2019年7月17日(水)
出演者:
内山融(東京大学大学院総合文化研究科教授)
中北浩爾(一橋大学大学院社会学研究科教授)
司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)
課題解決に向けて強く機能する民主主義を実現させるには何が必要なのか、日本を代表する2人の政治学者を招いて議論しました。
工藤:参議院選挙の投開票日直前ですが、今日は日本の民主主義という問題について議論していきたいと思っています。
私たちは、選挙の前に、日本の民主主義に関する世論調査を行いました。その中で、驚くべき現象が出てきました。それは、特に若い世代が中心なのですが、日本の政党や国会、つまり我々が一票を投じて自分たちの代表を選び、その人たちに委託するはずの代表制民主主義のシステムというものを「信用していない」という現象です。これは、実はヨーロッパでも同じで、ヨーロッパの政党から市民が退出しているということがよく言われていますが、日本でも同じような現象がある、ということがよく分かりました。
私たちは、選挙というものの役割が非常に大事だと思っていますが、一方で、我々が参院選の公約を評価したところ、ほとんど採点ができないほど、名ばかりの「公約」になっていました。つまり、選挙を軸とした、国民に向かい合う政治が日本で機能していないことが、民主主義に対して大きな不信をつくり上げているということを、改めて浮き彫りになったわけです。
今日は、この問題を、日本の民主主義を専門にしている東京大学大学院総合文化研究科教授の内山融さん、一橋大学大学院社会学研究科教授の中北浩爾さんと共に議論していきます。
現在、参議院選挙の真っ只中ですが、私たちが公開した世論調査結果では、参院選の争点は「日本の将来」という声が34.0%で最も多かったのですが、残念ながら、将来に向けた論戦が起こっているわけではない。こういう今の選挙戦の状況を、皆さんはどうお感じになっていますか。
「老後2000万円」問題が争点にならなかったのは、与党の選挙対策と同時に、
対案を提示できない野党の力不足が原因
内山:おっしゃる通り、大きな争点として、例の「老後資金2000万円問題」があり、年金・社会保障は、実際に世論調査を見てもそれなりに注目を浴びているようですが、実際、有効な政策対立になっていません。与党は「今のシステムでいいのだ」と言って、野党も「充実すればいいのだ」と。それが本当に将来的に持続可能性のある社会保障のシステムなのか、という像が全く見えてこない。これはかなり困った状況だ、という気がしています。
工藤:今、内山さんが言われた件に関しては、私も「老後2000万円」の問題は、ひょっとしたら、選挙戦においては、生活感覚で政治を考える貴重なチャンスで、大きな争点になるのかと思ったのですが、封じ込められてしまった。つまり、そうした問題を選挙戦の争点として深堀りしたくないような、政治的な意思が与野党にあるのかな、と逆に思ってしまいました。
中北:おっしゃる通り、「老後2000万円」の問題は個々の国民の生活にかかわる問題で、国民からすると、選びやすい争点、考えるきっかけになる争点だったと思います。ただ、与党からすれば、選挙を考えるとその議論自体を封じ込めるということは政治的には当然で、これまでも低投票率で、「寝た子を起こさない」形で、基礎票に頼って安定的に勝ってきたので、今回も、争点が出てこないという方向に持っていった。ただ、問題を考える上では極めて稚拙だし、きちんとした財政検証をやって、年金問題を考えていく、あとは財政再建も含めて考えることが必要だと思います。
ただ、与党に対して野党の力があまりにも弱いというのも大きな問題です。この問題を考える上で、国民年金では月に5万円が足りないとなると、生活している人は不安を抱える。我々の世代でも不安を感じていますから、どうやって低年金の人、老後資金が不足していると感じている人たちの最低保障をどうしていくのかが課題になるはずです。野党として、消費増税の凍結を主張してしますから、有効な対策を打ち出しにくい状態です。立憲民主党の枝野代表は、医療・介護などの自己負担額に上限を設ける「総合合算制度」ということを主張していますが、それは当面の対策にすぎません。その結果、与党に対しての圧力が弱く、与党が逃げ切れる、という悪循環に陥ってしまっている。まずは野党が、きちんとした迫力のある提案を持ち、与党の怠慢に対してチェックを入れていく必要があると思います。
社会保障など長期のビジョンで合意を形成するためには、
選挙の争点にしない形で与野党で合意に持っていく仕組みが必要
工藤:今、中北さんがおっしゃった通りなのですが、「老後2000万円問題」というのは、我々のマニフェスト評価会議でも、ほとんどの会議でその話が出ました。つまり、年金のシステムの安定を取るか、今後もらえる額の安心を取るか、ということです。
日本の社会は、団塊の世代が2022年から後期高齢者に入り、その下の団塊ジュニアということまで考えると、これからどんどん高齢化が進む結果、莫大な社会保障費が必要になってきます。しかし、国民はそのような将来に不安を持ちながら、選挙戦でそうした対策が全く議論されない。今回の参議院選挙は「選挙とは何なのか」ということを考える、貴重な機会だと思っています。
内山:民主党政権の頃までは、自民党も民主党もそれなりに、ある程度長期的なビジョン、社会保障にしても、それこそ「消費税をある程度上げても、しっかりと給付を充実させた普遍的な社会保障にする」といったビジョンを掲げていたのですが、最近は1年、2年の非常に短期的な視野で政策を打ち出している感じがします。社会保障などは、まさに100年単位でのビジョンが必要なのですが、そういった長期のビジョンが、与党も野党も欠けている気がします。
工藤:内山さんの指摘したことは重要で、政党の中に政策を立案する力があるのか、といった疑問があります。一方、「政策」と「選挙」とは違うのか。つまり、候補者が当選するためにはあまり本音を語らない方がいいという自粛のような仕組みがあるのか。選挙というのはイベントとして早くクリアしていきたい、というだけだとすれば、主権者が国民ということではなく、民主主義の仕組みが形骸化しているということになる。これはどう考えればいいのでしょうか。
中北:政党として選挙で掲げやすいもの、掲げたくないものがあって、おそらく一番困難なのが消費増税ですよね。ここには触れたくない。ただ、社会保障の抜本的な対策を講じるためにはこの問題について考えざるを得ないということは、おそらく野党も、本音のところでは一致していると思います。
そうだとしたら、選挙の争点とは別に合意形成をきちんとしていくこと、2012年の三党合意のような形が必要です。当時、あの自公民の三党で、選挙で蒸し返さないようにしよう、ということでいうことで社会保障と税の一体改革に関する合意を行いました。まずそれを崩したのは安倍総理で、結局、野党の方も、消費増税凍結ということで、両方が崩してしまう結果になった。私は安倍さんの方に主たる非があると思いますが、ただ、これを選挙で問うのは、現実にはハードです。ですから、選挙の争点にしない形で、どうやって与野党の合意をそれ以外のところでつくっていくのか。そういった中長期的な合意形成のために、今のシステムが本当に適合的なのか。もう少しそういうところを考えていかないと、全ての争点を選挙の場に上げて決めていきましょう、という形では、この問題はなかなか進まないのではないかと思います。
有権者を馬鹿にする政党と、政治を無視する有権者の悪循環
工藤:ちょうど欧州議会選挙があったときにベルリンを訪問したら、スウェーデンの高校生が、「このまま行ったら地球がおかしくなるかもしれないのに、今の既成政党は全く未来について責任を持ってくれない。我々はこういう政党に託していいのだろうか」と気候変動の問題をPRするわけです。そうした動きが非常に大きなうねりになり、政治の大きな変革を促していました。
一方、日本はどうなのでしょうか。日本の将来に対して、多くの国民は不安を感じている。しかし、それに対して既成政党が全く向かい合わない。そうであるなら、自分たちの人生をその政党や政治家に託せばいいか、分からなくなるのも当然だと思うのです。これは「民主主義の危機」ではないのでしょうか。
内山:一つは、政党の側と有権者の側にかなり齟齬があることが挙げられます。まず政党の側が有権者を馬鹿にしているのではないかと思います。ある調査によると、有権者は、政府を信頼していれば増税を受け入れる、というデータがあります。しかし、政党側は「増税なんか言ったら有権者はノーと言うに決まっている」、むしろ、「とにかく目先の甘い飴をぶら下げた方が、選挙には勝てるのだ」と考えている。そういう意味で、今、どの政党も有権者を馬鹿にしている。一方、政党側がそうしうた考えだから、有権者としても当然それに対してレスポンスしてしまうわけです。本当は、その循環をうまくやって、政党も苦い薬かもしれないけれど、ちゃんと長期的なビジョンを出す。有権者も、それに対してちゃんと応答する。こういう循環をつくり上げていかないと、このボタンの掛け違いはそのまま続いていくと思います。
工藤:今、内山さんがおっしゃった「国民を馬鹿にしている」という話は、むしろ、国民があまり選挙に行かない方がいいというロジックですね。低投票率では、自分たちの固定支持層で何とか当選できる。しかし、もし、ヨーロッパと同じように火がついてしまい、今まで選挙に行かなかったような人が投票に行ったら、この日本でも既成政党が全滅するくらいの大きな変化になる、ということはありえないでしょうか。
内山:今は、代表制民主主義自体がかなり動揺していますので、どちらの方向になるかは分かりませんが、確かに何らかの大きな地殻変動を迎えてる可能性はあると思います。
民主党政権の崩壊で、政党が課題解決の競争に挑まなくなった
工藤:中北さん、今の話に補足していただきたいのですが、要するに、政治家が選挙に対して挑んでいかない。つまり、課題解決の競争がない。有権者はそれに対して関心がない。これは民主主義の仕組みが機能していないと私は感じています。政治家は職業として政治家を継続できればそれでいい、ということだけで行動しているのでしょうか。
中北:政治家にとって、「職業として政治家を続けることが重要だ」ということは、我々が「生きていくことが必要だ」と同じ意味なので、否定できないと思います。ただし、近年の政治家を見ていると、あまりにも生存するだけになってしまっている、とは感じます。
特に、2009年くらいまでは、そこそこ問題もありながらも、政策の対立が機能している部分があったと思います。ただ、あまりにもマニフェストで細かい数字ばかりが強調されたのと、その失敗の傷が大きかったために、逆に現在、あまり詰められていない政策の方に与野党が振れてしまっている。良かれ悪しかれ、2009年の民主党政権の失敗以降、日本政治の閉塞感が行き着いた先が、今の状態ではないか、というイメージを持っています。
工藤:今、国民は日本の将来に非常に不安を持ち始めています。それは、急速に進む高齢化や人口減少、自分の親の介護など、まさに自分達の生活と日本の将来が非常に結びつき始めて、不安を感じている。これに関して政治が全く対応しないという構造です。こうした不安が決定的な政治不信やポピュリズムの原因になることは考えられませんか。
中北:幻滅につながる可能性はあると思います。結局2009年も、民主党は「埋蔵金があればどうにか16.8兆円の財源が出る」という、甘いビジョンも示したわけです。しかし、そんなものはなかなかないことも分かった。先ほどの年金の話でいうと、最低保障年金を導入しようとすると、相当な消費増税が必要だ、という事実も、民主党政権の中で見えてきた。だから、民主党も、なかなか自民党に対する大きな対抗軸を示せない、という状況で今日まで来てしまった。最近「打ち出の小槌はない」という話が自民党サイドからよく出ます。それは与野党共に何となく分かっているものの、どこかに打ち出の小槌があるような幻想を振りまかないと選挙は戦えない、というのが今の空気だと思います。
ただ、国民も、打ち出の小槌を求めながらも、「現実にはそんなものはないよね」というのが、今回の年金に対する態度に表れているわけです。だから、「打ち出の小槌はないけれど、できる範囲で何をしないといけないのか」ということに、議論をもう1ステージ上げ、2009年とは違う形でリスタートする必要があるのだけど、なかなかそこに至っていないというのが現状だと思います。
工藤:今回の世論調査で、私が驚いたのは、そういう選挙で選ぶべき「政党」や「国会」に対する信頼が、本当に低いのです。20%くらいしかない、逆に言えば、6~7割がそれらを信頼していない。特に、20代とか30代の若い世代においては10%台しか、政党や国会を信頼していないという傾向が出てきています。これは、世界的に「民主主義が壊れている」と言っている状況と全く同じ、もしくは、それよりもひどいな、という気がしています。こうした世論調査を私は3年間やっていますが、このデータはずっと同じで、逆にひどくなっている。内山さん、これをどう見ればよろしいのでしょうか。
代表制民主主義というシステム自体への不信という点で、これまでになく深刻な今の政治不信
内山:そもそも、「政治不信」と一口に言いますが、二つのレベルがあります。一つは、今の政治、政権に対する不信、もう一つは、より深いレベルで、システムとしての政治、ないしは代表制民主主義に対しての不信です。昔の「政治不信」というと、「金権政治だ」「今の政権はけしからん」的な話だったのが、今はそもそも、システムとしての民主主義自体に不信を抱いている。つまり、人々の民意をちゃんと政治がくみ取れなくなってきた。これはすごく大きな問題です。特に、既成の政党がそういった民意をくみ取る役割を果たしていない。ないしは、既成の国会がそれをできていないとなると、明らかにポピュリストを生む土壌になります。ポピュリスト的なリーダーが、国会のような手続きをすっ飛ばして「やってしまえ」という空気を生み出しかねない。そういう意味では、懸念すべき状況だと思います。
工藤:確かに、今回の調査では代表制民主主義、つまり我々有権者が投票を通じて選んだ政治家が、国会という場で議論し、意思決定し、そこで選ばれた内閣が動く、この仕組みそのものが信頼できないという人も、3割程度います。今のシステムの運用に対して批判的になってきているので、私は非常にショックを受けました。
中北:これは各国、特に先進各国で共通の現象です。一つは、経済政策を含めて問題解決のためのきれいな処方箋が描けないということが一つあります。もう一つよく言われていることは、政党が持っている組織が弱くなってきていて、かつてであれば、ヨーロッパなら社会民主党の下に労働組合があって、あるいは保守系のキリスト教民主主義政党であれば教会などがあって、「我々が選んだ代表だ」という感覚を持ちやすかった。そうした構造が、政党の中に存在していたわけです。しかし、今、そういう党員とか支持者、団体はかなり弱くなってきていて、世界各国共通の現象として、「中抜きの民主主義」という形になってきています。
こうした背景によって、どうしても「議員たちは自分たちの代表だ」という感覚を持てないために、「身を切る改革」とか「彼らは甘い汁を吸っている」とか、政治不信の方に繋がって行ってしまう。政策争点の問題と、政党組織の問題という二重の問題が出てきていて、これは世界各国、なかなかうまい解決策がないという状況です。
工藤:おっしゃる通りで、政党というものが、選挙のためだけに存在しているようなところがある。ヨーロッパでは、政党から市民が離れてしまうという状況がありますが、冷静に考えて日本でも、政党はどのような民意を代表して政治活動をしているのか分かりにくい。しかも、政党が作った公約と違うことを平気で言って、選挙戦を闘っている候補者もたくさんいるわけです。そうなると有権者は何を選べばいいか分からない、それでも政党なのです。その政党には、国民の税金から政党助成金という膨大なお金が流れている状況です。そうすると、日本における政党とは、何なのでしょうか。国民の税金をもらって存在する選挙互助会としか理解できなくなる。
支持基盤の流動化によって、政党の主義・主張自体がどんどん曖昧に
内山:国によって違うのですが、二大政党制などの場合には、二つの政党の主張が平均的な有権者の政策に似てくる、とは言われています。ただ、アメリカのように完全に分断が起こってしまったところもあって、一概には言えません。日本の場合、一部の政党を除いて、政党自身のガバナンスが弱い一方で、伝統的に議員個人の自律性が強く、その議員が緩やかに集まっているという点が大きく違います。また日本の政党は、ヨーロッパのような組織政党としての伝統があまりないという点が、ヨーロッパの政党との基本的な大きな違いだと思います。
工藤:それでも、日本では例えば世界で自由と民主主義がここまで壊れているときに「自由と民主」を掲げている政治があるということは、ある意味ですごいことなのですが、そういう旗に皆が集まっているという感じではないですよね。党名は単なるスローガンになっています。
大きな歴史の流れから見れば、日本の政党は今後どうなっていくのでしょうか。民意と見合っていないし、課題に対する競争もしない。政治が大きく壊れ始めている気がしているのですが。
中北:主義主張というのは、当然、組織している人たちと対応して存在してきたわけです。例えば、労働組合をベースにしている社会民主主義政党であれば、「平等が重要だ」という主張であって、財界、あるいは中間層がバックにあれば、「自由経済が必要だ」という保守政党や自由主義政党になる。そういうふうに、支持基盤と政策は基本的に1対1の対応関係にあって、日本も基本的にはそうだったと思います。
ただ、支持基盤がどんどん不明確になって、そもそも、自民党というのが地域の幅広い有力者の集まりという性格があって、かなり包括性があるということもあって、どんどん曖昧になっていく。今、立憲民主党は「ボトムアップの民主主義」という主張をしていますが、ボトムを十分に組織化しているかというと、そうではない。結局、支持基盤が流動化していくと、主義主張の方も対応して、その都度その都度の風に従って、スタンスを変えていくというものにならざるを得ない。そうすると、有権者から見ると、フラフラ主張を変えて、何を言いたいのか分からない、一貫したイメージも持ちにくい、という結果になってくる。今、悪循環に入っています。
統治構造そのものへの不信に対する打開策はあるのか
工藤:社会構造が大きく揺らいでいく中で、政党と民意との関係がかなり途絶え始めている。ただ、職業的な政治家グループになってきているために、課題への責任というよりも当選することだけが自己目的化するという現象が出てきているわけです。
一方で、今回の世論調査では、国会への信頼も低下し、政府への信頼もだんだん低くなっています。つまり、選挙を通じた民主主義への批判が、統治構造そのものへの信頼の低下につながっています。これは、手を打たなければいけないような気がしています。
内山:いろんな要素が絡み合っていて、どこから手をつけるかは難しいのですが、おそらく皆さんが一致すると思うのは、野党がバラバラになりすぎているということです。結局、それが自民党に対する有効な選択肢を提供していないわけです。そうすると、結局「自民党、安倍さんに任せるしかないよね」という感じになってしまう。そういう意味で、積極的に政治にコミットするというより、「他に選択肢もないから、安倍さんにやらせておくか」という、消極的な現状維持になってしまうわけです。一つは、野党が有効な選択肢をちゃんと提供してくれるような、そういう仕組みにしていかないといけないと思います。
工藤:既成政党にこんなに魅力がないのであれば、新しい政党、つまりポピュリスト型の不安に迎合する政党とか、ナショナリストの政党が出てきて、大きく政治が動くような可能性は、日本にはないのでしょうか。
中北:個人的には、自民・公明の岩盤はかなり固いと思っています。他方で無党派層がこれだけ増えてきているので、それが風のように動けば、一気にそういった勢力が政権を獲る可能性もあったと思います。現に、小池百合子さんの「希望の党」はそういったものでした。ただ、結果として非常にお粗末だったということは、今ではよく分かっているわけで、そうした風が吹けば良い政治になるかどうかは、はなはだ怪しいわけです。
他方、自民・公明はそういった中で緊張感を失っています。私は「自公か、風か」と言っているのですが、どちらも問題を抱えていて、緊張感のある勢力間の競争があって、良い政策をブラッシュアップして出していくという、我々の目指してきたような政党の競争構造ができていないということなのだと思います。
工藤:私が今回の世論調査で非常に安心したのは、日本の国民の合わせて7割近くが、民主主義の持つ人権や自由という基本的な価値を重視し、民主主義は「必ず守るもの」、または、確かに民主主義は完全ではないので、「不断の改善や見直しが必要」と考えているということです。一方で、特に若い世代に多いのですが、民主主義に対する期待とか信頼はあるにもかかわらず、「日本は本当に民主主義なのか」と、懐疑的に見る傾向が広がってきている。これはもっと本質的な問題に繋がりかねない危険性があると思います。民主主義というものが、ひょっとしたら日本で、今後、壊れてしまうのではないか、という危険性に関しては、どうお考えでしょうか。
中北:今、工藤さんがおっしゃったように、民主主義そのものに対しては、日本国民の間では深い支持があって、中国との関係からいっても、日本では「民主主義は大切だな」という感覚が続いていくことに対する信頼はあります。
ただ、代議制民主主義、国会の話になってくると、「何のためにあそこでピーチクパーチク話しているのかよく分からない」となってしまう。あらゆることがそうで、なかなか「0か100か」のような話にはならない。これは日米関係も同じで、「アメリカに従属していてけしからん」というような本が売れたりしますが、現実はそんなことはないわけです。いろんな構造の中で、外務省もそれなりに頑張りながら、どうにか自主性を発揮するためにやっているわけですが、そういうことがなかなか見えにくい。国会も同じ話で、国会がなくなったら、たぶん政策決定についても緊張感がなくなるでしょうし、少数派の意見も、何らかの形で国会が存在することを通じて事前にインプットされているわけです。そういう微妙なところというのはなかなか見えにくいのです。特に、若いと、そういう微妙な、無用に見えるものが実は有用だ、というのが見えにくいので、代議制民主主義の制度について不信を持つというのは仕方ない気もします。徐々に無用だと思っているものが、例えば職場の上司もそうかもしれませんが、「実は必要なのだ」ということは、おそらく分かってくると思います。
自衛隊や警察への圧倒的信頼を削ぐのではなく、民主主義をいかに機能させていくかを考え、国民と共有していくことこそ重要
工藤:もっと大学で民主主義の教育が必要なのではないか、という気がしています。ここで、内山さんには少し聞きにくい質問をしたいと思います。今回の世論調査を見ても、「国会」や「政党」、そして民主主義のインフラとして期待されている「メディア」の信頼が低い状況です。一方で、「天皇・皇室」や、「自衛隊」、「警察」等、ある意味での権力装置に対する信頼はすごく高くて7割、天皇・皇室に対しては9割近くに至っています。全く対照的な傾向を示していますが、この傾向をどのようにご覧になっていますか。
内山:政治的な対立というものに対して、国民が飽きているという感じがします。天皇については別格ですが、自衛隊は「非政治的」な存在であると同時に、災害の時などに頼りがいがある、というのはもちろんあるかもしれません。さらに、裁判所、自衛隊、警察にしろ、非政治的な機関ということ支持の原因だと思います。本来、民主主義には対立は不可避で、対立をいかに熟議に持っていくかが大事なのですが、「対立しているから仕方ないや、あいつらピーチクパーチクやって何も生産的ではない」という印象が強いのではないでしょうか。
工藤:自衛隊・軍や警察が圧倒的に支持される国が隣にもありますが、日本とは違う体制の国ですよね。そういう国に似てきていることをどうご覧になりますか。
中北:それを聞くと、やや怖いものを感じざるを得ないですね。むしろ、そういった権力装置に対して、国民は懐疑的な目を持っていくことこそが大切だ、と我々は教えられてきました。そういうものの正統性が上がってきて、民主主義が衰退してくると、「クーデターでも起きるのではないか」と思ってしまいます。タイでよく起きるような、クーデターが起き、国王が収拾するというような...、そこまでは行かないと思いますが、ただ、危機感を持つのは、どちらかというと、民主主義の方でしょう。警察や自衛隊の信頼感をそぐ方が先決というわけではなく、民主主義をどうやってワークさせて、政治的に有効なものなのだという感覚を、ある程度国民に共有できるようなことを目指していくことの方が重要であり、必要だと思います。
強い民主主義を機能させるために、政党は、有権者は、何をすればいいか
工藤:こうした不安定な状況の中で民主主義の機能をもう一度きちんと動かし、強い民主主義の実現を日本で目指すために何をすればいいのでしょうか。
内山:非常に難しいのは、政党のあり方と有権者のあり方は「鶏と卵」なので、そこはうまい循環をつくり上げていくしかないのですが、私としては、政党、与党もそうですが特に野党が、しっかりと有効な選択肢を提示することだと思います。しかも、「100年後の国民生活はこうなっている」という長期的なビジョンをしっかりと見据えて、それも、夢物語ではなく、エビデンスに基づいた議論をきっちりしてもらう。そのことをちゃんとすれば、有権者もちゃんと分かってくれるのだ、という自信を持ってほしいと思います。
中北:一義的には野党だと思います。野党をきちんと立て直さない限りは、与党もこのままだと思います。今回の参議院選挙の選挙結果がどうなるかは分かりませんが、その総括を、野党が単独の政党としての勝ち負けではなく、野党総体として、きちんと安倍政権に対して迫れたのかどうか、迫れなかったのであれば、なぜなのか、ということを、野党全体が考えていかない。一つの政党が勝った、負けた、という中でやっている限りは、おそらく、国民の負託を受けて政権を握るということには、10年経っても20年経っても難しいと思います。
工藤:今日は、民主主義を巡っていろんな形での議論を行いました。私たちはやはり、民主主義のそもそもの原点は主権者である我々だ、と考えています。我々がこの時代の課題にどう向かい合うか、というところから、全ての前提がつくられていくのだと思いますし、民主主義というものは、いろいろ欠点があったとしても、絶対に大切にしていかないとなりません。
そうした意味で今回の参議院選挙では選挙も大事なのですが、候補者や政党の発言を、そういう民主主義の視点から注意深く見てほしいと思います。私たちは民主主義を強く機能させるため、こうした議論はこれからも続けていきますので、ぜひ期待していただければと思っています。
今日は皆さん、ありがとうございました。