ドラッカーの思想の原点から何を私たちは学ぶべきか

2012年6月26日

今回の「工藤泰志 言論のNPO」は、経済学者ピーター・ドラッカー氏の愛弟子・日本NPO学会会長の田中弥生氏をスタジオに迎えて、ドラッカーが市民社会についてどう考えていたのかを議論しました。

ゲスト:
田中弥生氏(日本NPO学会会長、大学評価・学位授与機構准教授)

(JFN系列「ON THE WAY ジャーナル『言論のNPO』」で2012年6月13日に放送されたものです)
ラジオ放送の詳細は、こちらをご覧ください。


「ドラッカーの思想の原点から何を私たちは学ぶべきか」

なぜ今「ドラッカー」なのか―ナチスドイツと現代日本との類似

工藤:おはようございます。言論NPO代表の工藤泰志です。毎朝様々なジャンルで活躍するパーソナリティが自分たちの視点で世の中を語るON THE WAY ジャーナル。今日は「言論のNPO」と題して工藤泰志が担当します。

 さて、今日はこの番組に何度か出演していただいている言論NPOの理事で日本NPO学会会長の田中弥生様にスタジオへお越しいただいています。田中さんは経営の神様と呼ばれているドラッカーの愛弟子です。今日は再びこのスタジオにお越しいただいたのは、私たちが今の日本を考えるときにドラッカーの思想の原点を学びたいと思ったからです。ドラッカーと言えば、経営に関する多くの書籍が本屋に並んでおり、まさに経営のための様々な議論を展開した人でした。その原点には今私たちが考えなければいけない「民主主義」の問題や「自由」というものへのこだわり、それに対する責任があります。私はこのON THE WAY ジャーナルで何度か民主主義や市民社会に関して触れていますが、このドラッカーがそれをどのように考え、例えば、企業経営、最終的に市民社会に考えを広げたのかに非常に関心がありました。なので、田中さんにその話をじっくり伺いたいと思いました。そういうことで今日は田中さんにお越しいただきました。田中さんどうも宜しくお願い致します。

田中:よろしくお願い致します。

工藤:田中弥生さんをお迎えしての今日のテーマは「ドラッカーの思想の原点から何を私たちは学ぶべきか」です。さて、田中さんは言論NPOの理事ですのでよく連絡を取り合っていますが、最近、なかなか会えませんでした。よく聞いてみると、家にこもって、なんとドラッカーの本を書いていました。それで、いずれ本が出ますので、その際はぜひ購入していただきたいと思います。その本が私の今言ったテーマぴったりの本です。つまり、ドラッカーの思想の原点を歴史的なことを踏まえて把握して、その中で彼の思想の展開の流れを追っていく本を田中さんは書かれています。どうして今ドラッカーのこの本を書こうと思ったのですか。

田中:今の日本社会に対して、政治が混迷しているし、有権者である私たちも選ぶモノがないという形で当惑しています。その時に極端な方向に走ってしまう可能性がちらほら見える中でドラッカーの教えてくれた原点というのが今の時代で学ぶことが多いと思います。ぴったりという所もずいぶんありました。


ドラッカーの原体験とナチス

工藤:私も気になっているので早く読みたいのですが。私もドラッカーの全集が家にあります。始めの所を少し読むとドラッカーの原点にドイツのナチスのヒットラーに対する強い反発があり、そこから米国に移ったという20代の若い頃の流れがあった訳です。そこが彼の原点だと思います。その時にヒットラーとドラッカーの関係にどのようなものがあったのですが?

田中:おっしゃる通り、実は経営論は米国に渡ってから作った訳ですけど、その元になっているのは青年時代に欧州で過ごして、ナチスと対立したところに思想の原点があります。そもそもドラッカーは1909年にオーストリアの比較的裕福で、インテリジェンスの高いユダヤ系の家に生まれました。その後、仕事をドイツで得たけれども、21歳の時にフランクフルト大学というドイツで最もリベラルな大学の講師になりました。当時講師になることは大変なことで自動的に市民権が得られました。だから、ヒットラーは講師になろうと画策していたぐらいでした。

 それで21歳に講師になった時に実はヒットラーが政権を掌握しました。その後、ナチスがフランクフルト大学にナチ党員を送り込み、全教員を集め、教員会議をやりました。それで、明日からユダヤ人教員は出ていけという演説を始めました。その時に最もリベラルでノーベル賞級の才能を持つ生理科学者が何か言ってくれるだろうと、いつも発言していたので、皆黙って聞いていました。その時の唯一の発言が『私の所の研究費はいただけるのですか?』でした。それで会議が終わり、今まで親友だった人もドラッカーを避けるようにして、部屋を出て行きました。その時に死ぬほど胸がむかついたと言っていましたけど、それでドイツを出ようと彼が決めました。

工藤:それでその時の話が有名な『経済人の終わり』という本になりましたよね。

田中:元々構想はしていたのですが、

工藤:米国でそれを書くのですか。

田中:はい。さらに、事件がありました。彼は実は講師をしていながら、編集者のジャーナリストのような仕事もしていました。そこで仕事が出来たみたいで慰留に来た人がいました。それがナチ党員でした。最も残虐なユダヤ人迫害を行ったヘンシという人ですが、その彼と口論になりました。その時に自分が親も職人で貧しくて、仕事の能力もたいしてないけれども、ナチに行ったら権力もお金も与えてくれると怒鳴って帰って行きました。それを見て、物凄く獣じみた、おぞましいものを感じて、それでタイプを無償に打ちたくなったと。その衝動を抑えるのが大変でそれが『経済人の終わり』というナチスを批判的に分析した最初の本格的な本になりました。

工藤:処女作がまさにこのナチをベースにして、ヒットラーのファシズムをベースにした所から彼のドラマが始まるのですね。

田中:そうです。


ナチスが台頭した時代背景

工藤:今僕たちは経営学の神様とだけ考えているけれども、まさにそこに彼の原点があって、多分彼は全体主義のような束縛される感じがすごく嫌だったと思います。それが彼の自由主義的な発想につながっていくと思います。その時に、ドラッカーの本でも指摘しているナチス軍をどういう風に彼は捉えていましたか。

田中:実際執筆してみて非常に難しいのですが、それを理解するには、ナチの時代背景の基礎的な知識がないと彼がどうしてこのような批判をしているのか分からないので若干歴史的なことに触れておけば、1914年に第一次世界大戦が始まり、18年にドイツが破れます。その後、例のベルサイユ条約において巨額の賠償金を支払うことにドイツがなります。その結果、いわゆるハイパーインフレになります。その頃から高失業率が慢性化し、29年に大恐慌が起こりました。

 その大恐慌からドイツが、これまで民主主義制を取っていたのですが、その政権が良くないと政権交代を頻繁に行いました。それでせっかく共和党になったのが保守派になり、今度は大連立を組み、解散と選挙を繰り返し、政党が分裂します。それで議会制民主主義が機能しなくなり、今度は政治内権力抗争になり、議会で決定しないで大統領が発令を下すという形で物事を決めるようになりました。その中でヒットラーが実は出てきます。


ナチスが台頭した手法と原因―ドラッカーの分析

工藤:つまり、今言っている話はワイマール憲法下ではまさに理想的な民主主義の体制なのですね。つまり、一般の国民が議会制民主主義の中で、自分たちで政治家を選んでいく。その状況の中で、恐慌下の経済的に厳しい状況の中で議会制民主主義の仕組みの中でナチ党が勢力を上げて行って、その中で色んな形で首相を繰り返す中で支持を上げていったという状況です。

 ドイツは間違いなく民主主義の仕組みだった訳ですね。僕はそこのところで聞きたいのは、なぜ多くの国民が、その中で民主主義の自由を放棄していくのかと、つまり、ナチ党の信条や公約に繋がっていき、結局は全体主義という形で議会制をつぶしていくことに関してドラッカーはどういう風に見ていたのでしょうか。

田中:ドラッカーというよりもナチズムがなぜ生まれたかに関する様々な議論がありますけど、国民性とか、それをすべて間違いだと言っています。そもそもどこの国民でもこういう状況に陥るということを言っています。

 では、なぜ全体主義になったのかということですが、ドラッカーは次のように分析しています。一つは資本主義とマルクス社会主義に代わる新しい社会秩序をナチ党が築こうとしていたのだということです。それはまさに経済至上主義そのものを否定する必要があった訳です。というのは恐慌があり、結局は平等をもたらさずに、人々は落胆した訳です。ですから、脱経済社会を作ろうとしたのです。それがまさに軍国主義だったのです。

 軍需産業と公共事業を行う事によって完全雇用を実現します。さらに、経済至上主義を否定する必要がありましたから、資本主義を利用して最も富を得ていた人たちがユダヤ人だったので資本主義の象徴としてユダヤ人を攻撃の対象としました。

 そのように攻撃の対象を作る事によって国民の意識を結集していった。これが全体主義に至った大きなポイントだとドラッカーは述べています。

工藤:ドイツの場合はファシズムになっていきます。つまり、全体主義に。その国民の大多数ななぜ選んで従っていくのかということなのです。民主主義という問題をなぜ放棄して、全体主義を選んでいくのかに関してドラッカーはどのように言っているのでしょうか。

田中:2通り考えています。1つは、要するに経済的な不平等を味わった人に対しては非常に巧みにお金持ちしか味わえなかった旅行やレクリエーションを、疑似NPOを作って、色んなサービスを徹底的に提供しました。ですから、経済的な不平等を社会的な地位あるいはプライドを与えることによって補填しようとしました。それが一点です。

 もう1つは、ナチのスローガンに対して疑問を覚えていた国民は少なくありませんでした。特にインテリ層は。だけど、先ほどの生理学者の話でもありますように、自分に火の粉がかかるのが嫌だから、自分の生活が安定していれば黙って頭の上を過ぎて行くのを待っていようと考えました。それで、沈黙した。これをドラッカーは無関心の罪と呼んでいます。

工藤:つまり、沈黙はその時は経済的にかなり厳しいのと、全体主義をベースとしてやっていくので自分たちがリスクとなるのが嫌だったのですね。だから、沈黙したのであって、だけど、沈黙している時に自分たちが当事者ならば苦難の中に紛れ込まれているのだけれども、自分とは関係ないと無関心を装う層がいたために全体主義に大きく流れていくことに対してそれは違うという動きを作れなかったということになります。


ナチスが台頭した背景と現代の日本の類似性

田中:確かに政権の不安定になる時に、投票率が最低になりました。それで、少数政党に分裂しました。

工藤:それで、何も決められない状況になっていく訳ですね。

田中:ですから、ドラッカーは国民が自分で選択した結果だと言っています。全体主義は。

工藤:結局、色んな人たちがヒトラーの公約を期待して支持して選んだ訳ではないのですよね。

田中:全然違います。

工藤:つまり、ヒトラーの公約はどこかの政党と似ていますが、出来ないような公約をいっぱい。

田中:そうです。マニフェスト同士が矛盾していますし、実現不可能なことは多いし、そもそも現状を否定しているだけで目的のないものが多かった。

工藤:だけど、ヒトラーを首相にしようと思ったのは、将来うまくいく訳ないのだから、取りあえず首相にしてやろうと、まさに政治ゲームの中で動いたものでした。

田中:そうですね。取りあえず変えればいいということですよね。

工藤:それで、その状況を国民はどう迎え撃ったのかということが先ほどの田中さんのお話ですね。つまり、国民はそれに対して違っているではなく、まぁなんとかなるとか、嵐が吹きぬければいいと思ったわけですね。

田中:そうです。


ドラッカーが理想とする社会―個々人の自由と自立を何が活かすのか

工藤:それがその状況の中で悪化していったという話になると思いますが、今執筆中だと思いますが、執筆していて何か感じませんか?その今の日本の状況を含めて。

田中:今の日本の状況を見てドラッカーは何と言うのだろうと思います。先ほどドイツの話になりましたけど、なぜ国民がいいやと放棄するのかというのは、一つ考えられる理由は、与えられた民主主義なのか、獲得した民主主義なのか、どちらかだって言っています。だから、市民革命があって、自由のために自分たちが民主主義を勝ち取ったフランスのような国ではファシズムに走りませんでした。ドイツはその歴史がありません。そこじゃないかと言っています。そう考えると、まさに与えられた民主主義しかなく、しかもおまかせ民主主義のような無関心の罪をいかにも起こしそうな思い当たる節があるような国民性を持っていたとすれば、同じような過ちを犯す、自ら自由を放棄してしまう危険性があると思います。

工藤:一言でいいですけど、その後彼は米国に渡って経営の神様になり、最終的に市民社会に転換していく訳ですね。その流れの中でこの原体験がどのように活かされたのですか。

田中:ですから、ナチスの批判の分析の中から、じゃあどのような社会を目指すべきなのかという次の本が生まれます。それのポイントは、一人ひとりの人間が位置付けと役割を持って、機能する自由な社会です。その社会を実現するために戦後は企業が重要な役割を果たすのではないかという仮説を持っていて、ですから、人々が重要な役割を果たすためにコミュニティが必要で、そのコミュニティの役割を企業が経済活動と共に担ってくれるのではないかという思いの元にマネジメント論が生まれました。

 ですから、80年代に企業はコミュニティの役割を担えそうにないと思った時に、ふとアメリカの隣人などを見ると、非営利組織がその役割を担っている事に気がつきます。80年代の後半から、じゃあコミュニティの役割を非営利セクターに担ってもらおうと重点を移していきました。常に彼が目指していたのが一人一人の役割を与えることの出来る組織でした。それが企業だったり、非営利組織だったり、たまたまそうだったのです。

工藤:なるほど、要するに一人ひとりの居場所があって、社会の中で役割があるのが非常に幸運な社会だという感じは、先ほどの無関心や自分たちとは関係ないと放任してしまうとその代わりファシズムという状況を自分が作り出してしまう。その状況を防ぐための一つの提案なのでしょうかね。

田中:そうです。色々模索をしてみたけれども、やっぱり自由の社会、自分の思い描く社会には民主的な政府が一番近いという結論になっており、ただ、それは住民の自治がなければ機能しないと結論でおっしゃっています。

工藤:そう言っている訳ですね。つまり、自治は当事者としての意識であり、その当事者として社会に向かうことが必要だと。ということは、ドラッカーはまさにファシズムの展開から経営論に行って、市民社会論に行ったというのは、結局は国民が有権者でもいいのですが、当事者として参加していくような社会。

田中:自由と自律ですね。

工藤:自由と自律ということが大事だと言っているのですね。それがドラッカーからの日本に対するメッセージだと執筆中の田中さんは思っているのでしょうか。

田中:そうです。その通りです。ですから、今の状況ではなぜ自分から自由を捨ててしまうのと問いかけるでしょうし、結局自分たちの目指す一人一人が役割を持つ社会というのが自分で作らない限り出来ないと言うと思います。でも、合わせて、日本人に対していつも期待していましたのでそこは可能性があると言ってくれるでしょう。

工藤:つまり、書簡をドラッカーと田中さんの間でやっていましたのでそういう風に感じる訳ですね。さて、この本はいつ頃出るのですか。

田中:7月までに脱稿していますので秋ぐらいに出ればいいと思っています。

工藤:分かりました。ということで今日はお時間となりました。今日は言論NPOの理事でピータードラッカーの愛弟子である田中さんをお迎えしました。生前に肩を抱き合っている写真を見て驚いたのですが、一緒にやっていました。田中さんをお迎えして、ドラッカーの思想の原点から私たちは今何を学ぶべきかについて考えてみました。皆さんはどう考えたのでしょうか。意見をお待ちしております。では、また来月お会いしましょう。