参加者: 片山信彦氏(ワールド・ビジョン・ジャパン常務理事・事務局長)
加藤志保氏(チャイルドライン支援センター事務局長)
関尚士氏(シャンティ国際ボランティア会事務局長)
多田千尋氏(東京おもちゃ美術館館長、日本グッド・トイ委員会代表)
堀江良彰氏(難民を助ける会事務局長)
田中弥生氏(大学評価・学位授与機構准教授、言論NPO監事)
司会: 工藤泰志(言論NPO代表)
第1部 第2話 非営利組織は市民社会の受け皿たりえるのか
工藤 次の話題に移ります。では現状の日本の非営利組織がこの役割を果たして担えるのかということです。社会には国内、国外にも様々なニーズがあって、社会的な課題に 対して悲鳴や信号を送っている人もたくさんいる。ところが、その受け皿はなかなか強くなれない。一方で政府や行政に頼るだけでは答えを出せなくなっているのも事実です。
片山 NPO法人の数は3万6000でしたか。
田中 3万8806です、2009年11月の時点で。
片山 だから「何かやろう」という意思や活力は数の上では表れているように思います。しかし私が疑問なのは、ちゃんとしたNPOがどのくらいあるのかということです。3万8000団体あるうち、工藤さんも言われた社会の問題に対して「どうにかしたい」という考えを持って動いているところがどれだけあるのか、大いに疑問です。数は増えていますが、そういうことを考えたときにどうなのかということが気になります。
工藤 量は増えたけれど、質が伴ってはいない。そうだとすると、この10年あまり、非営利組織の何が問題だったのでしょうか。
片山 例えば、政府との関係で言えば、政府が財政的に厳しいという中ではやはり、非営利組織に対して下請け的な発想があって、「政府ができないことをアウトソーシングするときに、NPOはコスト的に安いから良いではないか」といった風潮も出てきています。それに呼応するようにNPOの方も事業的に安定するから行政の仕事をやりたい、というところが出てきている。
そういう意味ではこの10年あまりを考えると、NGOやNPOが自立して強くなったというよりも、ひとつの社会的な流れの中でNPOが行政に「使われる」要素が色濃かったのではないか、と思うのです。つまり、NPOが本来持っているはずの強さがまだそれほど出ていないのではないか、と思うのです。もうひとつの流れでは、NPO、NGOの中には互助的なNPOもあります。メンバー同士がお互いに楽しくやるという。
田中 それは共益組織ですね。
片山 そうです。そうした動きもNPOの中にあります。本来、私たちに期待されたものとは異なる動きもNPOの中に混ざり合ってきた。NPOとは本来公益的なものだったはずですが、互助的なものがNPOに入ってきている。そういうNPOはファンドレイジングをしなくてもいいし、アカウンタビリティもそれほど必要ないわけです。やはりNPOには多くの市民の協力も得ながら、社会をつくっていく、変えていくという視点が必要なのだと思います。何がNPOなのかということが曖昧になってしまっている。それが今、問われているのだと思います。
国際協力分野でのNGOの数は500か600です。その中で本当に質の高い事業をし、サステナブルで、市民に支えられて広範で公益的な活動をしているNGOはそんなに多くはありません。「日本の社会を何とかしなくてはいけない」というよりは、「とにかく生き延びよう」「何とか現状の活動を継続させたい」ということに意識が傾きがちなのがNPOだけではなく、NGOの現状ではないかと思います。
組織維持は目的でない
堀江 「日々のお金がない」という現実はやはり多くの非営利組織が抱えていると思います。そうなるとどうしても委託事業とか政府のお金に頼ってしまうわけです。もちろん国の税金をお預かりしてきちんと使うということもひとつの使命だとは思いますが、本来は市民からの寄付だけでやるのが一番きれいな姿です。どうしても、お金を出してくれるところに頼ってしまう部分がありますが、市民からのお金を有効に使うというところにもっと力を注ぐべきなのだと思います。
関 今の話との関連で言うと、国内には福祉や教育、子育て支援などに使命感を持って取り組むNPOはたくさんありますが、組織として自立した運営が成立しているところは極めて少ないように思います。そこが日本のNPOの最大の課題であると感じます。特に財政的側面における自立です。行政からの委託事業で回さざるを得ないような循環に一度陥ってしまうと、なかなかそこから抜け出せないわけです。そうなると、自分たちの自主的な政策のもとで活動を展開していくことが難しくなります。組織の維持のために必要な作業と、自分たちのミッションを歪めず遂行していくこと、現実はその両方が求められるわけですが、そのバランスが崩れてしまうと本来の市民社会のためのNPOというところから遠のいてしまうかもしれません。
片山 日本で国際協力のNGOが成長してこなかったひとつの理由は、やはり市民目線でなかったということなのではないかと思います。途上国の現場でサービスを提供するので、日本の支援者には活動が具体的に見えないわけです。現地ではいいことをやっているのに、日本の一般の人に理解してもらえるようなコミュニケーションをしてこなかった。先ほども言ったように、途上国の現状に対して何かしたいという気持ちは高まっているわけですが、その気持ちとわれわれの活動を繋げることができなかったということではないでしょうか。募金でもボランティアでも、「普通の人でもこれだけのことができます」というメニューを提供できなかった。もっと市民目線で私たちが突っ込んでいけば変わっていたのではないかと思います。まさにNGOがミッションやビジョンを実現するためにずっとやってきたことが、社会と乖離してしまったのです。
田中 今の片山さんと関さんのお話は別個のものではなくて、繋がっていると思います。寄付者やボランティアや会員とのコミュニケーションがどれだけとれるかということは、寄付のリピート率などにも影響しますし、財政基盤に通じるものです。ただもうひとつの問題、ミッションやビジョンと市民目線という話ですが、データで見ていくと、非営利組織は社会サービスを提供するというところは一生懸命やってきてそれを自分たちの役割だと思ってきたわけです。しかし、多くの市民を巻き込んで市民のパワーに繋げていくという側面は、その端的な指標がボランティアと寄付なのですが、この10年、日本全体で全く伸びていないどころか、下降線をたどっています。
1996年から2006年で見ると、01年に少し上がった後また下がってきています。少なくともこの10年、社会を担う非営利組織のアクターたちが、日本の市民を巻き込んでいくことに力を入れてこなかったということは明らかです。
市民とつながらない非営利組織とは
工藤 それは要するに、市民の参加がない非営利組織があるというパラドックスですね。社会には多様なニーズが生まれたり、様々な叫びがあるのに、それを非営利組織側が受け止めきれていない、ということです。ただ、私の身の回りでも感じるのですが、この10年でも確かな変化が市民社会の分野で起こっている。会社や大学などの組織に属しながらも休日や勤務後にボランティアで社会貢献をしたり、組織を超えて横に繋がって社会に向かい合っていくような動きです。自分の仕事をしながら私たちの活動に協力してくれている人もたくさんいます。市民社会と言うと、市民運動家、というような特別の動きではなく、市民としての当たり前の動きというか、もっと言うと「公」に参加したいという生き方のニーズが顕在化してきたように思えるのです。ただ、それをどう受け止めていくかという答えを多くの組織が見いだしていない状況なのではないか、と思うのです。だから、参加のニーズがあるのに確かな受け皿がなかなか増えない。
ある海外企業のトップと話したことがあるのですが、日本に戻って来たときに「日本は閉塞的で、このままでは危ない」と感じたけれども、日本で自分が何をしたらいいのかわからなかったと。結局、その方はロンドンの大きなNGOに転職するのですが、要するにある問題に対して「何かしたい」というニーズはあるけれども、今の非営利組織の動きがそういう流れとは違うところで固まっている。そのためにニーズに対応できない。NPOの側から言えば経営的に厳しいということもあり、それどころではない、ということなのかもしれません。
片山 私が言いたかったのもそういうことです。非営利側にも市民社会と一緒に発展していくという視点を持って活動してこなかったということがやはりある。自分たちのミッションも大事ですが、もっと市民目線で何かできないのかと。国際協力でも「これをやれば途上国の人の生活や社会がこれだけ変わります」ということがわかれば、参加者も増えるように思いますが、そのために「会員にならなければいけない」などの義務が発生すると、少し敷居が高くなりますよね。それから「NGOをやっている」と言うと、全てを投げ捨てて活動しているように思われてしまったり。確かにNGO職員は生活をかけてやっているわけですけれども、一般の市民のもっと身近なところで何かできないかなと思います。
関 先ほどの海外協力隊の話もそうですが、当時は本当に身をなげうって活動に入っていくような人たちが多かったわけです。一方、今ではアルバイトやその延長線上で「とりあえずチャレンジしてみよう」という人が現れてきた。それが是なのか否なのかということについては議論があるかと思いますが、私たちがもっと多段階で、そういうものを受容し、ひとつのうねりをつくれるような受け皿となっていかなければならない。それを発信できる存在として鍛えていかなければならないのだと思います。
NPOとNGOの間には垣根はあるのか
工藤 海外活動をやっている方々にお聞きしたいのですが、途上国などで援助を行うときには、一時的な救援などのニーズに対してまず医療などのサービスを提供しますよね。しかし最終的にはその人たちに自立してもらわなければならないので、今度は自立支援などに発展していきます。そう考えたときに、日本の地域社会でも全く同じニーズがあるわけです。地域の自立に向け様々なニーズがあるのに、政府も自治体も地域も応えきれていないわけです。すると海外に向かった皆さんの先見的なエネルギーは、日本の国内的な課題に対する関心に向かうことはないのでしょうか。そうした展開が見られないのは何が原因なのでしょうか。「NPOとNGOは違う」みたいな議論もあって、NGO側とNPO側に垣根があるようにも見えるのですが。
片山 私たちも昨年から2年かけて、途上国での経験を生かして日本国内で何ができるかという国内調査を始めています。私たちは子ども支援をメインにしていますが、行政やNPOは子どもたちに対して何をやっているかなどの数値的な調査がだいたい終わって、いくつかの団体に聞き取り調査を行おうと動いています。日本の社会が変わらないと途上国の政策も変わらないと思っているので、最終的には、やはりそういう国内問題に向かっていかざるを得ないわけです。私たちの団体は「遅ればせながら」かもしれませんが、そういうことを始めています。
工藤 日本のNPOを考える場合、NGOとNPOの問題があります。私が8年前にNPOを始めたときにはその違いはわからなかったし、まだよくわからない。この説明はいずれしてもらうとして、ひとつはっきりと言えるのは、NGOの中には活動の舞台は海外だけれども経営もしっかりとして、課題に向かっている団体が多いということです。寄付金が免税になる認定NPO法人にも主要なNGOは揃っています。ただ、NGOとNPOも制度上はNPO法の制度を使いながら、交流はほとんどなく、それぞれがばらばらに存在しているようなところがある。どうしてなのでしょう。
関 NGOとNPOを意識して切り離しているということはないと思います。あの阪神・淡路大震災のときに私たちのNGOが飛び込んだのもそのためです。それまでは私たちの団体は職員も支援者も「海外で細々と国際協力をやっていく団体だ」という狭い意識にとらわれていました。しかし未曾有の震災の中で「個人」というものが問われたわけです。財政的にも厳しい中で、それでも何かをしなければいけない。結果的には「NGOは組織保持のために存在しているわけではない」として、飛び込んでいったわけです。結果、あの現場に2年間かかわることによって、いろいろな学びも得ました。つまり私たちが海外で問い続けてきたことが、震災の現場で問われていることと何ら変わらないということです。
日本の暮らしの中で広がる歪みを前に、アジアの国々からわれわれが学び、伝えていく、足元に返していく、そういう役割が求められていると受け止めています。私たちとしては日本国内のイシューひとつひとつに向き合うことはできないけれども、国内のNPOの方たちとも一緒に取り組む事業があったり、地域の支援者に、地域課題に取り組むNPOの方たちを繋げていくことにも少しずつ取り組んでいます。現状ではそういう役割くらいしか果たせませんが、重要なミッションのひとつだと思っています。