第2話 災害医療に対する「個人の挑戦」と「官の限界」
工藤:それでは、引き続き議論を進めていきたいと思います。先程の話の中で、DMAT、JMATとかおっしゃっていましたけど、災害救援、医療行為の際に、そもそもどういう仕組みがあるのかということが分かりにくいと思うので、分かる範囲でいいので説明していただいて、それがどう機能したかを説明していただけますか。
DMATと災害拠点病院とは
梅村:先程のDMATというのは、災害の時に、起こってから48時間までの医療を、集中的に展開していきます。当然DMATというのは、自分たちで全てのことを自己完結できるという部隊です。ですから、DMATは48時間過ぎれば基本的には引き上げる、そういう部隊です。自衛隊に近いようなイメージを持っていただければと思います。一方の、JMATは、日本医師会のチームです。このチームは、48時間を超えたあとに避難所に沢山人がいたり、地域にも沢山の人が残っている。だけど、通常の開業医の先生や病院は、閉鎖していたり機能していませんので、それを1ヶ月、2ヶ月、長ければ3ヶ月ぐらい、DMATと入れ替わりながら、地域で医療を展開していく部隊だと思っていただければ結構です。
工藤:先程の拠点病院。それはどういう役割ですか。
梅村:それは、災害拠点病院ということで指定しておくわけです。何か起こったときには、メルクマールになるので、ここにボランティアや物資を集中的に集めてくる。また、患者を搬送するときも、災害拠点病院が、第一に受け入れ先として選ばれる。これは平時の時の、あくまでもおすすめメニューです。実際にそういう風に予算も組んであり、常に積んであります。だけど今回は、津波も15メートルでしたし、災害拠点病院そのものが機能しなかったということがでてきました。ですから、その場その場で判断する必要が出てきてしまった。それをつないでいったのが、色々な「民の力」だったという話になるかと思います。
工藤:「民の力」ということなのですが、上さんに今の話を補足して欲しいのですが、本来であれば、地域の病院の中で医療行為がきちんと行われればいいのですが、それができない状況になった。その時に、地域の近隣の病院か、何処かに運ばなければならない事態になったわけですね。その時に、民と民の連携が大きな役割を果たしたということなのでしょうか。
なぜ民と民の連携が必要となったか
上:先程のDMAT、JMATという仕組みは、基本的に、それぞれの事務局が認識しているところ対してサービスを提供することができます。逆に言うと、住民のニーズに合わせるわけではありません。彼らが認識していないところは、そもそもその仕組みの中では存在しない。それから、その事務局の処理能力を超えた物についても存在しないことになります。そういう取り残された部分が、当然かなりあります。そういう部分は、声を大にして指示系統の一元化とか、政府の強化と言ってもそもそもできません。例えば、今回の震災では厚生労働省は指導課というところが一番忙しかった。他の部署は、国会も止まりましたし相対的に忙しくなかったと思います。そういう部分が明確なボトルネックになっているので、ある意味で渋滞したのです。そうでないところをどう救うのか、ということは、ある意味で官の限界、政府の限界だと思います。
政府といえども、中央政府と県市町村で全く違います。個別の案件を具体的に解決するために、みんなで知恵を合わせようという動きが各地で起こりました。それは大災害だったので、みんながわりと合意しやすかったのだと思います。そういう中に、従来型ではないパターンがあったのだと思います。例えば、震災直後には電気も水道も止まります。連絡なんかそもそもできません。連絡できないと、県は原理的に状況を把握できません。その中で、例えば福島県いわき市には透析患者を非常に多く抱えている病院があり、このまま放っておくとお亡くなりになります。病院経営者には責任がありますから、当然風評リスクを考えます。この人達は、誰がどう見ても運び出さないとならなかった人達です。ただ運び出すといっても、受け手の病院、運送手段、費用もあります。これらをどう調整していくかが問題になりました。時間が差し迫っている状況で、「時間」と「平等性や公平性」がバーターにかかる状況でしたから、こういうことが県や国ではできなかった時期があったのです。
工藤:国とか県でやると、逆に時間かかってしまって、ということですかね。それとも、そもそもそういうことが行政ではできないということですか。
上:そもそも連絡手段がないですし、国や県が災害時は、色々な対応でパンクしています。今だからこそ国や県といいますが、国や県もそもそもスタッフ数人でやっているわけですから、その人達ができるボリュームを越えることはできないわけです。そして、できないことは後回しになります。透析患者は1週間でやらなければならないので、国や県のラインではできませんよね。やれる人がやらなければならないわけです。私たちの場合、やれる人が誰で、どこにいるのかわからないのですよ。先程、梅村先生にご紹介いただいたメーリングリストというのは、当初は12名でした。半分は東北出身関係者。もう半分は信頼できるメディアの方々、特にウェブメディアの方々が、ファクトを報道されると、それを見た方が俺はこれならできる、とつながっていったわけです。これは多分、阪神淡路大震災の時はウェブが発達していなかったからできなかったと思います。このつながりは、今回の震災の特徴的な事例だと思いますね。
工藤:具体的に、上さんの場合はどうつながったんですか。
民の救済に立ち塞がった「官の壁」
上:例えば、いわき市の泌尿器科病院に、1,000名の透析患者がいて、この人達は外に行かないと命に関わる状況でした。問題点は、引き受け手の病院と搬送手段でした。引き受け手の病院は、手を挙げる方が多くて比較的早く見つかりました。問題は搬送手段でした。今になってみれば、公的交通機関は比較的余力があったことが分かっていますが、震災後3日の段階では、東京都内のバスは被災地に出払っていると言われていました。某交通会社のバスを頼むと、1桁台をキープするのが精一杯だと。県に言うと、30キロ圏内ではないので出せないということでした。
結局バスを出してくれたのは、3つのルートでした。新潟県が県として用意してくれた。これは震災のノウハウがおありなのでしょうね。他はネットワークの仲間が、普段付き合いのある旅行代理店の方々に頼むと、旅行会社の方はあそこがいいよとすぐつないでくれて、バス会社の方がこれは一大事だとすぐ出しましょうと言ってくれました。もう1つはCivic ForceというNGOの理事をされている小沢さんという方に電話をすると、彼の友人の彼女のお父さんが地元のバス会社の社長さんだということで、全面協力するということになりました。それが携帯やメール使うと、わずか数分でつながるわけです。これを県や霞ヶ関を通していると、おそらくつながらないので、こういうネットワークでバスが調達できたわけなのです。こういうのも、ある意味でパブリックなのだな、と考えています。
工藤:つながりをつくらないと何も始まらないわけですよね。ただ、その民間の動き、自発的な動きは、順調にスムーズに行ったのですか。
上:様々ですね。それこそ梅村さんがよくご存知のように、特に、福島県の方は厚生労働省の指示が欲しいということでした。
梅村:バス会社としては、動かしていいという県の指示が欲しいわけです。ところが、県は厚生労働省が指示を出さないと自分たちは許可を出せないと。厚生労働省は、県から依頼があれば許可を出すけれども、自分たちからは先に許可を出せないと。
工藤:民間からの要請ではダメなわけですね。
梅村:ダメなのです。それで、すったもんだして、バスの出発が1日くらい遅れました。最後に厚生労働省に言ったのは、「これは民の動きだから、あなたたち官が民を規制する理由は、今はないだろうと。平時の許認可権はあると思うけれど、今の状況でこの動きを規制して何のメリットがあるのか。民・民でやらせろ」と強引に押し切りました。あのまま放っておいたら、あと3日くらい同じことやっていましたね。
工藤:厚生労働省を押し切ったわけですね。
梅村:非常時だから、あまりやっていると取り返しが付かないことになるということで、私が、政務三役のある方にかけあいました。
工藤:非常時の官の役割には問題がありますね。
梅村:その時に、勝手にそこだけやるのはおかしいと言われました。東北地方全体で患者搬送の仕組みを作って、その仕組みができたときに、それに乗せるのが常道だと言われました。今でもそんな仕組みできていませんよね。
上:そもそも新しいことをやって、それをみんなが知ると仕組みができるのが社会であって、誰かが机上の空論でつくるものではないですよね。さらに面白いのは、様々な人がおられて、民間のバス会社が透析患者を運ぶときに一部の関係者は責任を誰が取るのか、と言うわけです。
工藤:何かあった場合の責任ということですか。
上:そんなのはバス会社と患者さんが取るしか無いので、そういう議論が被災地から離れたところではなされるのですよ。
工藤:被災地は、とにかく早く動かさなきゃいけないわけでしょ。
上:それはもう被災地は一刻も早く動かしてくれということです。
非常時に解除が遅れた様々な規制
工藤:上さん、その他にも規制の問題でかなり苦労されたっていう話がありましたよね。
上:そうですね。例えば、福島県の薬局の方から聞いたのは、通常、病院にかかると医療費を払いますよね。被災直後は、その医療費を払わなくていいよ、と政府は言ってくれました。これは非常にいいことなのですが、それは厚生労働省の通知という形で出たのですが、そんなモノは被災地には届かないのですよ。FAXや手紙は届きません。だから、被災地は通常通り業務を行い、3割、2割いただくと。そうしたら、月末の保険組合の診療報酬請求をやっていたら、どうやら通知違反をやっていたということになった。1人数百円ぐらいですが、どこに避難したかわからない人に手紙を送って、膨大な労力を使ったわけです。通知がさらに被災地を追い込んでいるわけなのですね。
工藤:通知っていうのはFAXか何かでしか送れないのですか。
梅村:そうですね今の時代はFAXくらいですね。
工藤:メールで通知っていうのはないのですね。
梅村:多分、あの被災地の状況ではメールも通じてなかったと思います。
工藤:なるほど。それから、薬事法の問題もありましたね。あれは、どのように解決したのですか。
上:薬事法の問題についてですが、被災した地域の中でも、薬の在庫を比較的持っているところと、足りないところが、色々おありでした。足りているところから足りていないところに薬を送ればいいのに、普段そういうことをすると、良くないことをするお医者さんや薬局があるということで規制されていて、やってはいけないことになっていました。その件については、当然、厚生労働省も認識していたらしいのですが、心ある業界誌の記者さんが、前触れもなく記者クラブで大塚副大臣にこの話題について質問をしました。そうすると大塚さんは「当たり前だ」と。その後、厚生労働省の人に呼ばれて「ああいう質問をなさるときは、ちゃんと予め言ってください」と言われたそうです。数日後にその規制は撤廃されたのですが、病院間はすぐに撤廃されたのですが、薬局間はそれから1、2週間遅れて撤廃されました。そんなことが想定されるのなら、即座に撤廃すべき話が、そういうものでも病院間で約2週間、薬局間では1カ月弱かかって、ようやく撤廃されたのですね。
工藤:この2週間ということは、動きがあったから2週間ということなのですか。
上:そうですよ
工藤:でなければ、薬が全く不足して、どこかから融通するというのは、不可能だったという状況になりかねなかったわけですね。
上:実際には、現場の人が状況をみてやっているのですが、いろいろな段階があって、関係者の1人でもハンドブレーキを引くことがあれば、止まっていることが多いのです。個人の開業医などは、院長の判断でやっていたはずなのですが、大きな病院になればなるほどステップを踏むので、これは違反だと、やっていけないということが起こっていたみたいですね。
工藤:でも、この2週間、3週間という時間をかけたことで、人命という面で、大きな問題にならなかったのですかね。
上:それは。当然なっているのではないですか。
工藤:なっていますよね。後から、それで人命が損なわれたということになったら、どういうことになるのですかね、政府として。
梅村:そこは政治判断という言葉になるのですが、今回色々な政治判断をしました。後でまた入院の話もしますが、官に欠けている視点は「比較衡量」という考え方だと思います。いわき市の透析の話もそうですが、740人全員が亡くなるというシナリオと、無理に動かして誰に責任があると言われながらも、亡くなったのは数人だったというシナリオを、その時比較衡量したのか、という発想はありません。さっきの薬の話にしても同じです。そのことについては政治が判断をして決断せざるを得ない。政治ができることは、その比較衡量をやっていくことだと感じましたね。
結局、困難を動かしたのは「個人の力」
工藤:なるほど。この前、上さんと話をしていた時に、要望を官邸に持っていったけど政治が機能しなかったと言いませんでした。友達ベースでなかったら。
上:そうですね。梅村さん個人的な能力、ネットワークの問題です。
工藤:仕組みとして、政治がやる動きにはなっていなかったのですか。
梅村:残念ながらそういう場面が少なかったですね。どうなのでしょう。政治家も官の発想になっていたような印象が、もの凄くあります。
上:そうですね。良くないパターンの政治家っていうのは、陳情を聞いて、「分かった、国道交通省に言っておくよ、厚生労働省によっておくよ」というのは、ダメな政治家なわけです。今回、政治家が活躍できるポテンシャルがあったのは、地元に関しては、旅館から食品業者、病院までみんな知っているので、バイパスして繋げたはずなのです。地元に張り付いて問題点を解決した方もおられれば、霞ヶ関にいて官庁に指示を与えている、あるいは、今時、提言をしているような人もいるわけです。提言をする暇があれば、現地に行けばいいのですが。そういう政治家は役に立たない。それは、国民が淘汰すればいい話で提言とか役所に丸投げしている政治家はダメですね。
工藤:今の話もそうですが、要するに、政治や官という問題ではなくて、個人なのですね。ある意味で、民と同じですね。個人が被災地の非常時に機能したという形だったのですね。
上:想定外のことが起こっているわけなので、既存の仕組みがワークするままやってみる、しかし、既存の仕組み以外が重要になりますから、その想像力を持ってやれる人というのは、官だろうが政治家だろうが民だろうが同じですよね。
工藤:わかりました。それでは、ここで休憩を入れたいと思います。
5月18日、言論NPOは、言論スタジオにて上昌広氏(東京大学医科学研究所特任教授)と梅村聡氏(参議院議員)をゲストにお迎えし、「日本の医療は被災地にどう向かいあったのか」をテーマに話し合いました。