日本の民主主義は大丈夫か

2018年8月02日

2018年7月31日
出演者:
内山融(東京大学大学院総合文化研究科教授)
中北浩爾(一橋大学大学院社会学研究科教授)
吉田徹(北海道大学法学研究科教授)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)

⇒ 日本の政治・民主主義に関する 世論調査


 アジア、そして世界の民主主義は現在困難に直面している。では、日本の民主主義はどうか。言論NPOが実施した世論調査からは、日本の民主主義もまた揺れ動く様が浮き彫りとなっている。それでは、問題はどこにあるのか、そしてそれはどうすれば立て直すことができるのか。日本の民主主義を見つめ続けてきた3氏が語り合った。


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世論調査結果から見えてくるもの

1_kudo.jpg 議論の冒頭、まず工藤が5月から6月にかけて言論NPOが実施した「日本の政治・民主主義に関する世論調査」の結果概要について説明。この結果を受けて議論が展開されました。

1_uchiyama.jpg 内山氏は、民主主義体制を支える組織・機関のうち、「国会」、「首相」、「政党」、「メディア」など民主主義を支える組織に対しては、「信頼していない」という回答が5割から7割近くにのぼっている一方で、「民主主義というシステム自体に対する信頼感はまだ残っている」という点に着目。したがって、この信頼感が残っているうちに手を打ち、システム自体への不信に発展させないことが重要だと語りました。

 内山氏はさらに、ポピュリズムについても言及。ポピュリズムは既成政党に対する不信から出ているとした上で、「果たしてポピュリズムは民主主義を破壊するものなのか。逆に刷新するということはないのか」と新たな論点も提示しました。


yoshida.jpg 吉田氏は、自国の将来を悲観する日本人が6割となった結果について、ピュー・リサーチ・センターなど他の調査機関が実施した調査では、他国でも同様の傾向が見られると指摘。

 そして、将来への悲観論はポピュリズムとも密接な関係があると切り出し、特にアメリカでトランプ氏に投票した層、フランスでル・ペン氏に投票した層などは、まさに将来を悲観している層と重なるものであるため、悲観論の拡大はポピュリズム台頭の予兆でもあると警鐘を鳴らしました。

 また、気候変動など議会制民主主義と選挙のサイクルでは対応しにくい超長期の問題の存在なども、既成の政治に対する不信と悲観の拡大につながっていると解説しました。


1_nakakita.jpg 中北氏は、民主主義体制を支える組織・機関に対する信頼度について、「まだ日本は高い方だ」と指摘。さらに、ポピュリズムについても、欧州のような深刻な状況ではないとし、そうした要因としてまず、日本の国家としての自律性(EUのように主権を制約する存在がない)こと、さらには中国、北朝鮮など非民主主義国家が間近にあり、その国内事情が伝わってくる故に、民主主義の正当性を実感できることなどを挙げました。


政党と立法府が抱える問題とは

 各氏の発言を受けて工藤は、「民主主義そのものの危機ではなく、代表制民主主義の危機ということなのか」と問うと、内山氏は即座に肯定。そして、「代表の決定がすなわち国民の意思になるということが、フィクションにすぎないことが露呈してきている。代表の意思と民意の乖離が大きいことに皆が気付いた」と指摘。それが代表制民主主義の危機を招いていると語り、同時にそれは政党政治の危機とも重なっていると語りました。

 これを受けて吉田氏も、既成政党が民意を反映していない不満が「ポピュリズムを呼び込んでいる」と述べました。

 次に工藤は、日本の政党が、政府(行政)に対する賛否を示すだけで、立法によって課題を解決していくという本来的な機能を果たしていない現状についての見解を問いました。

 中北氏は、特に政治改革以降、立法府には独自の役割を期待するというよりも、むしろ行政府の活動を阻害するべきではないという認識が広まり、それがますます国会の役割を宙に浮いたものにしてしまっていると分析。

 また、「維新がリベラル、共産が保守などと言われるように、政党自体のイメージが、指導層と一般国民の間でシェアされていない」という事態も、政党を変容させる要因となっていると指摘しました。

 内山氏は、党議拘束の問題について言及。例えば、イギリスなどでは、与党議員も党議拘束から外れて政府を批判することで、立法が行政監視機能を果たしているが、日本ではそうした状況になっておらず、それがますます政党と立法府の存在意義を低下させていると語りました。

 吉田氏も中北氏と同様に、現在の行政府優位と首相官邸主導の構造は、1990年代の政治改革と行政改革の帰結だったと振り返った上で、立法府の役割のうち、野党に焦点を当てました。そこでは、政治改革による小選挙区制の導入によって政権交代可能な民主主義がつくられたものの、それに伴って野党は行政府に対するチェックアンドバランスと同時に、政権担当能力も証明しなければならなくなったと解説。それがある種の野党の分断にもつながり、引いては全般的な国会や政党に対する不信にもつながっているとの認識を示しました。


「見える化」していく工夫が必要

 中北氏は、国会や政党に対する不信の要因は政治改革以外にもあると問題提起。実際には国会内でも政党内でも議論や審議は積み重ねられているにもかかわらず、それは外部にいる国民からは見えにくいため、「何もしていない」と不信が高まっていると語りました。

 吉田氏は、そうした審議の見えにくさを「見える化」していくためには、「森友文書」書き換え問題についての野党合同ヒアリングなど、見せるための工夫をしていくと同時に、実質的な法案審議ができるように、超党派で国会改革をしていく必要があると語りました。

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民主主義は代表制民主主義だけではない

 吉田氏は同時に、民主主義は代表制民主主義だけではなく、「色々な層」によって成り立っていると指摘。具体的には、デモや陳情などを挙げ、そうした代表制民主主義以外のところに層にも焦点を当てていくことで、民主主義に厚みを持たせていき、それが終局的には代表制民主主義に対する信頼の回復にもつながっていくと主張しました。もっとも、デモに関しては国際的な比較を見ても、日本では「温度が低い」と語りました。

 これを受けて中北氏も、戸別訪問の禁止など選挙運動規制や、NPOの政治活動への関与規制など、様々な法規制が強いことを紹介し、「政治参加の機会が制約されている、政治参加を奨励するようなシステムになっていない」と指摘。それが「代表制民主主義の足腰を弱くしている」が、政党の方にもこうした問題についての関心が見られないと問題提起しました。


民主主義体制と権威主義体制

 次に工藤は、グローバル化の進展とその弊害が顕在化する中、現在の世界の趨勢として、権威主義的・非民主主義体制国家の意思決定のスピードが人々にとって魅力的に見えると同時に、民主主義がその支持を失ってきているという問題点を提示。これについての各氏の見解を問いました。

 内山氏は、リーマンショック以降、グローバル化の反動が顕著になり、そうした中でイギリスではジェレミー・コービン労働党党首、アメリカではバーニー・サンダース上院議員など、"社会主義者"が多くの支持を集めたことに象徴されるように、「グローバル化に対する民主主義からの再自己主張が出てきている」とし、それは既成の政党に対する不信ともつながっていると語りました。

 吉田氏は、ロシア、トルコなどを、旧来の権威主義国家よりは「少し民主主義寄り」である「競争的権威主義国家」と評した上で、新興民主主義国家がそれらの国々と同じような志向を強めているとしました。同時にその一方で、日本やアメリカなど「古い民主主義国家」は逆に民主主義からやや後退しているとし、その結果、権威主義と民主主義が「収斂してきている。リベラルデモクラシーがリベラルではなくなり、非リベラルなデモクラシーが台頭してきている」と分析しました。

 中北氏はこれに対し、「収斂まではしておらず、やはり両者には本質的な差がある」としつつも、現在、「これまで先進民主主義国が繁栄していたから民主主義も良いものと思われていたが、中国の方が繁栄してきたのであれば中国のモデルの方が良いのではないか」という風潮が国際的にも広がっていることを紹介。これを深刻な問題として懸念を示しました。

 もっとも、日本に関しては、「中国のようにはなってはならない、という風潮が強い」ために、逆説的には「それほど悲観する状況ではないものとなっている」と語りました。


代表制民主主義に対する信頼を取り戻すためには

 これまでの議論を受けて工藤は、「では、どうすれば代表制民主主義に対する信頼を取り戻すことができるのか」と問題解決の処方箋を求めました。

 内山氏は、「特効薬、万能薬のようなものはない」とした上で、道徳や教育の重要性を指摘。経済でも軍事でも世界一の国(アメリカ)の大統領が、事実を捻じ曲げないなどごく当たり前のことさえできていない状況の中では、そもそも道徳面から見直していかなければならないと主張。

 同時に、有権者の側についても、政治的リテラシーを高める必要があるため主権者教育を充実させていくべきとしました。

 また、有権者に適切な判断材料を提供するためにも、例えば国会審議の内容を丁寧に整理し、紹介するような役割を、メディアやNPOなどに求めました。

 吉田氏は、第二次世界大戦後のリベラルデモクラシーというものは、冷戦構造や、戦後の平等と高度成長などの諸条件によって偶然、運良く支えられてきたものだとし、「戦後70年の安定はむしろ例外的」と指摘。その上で、今後については「悲観的」と率直に吐露しました。しかし、民主主義の良さとして、「駄目だったらやり直しができること」を挙げ、そこから「民主主義のレジリエンス(復元力)を高め、様々な問題に対応できるような"幅のある"民主主義を作っていく」ことが、これから民主主義が生き残るためのポイントになると語りました。

 また、公職選挙法など法制度の問題点についても言及。例えば、現行法では選挙期間が他の先進国と比較しても短期であるため、「与野党がきちんと政策論争をするような時間を確保する。そして、有権者がそれを判断できるような期間に設定すべき」と提言し、そうした議論を通じて代表制民主主義のあり方を考えていくことの必要性を訴えました。

 さらに、政党の信頼回復については、「代表民主主義を直接民主制の方に引き寄せる」という発想から、「政党の候補者リクルートメントを多様化」し、2世、3世だけではなく、様々な背景を持つ人々が議員となる道を開くことを、政党自身も考えていくべきだとしました。

 中北氏は、先述のように日本の場合には地政学的な要因などから、「安倍首相も言っているように、リベラルデモクラシーを擁護することが日本にとっての国益になっている」ことや、「EUとは異なり、ポピュリストが誕生しにくい構造になっている」ために、日本の民主主義は当面は安定的との見通しを示しました。

 しかし、安倍政権も、例えば抜本的な社会保障と税の改革を先送りし続けているように、中長期的な将来を見据えた政治の課題解決能力については「悲観的」とし、これをどう克服するかが代表制民主主義にとっての大きな課題となると述べました。

 議論を受けて最後に工藤は、「一つの問題提起となる議論だった。今後もこうした議論を係属していく」と語り、セッションを締めくくりました。