「強い市民社会」はどうやってつくるのか

2010年12月15日

 放送第11回目の「工藤泰志 言論のNPO」は、ゲストに大学評価・学位授与機構准教授の田中弥生さんをお迎えして、市民社会と非営利組織について議論しました。田中さんは、あの経営の神様、ピーター・ドラッカーと「友人」。
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「ON THE WAY ジャーナル
     工藤泰志 言論のNPO」
― 「強い市民社会」はどうやってつくるのか

 
(2010年12月15日放送分 17分15秒)

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「強い市民社会」はどうやってつくるのか

工藤: 今日は先週に引き続いて「日本の政治の危機と市民社会の可能性」について考えてみたいと思っています。先週は元フランス大使であり 国際交流基金理事長の小倉さんのインタビューを中心に議論をしてみました。彼は、日本の政治が危機だからこそ市民社会を成熟させるチャンスであり、多くの人は本音では社会とか地域とみんな繋がりたいと思っているのではないかと話をしていました。

 この繋がりということを聞いて「はっ」と思ったのですね。やはりこの市民社会の中で、一般の市民と社会とを繋げる役割というのは、非営利組織なのですね。ここでやはり非営利組織、NPOという問題をここで1回しっかりと考えてみようと思いました。ということで、今日は私の仲間で、日本のNPOの研究では第一人者だと思うのですが、大学評価・学位授与機構准教授の田中弥生さんをスタジオに呼んでいます。彼女と一緒に、今日のテーマである、「強い市民社会はどうやってつくるの」を話し合ってみたいと思います。田中さん、今日はよろしくお願いします。

田中: よろしくお願いします。

工藤: さて田中さんといえば、あの経営の神様で、今、日本でも大ブームになっているのですが、ピーター・ドラッカーの翻訳もしているのですね。で、よく聞いてみるとあのピーター・ドラッカーとは友達だというのですよ。で、えっと思ったのですが、僕も写真を見て、ピーター・ドラッカーのおじさんと並んでいる2ショットを見てびっくりしたことがあるのですが、ドラッカーさんと田中さんはどのような関係だったのですか。

田中: はい。そもそも93年になるのですけども、ドラッカーさんを4年越しで、企業の話ではなくて、企業と非営利組織の話をしてほしいということで、日本にお招きしました。それが93年でした。1000人近い方がそこに集まったのですが、翌年に私はなぜかクレアモントに勉強しに行ってしまいまして。

工藤: クレアモント大学でドラッカーが教えているわけですね。

田中: そうなんです。クレアモント大学の教授でいらっしゃって、市民社会とか、非営利組織のことを勉強したいと言ったら、じゃあアメリカに来れば、ということで、近くに家を探して下さいまして、時々車で学校に送って下さったりして、夏で、短期だったのですが通いました。

工藤: なんだか友達みたいでしょう。友達なのですか。

田中: あの、Dear old friendということでFAXをいつも下さっていました。

工藤: そうですか。なんか危ないという感じもしましたけど。そうでもないのですか。

田中: いえいえ。


ドラッカーの非営利セクターへの関心

工藤: 僕もドラッカーさんの本をよく読んでいるんですね。非常に感心したことは、経営の神様というか、経営をやっている人は、晩年はみんな市民社会とか非営利セクターの研究に走っちゃうじゃないですか。あれはなぜですかね。

田中: たぶん経営の先生というのは、営利、非営利というよりは、組織に関心があるのだと思うんです。

工藤: 経営をするということですからね

田中: で、非営利組織の場合には、目的を達成するための道具というところが非常にはっきりしていますので、営利以外の目的を達成するための組織というものに関心があるのだと思いますね。


「流動化する知識ワーカー」とは

工藤: 僕も彼の長い、分厚い本を読んでいて途中で大変だったのですが、アッと思ったことがあったのは、たぶん「断絶の時代」...ちょっと違う書名だったかもしれないのですが、知識社会という中で、大きく社会の仕組みというかが変わってきたのだと。それはどういうことかというと、これまでは若い人たちは会社で働くと会社人間になってしまうと。つまり会社に忠誠を尽くすという生き方がほとんどだったのが、ある局面から会社への忠誠ではなく、自分の持っている知性、知能とか技術とか、つまり自分の能力に忠誠を尽くすと。つまり、例えば会社ではなく、自分の力が発揮できるところに結構動いていって、流動化していると。だから、「流動化する知識ワーカー」という言葉があったのですがね。ただその人たちはふらふらしているわけで、その人達は最終的には自分の能力を社会のために使いたいんだと。その「流動化する知識ワーカー」を社会につなぐ役割が、非営利組織、NPOなのだと、と書いているのです。これは本当にそうだと思ったのですね。というのは、僕たち言論NPOも 大学生のインターンがいっぱい来るのですよ。その人たちは何か自分で社会のためにやりたい、自分の勉強していることを何か活かしたいのだけど、大学の中で先生がそれに向かってくれないというのでよく事務所に来てね、彼らはどっかに就職して一生を生きるというよりも、何かを実現したいということをよく言うのですよ。だからこの底流は日本でもあるのだな、と思ったんですが。そのあたりはどうですか、ドラッカーさんと一緒に話をしていて。


「会社のため」に働くのではなく、「会社と」働く

田中: はい。おっしゃるとおりなのですね。若干重複しますが、「流動化する知識ワーカー」という言葉は、ドラッカーさんが90年代中頃から使い出すのですけれども、要は、今までは会社人間だから自分の忠誠の対象は会社だったのですね。でも、知識をベースにする知識ワーカーというというのは自分の能力や関心にロイヤリティがあるので、「会社の」ために働くのではなく、「会社と」働く。会社はたまたまそれを活かす場だと言い切っています。
 で、その時に、でも人間というのは何かに属していたい、あるいは社会で生かされているということを実感する場がほしいので、おそらくそれはもう企業ではなくなる。じゃあ何かといえば非営利組織でのボランティア、コミュニティでの活動だろうとはっきりおっしゃっていたんです。

工藤: そう言っていたんですね。

田中: はい、おっしゃっていました。それで、1995年、日本に非常に関心を持っていましたね。なぜかというと、95年...


ドラッカーは日本の何に関心を持ったか

工藤: オウム事件だよね。

田中: オウム事件と、それからもう一つは阪神淡路大震災。この2つの事件をドラッカーさんは結びつけたのです。なぜかというと、オウム事件はたいていの場合はリスク管理の問題として議論されることがあるのですが、全然違った側面を見ていまして、つまりオウム真理教の上層部、幹部の人たちが非常に高学歴の優秀な若者だったということが一番に気になると言っていました。

工藤: なるほどね、そういう人たちを、きちっと社会につなぐ受け皿が全くないために、そういう誤った動きに発展してしまうという危険性ですね。

田中: こういう人たちのエネルギー、帰属欲求みたいなものをプラスの方向に、正しい方向に受ける、受け皿がないという社会は非常に危険だとおっしゃっていました。

工藤: 一方で、阪神淡路大震災のときは、全国からボランティアがリュックサックを背負ってみんな行って、やっていましたよね。あれもドラッカーはびっくりしたんじゃないのですか。

田中: そうなのです。だから、オウムの事件を最初に言って警鐘をならしますけど、でも明るい兆しもあるよと。それは阪神淡路大震災のときに活動したNGO、NPOの活動であるし、そこに集まってきた人々のエネルギーだと。それをプラスに変える力があるじゃないかと結びでおっしゃっていました。

工藤: 最近僕もニュースを見てびっくりしたのは、アメリカの中でもやっぱり政府とか...アメリカは元々政府を信用しないという傾向があるのですが、統治に対する不信があると。その中でハーバードを出た最優秀の学生達が企業や官僚、政治家になるのではなくて、NPOで働くという風になっていると。これはどういうふうな現象なのですか。


アメリカのエリートは非営利セクターに関心

田中: 今おっしゃっているのは特にTeach For AmericaというNPOなのですが、実はビジネスウィーク誌によりますと、今年の文系の人気ナンバーワンの就職先は、ウォルト・ディズニーを抜いて、

工藤: え、そうなのですか。

田中: そうです。企業を抜いて、このNPOが1位になったのです、就職先として。それで、今おっしゃったようにハーバード、イェール、コロンビアなどのいわゆるエリート層と言われている学生が、毎年2年間のインターン、教師のインターンをやるということで、毎年4000人近い人たちが応募してくるのです。

工藤: つまり、リーマンショックなどいろいろな経済危機があって、政治も、国際政治も多様化して非常に混迷化しているんだけど、確かな何かの変化が始まっているということですね。

田中: そうですね。

工藤: 僕も実をいうと、言論NPOの仲間で、ある石油会社の大会社の会長だった人がいたのですよ。僕の友人で、日本のオフィスに行くと、本当に日本の大会社の社長なので、ちょっと偉い感じなのですが。その人が何を血迷ったというか、何を考えたか、イギリスのクリントン財団、NGOに転職しちゃったのですね。それで、その人が一年後に、僕の事務所に入ってきたのです。顔が全然違うのですよ。「工藤さん、元気?」という感じでした。どうしたの、と聞いたらNGOに行ったと。じゃあ何をしているのと聞いたら、世界の若者が大体2000人くらいボランティアとかスタッフでいるらしいのですよ。そこに、世界のハーバードやオックスフォードなどのトップクラスの人たちがいる。その人たちは給料が安いのにそこに来て、働くというんですよ。何をやるかというと、例えば、アフリカの医療の問題の仕組みをデザインして課題を解決するために何かプロジェクトをしたり。どうしてやっているのかということを、彼もびっくりして聞いたらしいのですが、つまり世界の若者は何かの課題の解決をしたいんですよ、自分たちで。政治家とか、誰かに任せるのではなくて、世界がこれだけ困っていて、色々な問題があるときに自分たちにも何かできるのではないかと思ったわけね。

田中: そうですね。まさにドラッカーが言うように、自分が社会の課題の解決に向かい合って、しかもそこに貢献しているという実感があるから、ご本人いきいきしたんじゃないのですか。


課題を解決する、世界の若者に見られる価値の転換

工藤: いきいきしていましたね、魅力的で。そうやって考えてみると、日本の政治家で課題解決している人って誰なのかよくわからなくて。政治家こそがそういうことで競わなければいけないわけなので、ひょっとしたらね、この今の政治的構造を大きくシステムチェンジする局面に来ているんじゃないかという風に感じているのですね。

 ただ、一方で、やっぱり田中さんに聞かなければいけない問題があるのですね。そういうふうに大きな変化が始まっている、世界的に。日本も間違いなく変化は始まっているのですよ。だけども、その受け皿としての市民社会を考えた場合、何かこう非常に低迷しているというか、何か運動家みたいな、自分たちは近寄りがたいという、何か、なんとなくピンとこない感じがあるのですよ。それはなぜですかね。


日本のNPOの何が問題なのか

田中: ドラッカーさんの話に戻れば、NPO法ができたのは98年なのですが、95年の時点で、たぶん欧米並みに非営利セクターが成長すると予言していたのですね。その数は、今はNPO法人の数は4万ですから、予言は当たってはいるのです。だけど、問題は中身で、おっしゃるとおりで、市民との繋がりとは具体的に言えば、「ボランティア」と「寄付」なのですが、4万のうち過半数が寄付を全く集めていなくて、ボランティアも全くいないという団体がけっこう増えてきているのです。では何をしているかというと、行政からの委託を受けて仕事をしているということで、行政の下請け化とよく言われるのですが、そちらに走ってしまっている。それで、市民との距離が開いているんです。


政府系NPOって何?

工藤: この前事務所に『チェンジメーカー』を書いた渡邊奈々さんが来たじゃないですか。で、田中さんも一緒にインタビューしたのだけど、やっぱり日本のその雰囲気は考えられないと言っていましたね。何かこう、政府NPOと、民間NPOは違うのではないかと

田中: 政府系NPOって

工藤: 政府系NPOと言っていましたね。つまり、そうではなくて、もっと自発的で、市民が自発的に何かを感じると。それに対して、何か取り組みたいという流れが世界の流れなわけですよね。何かが日本流にアレンジされているためにね、何となく政府系、官僚系みたいになってしまうというイメージなのですかね。

田中: そうですね、まあ基本にあるのはお上意識。

工藤: お上意識。誰かにお任せしたいというか...

田中: お任せしたいし、お上はやはり権威なのだと。そこに入り込んでしまうことで、いつのまにか、自分たちは既得権益を壊す存在だったはずが、自分たちも既得権益に入ってしまっている状態だと思いますね。

工藤: もう一つ感じているのは、例えば言論NPOのボランティアというのは、さっきの学生だけではなくて、大学の先生とか、田中さんもそうなのですが、そういう人たちがひょいと来て手伝ってくれるじゃないですか。ハイレベルの専門的な人たちが、アフター5や休日を利用して、社会に色んな形でお手伝いするという大きな流れがあるじゃないですか。これが多分、大きな変化なのだけど、何となく非営利型も運動家というか、古い感じ、近寄りがたいような雰囲気もあるじゃないですか。

田中: 一部の草の根の人たちの専有物のように見えているというところは確かにあるかもしれないですね。

工藤: でも、それだけでは、大きなこの人たちの受け皿になっていきませんよね。

田中: それはそうですね。

工藤: ということは非営利のセクターの世界も今変化を求められているということなのでしょうか。


立ち位置は行政側か、市民側か

田中: そうですね。自分たちの立ち位置を行政側に置くのか、市民側に置くのかということを今一度見直す必要があると思います。

工藤: でも、それを考えると別にNPOだけではなくて、大学もそうだし、みんなだよね。みんな機能してない感じがしませんか。例えば日本の経済的な問題や財政、色々なことに危機があるのに、それに対して誰が取り組んでいるのだろうと。メディアはどうなのだろうと、既存のメディアも含めて。日本が本当の危機なのかもしれないのに、それに対しての色々な動きが、何で色々なところに出てこないのだろうか。田中さんは、その辺りはどう見ていますか。

田中: 既存の...先程の言葉では、エスタブリッシュメントとか、制度の中に取り込まれてしまっているので、今のやり方が違うのだということを、体制に言うことによって、自分に返り血を浴びるわけですから、その勇気がもてないのだと思います。

工藤: 諦めてしまっている感じですか。それとも、何となく悶々と悩んでいる感じですかね。

田中: 長いものには巻かれろ、ですね。

工藤: そこまできてますか。

田中: と思います、私は。

工藤: 昔は、居酒屋で愚痴をこぼすということがあったのですよ、サラリーマンはね。でも、それは、愚痴をこぼすだけまだいいのだけど、諦めてしまったら話にならないではないですか。

田中: 後は、目をつぶっているとかね。

工藤: でも、もうそれがすまされないような状況なのだけど、これを変えていく何かというのは、どういうことなのですかね。


今の日本は、長いものに巻かれろでは済まされない段階

田中: それこそ、先週ですか、小倉さんが仰っていたように、それこそ小さな一歩なのだと思うのですよ。やはり、身の回りにある課題を提起し、そこで自分も当事者としても議論に加わることによって、この問題がどうして起っているのだろうか。その原因は何なのだろう、ということに、必ず問題意識を持つと思うのです。そうすれば、自分たちの納めた税金がどんな風に使われているの、それから、どういう政策になっているの、というところまで、自分たちの視野というものは広がっていくし、それが強い有権者、納税者をつくっていくことだと思いますね。

工藤: ただ、あれですよね...その前に、誰かに任せても答えはない、ということに気付かないとダメだよね。これはちょっと他人に任せておけばいいとか、長いものに巻かれる、という状況では済まされないところにきているような気がするのですね。


社会を変えるための「議論の砦」をつくりたい。

 本当は、田中さんはNPOの専門家で、実証的に色々なことを語れるので、ぜひ田中さんの本を読んでいただきたいのですが、ただ、田中さんが言っていることは、僕の思いと共有してまして、市民が今変わらないと、本当にこの社会は変わらない。ただ、市民が変わらないといけないような前提なり、チャンスは広がっているのですよ。いわば、もう後は、アクションというか、変えるしか...自分たちが、何かそのチャンスを使いこなして、動かすしかないのだという感じだと思うのですね。言論NPOはまさにそのために実現したので、私たちは、まさにその砦を、この社会を変える議論の砦をどうしてもつくってみたいと思っています。ということで、話していたらまた時間になってしまいました。今日は先週の小倉さんに続いて、市民社会という問題を、つまり僕たちの可能性を、田中弥生さんと一緒に考えてみました。つまり、強い市民社会をどうやったら、僕たちはつくる事ができるのか、皆さんも何かお考えになったことがあると思うのですね。ぜひ意見をお待ちしております。今日はどうもありがとうございました。

田中: ありがとうございました。

(文章・動画は収録内容を一部編集したものです。)

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【後編】