「エクセレントNPO大賞から見た、日本の市民社会の変化と課題」有識者アンケート結果【記述回答編】

2014年3月06日

問5. 言論NPOは、市民が自発的に社会の課題に参加し、そうした動きが尊重されている「強い市民社会」を目指しています。あなたは、日本の市民社会に変化を感じていますか。


【変化を感じる】

  • 若い世代を中心に、仕事やボランティアを通じて社会に関わっていこうと声を上げる人が増えている。
  • NPOの増加に見られるように、自らの考え、活動で社会的課題に対応しようとする動きが強くなっていると思う。
  • リーマンショックと、東日本大震災・福島原発事故を機会に、市民自身の動きが一層活発化したと思うから。 それに比して、政府や地方自治体などは過去の絶対的な支配力が弱まり、相対的に力が弱くなっていると思います。
  • 言論NPOは政府機関がタッチするのが難しい課題に取り組んでいること。・それが民間ベースで徐々に浸透しつつあると感じている。
  • 反米、親共産主義、親北朝鮮、親中国共産党が圧倒的な支持を得ていた1960年代~1980年代の言論状況が大きく変転し、安倍晋三さんのような優れたリーダーが政治を指導するようになった。また民間では百田尚樹さんのような「当たり前の視点」を持った作家がベストセラー「永遠のゼロ」を世に問うようになった。これは大きな変化である。しかし戦後日本を支配した左翼の毒はまだまだ強い。反米や反右翼、反原発のヘイトスピーチは経済産業省前や国会周辺でやりたい放題。親北朝鮮の左翼団体は文部科学省前に押し寄せてシュプレヒコールを続けているが朝日、NHKはまったくこれを問題にせず容認姿勢をとっている。それに引き換え反韓国、反中国のメッセージを一般の市民団体がちょっとでも掲げると寄ってたかって「ヘイトスピーチ」とレッテル貼りをして潰しにかかる。こういう左サイドに異様に甘く、右サイドに異様に厳しい偏った言論状況は言論NPOの力で正してもらいたい。
  • 人任せの風潮への変化。総論と各論が一致しなくても違和感を感じない風潮
  • 政治経済に影響を与える行動が見えるようになった。しかしすべてが同意できる行動ではないが。
  • 言論NPOのように、国際問題に積極的に関わるようなNPOが出てきている。  その一方で、地元に目を転じれば、高齢化等により、町内会活動を支えることすらままならぬ状態が出始めている。  このように、強い市民社会の出現があり、また淘汰される市民社会も出でくるという意味で、変化を感じている。
  • ひとつひとつは目の前の問題に取り組む小さな活動であるかもしれないが、日本社会全体では多様な場面で少なからぬNPOの自発的な活動が見られる。今後もこの動きが広がっていくと考えられる。
  • 個別の利益でなく、社会全体の利益、公益を目指すNPOが増えていると思われるから。
  • 市民社会が劣化している。特に右傾化しつつある。
  • 若者、高齢者にNPO参加者が増加している 自分の意見、コメントを社会に発信できるツールが普及している
  • 社会の問題に無関心な人々の割合が増えているように感じます。
  • 実際の活動の中で、人々の意識の変化が起こっていると思えるから。 特に311以降。
  • 地縁、血縁、社縁が崩壊し、新しい人々の縁が生まれている。そのため、旧来のシステムを補うNPOと、新しい社会を担うNPOの双方がある。震災によって、このような過渡期の現状を見つめ直したり、寄付や非営利活動といった行動を行った人が多数いた。この「非営利分野に関する思考や体験をした人数の多さ」が変化の規模の大きさに繋がっているように感じる。今後、被災地で新たな社会に対する事例が、次の市民社会のヒントとなり、変化に繋がるのではないか?


【どちらかといえば変化を感じる】

  • 陳情政治に違和感の覚える人が増え、主体的に政治かかわるケースが目立ってきた。
  • 言論NPOのような団体が出てきていることや、ツイッター等で個人の意見を公の場に発信する選択肢が増えていること。
  • 日本人が強く自己主張していく市民社会に移行しているように感じる。
  • まだ大きな流れにはなっていないが、単に個人・市民のためだけではなく、国家・公共のためを考えた民間団体の活動が育ってきていると思うから。
  • どちらかというと、「そうあってほしい、との期待を込めて」の回答。
  • 政府だけでは対応、解決しきれない問題は山積しており、課題挑戦国としての日本は、NPOの活躍によるコミュニティの立ち上げが不可欠である。
  • 効果はともかく、デモや直接性民主主義に興味を持つ人が増えている。 ただし、知識や見識は政治家には現状、はるかに及ばない。
  • さまざまな社会で対立した状況が散見されるのは、いろいろな市民が発言および行動するようになった結果であると理解しているから。それが困った状況を生み出しているとしても、かつてのような「全体主義」の社会よりベターであると思います。
  • 震災対応、環境、医療などの分野で、率先行動しているNPOが見受けられる、 今後多様な分野に拡大し、社会の変化につながることが期待される。
  • 行政、企業、市民の社会貢献活動に差はないと考えるため。
  • 既存の官・民によるアプローチでは解決できなかった問題に対し、一定の成果を持って解決の道筋を示すNPOが複数生まれてきている。またそのNPOのトップが個別政策を審議する場(諮問委員会等)に参画するケースも増えている。これらの点から、政治の機能不全を補完し、市民と政治を繋ぐ役割を果たす可能性を感じている。
  • 市民が自発的に社会の課題にさんかして、そうした動きが尊重される市民社会の形成が、まだまだ。これから・・・。
  • 1 市民社会というものの定義、位置づけが曖昧ですが、効率と、経済優先の社会においては、市民社会 は成り立たない経験をしてきたので・・・ 2 市民社会が必要な分野は、家族、近隣地域の変化が進む世代で、自然な助け合いの社会・・・市民社  会を模索したい・・・ 3 必要以上の援助、助成ではなく、自立、能力の範囲内での人間社会にしたい・・・
  • ネットに扇動されて急速な右傾化が進んでいる。 マスコミ離れ、マスコミ不信が進んでいる。 情報の大衆化が進み、誰でも発信、受信ができる一方で、流布している情報の劣化が進んでいる。
  • まだまだであるが、社会的課題解決に向けて発言したり、行動したりする人が、以前よりは確実に増えているから。
  • 以前と比べると、地震や津波等、自然災害が発生した時、自発的にボランティア活動に参加したりする人が増えてきているように感じる。
  • ネットの普及もあって、同じ主張を持つ者同士が集まりやすくなり、先鋭化しやすくなった。 その面で「市民が氏罰的に社会の課題に参加」することは促されたように思うが、取り組むべき課題とその解決の方向性には首をかしげる。 「強い市民社会」とは行動保守のデモが歓迎される社会のことか? 書店で嫌韓・嫌中の書籍が山と積まれ、どんどん売れていく社会のことか? 自民党が暗黙の支援をしている行動保守の台頭には、心から懸念を表明したい。自民党がJ-NSCを解散させず、安倍首相がヘイトスピーチなどに「そのような行動を私は望まない」と言わないあたりに、この国の終わりの始まりを感じる。現在、海外移住を考えている。
  • 2000年以前と、その後では社会に対する働きかけがより強くなっていると感じる。法人化によってより資金力が増し、ミッションに対する拘りが増したのではないだろうか。
  • 政治を動かすという意味ではnpoはまだ非力と感じる
  • 変化を感じると言い切りたいが、NPOの力はまだまだ小さい。市民(納税者、有権者)もまだお上頼みの意識から抜けていないように思われ、あまり楽観的になってはいけないと思うから。
  • グローバル化・IT化、更に少子高齢化等で、日本人も以前に比べると、政府や組織に依存できなくなり、(私自身は市民というより、個人という意識だが)日本の市民社会というものも、変化してきているのではないか。
  • 少しずつ既成の組織ではできない分野で市民の活動が活発化してきたこと
  • 多少は自分で考える社会になってきているのではないかと思います。そのために多少は貢献していると思います。
  • 企業のできない、また公共ができない 社会的問題の解決や、市民の困ったに提案解決、こんなことがあったらよりよい社会になるのにを NPOの力によって平成10年以降、少しずつまたは、時には急速に目指す方向に変化していってることが 実活動をしていて感じてます。それが比例的のびではなく、 人が人をよんで、NPOの活動の輪が倍倍的に広がり社会を変化させています。 私は、障碍者も健常者もともにプールで楽しめるような社会環境を目指すために活動を行ってきました。 設立当初は、冷たいプール環境でしたが、 いまでは、私たちの活動スタイルがプールでの大阪スタイルのようになってきました。 (だれにでも優しいプール環境になってきました。) これは、私たちの存在をしらない人でも その 変化は感じれるくらいになってきました。 と、いうことで変化を感じている。にしました。
  • まだまだだと思うが、社会に貢献出来ることをしたいと言ってNPOを職場として選択する若い人が出て来ていることに、広がりを期待したい。
  • なんだかんだと言われながらも、NPOの活動は事実として役割を拡大している。マスコミにも取り上げられる機会が増えている。政府や地方自治体では持つことができないような視点を提起している。それらが継続している。ただ全体としてもごく一部の組織を除けばその財政規模はまだまだ小さいように思う。
  • 課題に対する国民の動きが出てきている。
  • ひとりでは、思っていることをなかなかなせないが、NPOという組織を活用すると、仲間もできて大きな成果が期待できる。  この場合、ステージを提供するリーダーが重要である。
  • 地域における活動の活発化、若い人たちや外国人が積極的に地域の諸行事へ参画している現状より変化が徐々に生じていると思う。
  • 以前は、NPOというと何をやっているか分からない組織、つまりアウトローとの評価が一般的だったが、今は自分の問題意識に合致した活動であれば、どこが主催しても参加する人が増えてきたように思うから。また、自治体も以前はNPOをライバルのようにみなし、競合していた時期もあったが、今は完全にパートナーとして遇してくれるように思うから。それには、もちろん良い面と悪い面があるが、良い面を活かしたい。
  • 言論NPOがどうのと言うことではないが、 昨今のIT技術の発展が、言論スペースを広げている面を評価している。
  • デモやパブリックコメントなどの方法で声を上げる人やその声を実現するためのアクションを起こす人が増えている
  • まだまだです。


【どちらともいえない】

  • 変化はあるのかもしれないが、市民社会に発信力が不足しているためか、それが見えにくい
  • この激動の中で、市民社会の変化を特定して感じることは難しい。
  • 言論NPOの活動は社会事象に関心が高い層に何らかの影響を与えていると思うが、市民社会の変化となると、国政選挙結果を見る限り、変化はみられないと思う。
  • 1 理想論は語れても必ずしも現実には政治・既得権益などの影響を   跳ね返せていない。行政・私企業からの資金受入がNPO活動にとっての   問題かと思います。
  • NPOの社会への影響力は限定的なものにとどまっている。
  • 未だ国民の声を代表する団体にはなっていない
  • ごく一部の市民は課題解決するため、NPO等に参画しているが、全体的な動きとなっていない。また、声の大きい人の意見が取り上げられる傾向もあり、大変不平等な点も見受けられる。よって、どちらともいえない。
  • ネットではそういう動きもちらほら見聞きするが、自分の身の回りでは感じられない。
  • 民主社会のベースの自治会活動を経験した結果,大部分の有権者が政治に関心を持っているとは考えられないから
  • 動き出している感じまではない。
  • 市民運動が「プロ市民」と揶揄されるような特定の人々からより一般化してきたように思うが、同時に「ネトウヨ」の躍進に見られるように、市民の政治意識の幼稚さも露呈しており、強い市民社会を作る基盤が出来てきたとは必ずしも言えないと思うから。
  • 文科省による小中学生の国際比較調査によれば、日本の子供たちは、他国に比較して、「社会にプラスの影響をもたらすことができる」、「政治の決定プロセスに影響を与えることができる」という問いに対して否定的、消極的な回答をしている。こうした態度は、周囲の大人の影響を受けているものと思われるが、若い世代にまで失望感が漂っていることを憂慮している。市民社会がプラスの方向に変化し、強くなるためには、まずは個人の姿勢や士気が変わらねばならないと思う。
  • 政府や公共団体ができること、できないことを知り、すべてを委ねる時代ではないことを日本の国民が気付き始めている。自分たちでできることを考え始める中でNPOが選択の一つになっている。ただ日本人は御上の意向をうかがい、隣人の顔色を見る習性が強い。「できればいい殿様に恵まれたい」という意識があるような気がします。そこが暴君を打ち倒し、築いてきた欧米的な市民社会はなじまない。
  • 空回り感。
  • 戦後、与えられたものであり、自分で獲得した民主主義ではないから。
  • いくつかの地域ではそのような例があるようだが、たくさんの、地域で、もしくは全国規模に展開されているのか疑問 住民に身近でない問題、比較的複雑な問題に取り組みは広がっていないように思う


【どちらかといえば変化は感じない】

  • 様々なメディア媒体の登場により
  • たまたま私が暮らしている地域の後進性のためかもしれないのですが、時々(しばしば)日本は本当に民主主義社会になったのか、疑問に感じることが多いです。閉鎖性、拝金主義、権威主義の広範な蔓延。
  • 残念ながら、一般のメディアの影響力がまだ大きいように思われるため。 でもさまざまな活動を行っている人や組織のおかげで、一般のメディアの報道では分からない情報を最近は得られるようになっているように思います。
  • 変化がよく見えない
  • 現状では政府・政党・官僚の思惑に振り回されているだけで、残念ながら市民としての発言が政治・政策に 影響を与える動きにはなっていない。 市民社会自体に危機感が希薄で、政治家にお任せ状態となっている。
  • 熱しやすく冷めやすい国民性なのか、大きな問題が発生したときには関心を持ったとしても、すぐに日常に埋没する。日常生活の中で本題に関するような会話をすることはまずないし、考えねばならないと思っても、関連する場にいない限り他人と社会問題を議論する機会はない。
  • 「市民社会」という定義そのもについても、日本では、コンセンサスがないのではないでしょうか?
  • 実感がないため
  • 市民の支持が弱いのかもしれないが、現在の安倍雑理大臣が独善で国を動かすのを許しているのは、市民社会の選挙権の行使に変化が感じられない象徴と感じる。
  • 国家や政治の前に無力だと思う
  • 未だに、この先5年、10年、100年先の未来を踏まえた政治や経済活動へのアクションが行われていないため。
  • 言論NPOは、市民が自発的に社会の課題に参加し、そうした動きが尊重されている「強い市民社会」を目指していることに象徴されるように、現状はもどかしいものである。
  • 民主主義の質がむしろ劣化している用に感じられ、残念ながらNPOがそれを食い止めることが出来ていないから。
  • 市民側の無責任さがめだつ


【変化は感じない】

  • 参加者の比率が多くはない
  • いくら新しい制度を入れても、一般の無関心と似非権威者が減らない。特に法曹や学者、税理士等のように国家によって権威や専門性はあるものと看做される人びとの世界基準との乖離がひどい。官僚の中では、相変わらず特に外交官が良くない。