第3話:地方の自己決定、自己責任に向けて
第2期分権推進法という法律が2006年の12月にできました。そして、それに対する改革推進委員会ができて、その中間まとめが出ました。そこで私が最も重要視していることは、従来、中央政府と言われ、「地方政府」という言葉が政府の公式文書に1度も入ったことがなく、正式文書は「地方公共団体」だったわけですが、今回は分権社会を進めるためには中央政府に対して対等な立場での、いわゆる「地方政府」を目指すということが書かれたということです。地方政府を実現するためには、3つの基本的な権利、自治行政権と財政権と立法権が要ると初めて中間まとめに書かれました。私たちはそのための運動をしてきたわけです。それを現実の運動論として地域に根差したものとしていきたいと思っています。
ところが、今の政府はテロ特措法のことで頭がいっぱいで、地方分権のことは二の次になっていますから、私たちは運動を起こさなければならないと思っています。
さて、分権社会の中の枠組みとして道州制が議論されていますが、それで現在は国、県、市町村という3層に分かれているのが2層になり、国の地方機関もなくなることになります。道州の下では、基礎的自治体の市町村がほとんどのことをやりますので、現状では市町村を束ねて国にちゃんと持ってきなさいという趣旨のものとなっている県は屋上屋になります。州は広域にわたることしかやらないということにしておけばいいわけです。国と市町村の2層となり、基礎的自治体と国が対等の関係になります。
そのためには、基礎的自治体を大きくすることもさることながら、筋肉質にしなければなりません。今まで中央集権というのは、いわゆる依存の形であり、依存の上手な人が市長や知事になる確率が高かったし、地方では官僚もそういう人が出世しやすかった。そういうシステムだったからです。これからは自己決定、自己責任ということに自治体が本当に自ら気がついていかない限り、破綻に追い込まれる。国はそのようにすべきです。それに備えていかなければなりません。
県の職員の中には、絶対に県を残したいという人が圧倒的に多いようですが、県が残っていると、国、県、市町村という形で本当にパラダイムシフトによって地方を主力にできるか疑問です。税財源的にどうしていくか、あるいは国への依存体質が本当に変わるかどうかということは、すべて国と地方の制度設計の問題なのですから。基礎的自治体が自分で全部やる。財政権と立法権を持って自己決定、自己責任ということで、もう国のつくり方が変わってきたのです。ですから、人材が地方へ流れるシステムをつくらなければなりません。
こうなってくると、市民が本当に責任を持たなければならず、決してラクなものではありません。苦難の道ですが、いわゆる責任のない自己決定というものはないのです。工業社会は他者依存の社会だったのです。もう少し言えば、企業依存でした。運動会など会社の行事にはすべて参加しますが、勤め人であるお父さんは疲れ果てて、とても地域のことは無理でした。ですから、当時の「かぎっ子」とか単身赴任というのは、ある意味で、企業戦士としてもてはやされた世界でした。これが成熟した安定した社会になったときに、そのお父さん、私も典型ですが、家に帰ればただの「ぬれ落ち葉」ですし、地域に帰れば全く相手にされないという人が世の中の指導者的な人になっていた。
そういう人たちが今は指導者ですから、なかなか変われません。「改革なんてまだあるの」という声が出ているというのは、今は現場が疲れていることを示すものです。そこから脱皮しなければなりません。
発言者
北川正恭(前三重県知事、早稲田大学大学院公共経営研究科教授、「新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)」代表)
きたがわ・まさやす
1944年生まれ。67年早稲田大学第一商学部卒業。83年衆議院議員当選(4期連続)。95年、三重県知事当選(2期連続)。「生活者起点」を掲げ、ゼロベースで事業を評価し、改善を進める「事業評価システム」や情報公開を積極的に進め、地方分権の旗手として活動。達成目標、手段、財源を住民に約束する「マニフェスト」を提言。現在、早稲田大学大学院公共経営研究科教授、早稲田大学マニフェスト研究所所長、「新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)」代表。
北川正恭(前三重県知事、早稲田大学大学院公共経営研究科教授、「新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)」代表)
第5話:今年の政治に問われる課題は分権国家
第4話:ローカルパーティーの誕生で政党政治の再生を
第3話:地方の自己決定、自己責任に向けて
第2話:自治行政権と財政権と立法権を強化し、地方議会を政策立案議会に
第1話:文明史観的転換点に立って、地方分権による国のつくり直しを