない。それが正しい解決だと私は思っている。仮に製造業の品物が高いとしても、それは流通段階に問題があってその問題は直さなくてはならない。非製造業のコストを下げるためには、規制改革をやることは当然必要だが、だからといって日本経済全体をデフレにする必要は全くない。
このデフレについては、なかなか国民の間で危機感が共有できていない。直接の影響は債務を抱える企業や個人について実質的な債務の増加がデフレの進行の中で生まれる。ただ、今年の経済財政白書でもいくらか分析したが、景気が悪いにしては消費が結構出ている。高齢者の消費性向がじわじわ上がっているからだが、リタイアした年金生活者は物価が下がることで、より快適な生活ができる。今回給付については物価調整をやることになっているが、これまでは下の方に調整することはなかった。しかし、デフレが続く限りこうしたシステムは長い目で見れば維持できないのである。今働いているサラリーマンも名目賃金の下げ方のほうが物価の下がり方よりも大きくなり、実質賃金も下がり始めている。時間差での快適さはあるかもしれないが、物価が下がっているからデフレでいいと考えているとしたら、それは一時的な錯覚としかいいようがない。
中国のデフレインパクトは主因ではない
このデフレについて、もう少し議論を進めていくと、まず中国とか、あるいは世界市場のインテグレーションという話がある。中国の場合を見ると、大量生産社会あるいは大量消費の社会に入りつつあって、中国は実は今、2回目のデフレに入っている。われわれの世界潮流リポートでは中国の物価の下落を分析したが、そこには様々な要因がある。1つはマネタリーな要因が明らかにある。マネタリー・ベースが2年ぐらい前にかなり伸び率を落としたその後にデフレになっている。これが日本の92~93年のマネタリー・ベースの伸びをマイナスにし、95年からデフレが定着したことと対応関係があると私は思っている。
さらに中国の超過労働力の問題と、生産性の向上という要因もある。中国の場合は余剰労働力経済で、人を雇おうと思えばいくらでも農村からどんどん流入してくる。その中で中国では78年から開放政策をとって平均すると10%程度の成長、ちょうど日本の高度成長期と同じだが、そのぐらいの成長をしていて生産性はもちろん上がっている。しかし、それに比べて賃金が追いついているかというと、実はそうでない。賃金コストで見ると、むしろ下がっているというコスト要因がある。中国の場合にもうひとつ、体制の転換で社会主義体制から市場経済へ移行しつつあり、国有企業があまり売れないようなものをつくっているという要因もある。つまり余剰生産能力を持っていて、それが過剰に生産してしまう。それが常に物価を押し下げるような要因として働いている。そういう実物面での要因とマネタリーな要因が両方合わさり中国の場合にはデフレになっている。
問題は、それがどのぐらい世界に影響を与えているかということだが、日本は中国からの輸入がGDPに占める割合は1.4%、アメリカの場合は1%。その他にも中国からもっと輸入している国もある。それらの国が、日本のようにデフレになっているのかというと、皆がそうなっているわけではない。中国との貿易関係が非常に強いところは確かに中国の物価下落がそのまま波及している面がある。香港がデフレになり、シンガポールも年初来デフレである。台湾もそうだが、他の先進国がそうなっているかといえばそうではない。
モルガン・スタンレーのスティーブン・ローチ氏が最近、中国が世界デフレの一番の源だという論文を書いたが、例えばヨーロッパはどうかというと、むしろまだインフレで悩み、インフレ率が2.5%以上ある。アメリカも物価コアのインフレ率は下がってきているが、それでも2~2.5%ぐらいはある。中国が不況をつくり出して仮に安いものを売っているとしても、価格はダイレクトに移転するかというと、変動レート制のもとでは為替レートがあるので物価への波及は隔離できるというのは、経済理論の基本的な考え方である。つまり、物価面での名目ショックというものは為替レートで普通は隔離できる。その意味では中国がドル・レートにペッグしているということで、どちらかというとアメリカはそれを隔離し難いが、ヨーロッパはそうなっていないため総体的にいうと隔離できると私は思っている。
中国のインパクトがあることを私も認めるが、それが一番の要因ではない。他の先進国、特に日本とかアメリカとかヨーロッパが中国からのデフレ的な低価格の輸出品の影響を隔離できないかといえばそんなことはない。国内の総需要と総供給の関係で国内価格は決まるので、中国からの個別の価格低下の影響から十分逃れることができるし、今、日本がデフレであっても、それを1~2%の緩やかな物価上昇の状態にもっていくことは可能なことである。
金融政策と需給ギャップへの見解
私は基本的にはインフレとかデフレは貨幣的な現象だと考えている。資産価格とか為替レートもそうだが、これらは金融政策で決まるものだと思う。今、マクロ経済ではもう少し複雑な議論があって、物価水準は財政政策が決める。これはドン・パティンキンが終戦直後からいっていることだが、最近は若いシカゴのウッドフォード教授が新しいマクロ経済学を展開していて、「物価水準は財政政策で決まる。しかし、インフレ率は金融政策で決まる」と主張している。そういう二分法が正しいかどうかは問題があるが、昔の古典派の経済学というのは、物価水準はマネーで決まり、相対価格は実物の部門で決まるというのが二分法だった。今の二分法は、財政政策で物価水準のところが決まって、インフレ率が金融政策のところで決まる。こういう分け方もある。日銀にそういう考え方の人もいる。人によっては財政政策の物価水準決定理論を重視して、金融政策はあまり役に立たないのだというふうに言う方もいるが、多分それは言い過ぎであって、私はそうではなく、インフレとかデフレというのは物価の変動であり、金融政策あるいは貨幣的な要因がその国のインフレ率を決めると考えている。そのため、インフレ率はやはり金融政策で決まる。
需給ギャップの問題では、需要よりも供給のほうに日本経済の本質的な問題があると私は考えている。今の日本の潜在成長率は多分1%ぐらいしかないが、需給ギャップは3~4%あると見られている。短期的に言えばそれは少し縮まってはいるが、その額はかなり大きいと私は思っている。過剰な供給をそのままにして、それを無理して支えてきたから、景気が悪くなるとそれが開くということを繰り返してきた。不良債権というのは実物面で考えれば資源のミスアロケーションで、効率の悪いところに資源がとどまり、在庫がたまって物価を下げる圧力になる。ギャップが大きいから需要を追加すればいいかというと、そう単純な話ではない。これは、先の中国の例などを見るとはっきり見えてくる。中国では国有企業が非常に不効率なことをやっているが、そこに人も資源もあるいは生産設備も張りついてしまっている。それをやっているがゆえに、もちろんデフレが起こり、売れ残り品があって価格を押し下げる力が働いている。
似たようなメカニズムが日本では非製造業の、いわゆる不良債権の御三家や、三業種、四業種といわれているところに不良債権が6~7割集中している。製造業はそういう過剰供給能力が発生した場合に、かなり短期間で一生懸命減らすが、非製造業にはそういったメカニズムが非常に働きにくい。マーケット自体が十分競争的でないとか、規制でもって守られているとか、あるいは建設業でいうと公共投資自体が、建設業の生産能力を維持するための、かなり補助金に近い性格があり、それで支えられてきた。そうしたところの過剰な生産能力が不良債権の源で、そこに過剰債務があって、過剰な人員を抱えている。不良債権の処理というのは、資源を非効率的な分野から効率的なところに持っていくという話だが、そこの過剰債務やその裏の過剰生産が相当のデフレ圧力になっている。圧力になっているから、それでは過剰生産に対応した需要を足しますかといったら、日本経済は体質が変わらない。資源のアロケーションを変えて今の1%の潜在成長率の天井自体を上げないと、日本経済が立ち直らない時に、需要だけの話が出てくるのは、中国で言えば、国有企業をもっと温存しようという話と同じである。過剰供給の是正と新しい需要の創出により、ギャップを埋めるべきである。
デフレが恐慌的スパイラルに陥る可能性
こうした日本のデフレがスパイラル的なもの、これは恐慌という言葉で置き換えてもいいが、そうした事態を引き起こすかはまだわからないが、その危険性は持っていると私は考えている。私はヴィクセルの理論を多少マクロ経済的にモデル化したものを論文としてまとめたことがある。その基本的なエッセンスはヴィクセルによれば、自然利子率が市場利子率よりも高いと、実物投資に資金が向かい、需要が喚起されインフレ的になるが、反対だとデフレになるというものである。自然利子率というのは実物資本に投資したときの収益率だが、90年代を通じて日本はこれがどんどん下がっている。市場利子率というのは、長期の実質利子率であり、今の日本だと名目では長期金利1%だが、実質では2.5%となる。これに対して日本の一部の上場企業の1株当たりの収益率はここ2~3年ほとんどゼロだから、ヴィクセル流にいうと明らかに日本はデフレ状態になっている。
そういう考え方を元に日本の経済は95年以来デフレ均衡にあるというのが私の考えである。ヴィクセルのメカニズムとテーラー・ルールを組み合わせて動学モデルをつくると、均衡が2つ出てきて、正のインフレ率のところと、そうではないデフレのところに均衡点が2つある。経済成長の理論ではハロッドがナイフの刃と言ったが、均衡の経路から少しでも外れると両側に発散する。デフレ均衡は、そういった不安定な均衡である。だから、均衡点自体は存在しているが、均衡に至る1つの経路から離れてしまうともうそれは発散してしまう。下に発散すると、それはデフレ・スパイラルになる。デフレ・スパイラルのリスクは常に存在している。
このデフレ均衡というのは私の計算では3%のデフレ率(消費者物価指数)より下に行ってしまうと必ず発散してしまう。3%というとまだ余裕があるようにも見えるが、例えば消費者物価は今1%ぐらいのマイナスだが、実態はもっと落ちているかもしれない。つまり、現在の日本経済は決して安心はできない状況にある。日本経済は今、このデフレ均衡の経路上にあるため、3%ではないから大丈夫だとは必ずしも言えない。私が言いたいのはこの経路上にたまたまある場合は3%までは大丈夫だが、それ以上に下がってしまったときは明らかにスパイラルになる。ただ、これは十分条件で、必要条件ではない。1%であっても、この経路に乗っていなければもちろん落ちていく可能性は常にある。このデフレ・スパイラルに陥ることは恐慌と同じでGDPギャップはとめどもなく広がり、物価はとめどもなく下がることになる。
現実のデフレ率(消費者物価指数の下落)はその項目のバスケットの中身を考えれば、1%よりはもっと大きいのかもしれない。だが、それは今はわからない。歴史的に見れば、戦前の大恐慌のデフレはかなり大きくて、GDPのデフレーターに当たるもので見ると、アメリカはデフレ率が15%あり、日本でも昭和恐慌の時には2割のデフレでこれは明らかにスパイラル的な現象だった。今の日本経済が、この状態に突っ込んでいるとはいえない。私がなぜデフレ均衡という言葉を使ったかというと95年には日本はすでにデフレになっている。その間に景気循環は非常に弱々しいながら2回あったが、にもかかわらずデフレ、価格の下落は変わらない。デフレ・スパイラルにあるのであれば、景気が上がったり下がったりはせず、一方的に落ちるわけだが、景気の波は曲がりなりにもサイクルがある。ただ、その間にデフレが続いているというのはやはり、デフレ下での均衡というのは存在していると考えざるをえない。
デフレ均衡から外れる当面のリスク要因
こうしたデフレ均衡から外れていく可能性を考えれば、そのリスク要因は当面、3つあると考える。1つはアメリカのイラク攻撃に伴う影響。前回の湾岸戦争は7ヵ月間続いたが、その時にどんなことが起こったか。アメリカでは当時、不良債権で悩んでいたが、病み上がりからそれを片付けようと思った時に戦争が勃発し、GDPや物価は下がり、日本の株価も36%下がった。原油価格が上がって金利は上昇、株価は下がり、しかもそのとき為替レートはドル安・円高になった。それが今度の戦争でも再び起こる可能性がある。私はそれがある意味では一番、大きなショックだと思っている。
2つ目は不良債権の処理に伴う影響である。不良債権処理自体は、非効率的なところから効率的なところに資源を移すことなので、早期に実施すべきことであるが、短期的には摩擦があり、失業も増えるため、当然、下押しの圧力が短期的には出てくる。それをあまりに大きく言うのは改革をやめてしまえという議論になりかねないので、これを過度に主張することに私は反対だが、その影響は認めなくてはいけない。
この不良債権の最終処理という問題は経済実体から見れば、経済の生産性を高めるということを意味している。今年の経済財政白書でも分析したが、日本の非製造業の全要素生産性の伸びは90年代はマイナスになっている。技術進歩のある世界でこれがマイナスになるというのは異様なことだが、特に90年代に労働生産性の伸びが落ち、日米が逆転した。バブル前は5%、バブルの時は7%近く労働生産性の伸びがあったが、今では1.7%になり、最近の2~3年をとるともうゼロに近い。労働生産性が伸びなければ、実質賃金も伸びず、収益も改善しない。上場会社でも1株当たり収益はゼロになってしまう。これが日本経済の本質的な問題なのである。不良債権最終処理というのはマイナスの全要素生産性の伸びをプラスに変えていくことであり、経済全体の生産性を高めていかないと、経済は立て直せない。
その過程では当然、様々なコストが伴う。経済構造が変わるわけで、その処理に伴って失業問題も短期的に出てくる。もともとは借りた企業にロスがあって、それが銀行部門でも全部は払えなくなった。そのときに国民の負担はいくらになるのか、という段階になっている。既に国民の負担は銀行でいえばゼロ金利で、ある意味では補助を行っている。それに加え、経済構造の調整に伴うコストは、最終的にはいろいろな形でコストになる。
公的資金の投入が議論になっているが、既に銀行に入れた公的資金8兆円は優先株のフェアバリュー(理論値)でみると半分が毀損している。銀行の資産査定の厳格化をして、引き当てを十分に行えば、自己資本が十分でない銀行が明らかになってくる。国民の負担の問題は避けられないわけで、そこをまず明確にすべきだと思う。その過程で、企業や産業の再生に前向きに取り組まないとならない。銀行だって新しいやり方はあったはずだが、それを全然やらないでもう10年以上も同じことをやっている。やはり努力不足としかいいようがない。
もうひとつは財政や金融政策の政策問題であり、アメリカでは外的ショックがある時にすべての政策を動員しているが、日本ではまだそうはなっていない。今はアメリカも議論がだんだん日本に似てきた。それには共通の原因がある。株式市場のバブルの崩壊の大きさは日本とほぼ同じだった。時期を10年ずらせて図を描くとちょうど同じ形になる。つまり、資産価格のデフレは土地のところがまだ起こっていないだけで全て日本と共通している。土地は住宅需要が根強いからで、これについては私自身は毎年のアメリカへの移民の増加を考慮するとバブルではないと考えているが、それをバブルだと言うアメリカの経済学者もいる。イギリスの住宅価格は確かにバブルだが、バブルであるならば必ず、価格は調整される。
アメリカの連邦準備制度理事会は日本の90年代の金融政策は日銀が間違ってしまったと判断している。だから、同じ失敗は絶対阻止したい。そのために金融面でも財政面でも総動員して必死で行っている。今のブッシュ大統領はその後補佐官になったリンゼー氏のサポートもあり10年間で減税1.3兆ドルを掲げて選挙に勝った。1.3兆ドルというのは平均すると1年間で1300億ドル、今の日本円で15兆円、それを毎年やる政策を打ち出した。そうした政策の背景にはアメリカもバブル崩壊で日本と同じになるという問題意識があった。9月テロの時にも消費が下支えしていた。明らかに1.3兆ドルの減税が相当オフセットしていた。さらに今はイラク攻撃の議会承認を得たこともあり、減税を500億ドル上積みしようと言っている。つまり、アメリカでは日本の経験も見て、危機感を持って、財政、金融をフルに動員している。軍事費も増えているから支出面も増えている。そうした強力な刺激策を必死にやってようやく2%台の経済成長を維持している。
ところが、デフレ・スパイラルの不安がありながら、こうした対応に今の日本はまだなっていない。それが私の考える3つ目のリスク要因である。特に当面気になっているのは財政政策の問題である。新たな経済構造にふさわしい需要を創出するには、民間需要の掘り起こしが必要であり、それは補正で支出を増やすのではなくて、減税でやるべきだと私は考える。私は5、5、5の税制改革を主張している。どういう内容かというと、法人税も個人所得税も税率を一律全部5%下げてしまう。個人所得税は小渕内閣の20%の定率減税を廃止するが、それでも法人税率引き下げと合わせて3.7兆円の減税になる。さらに1.3兆円分は研究開発投資やIT投資の税額控除、不動産取引税の軽減を合わせて5兆円の減税計画である。中長期的に経済を強くするために税率そのものを下げる。経済学が税制について何かいえることがあるとすれば、簡単に言うと、限界税率を下げ、あるいは税率構造を少しフラットにすることぐらいしかメッセージとしてはない。しかし、それを実際に行うことがシャウプ税制以来の税制改革だと私は考えている。歳出面は財政の構造改革だから中身の入れ替えを行えばいいのであり、その代わり税制面では税率を下げるような改革をやる。だが、そうしためどさえ現段階ではできていない。
最優先の政策課題は「デフレの阻止」
こうした不安定なリスクを抱える状況の中で、マクロ政策の運営は「デフレを阻止する」ということが最優先の戦略にならなくてはいけない。そのためには、30年代の昭和恐慌時の経験は貴重でその教訓をかみしめるべきだと私は思っている。当時は井上財政から高橋財政と変わったが、井上財政というのは今でいう構造改革であり、産業構造の転換を促進するため、デフレ的な圧力を伴う政策をとった。その後、高橋財政ではデフレ阻止のため積極的な財政と金融政策を行った。小泉改革はいわばその2つを一緒にやっているところがある。産業構造の転換と同時にデフレも脱却する。その両方を同時進行でやろうという課題を背負っている。これらは両方ともやらなくてはいけないことだが、デフレの克服については高橋財政が何をやったかをよく見極める必要がある。
1つはもちろん財政面での刺激をやった。高橋蔵相は公共投資で行ったが、今の日本では税制でこれを行うべきで、中長期的に経済を強くするように税率を下げるべきだと私は考えている。金融面で高橋蔵相が行ったことは、日銀による国債の直接引き受けだった。非常に興味深いことは日銀の持っている国債の保有比率を大きく引き上げたことだ。例えば今は600兆円の国債のうち日銀が保有するものは50兆円くらいある。当時、ちょうど高橋蔵相はその保有比率を4%から1年間で倍以上に上げている。逆にいうと今の日銀は国債の保有を50兆円から倍にするということだ。現在の日銀の長期国債の買いオペは逐次拡大で先月2000億円を増やし月間で1.2兆円にしている。これを毎月4兆円買い続けないと2倍にはならない。今はもちろんマーケットで買えばいいわけで、別に直接引き受けでなくていいわけだが、そういうドラスティックな変化を起こすことが極めて大事だ。高橋蔵相はそれにあたる政策を取り、しかも興味深いことに、その政策をとった途端、20%のデフレがあっという間に1年間でゼロ以上のプラスのインフレ率になっている。
同じことは1933年、ルーズベルト大統領の時のアメリカでも実現されている。この33年というのはバンク・ホリデーで銀行を10日ほど休業させた年でもあるが、その裏で連銀が何をやっていたかというと、国債を積極的に購入していた。当時の連銀の保有比率も4%だったが、それを1年間で2倍以上に増やし、その結果、アメリカも同じく15%のデフレ率が1年でプラスに変わった。
しかも興味深いのは、それほど強い政策をとると為替レートはどうなるかだ。日本の戦前の場合では、金本位制を離脱した時1ドル2円だったが、それが1年の間に4円となり、100%の減価となった。現在の1ドル120円で考えると、240円になることに相当する。つまり、ドラスティックな金融緩和策をとれば当然為替レートは下がる。日銀には、量的緩和に何の効果もないと言う人がいる。確かに金利はもう下がる余地が少ないが、為替レートはいくらでも動き、下限はない。
日銀に求められるのは、日本銀行は今のデフレを本当に望ましくないと考え、これをプラスの方に持っていく意志をマーケットに示し、確信を持たせることだ。デフレマインドをこれで変える。さらに国債の積極的な購入という超緩和政策をとれば、それは為替レートに当然波及する。円安は明らかに輸入物価を上げるため、それはやがて卸売物価、消費者物価に波及していく。私の簡単な計算でも1ドル150円ぐらいを1年ぐらい続ければ、消費者物価でいうと、ゼロぐらいになると思う。
実はそのチャンスは98年、99年にもあった。アジア通貨危機の時、円は1ドル147円までいった。もちろん国際的な批判があり、当時のサマーズ次官が日本に飛んできた。その結果、また円高に向かってしまい、消費者物価はマイナスになってしまった。今にして思えば、消費者物価の下落を定着させない最後のチャンスだった。その意味では政策の失敗は日銀だけではなく、為替レート政策の失敗があると私は考えている。そのことを言っているのは私だけではなく、アメリカの学者も言っている。アラン・メルツァーという学者であり、元日銀の顧問で、AEIの客員研究員もやっている彼も、あれは誤りだった、99年には147円で頑張ればよかったと主張している。当時、150円で頑張っていれば、消費者物価の下落までいかないで何とか抑えられた可能性もあった。
さらにもうひとつ言うと、為替レートを重視するのであれば、日銀がアメリカの国債を買うことも視野に入れる必要がある。特に、今度起こり得る一番大きなショックはイラク問題だが、この時、日銀がアメリカ国債を大量に買うことをやったら何が起こるか。イラク攻撃の結果、アメリカ経済では何が起こるかというと、もちろん原油価格は上がる。それから、長期金利が上がり、株価やドル・レートが下がる。逆に言えば円レートが上がる。こういう組み合わせがかつても起こったし、今回も起こる可能性がある。この時に、日銀が国債を買うと、まずアメリカの金利の上昇を抑えることができる。この結果、アメリカのリセッションの幅を小さくすることができる。アメリカでは低金利を背景に住宅と消費が刺激されている、金利がここで上がると、アメリカ経済がマイナス成長になる可能性があるからだ。さらに、ドル安になるのを抑え、円高を阻止することができる。
つまり、アメリカ国債を日銀が直接買うことは、不胎化とはならずそのまま円が市場に出るわけで、普通の不胎化介入政策より強烈なものとなる。財務省は2002年春に、円高になりそうだというので介入を行ったが、あまり効果がなかったといわれている。それはすべて日銀が不胎化し、介入で出た分を吸収してしまったからだ。日銀がアメリカの国債を買うというのは、アメリカの経済リセッションへの阻止となり、ドル安を阻止し、日本にとってのマイナスのインパクトも阻止できる。さらにいえば日銀がタイミングを計ってうまく買うことができれば、日銀は、ポートフォリオ管理上のメリットも享受できる。
私はデフレ阻止の対応としては、こうした日銀の金融政策の転換に加えて、財政のサポートも必要だと考えている。ただ、これは税制を使ってやるべきで、それによって中長期に日本経済を強くすることを考えなくてはならない。先の税制のパッケージを行うと、中長期にはGDPの水準が2%ぐらいプラスになると試算される。法人税の減税では最初の年の効果はそう強くはないが、7年後になるとその倍ぐらいの効果が出てくる。
デフレマインドを覆す政策パッケージ
経済財政諮問会議では2002年1月に「構造改革と経済財政の中期展望」を発表し、集中調整期間は3年間で、来年までにはデフレを収束させると目標設定をした。ここで描いた姿は来年度の見通しは実質成長率も名目成長率も同じ0.6%、つまりそれ以前は1%を上回るデフレ率があるが、それをゼロにする。その後、2005年からは1.5%の実質成長率と2.5%の名目成長率、つまり、1%のインフレにする。そういうマクロ・フレームがあって初めて、財政のほうは歳出をGDPの比率で今の37%を変えないという目標を決めた。小泉総理は赤字国債発行の30兆円枠をコミットされたが、中期での財政目標は名目GDP比で見た一般政府、中央政府も地方政府も含めて歳出規模を37%の一定に保つということを打ち出した。こうしたマクロのフレーム・ワークの実質1.5%と名目の2.5%という成長率と財政規模目標を組み合わせて、プライマリー・バランスが2010年にはゼロに近づき、ほとんどゼロになるというのが、中期展望のメッセージである。
今の最大の問題は、現状のままで来年度中にデフレ脱却が本当にできるかどうかにある。ここで描いた政策の望ましいパッケージは、単に今の景気が下向きになりそうだから補正をやろう、というのではない。中長期で見て1.5%の成長率にもっていくようなシャウプ税制以来の税制改革をやる。それには現在の減税の議論を先に述べたように当然幅の大きいものに戻さないと間に合わない。それと、日銀の金融政策はドラスティックに転換する必要がある。それに加えて、イラク戦争のリスクに対してはアメリカ国債を買うというような方法もある。しかも不良債権もめどがつくように、大手銀行の問題を含めて明るい展望、見通しを皆が持てるようにする。それらを全てパッケージにして、財政、金融、不良債権の問題をまとめて2003年の1月か2月、あるいは年末なのか、早ければ早いほど望ましいが、そういうものをまとめてメッセージとして出す。逆に言うと、そのぐらい全てのことを総動員しないと、デフレは直らないと私は考えている。
これらを実現するためには、政策当局が認識を共有させて同じ方向で動かなくてはならない。この点でいうと昨年の状況から考えれば、条件は次第に整ってきたと思う。例えば、2001年の11月頃は金融庁の柳澤大臣と日銀の速水総裁は銀行の健全性そのものについて正反対のことを言っていた。しかし、竹中氏が金融担当大臣になって金融庁と日銀は全く同じ共通認識を持って方向についても足並みを揃えた。もちろん、具体的な政策措置になると少しずつニュアンスが違ってくるかもしれないが、以前は本当に三竦みだったものが、ラインはほぼ整ってきていると判断している。デフレ阻止という点でも、2001年末までは確かに大きな差があったが、2002年2月の初めに共通の認識を得るために財務省、内閣府と日銀の事務レベルで議論を詰め、ペーパーを出した。当時は何も書いていないペーパーだと批判も受けたが、あれはデフレ阻止で認識を揃えたことに意味があった。
不良債権とデフレは相互依存であり、不良債権が残っている間は銀行は信用仲介をやらず、半ば機能停止している。いかに日銀がマネタリー・ベースを増やしても十分にはおカネは回らない。そこは同時にやるしかない。日銀の金融政策の超緩和政策への転換と、不良債権にメスを入れるのが両方一緒に動かなければ無理であり、不良債権処理だけやれば、デフレは短期的に深化する。しかし、不良債権処理を行わないと、末端まで緩和政策の効果が浸透していかない。去年の経済財政白書でも不良債権とデフレは車の両輪で、両方一緒に同時に解決することが必要だと書いたのはそのためで、そういう認識において日銀と内閣府が今大きなギャップがあるとは思っていない。日銀の超緩和政策への転換も具体策がまだ出ていないが、私は条件は整っていると思う。今の金融庁は不良債権処理で手術をすると言っているわけで、日銀はその時はいくらでもサポートするといっている。
私がむしろ気になっているのは税制改革のことだ。これが今後、どこまで議論を戻せるか。これは単に役所間だけの話ではなくて、政治にそれを決断していただかないと話は進まない。税制のことを最終的に処理しているのは自民党の税調だからだ。
「年末か年明け」がラスト・チャンス
先にも述べたが、日本経済は危険なデフレ・スパイラルのリスクを常に抱えている。先に私は90年代後半はデフレ均衡にあると言ったが、それは非常に危うい均衡でいつでもスパイラルに落ちてしまう。この間、景気循環は2回あったが、景気が少し下向きになってくるとすぐ金融危機、銀行危機の不安が頭をもたげる。世界最大の債権国の日本では、キャピタル・フライトが起こりにくいが、銀行危機は起こり得るわけで、景気が下向くと、すぐ危機だ、危機だという危機感が出てきて、株価はそのたびに下がる。そういうことを90年代後半から繰り返してきた。
私が懸念しているのは、このような状況を続けることでデフレ・スパイラルの可能性が高まることだ。中期展望で描いたデフレ阻止の目標もこのままでは狂いかねない。そのためには、国民の目に見える具体的な政策のパッケージの提示が必要だと考える。財政・金融・不良債権の対策をワンセットでドラスティックに一度に示し、デフレのマインドを変えて動き出さないとならない。もしそれができなければ、私の懸念が現実的なものになりかねない。今年の年末から2003年の1~2月、その辺がもうラスト・チャンスだと私は思っている。
*これは個人の見解であり、内閣府を代表したものではありません。