第3話:「市場国家」に向けて意思決定メカニズムの戦略的な転換を政党は提示すべき
市場国家というのは私の造語ですが、わたしとしてはグローバルな市場経済の中でわれわれは日本をどのような国家として作っていくべきか、その一つの答えとしてこの「市場国家」(market-state)の日本型モデルの提出というのを提案したいと思います。これは、グローバル化した市場経済の提供するさまざまの可能性、機会を戦略的につかまえて、それによって経済の成長と国民生活の向上、そして国際社会におけるみずからの地位向上を図る国家と定義できると思います。
先ほど述べたことですが、中国は社会主義国家から社会主義市場経済国家への変貌によって市場国家の一つのモデルを提出した。しかし、これが日本、あるいはアジアの多くの国々、まして世界的に標準的モデルになるとは思いません。
東アジアにおいては1997-98年の経済危機が大きな転機で、このときタイ中央銀行の破綻で如実に示されたように、国家が市場に直接介入して国民経済を守っていくということには相当の無理があるということが明らかになりました。つまり、このとき、古典的なかたちでの開発国家モデルはだめになった。しかし、これは、だからregulatory stateがよいということにはならない。経済危機の最中にはそういうことが言われましたが、結局、この10年、ゆり戻しがあって、アジアではもちろん、それ以外の地域でも、国家の役割が再認識され、国家は何をどうすればよいのか、ということが問われている。
中国では1980年代、90年代、首相が変わるたびに国家の経済政策決定メカニズムは大きく変わりました。歴代の首相はそういうかたちで経済政策決定のメカニズムを変え、またそれにともなって自らの権力基盤を培養したわけです。
ところが日本の場合、経済政策決定のメカニズムは、微調整はもちろんいくらでもあり、またプレーヤー間の力のバランスも変わりますが、制度としては基本的には同じままです。アメリカの場合には政権交代の度に人が変わり、ときには機構もずいぶん変わります。したがって、日本の場合にも、経済政策、あるいはもっと一般的に政策決定のメカニズムをふくめて見直すということはあっても構いませんし、制度疲労ということがよく言われることからすれば、かなり抜本的に変えることも混乱はあるでしょうが、やっても良いと思います。ただその前提となるのは、日本の政党、少なくとも自民党と民主党は、制度の変更まで含めて、これから日本の課題処理のために、どういうかたちで戦略的に政策決定を行っていくのか、その課題と決定メカニズムの絵ぐらいは出してほしい。
今年の参院選の際のマニフェストを思い起こしていただければすぐわかると思いますが、現在の政党のマニフェストというのは各論を並べただけで、総論は心構えのようなものにすぎない。個々の政策をどうするかとはもちろん重要ですが、それと少なくとも同じくらい重要なことは、戦略的決定のメカニズムをどうするかということです。
そういう発想があれば、政治主導といって官僚を排除する、排除しないといった議論もなくなると思います。決定に際してはいろいろな知恵を集めた方がよいに決まっている。たとえば、安部政権時代のアジア・ゲートウェイ構想の発想はすばらしいものだったと思います。ただあとで知ったのですが、この構想をどう具体化するかというところで、官僚は一切、発言を許されなかった、ということです。これはいかにももったいない。官僚の中にも危機感を持って何かをやりたいという人はいくらでもいる。そういう人を登用することも重要です。
われわれにいま求められているのはどういう日本をつくるかということです。わたしはその一つの答えは市場国家にあると思います。しかし、そのためには、国家が長期的観点・戦略的観点から政策を策定する、目の前にある課題処理のために対策をとるのではなく、われわれとしてどういう日本を作りたいか、そういう大きな国民的意志を踏まえ、グローバル化した市場経済の提供する機会をうまく捉えて活力ある日本をつくっていく、そういうことのできる政策決定メカニズムの編成が問われていると思います。
発言者
白石隆(政策研究大学院大学副学長・教授)
しらいし・たかし
1972年東京大学卒業、86年コーネル大学よりPh.D.を取得。79年東京大学教養学部助教授、87年コーネル大学助教授、96年より同大学教授。98年より京都大学東南アジア研究センター教授。経済産業研究所ファカルティフェローを兼務。主著に『海の帝国、アジアをどう考えるか』『インドネシア国家と政治』等。