セッション1:戦後70年における平和と民間外交の役割
セッション1では、「戦後70年における平和と民間外交の役割」をメインテーマに、日本側からは、川口順子氏(元外務大臣、明治大学国際総合研究所特任教授)、田中均氏(日本総合研究所国際戦略研究所理事長、元外務省政務担当外務審議官)、大野博人氏(朝日新聞社論説主幹)が、ドイツ側からは、フォルカー・シュタンツェル氏(前駐日ドイツ大使)、マティアス・バルトケ氏(独連邦議会議員、日独友好議連副団長)、アンドリュー・ホルバート氏(城西国際大学招聘教授)が参加し、活発な議論が繰り広げられました。
今回のシンポジウムの意義とは
まず、本格的な議論に先立ち、言論NPO代表で、本対話の司会を務める工藤が、主催者挨拶に登壇しました。工藤は、今回の対話のテーマが、3月に行われた国際シンポジウム「戦後70年、東アジアの『平和』と『民主主義』を考える」と同様に、「平和と民主主義」であることについて、「このテーマにこだわるのは、この2つの重要な価値が現在、危機に直面しているからだ」と述べました。「平和」に関しては、大国によって平和的な秩序が侵害されている、「民主主義」に関しては、国境を越えた課題に対しては、民主主義が対応できていない、という現状がある、と指摘した上で、「戦後70年という節目の今年、この課題に正面から取り組み、新たな展望を切り開いていくためのスタートにしたい」と今回の対話の意義を強調しました。
続いて、ドイツ側を代表して主催者挨拶に登壇したサーラ・スヴェン氏(フリードリヒ・エーベルト財団東京事務所代表)は、同財団が20年前から日独の戦争責任をテーマに議論をしてきたことを紹介した上で、その教訓として「歴史を議論することには様々な軋轢を伴う。しかし、それでも歴史を見据えながら対話をしていかなければ未来は切り開けない」と述べました。そして、今回の対話に対して、「『平和』と『民主主義』を考える上で、様々な示唆を与えてくれるであろう」と大きな期待を寄せ、挨拶を締めくくりました。
次に、多忙の中、本対話のために駆けつけたハンス・ヴェアテルン駐日ドイツ大使から、祝辞をいただきました。
大使は、ドイツがフランスやポーランドと和解をしてきたことに触れながら、「歴史に終止符を打つことはできない。過去を絶えず認識しているからこそ、現在に誇りを持つことができる」と述べ、歴史に対する取り組みは、そのまま近隣国との和解のプロセスにも直結するとの認識を示しました。
大使は続けて、日独は様々な前提条件が異なると前置きした上で、「それでも絶えず関係国との対話を模索していくことが大事だ」と会場に詰めかけた多くの日本人に対して語りかけました。
戦後ドイツは過去をどのように克服したのか
本格的なセッションに入り、まず、ドイツ側基調報告に登壇したバルトケ氏は、戦後ドイツの過去の克服について、4つの段階に分けて解説しました。
まず、第1の段階を「忘却」とした上で、「終戦直後のドイツは、復興と再建が最優先であり、国民は過去を直視していなかったし、したくもなかった。自国の戦争犯罪について知らず、ただ茫然としていたドイツ人は軍事的のみならず、倫理的にも敗戦していた」と述べ、こうしたドイツ人の消極的な姿勢を「過去に対する抑圧」と表現しました。
ただ、バルトケ氏は、その後、「アウシュビッツ」の徹底周知など、アメリカによる再教育などが効果を発揮し、初代西ドイツ大統領のテオドール・ホイスがドイツ人の集団的責任について、「責任はなくても恥辱はある」と発言するなど、ドイツ社会の過去に対する認知度は大幅に向上した、と述べた上で、「特に、1963年のアウシュビッツ裁判がその流れを確固たるものにした」と説明しました。
続いて、バルトケ氏は、第2の段階である「罪をめぐる論争」では、そのアウシュビッツ裁判が、特に若い世代に対して大きな影響を及ぼし、ナチス関係者がいまだ残っていた政界に変革を促し、それがヴィリー・ブラント率いる社民党政権の誕生をもたらした、と解説しました。このブラントは隣国との和解、特に東欧との関係改善を最優先し、「新東方政策」を推進しましたが、バルトケ氏は、ポーランドとの条約調印の際、ブラントがワルシャワのゲットーの前で跪きながら献花したことが、「ドイツの和解における大きな流れを作った」と述べました。実際、その後、ドイツとポーランドの間で歴史教科書に関する共同研究が始まると、一部の歴史学者の中から「スターリンやポル・ポトなども同じことをした」というようなナチス犯罪を相対化する試みも見られましたが、この論争では、多くの学者によって「ホロコーストは比較不可能な戦争犯罪である」と結論付けられたことが紹介されました。
バルトケ氏は続く第3の段階「歴史的な罪の受け入れ」では、1978年頃から、ホロコーストに関する映画やドラマなどにより、歴史的な罪に関する国民の意識が高くなったと述べました。一方で、それが自国に対する批判的な態度につながり、「嫌独」の風潮と、ドイツに代わる「母国」としてのEUへの期待が広がった、と指摘しました。そして、「この第3段階のクライマックスとして、1985年のリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領による第二次世界大戦終結40周年記念演説がある」と説明しました。
バルトケ氏は、最後の第4段階である「過去からの解放」では、「この自国に対する批判的な流れが変わってきたのは、多くの移民系がドイツ代表に入っていた2006年のサッカーワールドカップであった」と振り返り、スポーツの果たす役割の大きさを指摘しました。そして、暗い歴史に対して、地道に取り組んできたことが、「国の人気」に関する世界的な世論調査で、ドイツがトップにランキングされた、特にイスラエルでさえも、ドイツが一位になっていたという結果を紹介し、「60年以上かかった長い道程だったが、その最後にはドイツはその自己認識と国際社会における位置を再定義できた。ここまでやって初めて『過去からの解放』が見えてくる」と述べ、基調報告を締めくくりました。
戦後70年間の日本の歩みと成果、そして残された課題とは
続いて、日本側基調報告に登壇した川口氏は、本対話のテーマである「平和」と「民主主義」について、「戦後70年の今年、日独が会したシンポジウムにおいて取り扱うのにふさわしい重要なテーマ。かつ、国際政治の展開を鑑みると、『戦後70年』及び『日独』というキーワードを超えた、多面的な次元からの思考を必要とする大きいテーマ」と述べました。
続いて、川口氏は、戦後70年間の日本の歩みと成果として、「平和憲法の下、平和国家として、民主主義、自由、法の統治、市場経済等の価値観を他の国々と共有しながら発展してきた。その成果をODAとしてアジア等の発展途上国のインフラ形成に、PKO等の平和維持活動に、災害、感染症、環境等の国際的公共財維持のために活用し、国際的ガバナンスの維持に貢献してきた」と述べました。
その一方で、残された課題として、「近隣国との和解の実現」をあげました。川口氏は、「中国、韓国とは法的な和解は成立している。しかし、様々な努力にもかかわらず、国民感情のレベルでは真の意味での和解は成立しておらず、しばしば政治・外交問題化している」と指摘。この和解を成し遂げるためには、「日本側には真摯で率直な反省とお詫びが求められるが、他方で相手側も謝罪を受け入れ、『いつまで謝罪するのか』と謝罪のゴールが見えない状況にしてはいけない」とした上で、そのためには「両当事者間に、この問題を過去のものにして新たな発展に向かおうとするとする共通の強い意思があるかどうかが鍵」と述べ、それができなければアジアは不安定な地域になってしまうと警告しました。
国境を越えたグローバルな課題に対しては、民間の活躍は不可欠
続いて、川口氏は、「グローバル化の進展、パワーバランスのシフト、大国による力による現状変更の動き、テロ等の安全保障問題、破綻国家の存在と難民の増大等の新しい状況が出てきている。これら課題に対応できる新たなガバナンスの仕組みをいかに作るか」ということを、各国が直面している共通の課題として提示しました。そして、この課題に取り組む上で、「民間外交」の役割に期待を寄せました。川口氏は、民間外交が求められる背景として、「拡大するパブリックと縮小する政府」という状況を指摘し、特に、国境を越えたグローバルな課題に対しては、NGOなど民間の活躍は不可欠である、と主張しました。
川口氏は、民間外交が直面する具体的課題として、「信頼醸成、国際交流を切れ目なく行えるか。アジア太平洋地域の将来像を作り共有していくことに貢献できるか。和解のロードマップの全体像を示せるか。新たなガバナンスの枠組み改革に知恵が出せるか」を提示し、報告を締めくくりました。
続いて、討論に入り、まず司会の工藤が、ドイツ側に対して、近隣国との和解を進めていく上で、日本にとっての教訓になることは何かと問いかけると、シュタンツェル氏は、「戦争を直接経験した『第一世代』は和解に向けた動機が強い。しかし、戦争を直接経験していない若い世代は『記憶の共有』がないため、動機が弱い。時間の経過は『集団的な記憶』を変容させてしまう大きなファクターである」と指摘した上で、「若い世代も和解に積極的に取り組むようにするためには、和解によって得られる新たな利益を提示していく必要がある」と述べました。
東アジアで共有しうる未来のビジョンを打ち出す流れを、政治がつくり出せるか
続いて発言した田中氏は、日本で和解が進まなかった背景として、まず、「ドイツはナチスの存在が、戦前と戦後を断絶させたが、日本の場合、天皇制が存続するなど、戦前からの連続性がある」と指摘。また、日中韓各国で、ポピュリズム的な傾向が高まった結果、政治が過熱した国民感情に反応せざるを得ないことや、国力のバランスの変化により、中韓両国の発言力が強まってきたことなども一因と指摘しました。
そして、シュタンツェル氏の指摘する通り、「和解に時間はかけられない」とした上で、「8月の安倍談話は大きなチャンスになる」との見方を示しました。田中氏は、「村山談話など過去の談話を踏襲し、近隣国の信頼を得た上で、東アジアで共有し得るものとして未来のビジョンを打ち出すことが、和解につながっていく。その流れを政治がつくり出さなければならない」と主張しました。
国は『金は出すが、口は出さない』姿勢で、民間側の自主的な取り組みを促進することが大事
田中氏の発言を受けて、ホルバート氏は、「日本のメディアは安倍談話の「謝罪」の有無ばかりに焦点を当てているが、それ以前に必要なプロセスがある」と指摘し、その具体例として「歴史和解のためのプロジェクト」をあげました。ホルバート氏は、「独仏では、1963年のエリゼ条約締結以降、相互に資金を出し合い、様々な草の根の民間交流を支援してきた。これは和解のための基礎作りともいうべきものである」と述べました。さらに、「日本では、政府ではなく、自治体や民間交流団体などのノン・ステート・アクターがそういう取り組みをしている。しかし、政治情勢の悪化によりすぐに交流イベントが中止されてしまう」と日本の市民社会の弱さを指摘しました。ホルバート氏は最後に、「謝罪も確かに必要だが、まず必要なのは民間の交流を強いものにしていくために、国が支援していくことだ。しかも、『金は出すけれど、口は出さない』姿勢で、民間側の自主的な取り組みを促進することが大事だ」と提言しました。
和解を進める上で必要なのは、歴史教育を含めた「民間交流のストラクチャー」の構築
三浦氏は、自身が所属する朝日新聞社が今年実施した日独共同世論調査結果を基に発言しました。三浦氏はまず、周辺国との関係が「うまくいっている」と考える日本人は46%にとどまっている一方で、被害国への謝罪を「十分にした」と考える人が57%と、9年前の調査よりも20ポイント以上増加していることを紹介し、「日本人の中に『謝罪疲れ』があるのではないか」と分析しました。続いて、ドイツ人の68%がニュルンベルク裁判の内容を「知っている」ことに対し、日本人が東京裁判の内容を「知っている」のは33%にすぎないことを紹介した上で、「日本においては、歴史はイデオロギーの問題として、専ら政治の舞台でしか議論されず、教育で語られない」と指摘しました。
三浦氏は最後に、和解を進めていく上で必要なこととして、歴史教育を含めた「民間交流のストラクチャー」を構築することが必要だと指摘し、発言を締めくくりました。
日本は近隣国との和解が進まない中、局面を変えるために必要なことは何か
パネリストの議論を受けて、工藤は、「和解には相手側の寛容も不可欠ということもあり、現状ではなかなか進んでいない。日本はどうすればこの局面を変えられるのか」と問いかけました。
川口氏は、「周辺国との対立は何も生み出さないため、いかなる国の政権も関係改善を望んでいる」とした上で、「何を共通の利益とするか、共通の理解がないと、『積み上げては壊す』を繰り返してしまう」と指摘しました。
これを受けて、シュタンツェル氏は、「グローバルな課題の中に、共に取り組むべき課題は多い。その中で協力を進めていくことは、まさに和解のプロセスそのものだ」と述べ、地道な取り組みが必要だと説きました。
田中氏は、特に日中関係改善に必要な視座として「40年」というキーワードをあげました。「黒船来航による開国以降、日中関係は40年間隔で大きく動いている。今から40年後の2050年代には、中国も発展は止まり、日本と同じ課題に直面している。今からそこを見据えれば自ずと共通のビジョンは見えてくる」と主張しました。
三浦氏は、「相手国と議論する以前に、そもそも日本自身、国内で歴史やビジョンについて徹底的に議論されていない。これでは相手国と共通のビジョンに達せるべくもない」と指摘し、「まずは日本社会の中から始めるべきだ」と主張しました。
議論を受けて、工藤は「課題を共有すれば、その解決のための議論が始まる。戦後70年という節目のタイミングで、周辺国と課題を共有しながら和解をしてきたドイツと対話をして、多くの示唆を得られた意義は非常に大きい」と述べ、白熱した第1セッションを締めくくりました。