【論文】日本は資金調達政策を活用せよ(会員限定)

2001年9月13日

アンドリュー・スミザーズ (Smithers & Co 会長)

1937年生まれ。ウィンチェスター・カレッジ、クケンブリッジ大学クレア・カレッジ卒(経済学修士)。1962年から1989年まで、S.G.Warburg & Coで投資顧問業に携わる。1989年にSmithers & Co.を設立し、英米日の約90の顧客企業に国際的な資産運用のアドバイスを行っている。著書に『悲劇は起こりつつあるかもしれない』(共著)等。

記事

日本経済の主要な問題点が需要の不足にあることは明らかだ。これは明らかに放置できない状況であるが、同時に、もしこれを好転させることができたなら、供給面の制約により成長が抑制されるまで、日本経済が拡大局面に向かうことも可能になると思われる。さらに、現在の日本における需要の減退は単なる景気循環の一局面ではなく、構造的な問題によりもたらされているという点にも留意することが必要だ。

財政出動による景気刺激策は、景気循環により生じる需要減には有効なものであるが、構造的な需要減に対してはそうではない。また多額の長期財政赤字をもたらすような方策を、政策手段として使うこともできない。財政赤字を積み重ねることによって問題が解決できない以上、需要を喚起するためには何か別の手段を見出すことが必要だ。

需要喚起のために政府が取りうる手段としては、一般に財政政策、金融政策、および資金調達政策(funding policy)が存在する。財政政策が構造的な需要問題を解決するために不適切なものである以上、現在の日本において有効な景気刺激策となりうるのは、金融政策か借入政策のいずれかということになるだろう。もし厳格に実施されるなら、その両方ともが持続的な経済回復をもたらしうると考えられる。しかし本稿では、資金調達政策のほうが、現在の日本の情勢に鑑みてより適当だとの見解を主張する。そちらのほうがより迅速な成果 を期待できるだけではなく、さらに景気回復後に過度のインフレが発生するリスクも、より低いからである。


■ 資金調達政策活用のススメ

財政政策と通貨政策を区別するのは一般的なことであるが、しかし政策手段として資金調達政策がもつ可能性については無視される傾向もある。したがって、資金調達政策を変更することにより、現在の日本が直面 する問題がどのように解決可能であるかを検討する前に、まず、資金調達政策の活用という提案が有する性格についてもう少し詳しく説明することは有意義だと思われる。

現在の日本は巨大な財政赤字を抱えている。部分的には地方自治体や資金運用部を通 じた民間銀行からの借り入れも利用されているものの、しかし、その大半は国公債によりまかなわれている。資金調達政策は、民間銀行からの借り入れと債券市場を通 じた借り入れとの比率を変えることにより変更することができる。

もっともラディカルな方法としては、国公債の発行を一切ストップし、必要なすべての資金をすべて銀行から調達するという手段が考えられる。もしこれが実施されたとしたら、その結果としてマネーサプライの大幅な拡大が不可避的に生じることになるだろう。現時点におけるマネーサプライは、財政赤字のすべてを国公債の販売によりまかなえるほどに拡大してはいない(銀行への国公債販売を行わないとした場合)。だが、もし政府による資金調達のすべてが銀行からの直接借り入れで行われるとした場合には、マネーサプライ成長率は大きく加速されることになるだろう。

日本銀行は国債買い切りによるマネタリーベースの拡大を通じてマネーサプライを増加させることを望んでいるが、しかし、そのような方法は商業銀行からの直接借り入れに比べて2つの問題点を有している。というのは、第1に比較的低い効果しか期待できないことであり、第2に経済が拡大局面に向かった際にはマネーサプライの管理に関する困難が生じる可能性もあるということだ。日本銀行が国債の買い切りを行った場合、買い取られた国債はバランスシートの資産の部に計上されることになり、それに対応する負債の増加分は民間銀行の日銀当座預金残高に積み増されることになる。その場合、民間銀行がそれにより生じた余剰資金を融資や国債の購入に使うとすれば、その分だけマネーサプライは増加する。だが現状では、民間銀行が余剰資金の増加による行動をなんら行わない可能性もある。つまり、民間銀行が余剰資金をただ増えるままにしておくことも考えられるということである。かかるリスクの存在は理論的なものではなく、むしろ偶発的なものということができる。近年の日本においては、マネーサプライを大きく上回る割合でマネタリーベースが拡大しているが、これと同じことは1930年代のアメリカでも起こった。

1930年代のアメリカでは、その最初の3年間においてマネタリーベースが30%も拡大したにもかかわらず、マネーサプライ自体は25%も減少するという状況が生じた。

マネーサプライを増加させるための手段として、金融政策ではなく資金調達政策を利用することのもうひとつの利点は、景気が回復に向かった際に、経済のコントロールが利かなくなる可能性が比較的低いということである。一般 的にいって、マネタリーベースが十分に拡大した場合、民間銀行は余剰資金を国債の購入に回し、それによりマネーサプライも増加し、所期の景気拡大効果 が達成されることになる。しかし、十分な景気拡大が達成された後には、今度はマネタリーベースを縮小することが必要になる。そうしないかぎり、民間銀行の行動を通 じたマネーサプライの増加に歯止めが利かず、制御不可能なインフレ状態に突入してしまうからである。だが、そこで日銀はひとつのジレンマに直面 することになる。というのも、民間銀行はそれまでに国債の保有額を大きく増やしてしまっているだろうから、もし日銀がマネーサプライの抑制を目的に公定歩合の引き上げを行った際には、国債の価値が下落し、民間銀行の間に破綻リスクが生じることになるからである。

一方、民間銀行からの直接の短期借り入れという形を取る場合は、その時々で借入額を調整することにより、マネーサプライの急激な拡大を避けることもでき、また銀行側に大きな負担を強いることも避けられる。景気回復基調が順調なものとなったときには、財政赤字分の調達手段をまた国債発行へと振り替えればいいだけのことだからだ。さらに、一応の景気回復後も落ち着いたペースでマネーサプライを増加させ続けることが望ましい場合には、国債への完全な切り替えではなく、民間銀行からの借り入れを残したまま、その利子を国債発行益により支払うという手段を取ることもできる。


■ 需要減退をもたらした構造要因とは

こうした新たな対策が必要な状況、それは日本が現在直面する問題の特異性を示すものでもある。日本における需要減退は、景気循環に起因するものではなく、構造的問題に起因する非常に珍しいものなのだ。日本の場合、特異な人口学的特徴がその根本原因を構成している。

一般に、人々が貯蓄を行うのは、退職後もそこそこの生活水準を保つためである。したがって、労働年齢の間に貯蓄が行われ、退職後にはそれが徐々に減っていくというのが通常の貯蓄パターンである。こうしたパターンはそれぞれの個人の行動によってのみ生じるものではなく、年金や生命保険を通じた間接な影響によっても生じている。だが、日本における貯蓄パターンはこれと大きく異なっている。日本における貯蓄年齢人口は他の国では類を見ないほどに高い率を占めており、新規の退職者数はいまなお低いレベルにとどまっているのだ。その結果として、日本の貯蓄率は自然に高い水準で推移してきたし、このような状況は今後も10年かそこらは続くものと思われる。

需要に根本的な影響を与えるもうひとつの問題は若年労働層の不足である。外国人労働者の受け入れなどにより人口パターンの変化がもたらされないかぎり、少なくとも今後20年間は日本における労働力は年率0.6%の割合で減少し続けることだろう。

日本経済は1990年ころまでは「追いつけ追い越せ」型の構造を有していた。その時期には労働生産性もまだまだ向上する余地があり、その結果、かなりの設備投資吸収能力も存在した。

だが現在、日本経済はすでに成熟期に入っており、他の成熟経済国を大きく上回るような労働生産性上昇率を見込むことは不可能である。実際に過去10年間における労働生産性は、アメリカのそれを下回っている。日本の設備投資吸収能力は、水準を大きく上回る生産性の向上が生じないかぎり、労働人口の減少とともに縮小していくことになるだろう。たとえば、アメリカの労働人口は年率1%で増加しているが、日本の労働人口は年率0.6%の割合で減少している。もし両国における労働生産性の成長率が同じであるとすれば、日本における経済成長はアメリカを年率2%ずつ下回ることとなるし、設備投資吸収能力も同様の制約を受けることになる。

さらに、現在の日本の対GNPで見た投資額はアメリカのそれを上回っている。現在行われている設備投資が十分に有効なものであるとするならば、将来における日本の設備投資のレベルは必然的にアメリカをかなり下回るものとならざるをえない。

つまり、日本における人口学的特徴は、自然発生的な高貯蓄率と国全体としての貯蓄資金吸収能力における制約とを生み出しているということである。資本市場や外為市場の機能不全または政治的な干渉が生じないかぎり、日本は今後の10年かそこらの間に非常に大きな対外経常黒字を蓄積することになるだろう。

だが、こうした状況は年齢構成の変化により、やがては変わるとも思われる。今後20年間の間に、日本の蓄積された対外黒字は部分的には年金給付のために使われなければならないからだ。これは非常に重要なことになるだろう。もし、そうならなかった場合には、少数の労働人口に過度な負担が押し付けられるという結果が待っているからである。


■ 需要不足が引き起こす政治問題

日本の需要問題が有する構造的性格はまた、政治的な問題も引き起こしつつある。これに関する根本的な対策としては以下の2つが考えられる。すなわち、多額の経常黒字を通じた対処と外国人の受け入れを通じた対処である。

だが、そのいずれもが政治的な抵抗を引き起こすことが予測される。経常黒字を大幅に拡大した場合にはアメリカからの攻撃を招く懸念があり、一方、大規模な外国人の受け入れを行った場合には国内から批判が出てくるだろう。このような懸念は、問題への取り組みをむしろ回避させる傾向を生み出している。抵抗は多くの場合、議論よりも拒否反応へと人々を導くものなのである。こうした傾向は現在における日本の経済問題を解決するうえでの大きな障壁ともなっているものだが、しかし、問題の存在を認識することが解決のためのまず必要な第一歩である。

一般的に、こうした拒否反応は、たとえそれ自体は望ましいものであるとしても、需要不足の問題に対してはなんらの効力をもたない構造改革への志向という形で現れる。日本の構造改革論者たちは、主要な問題点から目を背けることで、目指す成果が生み出される可能性をより小さなものとしてしまっているのである。構造改革によりもたらされる明確な成果が失業率の上昇と産出量の下落だけであるとしたら、国民の支持もやがては失われていくことだろう。

構造改革論者の一部は、構造改革により需要の増加も達成されると考えているが、それは大きな誤りである。資本収益率(ROC)の低さが現在における主要な問題だと見なしている点で彼らは間違っていないのだが、しかし、それがコスト削減により達成できると結論している点が間違っているのである。その結果、全体的な投資額の削減を行わなくても資本収益率を上昇させることができるという希望が生じることにもなっている。

そのような考え方は合成の誤謬に基づくものである。すなわち、一企業におけるコスト削減は一般的に収益の改善をもたらすものの、国全体としてのコスト削減は産出量と利益の減少をもたらすということである。重要なのは、企業のコストが従業員およびサプライヤーの収入から構成されているという点である。したがって、コスト削減が国の経済全体に与える影響は、それぞれの企業に現れた目に見える効果を何倍かしたものとイコールにはならない。

経済的には、資本収益率を2つの部分に分けて考えることによりこの問題は解決することができる。収益性は、投下資本に対する収益の率であり、それは単位産出量当たりに用いられた資本の額、そして収益に結びつく産出量の比率により決定される。後者の比率(capital income shareとして知られている)は、成熟経済においては安定しているという重要な性質をもっている。したがって、企業部門全体における資本収益率の向上は、コスト削減によってではなく、資本効率の改善によってのみもたらされることになる。

したがって、将来的には財政赤字のみならず、投資額の削減も必要になる。しかしその結果生じる需要の不足は、家計貯蓄率の低下による消費増だけで相殺できないことから、日本経済の回復のためには対外経常黒字の大規模な拡大が必要である。


■ 債務超過問題の根は企業サイドにある

さらに民間部門と公的部門の両方における多大な債務超過の問題も存在する。これはしばしば銀行だけの問題のように語られるものだが、しかし本当のところ問題の根はより深いところにある。銀行部門における不良債権のみを強調することにより、この問題の全体像が見過ごされ、その結果として問題全体が未解決のままに放置されているのが実情である。根本的な問題は、銀行が破綻の危機に瀕していることではなく、銀行の顧客もまた同様の状況にあるという点である。

1950年から1990年にかけての日本は「追いつけ追い越せ」型の経済構造を有しており、その時期には国民の生活水準も欧米を上回るスピードで向上を続けていた。もちろん、これは労働生産性の改善が急ピッチで進んだからこそ可能になったことである。

だが、その期間においても生産性の向上は経済全般において均一に進んだのではない。また、それは経済学者のベラ・ベラッサやポール・サミュエルソンが示しているように、為替レートにも大きな影響を与えることになった。一般に輸出品の生産に関して労働生産性が最も急速に高まるような場合には、輸出品の製造コストも他国に比べ急速に下落するので、その結果として実質為替レートが上昇することは避けられない。日本はまさにこの理論が現実に即したものであることを証明するための素晴らしい例といえるだろう。ドルに対する円の価値は、戦後の40年の間に実質的にも名目的にも年間3%に迫る勢いで上がり続けたのである。

実質為替レートの上昇はさらにもうひとつの重要な影響を及ぼす。実質為替レートが上昇した場合、その国の資本収益率は非常に低いものとなってしまうが、たとえばアメリカにおける資本収益率が8%、日本におけるそれが5%だった場合、投資家には資本移動のインセンティブが働かないことになる。というのも、アメリカの投資家は、日本に投資した場合には5%の資本収益および実質為替レート上昇分による3%を得ることができるが、国内で投資した場合でもやはり8%の収益を得ることができるからだ。一方、日本の投資家がアメリカに投資した場合には、より高い資本収益率による利益が為替の上昇分により相殺されることになる。

しかし、現在の日本が成熟経済国であることは明らかである。したがって、実質為替レートが今後も上がり続けること、そして日本における投資収益率が今後も外国に比べ低い状態にとどまり続けることはともに考えられない。

これはまた、新規投資に対しても既存の資本ストックに対しても大きな意味をもつことである。というのも、新規投資に対する資本収益率を上昇させるには、投資率を低くすることが必要であるが、しかし、それは既存の資本ストックに対してはなんらの利益ももたらさない。既存の資本ストックに対する資本収益率を上昇させるためにはその価値を償却することが必要となる。

もし日本の企業が株式による調達をメインとした資本調達を行っていたとしたら、資産の償却は単に株式市場に悪影響を与えるだけで済んだだろう。だが、日本の企業における自己資本比率は非常に低いことから、必要とされる規模での資産償却を行った場合には、およそ120兆円の融資が無価値なものとなってしまうことが考えられる。

このように、債務超過の問題は、根本的には銀行よりも一般企業にかかわる問題である。日本における全体的な未払融資残高は減少する傾向にあるが、しかし、それは銀行が貸し渋っていることに起因するのではなく、むしろ銀行の顧客である企業サイドが融資を受ける態勢にないことを原因としている。もしそうでなかったとしたら、財務的な問題など抱えていない外国銀行からの融資が行われるだけだろう。

現在のところ、日本の企業は新たな投資を行うよりも債務の返済を行うことを選択している。というのも、ひとつには既存の生産能力が完全に稼働していない状態にあるからであり、もうひとつには企業の債務負担が非常に大きなものとなっているからだ。こうした状況が続くかぎり、国内の総融資額は減少し、マネーサプライの増加は銀行による債券持ち高の増加を通じてのみ行われることになる。しかし、他の資産に占める債券の割合が高まれば、それだけ金利の上昇による経営破綻のリスクも高まるため、銀行はプルーデンスの観点からも新規の債券購入を減らしていくことになるだろう。企業が態勢を立て直す前に銀行による債券の買い控えが生じた場合、マネーサプライの増加が生じず、したがって日本経済は落ち込んでいくことになる。

よって、債務超過の問題を解決するためには、銀行ではなく、その顧客企業の根本的な立て直しが必要になるのである。


■ 債務超過をどう解決するか

多額の貯蓄を有することから、日本人は裕福だと評価されることも多い。だが、貯蓄率の高さは、当然ながらそれを借りる者たちの多額の債務の存在をも意味している。日本人の半分がその他の半分から多額の借金をしているという事実、そしてその返済を期待できないという事実を考えるなら、日本を裕福な国ということはできない。

実際のところ、現在の日本はその経済力を上回るほどの債務を抱えているのであり、それをデフォルト化することなく減らしていくことが必要だ。もし債務がデフォルト化したなら、経済全体を破綻させる可能性もあるからである。それを回避するための方法としては多額の公的資金の注入も考えられるものの、それは債務を民間部門から公的部門へとただシフトさせるだけのことに過ぎない(そうでなくとも公的部門は多額の債務を抱えている)。さらに、たとえ大がかりな債務免除を行ったとしても、民間部門はさらに債務を減らすことによって、財務状況の改善を目指すのではないか、とも考えられる。

日本が選択しうる「第三の道」は、価格レベルを一気に上昇させることである。それにより債務に対する資産価値が上昇することになり、したがって企業部門および住宅市場への資本注入を行ったのと同じ結果を得ることができる。そのような資本注入は、債務返済が支出よりも優先されるような状況が企業と家計の両方において解消される程度にまで財務内容の改善を進めるためには必要なことである。


■ 政府借入政策は一石二鳥の解決策

したがって、構造的な貯蓄余剰と債務超過により生じている需要不足の問題を解決するためには、マネーサプライの増加が必要と考えられる。もしこの前提が正しいとしたなら、それは一般的な価格レベルの上昇と輸出拡大を可能とするような円安により達成されるべきである。だが、この両方の目標がともに達成されるためには、為替レートが相当なレベルまで下落する必要がある。

第一に、日本製の輸出品が競争力を獲得し経常黒字が拡大することを可能とするために、実質為替レートが下落する必要がある。国内における債務超過状況を解消し、企業に対する実質的な資本注入が行われたのと同じ効果を得るために導入される価格の上昇を相殺するためには、さらに名目的な為替レートも下落しなければならない。

これらの政策目標を達成するために十分な量のマネーサプライ増加を行うことは簡単ではない。公定歩合の引き下げという伝統的な対策はすでに限界まで行われている。現在の日銀は不承不承ながらもマネタリーベースを拡大する方向へと動き出している。しかし1930年代におけるアメリカの経験に照らすなら、経済成長を回復させるためには非常に大規模な拡大が必要になる。さらに日銀自身はそれを避けたがっていることを考えるなら、量的緩和政策が成功するかどうかは疑わしい。

これに対し、マネーサプライの増加に替わる措置としての資金調達政策の変更には、それよりも大きな成功の可能性を見込むことができる。さらに借入政策の活用が行われるなら、所期の効果 が得られた後における政策転換もより容易に行うことができる。一方、マネタリーベースの拡大を通 じた量的緩和の場合は、政策転換が必要になった際には新たな金融危機を引き起こしかねないという問題がある。