ハッサン・ウィラユダ(インドネシア元外相)
工藤泰志(言論NPO代表)
工藤:インドネシアの元外相のハッサン・ウィラユダ氏の来日に合わせ、私たちが今、最も気になっている民主主義の問題について、いろいろな意見を聴きたい、と思います。私たちは、世界の民主主義が試練を迎えていると考えています。そうした中で民主主義は、その信頼を回復することができるのでしょうか。
政策よりも感情に訴える候補者
ハッサン:出来ると思います。今は信頼が欠如しているという状況ですが、民主主義は常に更新していかなければいけない面が非常に大きいです。先進民主国家であっても、新興民主国家であっても、民主主義が新しい状況になったら、それを更新し、改革を行っていくことは絶対、必要なことです。
民主的に選ばれたリーダーでもミスは犯しますから、当選した議員のやり方が間違っているのであれば、定期的に行われる次の選挙を通じて正していく、という機能が民主主義にはあるわけです。残念なことに、現状は民主的に選ばれたリーダーが良いリーダーではないことが、最近の例でも多く存在しています。成熟した民主国家でも、必ずしも適切なリーダーは選ばれていないわけです。また、若い新興民主国家であっても同様に、良いリーダーが選ばれていないという状況があります。これは、投票する有権者にも関連するのですが、立候補者がどのような政策を持って立候補しているのかという情報が、必ずしも有権者にきちんと伝わっていない。そうした状況で投票を迎えると、候補者は有権者の怒りとか不安に訴え、それを利用して選挙に勝つということが往々にして起きてしまいます。最近の先進主要民主国家の選挙でも、有権者の感情的な怒りや反抗心に依存してしまっている状況が見られます。
アジアの国々でも増えている民主主義への疑問
工藤:私も同感です。特に日本でも同じ現象があります。つまり、国民の不安に乗じて勇ましいことを言う政治家に国民が投票しています。本当はそうではなく、政策を適切に判断して、有権者は投票しなければいけないが、有権者が政策本位で投票するということは、なかなか難しい。しかし、そうした状況を作っていく努力が、民主主義を支える側においても足りなかったのではないか、と私は考えています。ただ、これは先進国の大きな問題ではあるのですが、アジアは少し違うのではないか、と私はこれまで思ってきました。例えば、インドネシアでは民主主義に対する期待が非常に高い。しかし今回、私たちが行ったアジアでの世論調査結果では、アジアの国々でも民主主義に対して疑問を持つ国民が増えてきている。アジアの民主主義国家では今、一体何が問題になっているのか、ハッサンさんのご意見を聴かせてください。
グローバリゼーション、ソーシャルメディア・・・
――挑戦を受けるアジアの若き新興民主国家
ハッサン:自由で、公平で民主的な選挙というものがきちんと行われていることが、民主主義の前提です。ただ、それだけが民主主義に要求されていることではありません。民主主義としてのプロセスがしっかりと動いているということはもちろんのこと、安全、安心を提供できているかということも、民主主義には必要とされています。
さらに、有権者は候補者に対する情報、つまり候補者のことのみならず、候補者が提案している政策やその内容をしっかりわかった上で、民主的な、公平で自由な選挙というものが定期的な行われているか、というところが非常に重要です。
有権者が民主主義に対して信頼を失っている理由は、もちろんそれだけではありません。自分たちは候補者を選んだが、その政府、国会、司法が役割を果たしていないのではないか、というところで最終的に民主主義自体にも不信感というものが増えてきたのだと思います。
先程も言いましたが、民主主義というものは、継続的に刷新、発展させなければいけないもので、これらをきちんと行っていくことが、信頼を勝ち取るための鍵になります。
もう一つは、世界で試練を受けている民主主義ですが、その試練の内容は、過去の政府にあったような従来型の試練のみならず、新しい試練というものも出てきています。例えば、グローバリゼーション、情報化やインターネット、ソーシャルメディアだったり、こうした時代に合わせて、この試練を乗り越えていかなければいけないのが、今の状況だと思います。こうした新しい課題に、どのように取り組み、民主主義の発展を実現していくか。発展した上で、平等な富の分配、そういうものを実感した時、民主主義は初めて刷新できるのです。この課題は、特に新興民主国家にとって非常に重大な問題です。というのも、経済的にもまだ発展の途上にある中で、こうした若い民主国家は、グローバリゼーションのチャレンジを受けながら、運営していかなければいけないのです。
それだけでなく、公平で平等な所得の分配など、更に民主主義を促進していくには、民主主義のガバナンスも問われています。民主主義というのは、手間がかかり、雑音も入り、政策決定に時間のかかるプロセスというものが、どうしても伴ってきます。そこで、民主主義にクリーンで効果的なガバナンスができるのか。そうなってくると、もう一つの問題として、民主主義では有権者の期待も高く、選挙で選ばれた人たちに1年で結果を出してほしい、という期待がかかります。同時に、ガバナンスもクリーンで腐敗のない形でやってほしい。今回の調査結果でも出ていましたが、腐敗を撤廃してほしいという願望は非常に高いです。
こういう課題は、新興民主国家だけではなく先進民主国家にもあります。ガバナンスの話でいうと、多くの民主国家で国民が民主主義のプロセスを見つつ、一方で非民主国家、例えば、絶対主義的な制度を敷いているような国の方がガバナンスの効果が高いのではないか、結果を出せているのではないか、というように見てしまっている。先程も申し上げたように、今は情報の時代です。民主主義は結果を出せていないのではないか、非民主的な絶対主義がより効果的に結果を出している、という情報が流れる中で、果たして民主主義をこのまま続けていくべきなのか、絶対主義がなぜいけないのだ、という声がどうしても上がってきてしまう。振り子のようにこういう感情が出ているという状況というのは、やはりしっかりと認識しておかなければいけません。
それから、グローバリゼーションの話もしましたが、グローバリゼーションにもマイナス点はあります。多くの人々に成長の機会を与えているというのは確かに事実ですが、一部の国とか社会の中で、一部の人たちがグローバリゼーションの中では競争出来ないという状況に晒されているというのも事実です。アメリカの所得が低い人たちがそう感じていることも、最近見た通りです。グローバリゼーションに対応出来ない人もいる、ということを考えなければいけない。例えば、ウーバーは雇用を奪うと脅威に感じている人も多くいるわけです。グローバリゼーションとか自由市場、自由貿易というのは、もちろん今後も続いていくでしょうが、やはり問題も潜在している。ただ、情報化社会ですから、ITなどはほとんどこのまま変わらず、これから何年も我々とともに共存していかなければならない。ですから、ウーバーのような新しい技術を取り入れつつ、人々の不安を取り除くことをどう両立させていくか。それは多くのニューヨークのタクシー運転手たちが感じている問題ですし、ジャカルタの運転手たちもそうです。
そういう多くの問題を解決できないと、ポピュリズムの問題もありますから、野放しで問題が悪化してしまう。選挙期間中にポピュリズム的なことを発信している人が選ばれてしまう。ただ、ポピュリズムの提案というものは、結果をきちんと見た上で発信していくものではなく、感情や怒りにつけ込んで発言をしていくという内容のものですから、彼らが選ばれて政権運営を始めたとしても結果というものはなかなか出せません。
継続的に刷新、改革していかなければならない民主主義
先程、工藤さんが、民主主義への期待が高いと言われたインドネシアの説明は、もう少ししておいた方がいいでしょう。インドネシアは良いこともやっていますが、よろしくないこともやっています。インドネシアのこれまでの経験ですが、軍事政権だった、絶対主義政権だった頃から、限られた年数の中で、完全な民主化ができたというところは素晴らしい業績だと思います。ただ、その移行に際して、最初の10年は、まず民主主義の制度をしっかり構築していこうということでした、大統領制、議会、司法といった民主主義を支える諸制度を確立していったわけです。国民に対する説明責任も確立していきました。しかもその間、1992年から2003年の間に、憲法も4回改正しました。より民主的な憲法に改正していったのです。しかも民主制という制度だけが改革をされたということではなくて、例えば、国政レベルでも地方レベルでも、より民主的な選挙というものが非常に促進されました。国政でいうと、これまで3回大統領、副大統領選挙が行われました。地方自治体の知事や首長の選挙でも、平和裏に政権移行がなされてきました。人権も保護されて、大きな成果を上げてきたと思います。
ただインドネシアにとっては、同時に経済発展の促進もやっていかなければいけない、という点は非常に重要だと思います。民主制度というものがガバナンスとして整った。次の段階として、やはり国民は生活環境の改善を期待しているわけです。これがインドネシアのような新興民主国にとっては非常に大きなチャレンジです。振り返って見ると、最初の10年というのは駆け足で民主主義の制度を作った。時間が限られた、短い期間の中で作ったから、そこには弱みというものもたくさんあります。そこはこれからきちんと国を挙げて、民主主義というものを発展させていかなければならないし、私自身も声を上げていくつもりです。正しい方向で民主制度が整備されているか、が問われてくると思います。国民は今、民主制度の選挙にはお金がかかるし、マネーポリティクスにもなっている・・・と感じているでしょう。そういう状況であるが故に、これから継続的に刷新、改革をやっていかなければなりません。それは新興民主国家にとっても、先進民主国家にとってもやらなければならない課題であると思います。それが唯一、有権者の民主主義に対する信頼を取り戻す術だと思います。
民主主義の困難を乗り越えるために、すべきこととは?
工藤:ハッサンさんのお話を伺って、民主主義に対してここまで強い思いを持っている方がアジアにいるということは非常に嬉しいことです。私は、今のインドネシアと比べると日本の民主主義のガバナンスの仕組みというのはある程度整っていると思います。ですから、多くの国民は民主主義を所与のものとして慣れてしまい、民主主義はなぜ重要なのか、ということを十分に考える機会はなかなかないわけです。しかし、ハッサンさんがおっしゃったように、民主主義というものは、それを使いこなし、民主主義の仕組みの中で課題を解決していくというサイクルを動かしていく。つまり、成果というものを出していかないと、民主主義に対する人々の疑念が大きくなっていってしまうことを私は懸念しています。
今回の世論調査で日本の状況を見た時に、日本の国民は日本の政党に対してほとんど期待していない。日本の将来に対して不安を抱えながらも、その解決を政党に対して期待している人は本当にごくわずか。しかも、国会もメディアも信頼していない。この結果を見て、日本でも民主主義というものを考えなければならない重要な局面に来ているのではないか、と思うわけです。やはり、民主主義というものを定期的にきちんと点検しなければならない。その重要な局面に日本はいる。そこで、一言お聞きしたいのですが、我々はアジアの民主主義の困難を乗り越えるために、今何をすべきなのでしょうか。私は、民主主義を考える人々が声を上げたり、対話をしたりするなど民主主義の改善のために行動を始めるべきだと思っているのですが、ハッサンさんはどのようにお考えでしょうか。
多国間で対話を通じ、民主主義の促進を
ハッサン:工藤さんが言われた、民主主義は今、有権者の信頼を失っているというのは、日本だけの問題ではなくて、インドネシアでもそうですし、その他の先進民主国家が抱えている問題だと思います、特に、成熟している民主国家であれば、その刷新をもっとやっておかなければならなかったはずなのですが、やはり経済的な事情もあるでしょうし、今の姿がもう当たり前のようになっていて、「果たして本当に刷新する必要があるのか」となってしまう。生活状況が良いのであれば、民主主義を改善していくということは二次的な課題となってしまう。変化をあえてしなければならないというような緊迫感、緊急性もなくなっていく。そういうことが問題としてあると思います。
特にこの間アメリカで見られたように、中間層またはそれ以下の人たちが、自分の生活に満足できなくて抗議を始め、それが今回、ポピュリストという形になっていった。日本では、直近でポピュリストの危機というものはトレンドとしてないかもしれませんが、しっかりと刷新をしていかないと危機というものは起り得ます。
アジアに関するご質問ですが、これから一緒になってアジアで何が出来るのかというと、民主主義の促進ということをやっていかなければなりません。民主主義のさらなる発展のために努力しなければなりません。この地域の中で、戦略的なアジェンダとして民主主義の促進を掲げるべきだと思います。色々な国がアジアの中で集まって協力をしていく。それはこれから必要になってくると思います。多国間で対話をし、経験や成功事例を共有したり、ということです。こういうことをやるためには、信頼というものがなければいけません。民主主義の促進は価値の促進と同義だと思います。ただ、価値の押しつけになってはいけません。対話を通じて経験を共有する、成功事例を共有するということを、対話を通じて行うことが、お互いに対する信頼を生み出す道程だと思います。
そういう意味で言論NPOの取り組みは、政府も市民も巻き込み、トラック1、トラック2という形ですでにやっていますので、もちろん重要です。もっとこの取り組みを拡大していく、ということが、これからやっていかなければならないことです。参加国を増やしたり、市民社会から多くの参加を得るということを、まず東アジアでやる。それをアジア全体に広げていく。困難なことは多いとは思いますが、今後そういう取り組みを続けていくべきだと思います。
工藤:有難うございました。