11月21日、言論NPOが設立16周年を迎えるに当たり、記念フォーラム「私たちは民主主義の課題にどう立ち向うか」が開催されました。
冒頭、司会を務める言論NPO代表の工藤泰志が、「民主主義が壊れる可能性がある。グローバリゼーション、格差などいろいろ問題はあるが、その解決策はあるのか。今こそ真剣に考えてほしい」と問題提起。
国会や政治家、政党への不信の原因は民主主義が成功したから?
まずハーバード大学カー人権センターシニア・フェローで元米国務次官補(人権、民主主義、労働問題担当)のジョン・シャタック氏に発言を求めました。同氏は「民主主義には色々な制度の組み合わせで出来ている。代表制、投票の自由、メディアの自由、表現の自由、司法の独立性、そして活発な市民社会の積極的な運動、市場経済だ。戦後50年で大きく進歩し、平和と安定に寄与し、民主主義国家の間での戦争はない、と言われて繁栄してきた」と、民主主義の利点を話しました。しかし、今、西洋の国々で試練を受け、権威主義自体が、民主主義の中に入り込もうとしていると述べ、その具体例として、2014年の世論調査では、米国人の64%が政府機能を不満に思っており、2002年の調査では23%であったことからも、政府への不信感は格段に増加していることを紹介。また、欧州でも2013年の調べで、68%の人々が国家を信頼せず、政治家、政党を信頼していない人たちは76%にも上ると数字を上げて説明しました。
では、なぜこのような大きな数字が並ぶのか。同氏は、この不満のルーツとして「実は、民主主義が成功したからだ」と、意外な視点を披露しました。「1989年にベルリンの壁が崩れ、東欧民主化、東西統合は、社会的な一体性の喪失をもたらした。また、未発達な国が多く出現し、社会福祉として期待していた人が、本来の社会福祉の利益を得られず不信感が高まった。経済政策についても資本の移動により、経済危機や社会的な破壊も世界的規模で起きた。人権の成功も一方で、民主主義の不安定化と関連している。多様性という民主主義の価値観により、マイノリティーも招き入れられたが、一方で特権を享受していたマジョリティーの不満が増大した。マイノリティーが権利を得るのに不満なのだ」と分析しました。また、インターネットの情報革新など、科学技術の発達によって情報手段として貢献する一方、SNSなどが普及し、何が真実か分からない状況に陥っていると問題点を指摘します。
さらに同氏は問題点を"三つの反乱"として挙げました。まず、①経済的対立。グローバル化によって今までの業界がなくなり、工場で働いていたもともと中道左派のブルーカラーが極右化して、トランプ大統領が選ばれたこと。②政治的マイノリティへの反発。難民などへの不満から安全保障が不安定化し、彼らへの厳しい見方が広がっていること。③こうしたことを背景に、自由民主主義とは真逆のポピュリズムが現れ始め、大きな挑戦を受けている。選挙の投票率は低下して、民主主義が弱体化し、選挙への不参加、投票する人の両極化も生んでおり、さらにEUでも民主制度への不満からEUの統合が崩れる危機があり、また東西、南北で民主的負債と呼ばれるものがある、と指摘しました。
民主主義の強靭化、復活は可能と断言するのはシャタック氏
これを受けて、どこまで民主主義は米欧で強いのか? 民主主義の強靭化への復活は不可能なのか、と工藤が問いかけると、シャタック氏は「可能だ」と断言します。「米では民主主義のルーツは深く、西欧でもマクロン仏大統領、メルケル独首相が当選するなどポピュリストを退けるのは可能だ」と指摘。さらに、トランプ大統領は三つの人格がある、と解説します。「一つは権威主義、大統領令で政治を行っていること。二つ目はポピュリストで、不満の支持層を感情的に先導していること。三つ目はアンチガバメントで、行政的、福祉的国家に反対し、セーフティーネットを壊していること」と分析しました。
それでは、トランプ大統領への不安はあっても、民主主義の強靭性は、アンチ民主にどこまで抵抗出来るのでしょうか。「2018年に中間選挙があるが、米国の市民社会の活力も高まっており、反攻の可能性は十分にある」と読むシュタック氏でした。さらに「全体的な課題として、どのように民主主義を再定義するかだ。熱い思い、社会的な民主主義を尊重する愛国心、民主主義の価値を維持したい。それには、二つ問題がある。まずは妥協。対話は妥協を伴う。次に責任だ。自由は無限ではない。必ず責任を伴う。1930年代、米国の民主主義はニューディールで復興した。戦後の日本やヨーロッパも復興した。そのような期待を持っていきたい」と将来へ期待を込めるのでした。最後にチャーチルの言葉を紹介する、とシュタック氏、「民主主義の政府は最悪だが、その他と比べれば、よほどましだ」と。
民主主義の試練に対して、アジア各国は協力していく必要がある
次に元インドネシア外相のハッサン・ウィラユダ氏は、「グローバルに考えると民主主義の滑落が見られる。グローバル秩序の弱体化を意味するだけでなく、米国の指導者としての役割の変化、ポピュリズムへの転換が見られる。戦後、米国は世界をリードしてきたが、今は変わってしまった」と重い口調で話しました。さらに、「民主主義は常に完成品ではない。間違いから学び続け、常に改善し続けていかなければいけない」として、新たな現象として、インドネシアの民主主義はコストが高い点を指摘。例えば、お金を持っていない人が、知事や市長に立候補したいとしても、普通の人はコストが高いため立候補出来ず、その対策として正規、非正規の資金調達を明確に区分するようになったことを紹介しました。そして、「アジアの民主主義の試練にどう立ち向うか」との問いに対しては、「アジア地域を左右するのは、共に力を合わせられるかどうかだ」と主張し、各国に協力体制の確立を呼びかけるのでした。
アメリカで今も続くジャーナリストとトランプの戦い
続いてマイクを手にした司会者の工藤は、元米ナショナルプレスクラブ会長で、元AP通信東京支局長のマイロン・ベルカインド氏を紹介する時に、「2014年にトランプ氏をプレスクラブに招待し、"プーチンとは仲がいいのか、次に大統領になるのか?"」と質問したことがある、と興味ある余話を披露しました。
その話の前にベルカインド氏は言います。「2017年、米国のメディア、民主主義は、米国の歴史で、これまでにない初めての大きな危機にさらされている。米国はいつも、米国こそが民主主義の模範であり続けていたという国で、活発なメディアがあり、憧れの存在でもあった。しかし、現在、米国憲法修正第1条(言論、出版の自由など)が大統領によって正面から攻撃されている。メディアが国民の敵だ、とトランプ大統領に名指しされ、公にメディア批判をしたのだ。米国という自由の世界のリーダーが、こんなにメディアを攻撃したことはない。大統領は繰り返しフェイクニュースと言っているが、フェイクかどうかは、トランプの意見と一致しているかどうかだ。彼の意見に反するものは、全てフェイクニュースになってしまう。トランプはニューヨークタイムズやCNNも失敗していると言っているが、ジャーナリズムは政府にチャレンジしている。逆に、大統領が攻撃したからということもあるが、購読者は増えている。デジタル版も100万越えしている」と、トランプ大統領の攻撃にもめげない米マスメディアの意気軒昂ぶりを語るのでした。さらにベルカインド氏は、「ワシントンポストのフロントページに、"民主主義は暗闇の中で死ぬ"とある。民主主義に光を灯す役割として、メディアの役割を再認識した一節だ。ジャーナリストの心得はRAF、responsibility fairness accuracy 責任、公正さ、正確さだ。弁護士のように特殊な資格ではないが、ジャーナリズムは信頼がないといけない」と、ジャーナリストの気位を語るようでした。
ここでニヤッ、としたベルカインド氏。「工藤さんが言ったトランプの話をすると、今年初め、大統領選とロシアの共同疑惑のスキャンダルが出た際、ジャーナリストが質問した。"プーチンから連絡があるか"と。トランプは、"この10年、コンタクトしてない"と答えた。しかし、プーチンとのコンタクトを証言する映像が流れた。ジャーナリストは、努力を通じて民主主義を守るのだ。自由な世界での役割を認識し、誇りを持ってやっている」と、自信を持って語る同氏でした。
これまでの三人の話を聞いてケンブリッジ大学中央アジア研究所上席フェローの山中あき子氏は、「社会の強靭性が大切で、これがどう民主主義社会を構成するか、に繋がる。また、チャーチルに関する言葉として、"チャーチルの言葉と民主制国家の基本は自由である"、また"社会主義は民主主義に必要である"という言葉があります。でも"共産主義が民主主義を必要としている"は、もちろん聞いた事がない」と皮肉を込めて紹介しました。
ニューヨークタイムズ東京特派員のジョナサン・ソブレ氏は、「トランプがツイッターを好むのは、子供的な短い集中力にあっているのだろう。有権者とハイテクを使い対話出来るのはいいことであるが、しかし、そういった行動の動機には黒い部分があるのではないか。対話については、合意までどうするか考える。しかし、本来の目的はコンセンサスの作成だ。妥協の道を探るのも大切であり、完璧な合意はない。そこで"投票"する。投票が公正である限り、コンセンサスを信じることが大切。公正な投票であれば、自分の応援していた者が負けても仕方ないと納得出来る」と、これまでの経験から学んだことを語るようでした。
こうしたパネリスト全員の発言を受け、議論に入りました。
非リベラル的な方向への後退は各地で起きている
まず、改めて民主主義が置かれている状況について発言したシャタック氏は、形式的に民主主義を採用しているにすぎない「非リベラルのデモクラシー」諸国において、司法やメディア、市民が政府によってコントロールされていると問題提起。自身も深く関わった欧州の状況については、ポピュリズムの動きを押し返す局面もあるなど、悲観一辺倒ではないとしつつも、各国はそれぞれ異なる課題を抱えているにもかかわらず、EUの仕組みでは、なかなかそれに対応できないことにへの不満は根強く、「非リベラル的な方向への後退は各地で起きている」と説明しました。
民主主義にとって明るい展望もある
一方、ハッサン氏は、「グローバルなトレンドは良い方向に向っている」と語りました。ウィラユダ氏は自身の外相時に、軍政時代のミャンマーがインドネシアの民主化の動きに関心を寄せてきたというエピソードを紹介。アジアの3分の2は「非リベラルのデモクラシー」国か「権威主義」国であるものの、それらの諸国も民主主義には関心を抱いているため、選挙プロセスの改善など民主主義の導入・定着に向けたサポートをする余地は多いと指摘しました。
さらにウィラユダ氏は、民主主義体制の国よりも非民主主義体制の国の方が経済成長できるのであれば、人々は非民主主義体制の方を望むようになるのではないか、という工藤の問いかけに対しては、「例えば、今の中国は経済的に成功しているため、その点では人々は満足しているかもしれないが、そうなると次は政治的な自由を望むようになる」とし、経済的な満足の次は、政治的な満足を求めるようになると予測しました。
続いて、工藤が「各種の調査結果を見ると、政党や議会など民主主義の仕組みを構成する組織や機関が、国民の信頼を失っている。こうした状況の背景には何があるのか」と問いかけました。
「民主主義のショー」にすぎない日本の国会
東京支局特派員として長く日本政治を観察してきたソーブル氏は、現在の日本の国会論戦は、野党が負けることを大前提とした「民主主義のショー」にすぎないと日本特有の問題点を指摘。「政府・与党の動きを国会論戦を通じて修正するのは幻想に近い」とし、そうしたことから国民の信頼も期待も低下し、「結局、自民党一極支配の構図に戻っている」と分析しました。
政治家が真剣に議論する姿を見せることが信頼回復のために必要
山中あき子氏は衆議院議員として国会に出席していた頃について「日々の委員会をこなすだけになりがちであり、国家の未来について真剣に議論をしたことがなかった」と振り返り、そうした国会議員の姿を国民も見ているために、立法府に対する信頼が低下しているのではないか、との見方を示しました。
その上で山中氏は、各国にはそれぞれ異なる課題があるのだから、自国に合った民主主義のかたちを追求すべきとし、そうした過程の中で、「政治は国民の幸福に目を配りながら、未来について真剣に議論する姿を見せていく」ことが信頼回復につながると説きました。
メディアのチェック機能がこれまで以上に求められている
次に、工藤が「信頼を失っているのはメディアも同様だ。トランプ大統領の誕生も、トランプにつけ込まれたメディアの責任ではないか」と切り込むと、ベルカインド氏は、それを肯定。その上で、「今は彼に言いたい放題させてしまっているが、これからは根拠のない発言に対しては、厳しくファクトチェックをしたり、厳しい質問を投げかけることも厭わず、メディアとしてのチェック機能を果たしていかなければならない」と語りました。
また、「既存メディアはフェイクニュースを止められるのか」という工藤の問いに対してベルカインド氏は、インターネットジャーナリズムには誰でも手軽に情報発信できるというメリットはあるものの、それに対しては当然編集者のチェックは入らないという問題点を指摘。その上で、「結局、確実な対応策はなく、一つひとつ地道な検証作業をやっていくしかない。困難な作業だがやるしかない」と述べました。
ソーブル氏は、ベルカインド氏と同様に、誰もが情報の送り手となることができるインターネットメディアに対して一定の評価をしつつ、悪意を持った人間が言論の自由市場に入ると大混乱をもたらすと警鐘を鳴らしました。その上で、「ナイトクラブに用心棒がいるのと同様に、ゲートキーパーが必要だ」として「情報のフィルタリング」をどう構築していくかが今後の課題となると語りました。
最後に工藤は、危機を乗り越え、民主主義の未来にどう向かうべきかを各氏に尋ねました。
「法の支配」が民主主義にとって不可欠
ウィラユダ氏は、権利や自由の保障は重要であるものの、それは絶対不可侵のものではなく、公共の福祉などの観点から制約を受けるものだと前置きしつつ、その制約は「あくまでも法の支配に基づくものでなければならない」と語り、特に新興民主主義国家ではこうした法の支配の確立が急務であるとしました。
こうした法の支配の重要性には、シャタック氏もベルカインド氏も同意。シャタック氏は、1977年にホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の生存者が多く暮らすイリノイ州スコーキー村において、ネオナチ団体がデモ行進をしようとしたところ、村が条例によって規制したことに対して、イリノイ州最高裁判所がアメリカ合衆国憲法修正第1条に基いてデモを許可したことを紹介。その上で、言論の自由は民主主義に不可欠でり、たとえ非民主的な言論であっても法の下の平等の保護は受けると述べました。
ベルカインド氏は、1964年のニューヨーク・タイムズ紙に掲載された、南部における黒人の権利擁護運動支援を訴える意見広告で、警察の対応に関する記述に虚偽があり、名誉を毀損されたとして、警察担当の市の責任者が損害賠償を求めた事件の判例を紹介。そこでは、報道記者や編集者が、当該表現が虚偽であったことを知っていたか、その真実性を全く顧慮しなかったことを原告側に証明された場合、名誉毀損が成立すると判断されたと解説した上で、「報道の自由も法に服する。フェイクニュースだと知って、あるいは内容を検証することなく報道してはならない」としてメディアの果たすべき責任を強調しました。
民主主義を強くするための環境整備
山中氏はまず、学校で民主主義の重要性・意義について考えさせるような教育が必要と指摘。次に、多様性尊重の観点から、一つの価値観にとらわれることなく、様々な選択を可能とする社会の構築も不可欠とし、最後に、グローバルとリージョン、集団主義と個人主義、軍事と非軍事といった相反する価値、方向性について、うまくバランスをとれるような感覚を人々が身に付けることが大切だと説きました。
今こそ有識者が動く時
最後にソーブル氏が、現在、アメリカでトランプ大統領とその支持層から批判されている有識者の役割に言及。「たとえ嫌われていても、自分たち有識者ができることをしっかりとやっていく。例えば、税制の見直しなど格差是正のための取組をしたりして、『アンチ・デモクラシー』の声にもしっかりと向かい合っていくべきだ」と語ると、これに工藤も賛同。「まず言論に携わる者が動き出さなければならない。そこで流れを作れば皆が後に続く」とし、今後も民主主義の危機を乗り越えるための取り組みを続けていくことを宣言しました。
その後、会場からの質疑応答を経て、2時間30分にわたる公開セッションは終了しました。