パネリスト:
高橋進氏(株式会社日本総合研究所 理事長)
宮内義彦氏(オリックス株式会社取締役兼代表執行役会長グループCEO)
宮本雄二氏(前 駐中国特命全権大使)
司会:
今井義典氏(前 日本放送協会副会長)
「日本の未来と日本の言論」
今井: 今日は、第1部「日本の未来と日本の言論」ということで、言論NPOと非常に長い、そして深い関わりを持ってきていただいたお三方をスピーカーとしてお招きして、皆さんの言論NPOへの心意気を伺わせて頂こうという風に考えました。3人の方を紹介かたがた、一言ずつコメントを頂戴して、今日の討論の口火を切って頂こうと思います。まず、最初に、宮内さんにお話を伺おうと思います。
宮内さんは、オリックスの代表執行役会長でございます。言論NPOの立ち上げの時から工藤代表に様々なアドバイスをされてこられ、そして現在もこの言論NPOに深く関わっておられます。宮内さん、10年前にこの組織をつくろうという動きが始まったときには、どんなお考えで、この言論NPOへアドバイスをしていただいたのでしょうか。
「言論NPOの10年」を振り返る
宮内:宮内でございます。丁度、工藤さんが前職の東洋経済におられて、時々お目にかかった中で、工藤さんが独り立ちをして日本の言論というものを、もっと社会に影響力のあるといいますか、あるいは言論のあるべき方向性というようなものについて、自分の考えを世に問うていきたいという高い志を持っておられて、そういうお考えは大変必要なことではないかと思いまして、我々企業人でございますから、ご協力出来る範囲も限られているわけですが、主に精神的にしっかりとやって下さいということで、何人かの経済人と一緒に、工藤さんを応援する形でこれができたということです。10年間は非常に早いなと思っております。そういう中で、工藤さんが考えておられたことが、どこまで1つのムーブメントといいますか、運動として世の中にはいれているかということが、もう10年経ちましたので、そろそろ問われてきたかな、という思いでいる昨今です。
今井:ありがとうございました。次に、お隣の宮本さんにお話を伺いさせていただきます。宮本さんは、特に言論NPOの国外との繋がりの中で大事な「東京-北京フォーラム」の関わりの中で、言論NPOへのアドバイスをして下さるようになりました。中国大使を経られて、現在はご自身の研究所を運営されておられますが、宮本さんは北京で言論NPOのチャレンジというものに関わりを持たれて、どのような記憶がございますか。
宮本:宮本でございます。私は、2006年から工藤さんとのお付き合いが始まったのですが、2005年に「東京-北京フォーラム」が立ち上がりましたが、その時の考え方が、日中関係が非常に厳しい状況にあればあるほど、率直な深みのある対話が必要だということで、始めていただいたわけです。世の中の流れがいいときには、沢山の人がその流れに乗ろうとするのですが、流れが逆方向の時には、それに参加するという非常に高い志が問われます。その志に賛同し、最初からこの「東京-北京フォーラム」は非常に素晴らしい試みだということで、協力して参りました。そのこと自体、ただでさえ少ない、日本と中国の間の対話のチャネルの確立という意味では、大変大きな仕事をされました。それと同時に、あるいはそれ以上に、私は、工藤さんが熱く語る「言論」というものの果たす役割。何をやらなければいけないのか、ということで、「東京-北京フォーラム」のことを脇に置いてでも、この「言論」が日本の社会において果たすべき役割というものを熱く語った、そのことの方により大きな感動を覚えました。したがいまして、中国との関係では非常に貴重な大事な役割を果たしていただいたのですが、併せて日本の言論空間に対する言論NPOの役割というものにも、北京にいたときから大きな期待を持って、関心を持って眺めてきたという状況です。
今井:ありがとうございます。もうお一方、ご紹介を申し上げます。日本総合研究所理事長の高橋進さんです。高橋さんも、工藤さんがこの運動を始めるときから、関わりを持っておられると思います。丁度、失われた10年と呼ばれていた頃だと思いますが、どんなご記憶がございますか。
単なる人脈ではなく、志でつながる
高橋:本来であれば、私はここに座らせて頂くような人間ではなくて、非常に若輩者でございますが、よろしくお願いいたします。工藤さんとは大変長い付き合いでして、彼が東洋経済におられたころからの付き合いです。そして、言論NPOを立ち上げるとおっしゃったときに、私が常々心に思っていたことと一致する部分がございました。私のことで申し上げると、当時、日本総合研究所というのができて、私は調査部長をやっておりました。私の当時の考え方として、日本には「総合研究所」というものはあるけれども、シンクタンクはないと思っていました。自分でシンクタンクとは言っていますが、本当のシンクタンクではないのだろうと。やはり、きちんとした政策提言ができて初めてシンクタンクと呼んでもらえる。そういう意味では、「総合研究所」ではあっても「シンクタンク」ではない。したがって、シンクタンクをめざすのであれば、やはり政策提言機能を強化しなければいけないのではないか、という思いを常々思っておりました。そういう中で、工藤さんの考えと大変通じるものがあって、一緒に世間に対してものを言っていきたい、ということで、お付き合いが始まりました。
ただ、私は、何分本業の方が忙しくて、言論NPOとのお付き合いは、長いだけで深くはないのですが、それでも工藤さんを横でずっと拝見してきて、工藤さんの本気度に、いまだに感服しております。最初は、喫茶店だとか執務室で話をしたときは、このおじさん、本気なのかな、と思っていましたが、日に日にその本気度が伝わってきました。今、色々な議論をするときに、これだけ各界の論客が工藤さんの周りに集まってこられる。これは人脈のつながりではなくて、志のつながりなのだと思います。私の方の課題は、私は理事長になりましたが、未だにシンクタンクになれてないということで、変わってないのですが、工藤さんのところは、大変高度な議論ができるようになってきて、後は、これをいかに世の中に浸透させていくか。そこが課題ではないかと思います。私は本業が忙しくて、なかなか参加できず、お役に立っていません。今回の第2部で司会をさせていただきますが、それぐらいしか当面は役に立たないのですが、これから先何とかお役に立っていきたいなという風に考えております。
今井:お三方、それぞれ自己紹介を兼ねて、言論NPOとの関わり、そしてそれぞれの方々の思いをお話しいただきました。今日は3つ程テーマを用意しておりますけれども、本論として、2番目に3人の方に議論をして頂こうというポイントは、「日本の言論」についてです。この「言論NPO」というタイトルが、最初この組織を知るようになったときに、「NPO(言論)」とする方がいいのではないか、と思うこともありました。大変ユニークな名前でスタートしました。この日本の言論の在り方についての思いというものが、NPOの根底にあると思います。
そこで、第2の質問テーマは、日本の言論は今、どんな状況にあるのか。そして、何が問われているのか、というポイントをお三方に伺いたいと思います。私も40年以上も言論、NHKは言論と言わずに「報道機関」という風に自認していますが、メディアで働いてきて、特に今年3月の大震災、それから原発事故。それ以降、存じ上げている方からも、メディアは反省するべきではないか、ということをよく伺います。メディアの現役の皆さまも、様々な形で震災、あるいは原発事故にとどまらず、広い意味で自らの責任を問うという、お考えを持っていらっしゃる方が沢山おられるという時代になりました。そこで、長い間この言論NPOの活動をご覧になってきた3人の方に、お話を伺いたいと思うのですが、まず、宮本さんにお話しを伺おうと思います。
民主主義の根本には健全な議論が必要不可欠
宮本:非常に重いテーマというか、日本の社会を眺めれば眺めるほど、このことのもつ重要性そのものをひしひしと感じるわけです。私どもは、民主主義というものを、とりわけ戦後60数年という期間、与えられた、当たり前のものということで、今まで受け取ってやってきたわけです。日本という歴史を考えれば、明治の自由民権運動から始まって、大正デモクラシーまでいきますが、そういう歴史の中に戦後があるのですが、戦後生きてきた我々が果たしてどれぐらいの自覚を持って、この民主主義というものを捉えて、それをさらに我々の自分のものにしていく努力をしてきたのか。これは、私自身の反省でもあるのですが、そこに大きな、我々としては不十分なところがあったという風に強く感じます。そうなると、民主主義というもの、これは社会が益々混迷を深めていって、日本の将来の行方が、次第に方向性がなくなっていく中で、もう1回この点をしっかり考えないと、将来に対して益々不安になってくるという感じがします。民主主義の根本は何かと考えて行きますと、私は議論だと思います。健全な議論があって、その健全な議論が国民・輿論を醸成していく。この議論というプロセスがない限り、いかなる国の民主主義というものも、きちんとした健全な、地に足のついたものにならないのではないかと思います。
振り返って、日本の言論空間というものを眺めてみたときに、最も重要な議論が、どれぐらいなされているだろうか。本当に意見が違っても構わないのですが、異なる意見の人たちがどれぐらい物事を掘り下げて、深く研究をし、それに基づいて議論をして、その議論する姿を国民に見せる。すなわち、主権者である国民にこの問題はどういうことであって、我々は何を考えなければいけないか、ということを提供できているだろうか、ということを深く感じるわけです。そういう時に、この言論NPOがそういう言論空間に新しい活動、新しい存在意義を与えるという志を、私は、北京にいましたときに工藤さんが私に語ったものだという風に理解をしておりまして、この議論が日本の民主主義にとって著しく大事で、それを踏まえて、我々は活動、行動をしていかなければいけないと感じている次第です。
今井:宮本さんに、重ねてお伺いしたいのですが、ご自身のお仕事の中では、言論統制の厳しい社会と政治と民衆をご覧になってきて、今、日本を含む自由主義、民主主義の国の言論の世界というのは、メディアのパフォーマンスといいますか、ポピュリズムに迎合するような部分と、それから、逆に言うと、独裁とか、独断とか色々な言葉が飛び出してきていますが、そういう政治を期待する向きも世の中にあるような感じもいたします。その辺りはどのようにお考えでしょうか。
宮本:やはり、誰かが1つの意見を決めて、それを宣伝工作で社会に浸透させて、それで社会を進めて行くという手法には、大きな限界があると思います。すなわち、必ずしもいい結果を生まないだろうという風に思います。他方、我々の言論空間で、一番弱いところは、自分達の意見をうまくまとめて、それを社会が受け取る。すなわち、上からではなくて下からの意見の形成というものがどれぐらいできているだろうか、という感じが強くします。したがって、中国にも世論らしきものはあるけれど、それを先取りして、あるいはそれを深読みして、上の人が1つの方法を出して、それで社会が回るのを進めて行くというのは、大きな限界と場合によっては、効率性の悪さと言いますか、社会の全体を糾合できるという意味での効率性の悪さというものを本来的に持っていますので、それがいいとは、私は思いません。しかしながら、今の日本に欠けているのは、そういう風に主権者である国民に、物事の論点とそれに対する考え方と、その結果として出てくる複数の選択肢というものを、日本の言論界が国民に伝えているかどうか。すなわち、日本には言論の自由もありますし、表現の自由もありますし、そういう色々と与えられている権利は、基本的には民主主義を強化するという観点で与えられているものです。日本のマスコミの方に強くお願いしたいのは、自分達の判断、行動の基準は、それが民主主義を強化するものになるのかどうか、というところにあってほしいということです。それに近づけば近づくほど、我々のこの自由な民主主義の言論体制の方が、1つにまとまった言論体制よりも、私は優れていると思います。
今井:宮内さん、この言論そのものについては、宮内さん自身も、メディアのインタビューを受けられたり、スピーチをされたりして、様々な形でご発言をされています。そういう中で、市場の在り方と政治の在り方のバランスといいますか、ご自身がご覧になっていて、言論も混乱をしているようにも感じますが、どうご覧になっていますか。
強い民主主義は、一人一人の自立から始まる
宮内:今、民主主義の話が出ましたが、日本の民主主義というのは、半分は敗戦で与えられたという部分があります。言うなれば、民主主義というのは、元々そこにいる人々1人ひとりが自立した人間として、自分で考え、自分で行動できるという人々が集まって、民主主義というものがつくられていくというのが、基本ではないかと思います。日本の場合、与えられたということもあるでしょうし、日本の社会が優しいという意味もあって、だんだん社会の中で、弱者と称する人が増えていく。そういう人は、政府依存の意識を非常に高めていく。自立とか自主という人間の一番基本的なところから少し外れたような人も含めて、日本の民主主義というものがつくられてしまったのが現状ではないかと思います。
そういう意味で、今、日本は本当に民主主義なのだろうか。1人ひとり自立した人間が構成しているのだろうか。あるいは、1人ひとりが同じ権利を持っているのだろうか。1票の格差などの問題も含めまして、そういう意味では、社会の基盤である民主主義というものの危うさというものを、今度はそれを正すという方向で言論が存在するということであればいいのですが、どちらかと言えば、その言論というものは、日本的なこの社会に対する若干の媚びというものを持って、言論活動が行われているのではないか。社会に迎合する、あるいは、内閣の支持率みたいなものに迎合するとか、そういう部分があります。社会の木鐸であるとか、リーダーシップというものをとるのだ、という意識が徐々に薄れていって、多くの支持をほしいと言論が思い始めたとしたら、私は、日本の危うい民主主義と、その民主主義のサポートをほしい言論というものが一体化していくおそれがあり、そうだとすると、非常に弱い社会をつくっていくのではないでしょうか。ひょっとしたら、今、そういう兆候が出てきているのではないか。もっと強い、もう少し民主主義を強化していく、社会をリードしていく、世の中の動きを察知して、そちらに国民を少しでも誘導していく。これをあまり強調してしまうと、変な言論になるかもしれませんが、もう少し主張とリーダーシップというものがないと、日本の民主主義、あるいは日本の社会というものが世界に伍していけなくなるし、社会が劣化していく。そういう危惧が、本当に起こらなければいいが、と思っています。
今日は、言論界の方が多く来られていますので、こういうことを申し上げにくいのですが、そんな気分がすると同時に、例えば、言論ではなく報道ということを1つとりましても、今回の3.11以後の報道というものについては、国民の多くが、我々は本当のことを伝えられているのだろうか、真実に肉薄する報道機関としての動きをしていただいているのだろうか。新聞やテレビで言われていることは、本当なのだろうかという疑問を、私も含めて持っているのではないかと思います。そういうことが、国民全体の感覚であるとするなら、もっともっと報道を含めた言論というものが高度化していく。社会をリードしていくものになってほしいなという気がします。
今井:ありがとうございます。高橋さん、いかがでしょうか。
既得権に切り込む根本的な議論こそ必要
高橋:私は、宮本さんがおっしゃったことと考え方がかなり近いのですが、今の日本というのは非常に閉塞感が強いのですが、やはり言論、言い替えると、議論だとかオピニオンを通じて、閉塞感を打ち破っていくことが必要だと思います。ところが、実際には、議論が行われているように見えても、実際の議論というのは、ほとんど、その議論のベースが揃えられない、ベースが合わないままに、議論だけが進んで行く。結果的に、議論は行われるけれども、見解が違うね、で終わってしまう。そうして、何事もなかったかのように、既定路線のままに色々なことが進んで行ってしまう、という状態なので、議論しても余計に閉塞感が強まってしまう状況なのかな、と思います。
やはりそうではなくて、議論のベースを合わせておいて、そこに皆さんの意見を載せて、意見の違いはあるけれども、今回は相手に従う。不満はあるけれど、相手を認めるという形で、納得して物事を変えながら先に進んで行く、いい意味での妥協というのが必要になってくる。そういうプロセスが日本で動かない、というのが問題ではないかと思います。具体的にもう少し見てみますと、例えば、政治の世界では都合の悪いこと、票にならないこと、こういうことはなかなか語られないわけです。最近でも、TPPや増税のことが、国を分けるような大きな議論になりかけていますけど、例えば、増税ということをいうのであれば、社会保障の水準をどうするのか、というようなことについて本当はもっと議論しなければいけない。だけれども、それはある意味で既得権に切り込むことになる、あるいは票を失うことになる。したがって、与野党共に、社会保障の水準の切り下げの議論というものは、ほとんどできないままに動いている。本当にそれでいいのだろうか、という気がします。
それから、別の例で申し上げますと、今回、原発事故がありましたが、原発事故が起きるまでの原子力に関する議論というものは、原子力村の方達に牛耳られてきて、村でない方の意見は通らないし、悲惨な目にあう、ということが今になってわかったわけです。そこには発言の自由もなかったのだという風に思います。
3つ目の事例で申し上げますと、TPPで感じたのは、やはり利益代表の方が、もの凄く強い反対をする。そして、反対は盛り上がる。しかし、実は賛成の声が聞こえてこない。サイレントマジョリティの声が聞こえないということですが、当たり前で賛成の人はデモなんかしません。そういう意味で、世の中の本当の議論はどうなっているのか、ということがうまく伝えられていないのではないのかな、という気がいたします。
そういう中で、私は注目したいのは独裁ということと関係があることですが、今回の橋下さんの勝利をどのように見るか、ということではないかと思います。独裁という批判は出ていますが、その一方で、橋下さんは国政に携わる人たちが与えられないものを2つ与えたと思います。1つは強いリーダーシップであり、もう1つは変わるという期待、これを与えたことではないかと思います。そういう意味では、現時点では、橋下さんを非常に高く評価したいと思います。強いリーダーシップは裏を返すと、独裁ということになってしまうわけですが、彼等の活動を伺っていると、プロジェクトチームを組んで、1つの問題を取り上げたときに、もの凄い時間をかけて議論をして、その上で、問題提起をしていく。思いつきで問題提起をしたり、強圧的に何かを押し通そうとはしていないわけです。戦術として強圧的なことは言うかもしれないけれど、実は、その裏では大変な議論をしているということを聞きます。だから、色々な議論に耐えられるのではないかと思います。
もう1つ評価したいのは、サイレントマジョリティを掘り起こしたことです。彼等のキャンペーンの中で、「若者よ、投票に行け」と。行かなければ、あなたの意見は反映されないよと言って、投票を促したわけです。その結果、ああいうことになったわけです。やはり、私は、世の中を変えていくときに、彼のような考え方や活動というのが、もっともっと色々な場面で広がっていかないと、日本は変わっていかないのかな、あるいは、ああいう考え方が、広がっていくことで、1つの日本の突破口が見えてくるのかな、と思っています。彼なり、彼のチームがやろうとしていることは、結果的に日本の体制そのものを変えてしまう。すなわち、中央集権から地方が独自で動いていくというところまで、パラダイム転換を言っているわけです。そういう意味では、ようやく、ああいう動きが出てきたということは面白いことだな、という風に見ています。少し話が逸れてしまいましたが、そんなことを感じています。
今井:宮内さんにフォローアップの質問をさせていただきたいのですが、言論NPOが一生懸命働きかけようと思っている「言論」。しかし、その言論NPOが働きかけていく場というものが、こうやって意識のある人たちに集まって頂く、あるいはインターネットを通じて展開する。メディアが判断材料として情報を伝えていく仕組みが変わろうとしていますが、宮内さんはこれをどのようにご覧になっていますか。
大衆迎合のメディアでは社会や民主主義は劣化する
宮内:メディアというと、まず紙の時代から映像が加わりました。紙も映像も共に、言論機関が社会に向かって働きかける動きでしたけど、インターネットというものがここに入ってくる。これは、個人の考え、情報というものが大衆に伝わるという、今までになかったメディアが出てきた。そうすると、受け手の方は、どれだけこされてきた意見か、ということがなかなかわかりにくい。個人の単なるつぶやき的な感想なのか、本当にこしてきた1つの主張なのか、ということが非常にわかりにくい。したがって、そういうものを、本当にしっかりとした言論の主張というものであるのか、と。それに耳を貸すか、あるいは反対するか別にしまして、しっかりとそれについて考えるということができるかどうか。それは、メディアから出てくる膨大な情報の中から、本当に自分が考えるべき情報がどれなのか、ということを選び出す非常に高度なレベルの知識がないと選び出せない部分があります。そういう意味では、メディアに対する1人ひとりの取り組みというものに、これまで以上に時間をかけてやらなければいけない、という大変コンシューミングなこと(全てを費やすぐらい)になってきたかな、と思うわけです。
それと同時に、個人ベースのもの、非常に大衆的なもの、色々な情報が乱れ飛びますから、それをきっちりと選んで、自分で判断するというレベルの人間が、日本の社会の中で何割ぐらいいるのだろうか。しかし、選挙としてはそういうレベルの高い人の判断と、そうでない大衆の判断が1票という形で出てしまうわけです。そういうのが民主主義なのです。そうすると、大衆迎合の方が勝ってしまうということになりかねませんから、やはりレベルの上の人の判断をもっと尊ぶような社会、エリートがリードする社会、ちょっと変な言い方かもしれませんが、そういうものをつくり上げていかないと、今の大衆メディア時代には、民主主義にしろ、社会の内容にしろ、劣化していく方向にいってしまう怖れがもの凄くあるのではないかと思います。そういう意味では、政治も、言論も社会を動かす力のある人のリーダーシップを尊ぶような社会づくり、そういうものができないものかなと。今のところ、日本はそういう風になっていないような気がします。そういうところが、私は問題ではないかと思います。
今井:ありがとうございます。いい問題提起を宮内さんにしていただいたところで、今日の最後の論点についてお三方にお伺いしていきます。高橋さん、今、高いレベルの判断を尊ぶ社会、そうしたことができるリーダーシップが必要だというお話がありました。そういう中で、言論NPOというものはどういう存在であるべきか。これからの役割は何であるか、ということをお話しいただけますか。
言論NPOは、議論の土台を提供すべき
高橋:私は、今の議論の続きで申し上げれば、やはり第3の存在であるべきかな、という気がいたします。今もお話がありましたが、インターネットというものは、非常にいい面と悪い面があります。中国だけではなくて、日本でもネットを通じて、オピニオンが極めてエキセントリックに形成されるような場面が出てきているわけです。そういう意味では、皆さんもネットをご覧になっていると、ニュースやオピニオンに対して、フォロワーの意見を聞いていると、すさまじい、びっくりするぐらいの極論が出てくるわけです。本当に危ないと思います。一方で、従来の既存のメディア、ある意味では情報エリート、情報を中立に伝えることも、あるいは中立を侵してでもオピニオンを出すこと。そういう意味では、非常に影響力を持っておられるわけですが、私たちも既存のメディアに頼っていいのだろうかというところがあります。そうかと言って、ネットにだけ頼っても危ないということになると、やはり、常に一歩引いて、そこを見れば色々なテーマについて、バランスの取れた議論のベースがある。あるいは、参考になるものがある。つまり、議論の出発点がそのサイトを見れば、あるいは、そこに行けば提供してもらえる。そういう存在に、言論NPOがなっていくべきではないのかなと。言い方を変えれば、政策提言などをする前に、まず、この1つのテーマについて議論の土台を提供していく。そういう存在に、まず言論NPOをしていかなければいけないのではないか、と感じます。
今井:ありがとうございます。宮本さんいかがでしょうか。
様々な議論の判断材料とプロセスこそ提供すべき
宮本:私は、そんなに世界中のことを知っているわけではないのですが、私の狭い経験でも、日本国民の全体的な水準というのは、非常に高いと思います。つらつら考えてみるに、日本という国家に与えられた最大の資源というかリソースは国民ではないか、という気がしないでもありません。もちろん、今、ネットの社会になってきて、どういう質の情報が国民に伝わるのか、という問題はありますが、私がまず言論NPOに期待することは、そういう風に、基本的には質の高い日本国民の中で、さらに意識の高い人たちをもっともっと集めていく。そういう方々が、既存の言論空間では必要な情報を得られていないわけです。お前は主権者だからこの問題について判断しろ、と言われても、私は自分の専門の分野ではきちんとした判断ができますが、専門以外の問題になると私も素人なわけです。しかし、自分の専門以外の分野で主権者として判断しなければいけないときに、主権者としての国民に、なおかつ意識の高い人たちに、きちんした材料を提供するということを、まず言論NPOにはやって頂きたいと思うわけです。
その時に一番大事なのは、先程の高橋さんの意見にも通じるのですが、議論の結果がどうかというよりも、プロセスが大事なのですね。どういうことで、どういう風な考え方で、どういう根拠に基づいてこの議論がなされて、その結果こういう結論を得た、というプロセスが、私は民主主義社会では非常に大事だと思います。そういうものも、言論NPOには提供していただきたい。やはり専門性を持って、深さと広さを持って、なおかつ実行可能なそういう提案を言論NPOが行う。日本社会が直面する様々な問題に対して、専門家の方々にとことん議論していただいて、そのプロセスと結果を日本社会に伝えていって、結果として、日本社会の10分の1か、5分の1か分かりませんが、全体ではないけれど、非常に意識の高い人たちから、まず基礎を固める。こういう人たちが、日本社会での発言権を持つようなところから始めて、そこから徐々により広い国民に入っていく。そういう手法でがんばっていただきたいという風に思っています。
今井:最後に、宮内さん、同じ質問ですが、これから言論NPOの次の10年にどのような期待を持っていらっしゃいますか。
大衆迎合の政治に歯止めをかける大きなムーブメントを
宮内:今の日本の政治を見ますと、混迷というか大衆迎合主義みたいなことが非常に強く出てきています。もし、そういう形で政治が行われるとすると、例えば、既得権益に切り込んでいくということはほとんどできません。大衆の求めるところであるなら、弱い人を味方し、弱い人をどんどん増やしていく。自立心を失わせていくというような形で、日本を停滞にどんどん追い込んで行く恐れ、怖さを日々感じるわけです。それに対抗する力として、やはり言論というものが、そうはさせない。何とか日本を前向きに動かし、より立派な国にしていくという意味では、言論について心ある人、あるいは社会の指導層というところに、正しい言論でもって世の中を動かしていくという力があるということを、もう一度再認識していただき、行動に移していただきたいと思っています。そういう中で言論NPOは、10年前の志をそのまま持って頂いて結構だと思うのですが、これを1つ大きなムーブメントにしてほしい。この10年間で小さなムーブメントにはなったけれど、なかなか大きなムーブメントにはならなかった。もっと大きくなるはずであって、次の10年はそういう方向に動いて頂ければなという風に思います。
今井:ありがとうございました。予定の時間が参りました。今日は、宮内さん、宮本さん、高橋さんのお三方が、今お話されたことは、おそらく会場のみなさんが等しく、そして、かなり強い共感を持っていらっしゃることだと思います。元メディアにいた人間の1人として、今日の話を重く受け止め、そして、これからの言論NPOの活動の一部でも支えられればいいな、と私自身思いました。
大変、素晴らしい討論をありがとうございました。
「日本の未来と日本の言論」をテーマに、高橋進氏(株式会社日本総合研究所理事長)、宮内義彦氏(オリックス株式会社取締役兼代表執行役会長、グループCEO)、宮本雄二氏(前駐中国特命全権大使)がパネリストとして講演を行いました。